18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

目の前にあること

2007-10-28 20:39:03 | ファミリー
 自分自身の夢。家族に対する責任。

 時には、夢をあきらめなければならない。

 しかし、それも自分の人生。

 あきらめると言っても、二度と挑戦しては行けないという訳ではない。



 時を経て。



 時を経て。



 時を経て。



 そして改めて、夢をあきらめたときとは違う感覚で、もう一度夢に挑む。




 肩に力を入れず。


 虚勢を張らず。


 自然体で。


 挑む。






 生きていく中で、生活が精一杯の中で、自分の小遣いもままならないなかで、



 しっかりと、何処を見るかを決めて生きる。



 それだけで、日々のとらえ方が変る。



 
 目の前にあること。





 避けられないから、





 だからこそ、それだけにとらわれない。





 大事なことなのだけど、なかなか教えてもらえない事だ。






 

お天道様の下を

2007-10-23 22:06:49 | 社会・経済
 人には到底言えない、ハズカシイことをすることを戒める意味で、「お天道様の下を歩けなくなるよ」ということばがあったように思う。



 原材料の偽装、賞味期限の改ざん



 つまり、大嘘をついて商売していたわけで



 特に赤福餅なんて「伊勢の名物」としてお伊勢参りのお土産として堂々と伊勢神宮のお膝元で商売していて、お天道様に感謝、という意識が強くありそうなはずなのに、お伊勢さんに背中を向けて、あっかんべぇをしていたわけだ。


 まさに、お天道様の下を歩けない典型である。




 こういう事を平気でやっている会社の社長や社員。鏡に向かって言ってみればどうだろう?自分は人に堂々としていられる商売をしているか?


 

 商売のために商売をしだすと、なんでも良くなる。倫理なんて無くなる。老いも若いも関係ない。だまされる奴が悪いってな感じだ。いわゆる悪徳商法だ。



 
 長年、堂々と世間を欺いて、悪徳商法を続けてきたのだ。本来なら廃業だ。責任は重い。



もっとゆるくでいいじゃないの

2007-10-22 00:07:29 | 社会・経済
 ぎずぎすした世の中になったとか言われて久しいけれど、この世の中を作っているのはみんななのだから、みんながぎすぎすする方向へ進んでいることを自覚した方がいい。

 負け組だとか勝ち組だとかといった、軽い刹那なことばで自分の人生の価値まで計ってしまうようなことが当然だと思っているところからさっさと抜け出すべきだと思う。

 一時的な勝ち負けは確かに目の当たりにするとそれが世界の、人生のすべてのように思うかも知れないが、実際のところそんなもので価値を計られたらたまらない。


 青い論議をすれば、たとえば、お金持ちの家に生まれて、幼い頃から帝王学と資産に恵まれて成功した奴がいる一方で、平凡な、どちらかといえば質素な家に生まれて成功した奴もいる。どっちが価値のある成功か?なんていうことになるが、こんなの論議してどうする?

 逆もまたしかり。恵まれた環境で失敗した奴と、質素な環境で失敗した奴。どっちが負け組か?なんていうのも意味がない。


 勝ち組、負け組なんていうのは所詮は青くさい価値観。気にすること、気になることがまだ自分自身の価値観がその域を出ていないということ。そんな価値観に悩んでいる時間があるんだったらもっと広い視野と価値観をもって自分自身を鍛えるほうがいい。


 最近また、子どもを殺している親のニュースが続いている。



 子を持つ親なのに、青い価値観から抜け出られていない。



 自分自身がそういった価値観に左右されているという自覚さえ無い場合がおおいので、ここで1つ例を。


 お金はあればあるほうがいい・・・これはもちろんYES。しかし、何にそのお金を使うのかが問題だ。おいしいものを食べる、高級品宝飾品を買う、海外旅行を楽しむ、高級外車を乗り回す、都心の高級マンションに住む、などと言っているようでは駄目。

 そういう価値観は、高度成長期で終わっているべき。しかし残念ながらその時期に育てられた人達は、いまだに価値の再認識をせず。妄信的にこういった価値観でいる。

  
 こういう価値観のままでいるから、持っている人を見て、持っていない自分を悲観する。持っている人になるには有名な大学に入らなければならない、有名な大学に入るには有名な高校に入らなければ・・・という具合になる。


 そうした結果、「自分には、ムリだ。」となって、勝手に勝ち負けを決めてしまう。


 なんじゃそりゃ?と思わないか?


 もう時代は変っているのに、価値観は全く変ってない。団塊の世代の宿題がここにある。


 価値観の再点検。ちゃんとやってみせて欲しいものだ。それなしに引退などは卑怯だ。


 
 
 





何事もほどほどに

2007-10-18 01:15:00 | 
 ヒーローと悪役という分かりやすい図式が大好き。これは日本人に限った話ではない。そういう図式は、大勢の人を煽動するのにもっとも効果的だ。

 だから、ブッシュ米大統領は北朝鮮のことを「悪の枢軸」と呼んで世論を煽動した。中東に対する批判もそういう手法を使う。まあそれが欧米式の人を動かす手段とも言える。日本では、もうすこし粘着性が高い手法を使う。「米英語を敵国語」として使うことを禁じたり「鬼畜米兵」と言ってみたりする。相対的な位置づけによる批判よりも、もっと身近な感覚で敵対意識を持たせようとする。

 坊主憎けりゃ、袈裟まで憎いということわざの通りである。


 さて、こういう背景の違いはあるが、結局「悪者」を作りあげて排除する姿についてはあまり差があるようには思えない。今回のボクシングタイトルマッチについては、特にそういう印象がある。

 亀田一家のことを快く思っていなかった多くの人たちが、鬼の首をとったかのようなはしゃぎぶり。ここぞとばかり亀田一家のことを批判していて、一億総アンチ亀田状態になってしまっている。「ざまあみろ」と思っている人も少なくない。しかしこれは亀田一家を日本中でいじめているのとまあ同じと言っていいだろう。

 しかし、物事には限度というものがある。何事も限度を越してはいけない。

 限度を越してしまうのは、前述の「坊主憎けりゃ…」の感覚があるからだ。そういうことは常に意識しておいたほうがいい。そんなことを無視して進むとろくな事にはならない。

 少し“ええかっこしい”に聞こえるが、批判は何に対しての批判なのかをちょっと振り返って考えて、何を求めるのかを考え直すと、それをどれくらい相手に対して求めるべきなのかが冷静に見えてくる。

 亀田一家の件については、三人のボクサーは品のない大口も限度を考えることや、当たり前の礼儀と節度をもって人と接する事。またそういう当たり前の事をを教えてくれる師に師事を仰ぐこと。父親については、自身のやってきたことは何だったのかをちゃんと考え、きちんと世間の声に耳を傾けることをすべきだと思う。そして子離れすべきだと思う。

 これだけ一斉に批判されて、行き場を失いかけている状態になっているところにさらに非難の集中砲火を浴びせる必要はないだろう。

 彼らを養護するというよりも、当たり前程度にしましょうという話。後味が悪くならないように。



地球へ・・・と、風林火山

2007-10-14 17:44:21 | アニメ・コミック
 ブロードバンド無料放送のGyaoで少し前に終了した、竹宮恵子原作の「地球(テラ)へ・・・」。

 確か27~28年前にマンガ少年に短期連載されていた作品だったと思うが、その後のアニメ映画を経て2007年に再度CGを駆使したアニメ化で蘇った作品。

 人類の普遍のテーマを取り扱っていることもあり、約30年前の原作とは思えない内容に仕上がっている。

 いまは、DVDを買うか、インターネットでダウンロードしてみるかのどちらかの選択肢でしか見られないので、今から見る方にはこちらからのアクセスをお勧めする。


 さて、この「地球へ・・・」と「風林火山」。何の共通点があるのか?


 

 この「地球へ・・・」に登場するキースアニアンという人物。もし実写なら、ちょうどいまNHK大河ドラマの風林火山に出演しているGackt以外に考えられない・・・というただそれだけです。


 
 以前にもこのブログで、池田悦子原作、あしべゆうほ作画の「悪魔の花嫁」の悪魔の役が、松田龍平さんがぴったりだという話を書いたが、今回はこの2人。

 見比べてもらうためにお二人の画像をアップしておきます。


 「地球へ・・・」は、少年雑誌に連載されたものだが、作者の竹宮恵子さんはもともと少女漫画の作者。出てくる少年達は当然美少年である。


 動く美少年。少女漫画から抜け出てきたというくらいの容貌。キース役には彼しか考えられない





  ★おまけ