18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

同じ月をみている

2005-11-29 22:11:57 | 映画
 窪塚洋介・黒木メイサ主演の「同じ月をみている」を観た。

 公開後1週間程しか経っていないのだが、観客はまばら。ぴあでの評判はそこそこな割りには入っていないので少々心配したが、結構満足できる映画だった。

 内容については映画を是非観ていただきたいのだが、観た直後の感想としては、あまりに普通に存在している「人のエゴ」が、あっさりと描かれていてそれがかえって、自分の心の中のエゴをえぐり返されるような切ない痛みが走った。そんな切なさを感じる映画だった。

 人のエゴは、特に大人にならなければ生まれないものではない。人が幼少のころから持ちえるものだ。たとえば小学生でも、一人いじめられっ子が居て、いじめる集団がいる。本当はいじめたいとは思っていないのに、いじめられる側に回りたくないから、心に少し痛みを感じながらも、いじめる側と一緒になって行動してしまう。そんなことは改めて言うまでも無いが結構あるものだ。

 普段からいじめの対象になっている子供が、いつも何かが起きたときにその原因を作ったと言いがかりをつけられていじめられている時などは、ほんとうにその原因を作った子供が、そのことを言い出せないで居る場合なども、心の中に自分の事を悪く見られたくないといった「エゴ」が存在する。言い出さなきゃという気持ちと言い出す勇気がない自分の心の弱さの葛藤などみんな感じたことがあるはずである。

 そんなことを繰り返す度に、エゴイスティックな自分ともっと素直になりたい自分の間で葛藤が生まれ心の奥底に後悔や謝罪の念を積もらせてゆく。大人になってもそのことは決して消えるものではなく、ずっと抱き続けることになる。

 この映画はそのエゴイスティックな自分と葛藤する研修医の窪塚洋介と、おさななじみで親友なのだけれども、両親もなく周囲からのけ者扱いされる、ドンを演じるエディソン・チャン。二人の間にヒロイン、エミを演じる黒木メイサの3人がそれぞれの関係の中から生まれてくる心の渦をうまく演じている。

 演技そのものについてはそれぞれ好き嫌いがあるからここでは問わない。しかしなんともいえない心の痛みを感じた映画だった。 100点満点で78点ぐらいの満足度かなぁ。



想像力

2005-11-23 00:03:54 | スポーツ
 サッカーのシーズンも終盤になり。全34節のうち31節が終了した時点で、まだ優勝チームの行方が分からない。サッカーファンにとっては最後まで見逃せない展開となっている。J1リーグが2ステージ制から1ステージ制になったことで、中だるみが心配されたが、とりあえず今年はそういう心配も杞憂に終わりそうである。1ステージ制はダントツ1位チームが現れると、リーグ全体がシラケテしまう可能性もあり、運営を懸念する声もあったが、今年を見る限りその心配はなさそうである。

 一方で、グラウンドで展開されるもうひとつのスポーツといえば、ラグビーである。12月27日に全国高校ラグビー選手権大会がスタートする。サッカーとともに、イギリス発祥のこのスポーツは、知性と肉体、スピードとパワーを必要とする本当に知的なスポーツである。サッカーが”ミサイル”や”ロケット砲”のようなボール運びで、どちらかといえばそのスピード感から、空中戦のイメージで見るものを圧倒するのだが、ラグビーは、白兵戦あり、ロケット弾あり、どちらかといえば、地上戦のイメージといえるだろう。

 サッカーもラグビーも共通して言えるのは、以前にも日記にアップしたが、やはり「ゲームの理解」だ。ゲームの理解でもっとも気をつけなければならないのは、「危機感」とか「リスク」の感じ方である。強いチームと弱いチームの差のうちもっともはっきり現れるのが、得点力なのだが、もうひとつ欠かせない要素がこの危険の感じ方である。

 この危険の感じ方が鈍いと、相手に簡単にポジションを取られたり、スペースに走りこまれたり、スキをつかれて、すべてが後手後手にまわり、そのうち体力を消耗して、スタミナ負けしてしまう。

 さて、この危険の感じ方のうまい敏感な人は、いったい何に対して敏感なのだろうかを考えてみた。

 まずひとつは、試合全体感をつかんでいること。つまり相手チームも味方チームもどこの動きがすばやくてどこの動きがわるいのか?相手選手と味方選手のプレースタイルの差からくる相性の良し悪しだとかを、プレーしているグラウンドでも感じとれる感覚である。
もうひとつは、自分が相手チームの選手だったら、こんな攻撃を仕掛ける、あるいは相手チームの力からすればこんな攻め方をする、といった想像力だ。この想像力は言葉で言うほど単純なものではない。

 想像及ぶところはすべて対象になる。たとえば、膠着状態が続いていて、攻めても攻めてもなかなかゴールできないといった試合展開の場合、相手チームはどのように攻めるか?どんな心理状態になるか?試合後半あと残すところ10分ぐらいでのスタミナ状態からくる緊張の緩み、審判の微妙な判定に対する選手の心理状態といった試合中に発生するものから、たとえばリーグ戦の場合勝ち星や得点数の獲得が順位に影響する場合など、引き分けに持ち込むか、勝ちに行くかなども想像の範囲だ。

 これらは多くの経験と感受性が物を言う部分だから、経験を積まないとある程度の想像力以上は発揮できないはずである。

 この2つを感じることができる選手はそうはいない。そういう選手がいわゆるゲームメーカーとしてチームあるいは、試合全体をコントロールする。そんなチームリーダーと、優秀な選手がそろっていると強いチームになる。松尾擁する新日鉄釜石の時代のラグビーは見ていないが、神戸製鋼のラグビー7連覇や東芝府中の3連覇もそんな意味での強さが際立ったのではないかと思う。

 


冬支度

2005-11-18 23:52:20 | 風景
 
少しずつだけども冬に近づいている街のひとコマ。

 久しぶりの週末の大阪。仕事関係の人と大阪ヒルトンのロビーで待ち合わせた。東京に比べてまだすこし寒さが柔らかな大阪の街も、まもなく年末を迎えようとしている雰囲気でいっぱい。

 何人もの人が待ち合わせをしているロビーの雰囲気があまりにも良いので携帯で一枚撮影した。

 これからどんどんとせわしなくなる年末。そのまえのまだほんの少し余裕のあるこの時期の雰囲気はなんともいえないものである。


英文和訳

2005-11-16 21:52:48 | 
 仕事の関係で、英語で書かれた資料を扱うことが多いが、ちょっと急ぎの資料があって今日は夕方から約6時間かけて英文和訳の作業に没頭することになった。

 殆どの英語のマニュアルや資料類は外部の翻訳会社に依頼するのだが、ちょっと急ぎで重要、かつ来週には配らないと・・・。という代物だったので和訳するはめになった。英語を英語のまま理解する習慣がついていると、日本語文にするときはその意味がきちんと伝わる単語を選ぶ必要があるので結構時間がとられる。

 インターネットの英語辞書サイトの”アルク”を片手というか、画面の片隅に置きながら、的確な日本語の単語を選びつつ、意味の伝わる文章作成を続けていた。

 ここまで読んだ方は、ところで何で翻訳ソフトを使わないのか?という疑問が浮かんだのではないかと思うが、残念ながら翻訳ソフトはやっぱり”鍛えないと”使えないのが現実だし、翻訳された日本語はどうしても???がついてしまう場合が多い。

 翻訳会社も実は、殆どが人手なのだそうだ。翻訳文や単語表現をそろえるための辞書を鍛えながら(つまり1つ1つ登録しながら)、作業を分担しながら翻訳を行うのだそうだ。

 よくよく考えれば、”です、ます”調なのか”である”調なのかでは文意が異なるし、”せよ”か”しましょう”ではまったくニュアンスが異なる。55枚ほどの資料の翻訳を一人でやっていても、語調が変わったり、文体が変わるのが気になるのだから何千ページに及ぶマニュアル類や技術解説書などを複数の人が分担して翻訳する場合は、もっと大変なはずだ。

 外国語をキチンと勉強すると日本語がきれいになるというのが持論なのだが、いろいろな日本語が飛び交う中で、外国語をきちんと勉強しておくことの重要性を、今日は改めて認識した。

 


ゲームの理解

2005-11-12 21:26:23 | ノンジャンル
仕事の関係で、地元を離れている事もあって、今日はヴィッセル神戸のアウェイの試合を観戦することができた。

普段はホームゲームしか観ないのだが、アウェイ独特の雰囲気の中、はるばる神戸からやって来たわずか100人にも満たないサポーターだが、スタンドのほとんどを埋め尽したフロンターレサポーターにも負けないくらいの力強い応援も虚しく、敗戦という結果に終わってしまった。

いわゆるJ2降格の瀬戸際の試合である。本当に負けてはいけない試合での敗戦。選手も監督も分かっている筈なのに、現実には勝利の歓喜を聞くことが無いのはなぜだろうか?

例えプロと言えども勝つことは難しい。といえば分かった風に聞こえるが、一方で連敗から一転、監督の交替から連勝し、早々と降格圏外へと離脱できたチームもあるのだから何か勝利の為の最低限のエッセンスが何処かにあるのではないかと期待したくなる。

そう言った期待は別として、何時も試合を観ていて思うのは、強いチームと弱いチームの差は、選手たちのサッカーというゲームに対する理解度の差ではないかと言う点である。

スペースを作り、相手よりも前に出て、ボールをゴールに撃ち込む。オフサイドと言うルールの存在も、そういう事がキープレイであることをを証明している。

いかに絶妙なタイミングで前に出るか、いかに相手のいないスペースに出るか、を攻める側は常に考えていて、スペースが出来るタイミングを試合中に見つけると、そこに対して皆がそれぞれの役割や位置などからコンビネーションでチャンスをうみだしてゆく。

強いチームは選手一人一人がそのことを分かっていて、お互いのポジションや役割、試合中に交された会話などからタイミングを合わせるのだ。

スペースの存在は中盤の選手の方がよく見える。走りこむ側の選手は基本的には自分の前に生まれたスペースしか見えない。スペースが出来そうなタイミングで、中盤の選手とアイコンタクトを交して、後は普段の自分のスピードで走りこむ。中盤の選手は走りこむ選手がオフサイドにならないタイミングでボールを送りだす。

トップチームは、この様な、流れるようなプレーをいとも簡単にやって、観るものを魅了してくれる。

ゲームの理解とはこの上に実戦で鍛え上げられた判断力が加わり更に磨きを掛けて行くものだ。

これはサッカーだけに通用する話ではなく、ビシネスを獲得する時にも通じる話なのだ。ビジネスというゲームを理解し攻め手を考え前進する。そこでは消極的な姿勢は許されない。ゲームの理解が出来ない人は脱落するか、おいてけぼりにされるのだ。
プロスポーツは厳しい世界だが、普段のビジネスの世界だって同じく厳しい。ゲームを理解出来ない人たちにとっては尚更である。