18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

セーラー服とブルーシート

2015-05-31 10:44:00 | 文化・芸術
小劇場作品。特に劇団を選んだり、劇場を選んだりしないで、ランダムに小劇場作品を観ているなかで、そこそこ面白かったのがこの作品。

テーマもしっかり伝わってくるし、脚本演出もいいのだろう、個々の登場人物も物語の中できちんと役割が明確になっている。
展開もテンポもよく考えられていて、観ているものを引き込むちからもある。


小劇場作品なので厳しい意見を入れるが、

難を言えば、教師役の2人はもっと教師の部分を深くさぐったほうが良かったと思う。2人はおのおのがちがった意味で生徒からは頼りにならないという役を与えられているのだが、そもそもどういうスタンスで教師をしているのかがしっかり探りきれていないから、生徒とのやり取りの部分が、いまひとつピンとこない、ややオーバーに感じられたり、ちょっとした違和感を感じたりした。

生徒役のみんなは女生徒らしさがきちんと出ていた。

ただし、一人先輩役のセリフは、もっと青臭くやれなかったか?高校生の青臭さ、なまいきさと、強い自己主張はちがうはずだと感じた。演出か演技かどちらかわからないが、お芝居全体のテーマにかかわるところなので、まだよくなるだろうと感じた。

作品そのものはとても良いと感じたので、再演してもいいと思う。

作:滝本 祥正
演出:大西弘記

TOKYOハンバーグ、B.LET’S合同企画作品

出演:永島広美、土田有希、清水理沙、佐藤友佳子、中村優里、松田千尋、瀬尾さよ子、
   石川俊浩、中村勇矢、宇鉄菊三
   







何が罪なのか

2009-06-09 06:01:00 | 文化・芸術
 裁判員制度が始まった。

 そこでふと疑問がわいた。

 「何が罪」なのか、「何を罪とする」のか?

 「何に罰を与えるのか?」

 というごくごくシンプルな疑問




 “殺人”を起こしたことのみが罪ならば、そしてその事実に罰を与えるのであれば、その事実が立証されるだけで機械的に懲役何年だとかを決めればいい。

 しかし、その動機、その時の精神状態まで問うということは、罪に問われるのは、もちろん司法上での加害者の保護というのもあるが、単なる殺人の事実だけではないことを物語っている。


 裁判員の存在が必要とされるのは、その事実以外の部分をどう汲み取るのかということが要求されているからかもしれない。

 
 裁判では単に殺人の事実の立証のためだけではなく、何故殺人に至ったのかという経緯や動機を明らかにして酌量の余地を問う。


 つまり単に殺人を犯したという事実に対してのみ罰を与えるのではなく、経緯や動機を含めて罰を与えるわけだ。


 
 1人殺したから無期懲役で3人殺したから死刑という図式だけで人を裁くのではない裁判の難しさを司法のプロの感覚だけに任せるのではなくて、一般市民のごくごく当たり前の考えも取り入れてよりよくしようという試みがこの裁判員制度のように思う。



 何が罪なのか、何を罪とするのか?そして何に罰を与えるのか?


 一般市民としての感覚をうまく反映させることができるような進め方になるように裁判員も積極的に関わる必要がある。



 制度への賛成反対の不毛の議論にエネルギーを投じるのではなくて、真正面から考えてみてはどうだろうか?

 裁判員制度がうまく行くことを見守りたい。





きたわる

2007-03-02 00:06:51 | 文化・芸術
 家内から突然「なぁ、筋肉隆々の体って、どんな体って言う?」と訊かれたので、「ん?鍛わった体とか?」と答えたら、「そんな日本語ないよ。」と言われて、一番びっくりした。

 「え!?うそっ!?うそやろ?ほんま?」

 何の違和感もなく使っていた「きたわった」という言葉、そんな日本語は無い!と言い切られたが、くやしいので、というか全く何の疑問も無く使っていたのでさっそくインターネットで調べてみた。

 Yahoo辞書・・・ない。じゃ、辞書ソフト・・・ないなぁ、やっぱりないのかとあきらめたが、ん?もしかして方言か?と思って、今度はGoogleで・・・

 ありました、ありました。岐阜県の方言なのだそうだ。岐阜の人たちは普通に使う言葉だと信じていて、なんの疑問もなく使っているそうです。

 ちなみに、覚える→おぼわる、結ぶ→むすぼる、鍛える→きたわるになるそうです。

 用例としては、「靴のひもを結ぶ」が「靴のひもがむすぼる」、「体を鍛える」が「体がきたわる」になるのだそうです。

 よかった。日本語でちゃんとあるやん。ホッ(^o^)


 

むちゃくちゃな日本語

2006-12-23 01:26:45 | 文化・芸術
 今日、帰宅した時、いつも通りに郵便受けをチェックするとA4サイズのチラシが一枚入っていた。そこには赤字で「ガス工事のお願い」と書かれてあり、ヘルメットを脱いだおじさんがぺこりと頭を下げているイラストまで描かれてあった。

 「ガス工事のお願い」って、「住民にガス工事を手伝えとでもいうのかぁ?」というタイトル。ひどすぎる日本語だ。

 普段周囲の会話や、ラジオ番組などでいわゆる「ら抜き言葉」が多くて、耳に付く事が多いので意識して「ら」付きで話すようにしているほうだから、この日本語は許せない。

 ある人から、「今日、駅でとんでもないアナウンスをしているのを聴いたんです。」という話を聞いた。

 どんな内容かと言うと、駅でのアナウンスで、「危険ですから、駆け込み乗車はおやめ下さい、駆け込み乗車の防止にご協力下さい。」というのがあったのだそうだ。

 「駆け込み乗車の防止に協力」って、つまり、「駆け込んでくる奴が居たら、みんなで電車の入り口で乗車できないようにしろってこと?」と思わず突っ込んでしまいたくなる。

 最近、頭脳系のゲームが増えてきているから、「的を射る」「当を得る」の誤用で「的を得る」があるだとか、慣用句の誤用は知られるようになってきているが、冒頭の2つは、慣用句の誤用ではなくて、完全に日本語の誤りである。

 コンビニのレジなどで支払う時の「1000円からお預かりいたします。」というのもひどい例としてあげられる。使っていてきもちわるく無いのか?おそらく平気で使っているのだから違和感がないのだろうが、そういう奇妙な言葉遣いに対する無神経さは、どこか知性の欠落を感じてしまう。だからこの意味のない「から」はやめるべきだ。

 ブログに書く文章も気を遣いながらも、上手く書けない時もある。いまひとつ意味が通じにくい時もあって人様のことをどうこう言えた義理ではないが、注意することは必要だ。


▲せっかくだから、「ガス工事のお願い」のチラシを写真に撮っておいたので見て、如何に奇妙なチラシなのかを実感してきれいな日本語を書く意識を高めてほしい。


クレヨンしんちゃんは誰のもの?

2006-09-30 18:17:56 | 文化・芸術
 クレヨンしんちゃんの商標登録が、中国のしんちゃんの偽物を製造する企業に対して認められた。著作権もなにもあったもんじゃない。「だから中国は嫌い!」という理由の一つに、人様の物を勝手にまねて(というか殆どコピー)、儲けてるやつらがいるということ。

 日本でもそういう偽造とか、コピー品だとか、横行しているのも認めるが、今回の件は、なんと中国の裁判所が、つまり中国の司法がそういう判断をしたのが問題。

 国を挙げて、コピー三昧。4000年の歴史があろうが、日本の文化は中国のコピーだと言われようが、関係ない。過去の話をしているのではない。現在の当たり前の商行為の中で認めら得るべき著作権と商標権が、歪めて”盗まれた”のだ。

 クレヨンしんちゃんだけではない。無印良品もまねられている。恥ずかしくないのか?と思うが、中国にはモラルもなにも無いようだ。司法の判断がそうなのだから。

 むかしから物まねばっかりすることを”猿まね”と言ったが、このままだと中国や、中国人が”猿なみ”だということになる。

 まともに著作権を認めようよ。商標権を認めようよと言っているだけの日本のまっとうな主張を、認められない。 そんな人たちの主張はまともに聞く気も起らない。中国人は、自ら、自浄作用を働かせ、こういう判決そのものを、あるいは明らかなコピー商品やその製造者をなくす動きをしなければならない。

 著作者は泣き寝入りか?ホンモノである価値が蹂躙され、商標権を持っていない奴が跋扈する。中国はまだまだ安心できない恐い国だ。