18年にもなりますか

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アベ政治を許さない!

2019-07-22 12:45:00 | 
シュプレヒコールで「アベやめろ!」と演説を妨害したり、「アベ政治を許さない!」というプラカードや、グッズを売り出して現政権に文句を言うのもいいけども、それって生産的か?

たんなる憂さ晴らし、こいつ嫌いだから何言ってもいい、やってることがひどいから誹謗、中傷、演説妨害してもいいと思っているのだとしたら、ちょっとそれってどう?

で、だれがその誹謗してもいい相手より有能な政治家や、しっかりと政権を運営して国を豊かにしてくれる政治をしてくれる政党があるのだろうか?




支援者たちのやってる事があまりに幼稚すぎて、本当に投票したくない政治家や政党があるし、そんな幼稚なことしか出来ない政治家や政党を支持している人がいることにも驚いてしまう。





選挙権が与えられているのにもかかわらず、そのために最低でも必要な勉強をしない。





だから簡単にだまされて、シュプレヒコールをあげることに疑問を持たない。






なんか、有権者の幼稚さにほとほと情けなくなってしまう。






よく見れば、本当に意味のある事を言ってる政治家、意味のある事をやってる政治家って区別つくでしょう。





法律も理解して、制度も理解して、条例も理解して、また実務も理解した上で、様々な意見や案の中から、広く国民の生命、財産を守り、生活を豊かにしてくれる政策を議論して選ぶ。そして法律を作ることが国会議員に求められている。






その国会議員の善し悪しを正しく見極めることが有権者には求められているのだから、政治とか行政とかについての知識は必要。






知識を持って、両論を調整し、本質的な解決に向けた議論が出来る政治家を選ぶのが、職業、性別、収入、居住地に関係なく選挙権を与えられた有権者の責任であろう。







「アベ政治を許さない!」などと騒いでるのは、自ら思考することを放棄したのに等しい。


また、政治とは広くあまたに考えられるものだ。それをひとくくりにして誹謗に等しいキャンペーンを立てるのも嘆かわしい話である。


脳みそをそんな馬鹿な行動のために使うことをもったいないと感じない価値観の人たちなのでしょう。残念ながらそういう人たちは一定数は存在するので、仕方がないが、いい大人がそんなのに乗っかるのはちょっといただけない。


















政治のいろは

2019-07-21 22:03:00 | 
例えば、ここに100万円がある。

この100万円は、この街に住む1万人から一人100円ずつ徴収したもの。

そしてこの1万人、65歳以上が33%。35歳以上65歳未満が27%、18歳から35歳未満が23%、0歳~17歳までが17%。

有権者数で言えば、30%が65歳以上。

ここで、65歳以上の投票率が72%、35歳以上65歳未満が40%、18歳以上35歳未満が34%だとすると、何が起きるか?


65歳以上の票 2376 
35歳以上、65歳未満の票 1080
18歳以上、35歳未満の票 782

そもそも有権者数が少ないのに、投票に行かなきゃ、意見など聞いてもらえない。

こんな状態で、


100万円の使い道を決めるとしたら、どうなりそうかわかりますよね。


これが政治です。


ぎゃーぎゃー言ってても何の意味もない。


まずは、選挙に行かなきゃ始まらない。


でも、単に選挙に行けばいいって事ではないのです。


それはまた次の機会に。




投票とは何か? 選挙とは何か?

2019-07-20 11:09:00 | 

政治とは何かを一言で表すなら「白黒はっきり決められない事の答えを出す」こと。

賛成の人、反対の人、双方にはそれぞれ主張がある。



主張の前提は「基本的人権」「参政権(被選挙権、選挙権)」そして言論の自由がある。



ところが、多くの選挙演説で「ヤジ」がひどい。

このヤジ「言論の自由じゃないですから」




論の自由は、「主張」や「考え」の発言の自由であって、誹謗中傷、ヤジ、暴言などの為にあるものではありません。




このレベルのことさえわかっていない、有権者・市民・国民があまりにも多い。




政治云々以前の段階で、教育とか社会性とかが全く足りていないことに情けなさを感じてしまう。





言論の自由をはき違えているその二つめに、感情論が優先する発言、思考である。

特に政治のように「白黒はっきり決められない事の答えを出す」時には、感情論ではなく、客観性、論理性が必要。これがいわば法律なのだけど、なぜ感情論ではいけないかというと、感情論というのには一貫性がなく、そこから得た結論が恣意性に富んでしまい、収集がつかなくなる可能性があるから。

恣意性とはつまり、同じ事に対して、有るときはOKであるときは悪いという結論を出す事。例えば金持ちだから許され、貧乏だから許されないといった結論もまかり通ることになる。よって「法の下の平等」のために、法があり、司法(裁判所)がある。



政治についての議論の前にこの二つのことをまずわかっておかないといけない。





我々が日本で普段の生活ができているのは、この法の下の平等と、言論の自由が許されているから。
法の下の平等と、言論の自由の上で、さらに複雑な問題を解消していくのが政治であり政治家の仕事である。





さて、今回の選挙。SNSによる互いの政党、政治家の主張を観ていると、結構「相手批判」が多い。

「言論の自由が許されている」からいい、という考えもあるが、先に述べた「言論の自由」とは何のためにあるのかということに立ち返ると、相手批判の為の言動の愚かしさ、程度の低さがよくわかる。こんなことの為に言論の自由があるわけでもないし、また事実を誤解を招くように伝えたり、事実を曲げて伝えたり、事実と私的意見を混ぜてあたかもすべてが事実であるように伝える為のものでもない。



そんな政治家や政党は、終始そういうことに血道をあげる。



政治は「白黒はっきり決められない事の答えを出す」為にある。



のであって、悪口を言い合うものでも、プラカードを掲げるものでもない。



議論は「反対!」と声をあげる事から始まる。だけども大事なのはその後。どれくらい冷静な議論ができるかでしょ?


憲法改正反対!でいいけど、「感情論」だけをあおるのは政治家のやるべきことではない。それは活動家たちのやり方。

賛成の意見の論拠に耳を傾けないのも、冷静で論理的でない。




有権者は、できる限り広く知識をもって真摯に、解決方法を探る為の議論を進められる政治家を、政党を選びたい。




有権者は、投票しようとしている政治家や政党が、そのような人たちなのか、最低限見極めてから投票すべき。




そのために、有権者は勉強しなければならないが、それは「選挙権」という権利を行使する為の最低限の努力だろう。



改めて、考えて投票に向かうつもりだ。