18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

ウィニー対策16億?

2006-08-31 02:06:52 | 社会・経済
 Yahooのトップページに総務省の概算予算要求で、ウィニー対策費に16億円という見出し。16億円も何に使うのかなぁと記事をみたら。対策の開発費だと。

 おーい。その発想はやめてくれ。

 総務省はそんなのに金を使うぐらいだったら、ウィニー対策ソフトを買いなさい。その10分の1で事足りるぞ。いいソフト知ってるよ紹介して上げる。

 ウィニー対策はやらなければならないでしょうけども、同じ考えで、アィニーだとか、エィニーだとかが出ても同じ発想で開発費を要求するのか?そんなことやってたらいくらお金があっても足らない。税金をなんとする!と問われるのは、こういうところの姿勢なのを分かってないな。明らかに。

 いまさらパソコンを使うのを止めろとは言えない。しかしながら最低限のルールを守ってないからそもそもこうなる。

1.パソコンは持ち出さない。
2.フリーソフトや認められていないソフトはインストールしない。
3.外部媒体からのデータ持ち込みは窓口を一つにして、セキュリティに通す。
4.インターネットやメールからの感染防止のための、アンチウィルスソフトの強制適用の仕組みを入れる。一番いいのはメールソフトを使わずに、ウエブメールにする。

最低限これを守ると、ウィニー対策費の16億円はいらない。ゼロでいい。これに違反したら、懲戒免職ぐらいにするべき。だって16億円だよ、16億。職員のルール無視で16億ってどういうことよ。なんかおかしくないか? 

 そんなのが通るなら、うちの職員には火のついたタバコをゴミ箱にすてるやつがおる。それでぼやと火災が何度か起きたので、その対策に16億円つかうのです。16億円の内訳は、火のついたタバコをゴミ箱にすてても、ぼやにも火事にもならないゴミ箱を開発するためです。って言うてるのと同じ。

 自分のしたことや自分の失敗の為に、16億円使うなんて絶対に認めては行けない。かりにその開発結果を民間へと考えていたとしたら、それは余計なお世話だ。民間の企業が対策ソフトはいくらでも製品として既に出荷している。

 官の発想が変わっていないと思えるこの予算請求。郵政民営化で終わらない。総務省自体がダメだこれでは。



 

恫喝問題で非難集中、非常識なのは誰?

2006-08-29 22:07:47 | 風景
 Yahooのポータルに掲載されたZAKZAKの記事によると、日本テレビの24時間テレビで100KMマラソンを走るアンガールズにタッチした年配の方と思われる女性に対してスタッフが恫喝したことで日本テレビに非難が集中していると報じられている。

 実際にテレビは見ていなかったが、恫喝なんてただごとではない。日本テレビもその怒鳴ったスタッフには厳重注意したようだけども、しかし、ランナーにタッチした人も非常識だとは言えないか?

 テレビのスタッフはそれはもう、放送中に起こる事故には異常なまでに注意をしている。仮に走るアンガールズの後ろで全裸の男が併走してももちろん事故だし、バイクで爆音を上げて併走する人が現れるのだって大問題。応援に来たつもりの人が将棋倒しになって怪我をしても、警備の問題と指摘されて責任を問われるし、ましてやランナーが暴漢に襲われたり、怪我をさせられて、100KMマラソンが中断なんていうことはあってはならないはずだ。

 海外の男子マラソンでも確かトップを走っているランナーのじゃまをするかのように、沿道から人が飛び出してきたのも記憶に新しい。危害が加えられるようなことは無かったから良かったが、何かあってからでは遅すぎる。

 そんな緊張した状況の中で、併走して、しかも「ちかづかないで」と言っているにもかかわらず、ランナーにタッチする人がいたら、それはとんでもなく危険な状況と判断して怒鳴ってしまうことは仕方がない。

 公式なマラソンや駅伝ならばランナーに触れることでランナーは失格になるのだ。ランナーに触れようとする人がいたら、それは、”異常事態”と見なされても仕方がないし、その人物を強引にでもランナーから遠ざけるのだって当然のことだ。

 これが、もし本当に暴漢で、手に鋭利な刃物を隠し持っていて、ランナーに斬りつけられていたらとか、劇薬や危険な溶剤などを持って、ランナーに浴びせていたかも知れないと考えると恐ろしい。怪我が無く、事故もなく最後まで走ってもらわなければ、番組としてよりも、ランナーに申し訳ない。そう考えると併走していたスタッフに必ずしも落ち度があるとは言えないと思う。

 巨大メディアは往々にして、批判非難の標的にされるが、今回はちょっと違うのではないかと感じる。今回は非常識だとして非難されるべきなのは、注意も聞かない、常識も関係ない、必死で走るランナーにタッチした人ではないか。





子どもをまもるのが親

2006-08-26 22:13:11 | ファミリー
 福岡市東区の”海の中道大橋”での事故が報じられている。3人の幼い命が失われた事故。飲酒運転の自動車が、猛スピードで、家族5人の乗る車に突っ込んで車はなんと川へ転落し水没。両親は助かったが、子どもを助け出す努力もむなしく、3人は亡くなった。

 幼い存在である子どもが、大人である親によってその命を”自分のモノ”とでもいうように奪ってしまうニュースや、親を困らせたくて放火する子のニュース。物事には限度がある筈だが、ここ数年そういう”タガ”が外れている。

 しかし、この悲しいニュースでは、必死に子どもを救い出そうとする親の姿が報じられた。そうなのだ、親はこのように子どもを必死になって守る存在なのだ。

 まだまだ幼い、いちばんかわいい盛りの子どもを3人も一度に失った両親にはどんなことばもかけられない。

 ”くやしいな””つらいな””どれだけ呼んでも叫んでも子どもは帰ってこないから、思いっきり声をだして泣きな”せめてそれぐらいしか思いつかない。

 同じようにこどもを持つ親としては、心配はつきない。中学生ぐらいになると、ニュースになる犯罪にも関わる場合だってあるから余計に心配だ。

 今日も「何かあったらおまえのことを守ってやるから、なんでも言いなさい、すぐに怒鳴り込む」と言ったばかりだ。こどもにしては迷惑な話かも知れないがこっちとしては極めて真面目なのだ。

 子どもを守る親の思いとしては、世の中の法律がどうか関係ない。自分の子どもに危害を加えたりしたら、仮に未遂であったとしても、その相手を絶対許さない。相手が同じぐらいの年齢であろうが、大人であろうが一切関係ない。やったことの重大さを認識してもらう為には何だってする。それが正直な気持だ。

 ボクシングの亀田選手の父の場合も近いものがあるがまだ救いようがある。常日頃から必死に努力している、まだ10代の息子。その当事者の関係ないところでバッシングの嵐。気持としては”怒鳴り込みたい”だろう。ただこのケースは、きっちりカタを着けることで問題に終止符が打てるから何とかなるのだ。

 しかし、命が奪われたり、心に深い傷を負ったりした場合、いったいそれにどういう”カタ”を着けることが出来るのだろうか?裁判か?賠償か?親の気持は決してそんなことでおさまらない。


 子を持つ親は、自分の子どもがそういう時の加害者にも被害者にもならないように、日頃から、そういう話をし、学校や普段の生活であったことを会話するように心がけるべきだ。ただ、何よりもその前に、「子どもを守るのは親だからね」ということを話することが大事だが。



甲子園

2006-08-20 21:21:49 | スポーツ

▲2006年8月14日の甲子園は一日中晴天に恵まれた

 野球はプロもアマチュアもあまり見ない方だし、ましてや球場にまで出かけることは殆ど無いのだけども、今年の夏は、本当に何十年ぶりに高校野球を観に甲子園に出かけた。

 初めての甲子園は春の選抜で、浜松商業が優勝した年だったから昭和53年。いまから28年前だ。甲子園の場外では出番を待つ他校の選手や、中学などの野球クラブの団体観戦客がいっぱいだった。初めて足を踏み入れたスタンド。たしか3塁側だった。初めて観る甲子園のグランドは本当に広くて、芝生がきれいだった。多くの高校球児があこがれ、自分たちの青春をかけて目指すにふさわしい風格があった。

 それから、高校野球はたくさんの歴史を刻み、多くの選手を生みだしながらもずっと続いてきた。この28年間にどんどんと時代が変わり価値観も変り、経済も人の考え方も、どんどん変ってきているのに、変らず続いている高校野球は本当にすごい事だと思う。

 今年2006年8月20日に開催された夏の甲子園決勝戦、駒大苫小牧と、早稲田実業はなんと15回でも決着がつかずに再試合になった。高校野球はなんだかんだと地元びいきになるし、大方の予想がなかなか当たらないものだが、決勝戦がこういう結果になるとは考えもしなかった。

 智弁和歌山対帝京の試合も、9回の裏表の逆転につぐ逆転というとんでもない試合展開でだれも想像できない展開だった。

 本当に観る人の想像を超えた、知らず知らずのうちに引き込まれてしまう試合が多い大会だった。

 低迷するプロ野球人気とテレビ視聴率と今大会が比較されるが、これは単に、1つ負けたら後がないトーナメント戦とリーグ戦の違いだけでは語れないと思う。プロ野球にはきっといま何かが足りないのだろう。

 職業野球として世間から一つも二つも低く観られていた時代から、メジャーでも通用する選手が出る時代になったにもかかわらず、なにかが足りなくなってきている。

 多くのプロ野球選手や関係者にとってある種の”原点”である甲子園に再度なにかを見つけられはしないだろうか?



▲外野席からホームベース側を観た。青い芝生が目にまぶしい

本願寺

2006-08-20 20:57:33 | 風景

▲”首都圏の心のオアシス”築地本願寺。正式名は浄土真宗本願寺派本願寺築地別院


 本願寺といえば、京都の西本願寺。そう浄土真宗を開いた親鸞聖人のお寺。そんなつもりで出かけた東京にある築地本願寺。なんと見た目は、京都の本願寺とは全く違う建物。

 え?と思わず、ここが本願寺なのか?と門まで戻って確認してしまいそうにな建物。お参りは自由だったので本堂まで入ってパンフレットを物色。英語とスペイン語のパンフレットまで用意されていた。

 手に取った築地本願寺のパンフレットには、これまでの経緯が書かれてあった。もともとは1617年に浅草の横山町にあったそうで、1657年の江戸の大火があって焼失、江戸幕府から八丁堀の海上への再建が許可されたとある。海上?それって事実上、立てるなという意味なのか?と思ったが、なんと海を埋め立てて1679年に本堂を再建したそうだ。焼失てから実に22年である。

 その後関東大震災で、再び焼失。その再建の時に帝国大学の伊東忠太博士の設計で、現在の建物となったとある。この形は古代インド様式だそうで、1931年に起工、1934年に落成。

 なるほど、京都の本願寺と違う筈だ。ちなみに京都の西本願寺は1994年(平成6年)に世界遺産となっている。

 東京という街は、大阪の商人(あきんど)のまちと比較して、侍の町という印象を持っているが、都内には、数多くのこのような寺院があって、江戸時代の約二百数十年の間に多くの文化や芸能、庶民の暮らしに基づいたいろんなものが生み出されたんだなぁと実感する。

 時代の最先端を行く大都会でもあるが、一方でいわゆる庶民の暮らしがそのまま残っている町でもある。京都ほど昔からの文化を優先しているわけでもないし、大阪ほど本音、や庶民感覚がいっぱいというわけでもない、日本の文化の最先端を謳歌しつつ、大きな公園や寺社仏閣や祭り、縁日があり、それも大切にしている。これが大都会たるところかもしれない。