18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

体罰教師の情報公開

2007-11-27 01:34:45 | 
 当然といえば当然なのだろうけども、兵庫県の学校で起きた教師による体罰に関する報告書の大部分を非開示とした兵庫県教育委員会の判断についての訴訟で、最高裁は兵庫県教育委員会の上告を退け、体罰を加えた教職員名、学校名の開示を命じた大阪高裁判決が確定した。

 プライバシー保護だとか何だとか言うが、結局公務員である教職員の不当な職務内容は当然のことながら開示されるべきだし、保護の対象にすべきではない。当たり前だ。

 教員にももちろん様々な人がいる。完全、完璧な人格者などいない。しかし、そういう態度や姿勢が求められるのも事実だ。せめて、それに近づくようにしながら職務に当るべきだろう。

 それを認めないとどうなるか?

 駄目な部分を覆い隠し、露呈しないように事実を歪め、過失も認めない。

 そんなのが教師だとして、いったいどういう教育ができるのだろうか?

 問題なのは、「教師自身がちゃんと自律できるか」である。

 間違いがあったとき、過失があったとき、それをどのように受け入れるかである。

 取り繕いや、事実隠蔽をしがちな「学校」

 自律できるはずの大人達の集団なのに、自律できない連中の巣窟になっていたりさえする。

 今回の判決が無くても、教育委員会は、当然のこととして対応できないといけない。最高裁まで争う事自体が、兵庫県教育委員会の未熟さを物語っている。


 教育委員会を教育するのはだれだ?実際には誰もいない、だからこそ教育委員会は、ことなかれにならない様に自らをしっかり見る目と、行動する力が必要だ。

 山形県立高畠高校の件でも教育委員会は「いじめの事実はない」という報告をしているが、改めて問うが「まちがいないか?」、「あとから言い訳するようなことにならないか?」

 確かに「いじめの有無」の事実認定は難しい。しかし、起こった事実は事実なのだ。しっかり良識にもとづいて見てもらいたい。

 中学生や高校生に対して、「自律」だとか「自戒」だとかを求める以上に、教育委員会や教師、学校は、もっともっと自らを律することを常に忘れてはならない。



 


いじめの自殺 山形県立高畠高校校長の発言

2007-11-24 10:46:21 | 
 Yahoo!のニュースによると、山形県立高畠高校で女子生徒がいじめを苦に自殺したことに対して、両親が遺書の内容を公開したが、それに対して、その学校長のコメントがまことにお粗末。

「5人以外の生徒を一くくりにしていじめの加害者とするような内容になっているが、そのようなことはないと学校では判断し、この遺書を、根拠の見えないものと考えている」

のだそうです。

これをわかりやすく解釈すると、学校では「自殺したのは女子生徒の勝手、私たちは関係ありません。」


と言っているに等しい。


なんという学校。


まあ、そういう学校もあるのは事実。



物事を正面から捉えらる勇気がない、年齢は重ねているが、人間的に成熟していない、大人達によって、ことなかれ感覚で毎日を過ごしていると、とくにこういう事になる。



どう考えても、女子生徒が自殺した事実がある。自殺に当って遺書が残されていて、そこには、自殺した女子生徒の主観で書かれたとしても、いじめ行為に相当する対応がなされたことが記されている。



生徒を預かる学校の責任者である、学校長。



いじめが事実であるかどうかを、学校長、あなたに訊ねているのではないのですよ。



こどもを学校に預けている両親の気持を考えれば、自分の学校にかよっていた女子生徒が自殺した事実に対して、学校長として、どういう見解でいるのかを問うているのですよ。



それが理解出来ずにこういうコメントを出すというのは「責任逃れしたい」という態度が見える。



事実を正面から受け止められない学校長。責任ある立場の筈だが、こんな態度では、卑怯者といってもいいのではないか?


山形県立高畠高校のホームページには、青おにくん倶楽部という、学校長による通信ページがある。2007年9月に掲載された内容には、数行この件について触れています。



「今後ともこのことにつきましては学校として誠意を尽くしてまいる所存です。」と記されていますが、学校長の名前が記載されていませんでした。


正々堂々とした態度が取れないのでしょうか?



山形県立高畠高校のホームページ http://www.takahata-h.ed.jp/




Little DJ  小さな恋の物語

2007-11-19 22:50:06 | 映画
 先行上映は何度か見たことがあるが、試写会ははじめての経験。Tokyo FM Cinema80で応募した試写会に当ったので観てきた。

 会場は、渋谷C.C.Lemonホール。JR渋谷駅またはJR原宿駅から徒歩10分。たしかに10分ぐらいかかった。

 主演、神木隆之介、福田麻由子。この若い二人を支えるのは、広末涼子、松重豊、小林克也、西田尚美、石黒賢、原田芳雄ら。

 ストーリーはネタバレになるので本編を観てのお楽しみとして、全体の感想は、んーー、まあまあ。

 ストーリーは悪くない、脚本もわるくなさそう、もちろん出演者もつぶぞろい。じゃあ何が駄目なのか・・・申し訳ないが監督と編集というかつなぎ方なのではないかと思う。

 もったいないなと思う。泣かせるシーンでは、場内でもすすり泣きが聞こえたし、もちろん両隣で見ていた人たちもそうだ。

 でも、なんだか、んーーーー、ちょっと消化不良。

 厳しい点だけども、点をつければ100点満点で、55点ぐらいかな。責任は監督と編集、あと少しだけ脚本も。原作がどんなだったのかは読んでいないが、映画と小説は別のものだから、思い切って変えるところは変えればいいと思う。小説のおもしろさは“語らない”部分を読者に想像させる所にあると思う。映画のおもしろさは、“展開のテンポ”だと思っているので、自ずと違う部分が大きい。


 なんとなく展開が小説的、こまかなエピソードの盛り込み方が単調であっさりしている印象。

 意味もなく1977年を舞台にしたのではない事には頷ける。

 
 ちょっとだけあったかで、ちょっとだけ涙。初恋を思い出してすこし素直になりたい時に観るのがいいかも。



 2007年12月15日(土)よりロードショー

 


まだ青々として

2007-11-18 20:56:22 | 風景
 そろそろかなぁと思って神宮外苑前の銀杏並木を訪れた。しかし・・・暖冬なのか、まだ銀杏は青々としていて、こころなしか葉の一部が黄緑色になり始めているかなぁといった感じでした。この調子だとあと2週間ぐらいは黄色に染まった銀杏並木にはお目にかかれなさそうである。



 さて、この時期この銀杏並木にあやかって、いちょう祭りが催されている。特別な催しというよりも、大道芸と特産品の出店などがあるといったもの。

 しかし、今日のようなちょっとした陽気の日には、のんびり過ごすにはちょうどいい。

 ここで見つけた面白そうなお店が、「鰯のげんこつ」。

 長崎からの出店だけども、この強烈な看板が目を惹いていて、結構みんな買って帰っている。あまりにおいしそうだったので1つ買って食べた。

 この「鰯のげんこつ」は、豆腐と鰯のすり身を練った中に野菜がたくさん入った下の段と、鰯とタマネギその他野菜で練った上の段の2段重ねになった串を揚げたげたもの。形は直径7センチ、厚さ1センチぐらいの大きさ。

 下の段は豆腐が入っているせいか、揚げていても色は白く、食欲をそそる薄いきつね色。上の段は、焦げの匂いがしそうな茶色。食感は一口がぶりとかじると柔らかくて、ぷるんとした腰の強さがある。中にはタマネギを主体にニンジンやゴボウが細かくきざんで入っている。鰯くささも鰯のにおい消しのためのショウガの薫りも殆どしないので、鰯ぎらいな人でも問題なく食べられる。

 下の段は、上の段ほどのぷるんとした感じは無かったけども、一口食べて、びっくり!なんと枝豆が入っていてこの味がすごくひきたっていた。豆腐と鰯の練りのせいもあるのだろうか、少しふわふわした感じがした。

 お酒を飲む人ならからしをつけて食べてもおいしいと思う。薩摩揚げのような練り製品の揚げ物にくらべて味がしっかりしていて、飽きがこなくて食べられる。

これはその写真







良識を疑うな

2007-11-17 12:38:46 | 風景
 船場吉兆・・・と書くべきなのだそうだが、この事件以前からの「食べ物」を提供している各社の良識はどうなっているんだろうか?

 メールマガジンで届けられるライブドアニュース。この中にはいわゆる一般マスコミ以外の、市民ジャーナリスト、と呼ばれる人達が書いたものもニュースとして届けられる。

 その中で、良識を疑う記事があった。『JRの特急列車内での婦女暴行事件、本当に悪かったのは誰か?』というもの。(記事タイトルはこの通りではありません。)

 事件を起こした犯人も悪いが、女性も悪いということを(誘導)取材していた記事を書いた記者(というかシロウト)、またそれを掲載した編集部。ともに良識を疑う存在だ。


 人はそれぞれ異なった価値観があるし、異なった生活をしている。趣味も嗜好も違う。生まれも育ちも人種だって違うもの。そういう人達の生活やアイデンティティ、人権をきちんと認め合う為に必要なのが良識である。


 法律が無くても、ルールが決められていなくても、安心できる生活をお互いに過ごすことができてこそ成熟した大人である。そこには良識というものがある。



 “べつにイイじゃん””誰にもメイワクかけてないじゃん“なんて言う子どもレベルの発言に右往左往してはいけない。そういう良識をわかってない連中が闊歩するとあちこちで法律が必要になる。

 市条例なっていうのもそうだ。タバコのポイ捨て、喫煙マナーキャンペーンなんていうのは、はっきり言えば「タバコを吸う人達には、良識というものが無いので、条例で、キャンペーンでわからせるしかないのです。」と言っているのだ。

 
 船場吉兆の例は、有名料亭すべてがメイワクを被っている。特にのれんわけされたそれぞれの吉兆は特に。雪印牛乳の事件では、牛乳全体の消費が落ち込んだ。ライブドアの事件などでは、監査会社がつぶれ、上場企業は対応に追われた。いじめ事件では学校の先生が対応に追われ、建築偽装では、建築士資格の問題にまで発展した。


 何か事がおこったら、いや、あるひとりのやったことが、世間に大きく影響するものなのだということを、子どもはわからない。社会というものを理解してそういうなかで自力で生活する時に何を一番大事にしなければならないのか? それは信頼と良識だ。

 つまり法律やルールには記されていない中での人や社会との関係構築だ。良識が疑われることをする人たちは、残念だが社会から排除されなければならない。