Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

今日があっても、明日があるとは限らない

2012-02-24 08:36:45 | 日記


ひとは“今日”と言って、今日を生きる。
今日の次には明日が来るはずである。
明日になれば今日は、昨日になる。

ぼくは、なんら“哲学的な”ことを述べてはいない。


さて、今日、というか今、みた三つの“文章”をならべる。

この“今日の三つの文章”で、ぼくがなにを思ったかは、読者の想像にまかせる;

①朝日新聞:天声人語

一つ屋根の下、という表現がある。そこにあるべきは一家だんらんであり、つましいけれど幸せな日々だろう。しかしこの現実を前に、ありきたりの言葉は意味を失う▼東京都立川市のマンションで、45歳の女性と4歳の息子らしき遺体が見つかった。床に倒れた母親の死因はくも膜下出血。知的障害がある坊やは一人では食事ができず、手つかずの弁当はあるも胃は空だった。2人ぐらしのお母さんを突然失い、空腹のうちに息絶えたらしい▼一家の亡きがらが、時を経て自宅で発見される事例が相次いでいる。さいたま市では、60代の夫婦と30代の息子。家賃と水道代が滞り、電気とガスも止められていた。近所づきあいも、生活保護の申請もなかったという。所持金は1円玉が数枚だった▼札幌市では姉(42)と障害のある妹(40)、釧路市では妻(72)と認知症の夫(84)。いずれも、病気や高齢などのハンディを抱えた「弱者の共倒れ」である。なんとか救えなかったか▼衰弱の末の死は緩やかに訪れるはずで、複数が同時に事切れたとは考えにくい。一つ屋根の下、残された人の落胆や焦りを思う。札幌で姉に先立たれた妹さんは、携帯電話のキーを何度も押していた▼こうした悲劇には、公共料金の滞納、たまる郵便物などの前兆がある。微弱なSOSが、プライバシーの壁を越えて行政に届く策を巡らせば、かなりの孤立死は救えよう。懸命に生きようとした人の終章を、天井や壁だけが見届ける酷。きずな社会への道は険しい。


②読売新聞:編集手帳

法律の条文にも五七五の調べがある。たとえば、憲法23条〈学問の/自由はこれを/保障する〉。あるいは、民法882条〈相続は/死亡によって/開始する〉◆東京高裁の判事だった頃、半谷恭一さんが広報誌に寄せたエッセーからの受け売りである。いかめしい肩書とは異なり、平易で洒脱な語り口が印象に残る◆もう一つ、忘れがたい文章がある。東京地裁のロッキード裁判で嘱託尋問調書を証拠採用した「半谷決定」の一節である。〈人は病気に罹ることをべ虞れるべきではなく、その治療手段の無いことを虞れるべきである〉。たとえ権力の腐敗を事前に防げなくとも、司法が正しく機能すれば国家は安泰を保てるのだ…と、つづく。政治腐敗への憤りと、司法に携わる身の矜持を語って、いまも色あせていない◆退官後は弁護士をしていた半谷さんが自宅で絞殺されたという。78歳。妻(81)が逮捕された。夫妻には認知症のような症状があった、とも報じられている。煮えたぎる正義感と人懐こいユーモアの人にさえ、天は心やすらかな老後を許してくれない◆人生を生ききるとは、むずかしいものである。


③朝日新聞記事(現在アサヒコム・アクセスランキング3位)

<引退の知事に「最後ぐらいお目に…」芥川賞の田中さん>

 小説「共喰(ぐ)い」で芥川賞を受賞した山口県下関市の作家・田中慎弥さんは23日、山口県が新設した県文化特別褒賞を贈呈され、二井関成知事と会談した。
 知事は今期限りでの引退を前日に表明したばかり。田中さんは「政治家に会うのはいつも緊張するが、退任表明をなさったということなんで、最後ぐらいはお目にかかっておこうと」と語ると、知事応接室は笑いと緊張に包まれた。
 「あれだけ注目されて、お忙しかったでしょう」という知事のねぎらいの言葉にも「そうですね。こういうところへ引きずり出されて」と田中節で応じた。
 田中さんは、「共喰い」に出てくる川は下関市の田中川をモデルにしたことを明かし「小説の中では、下関という町を自分の価値観で作りかえている」と語った。

(以上引用)




ひとことだけ、ぼくの感想を述べれば、③の最後にある《「小説の中では、下関という町を自分の価値観で作りかえている」》というのは、“あたりまえ”である(それが“小説”であるならば)

こういうことをわざわざ言うひとより、こういう発言を“ニュース”とするひとの知性が疑われる。