建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞の2024年度受章者は、日本人の山本理顕(やまもとりけん)氏に決まったとの報道がありました。山本理顕さんのことは知らなかったのですが、以前見に行った横須賀美術館の設計者でもありました。山本さんの事務所が私の住む神奈川区にあるそうで(駅でいうと東横線反町駅から近いようです)、その関係からか、うちからも近い子安小学校の設計をしているということで、さっそく見に行ってきました。なお山本さんは、行政や権力者による理不尽な仕打ちに対して闘う建築家という側面も持っているようです。
子安小学校の場所は、JR新子安駅に近いところです。周囲にはマンションが多く立ち、1200名という多人数の生徒を収容するために2018年に作られた校舎です。
四角い校舎の周囲を外廊下が取り囲んでいる形です。これによって、校内の移動通路と、教室内に直射日光が入るのを防ぐひさしのような役割を果たしていると思われます。それを全体に巡らせることで、デザイン的にもシンプルでスタイリッシュな雰囲気を作っています。
門が開いていたので少し中に入ってみます。運動会のときには、校庭側のこの外廊下の3階まで、父兄の観覧席として使われるということです。スタンド席みたいなもんです。
教職員用の玄関奥には、しゃれたステンドグラスが据え付けられていました。
校庭の反対側。左側と奥が校舎で、右側が体育館ですね。
体育館の屋上はプールのようです。
モダンな学び舎というかんじです。この学区の子はラッキーです。高名な建築家がなぜ公立小学校の設計を引き受けたのかはわかりませんが、仕事に対する対価を巡っては、市と山本氏の間で対立があったようです。ケチる行政と建築家としてのまっとうな報酬の主張の争いです。
小学校を見たあと、新子安駅近くで昼食をとり、さらにウォーキングを続けます。これは、駅近くの「LIVE & CAFE しえりる」というお店。調べたらライブハウスをやっているようです。
お店の窓ガラスの向こうでネコたちがひなたぼっこをしています。右の子は、場所が狭いので座って寝ているようなけなげなネコです。
浅野高校ではちょうど卒業式が終わったところで、生徒や父兄が門から出てきていました。今年の東大合格者は45名だとか。写真は門の反対のグラウンド側から撮ったもの。
大口駅東側にある、○○屋敷。家の前に生えた木が、家全体を覆ってしまっています。今は木の根元が切られているので枯れていますが。なんともいえないインパクトがあります。アバンギャルドといったらいいのか。
ラッキーです。
最近は、勝手に入るな!みたいな掲示が
あってなかなか入れません。
鎌倉女学院に入ってみたいんですが、
警備のおじさんがいつもいて、中を覗くことすら
憚られます。当たり前か。
話が私にはよく見えてませんが、建築家は役所と
報酬を巡り対立したのですね。
役所って、こんな名誉な注文をしてやるんだから
タダでもいいだろうがー!みたいなことを
平気で言いますからね。
特に設計という無形のサービスは、土木建築
という有形の重い仕事のオマケみたいに思って
いるのかもしれません。
しかし一旦設計を請け負うと建築家は
全体を見守り調整を繰り返し、竣工まで気を
抜けない。正当な対価を要求し、
変に値切って来たら、仕事を受けなきゃいい
のです。金を出す側に偉そうにされる必要は
ないし金ったってもとは税金。
ところで最後の画像の家は怖いですね。
ここまで植物に絡まれてるってことは、
相当躯体は傷んでいるでしょう。
お隣のお宅は恐怖を感じているかもしれません
ね。うちの住宅地にも、ひとつ傷んだ建物が
あり、いつまでこのままなんだろう?、
隣家も怖いだろうな?と通るたびに思っています。
設計で選ばれて、のち解約になることを3回経験
されてますね。
面白い。もうちょっと調べてみます。
どういう方なんでしょうね。
たくさんのコメントありがとうございました。
小学校の中にはふつう入れないのですが、このときは、大人たちがサッカーをやりに来ていた関係で、門を開けたままにしていたようです。サッカーが終わって大人たちが休憩に入ったので、私は本能的に門から外に出たのですが、妻がまだ中にいたので見つかってしまい、「学校の関係者ですか?」と聞かれたので、「有名な建築なので見に来ました」と答えたところ、サッカー大人は「ああ、そうですか」と、建築には全く興味がない様子でした。門から出たら、彼らはピシッと門を閉めていました。彼らも小学校にお願いしてサッカーしている立場なので、「不審者を入れてしまった」とか何か問題を起こしてはいけないと心配なのでしょう。
山本氏と行政などの施主との対立については、おちゃさんが書かれている通りの構図です。最初決めた予算で仕事を引き受けても、じっさいにやってみたら予想外のコストがかかってしまったということはいくらでもあると思うのですが、施主は頭が固かったりプライドがあったりしてそれに対応できなかったということですね。そして、山本氏という建築家に対して、その仕事の高い価値を見くびっていたということもあるのではないでしょうか。