18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

1年

2005-08-31 00:04:37 | ノンジャンル
 なんとブログを始めてから一年になる。よくも続いたものだと我ながら感心した。

正直なところ、ネタ探しを意識しているが、でもそのネタ探しの習慣は日々の変化や出来事に対してのアンテナを敏感にしてくれる。

 ”タイピスト養成所”の看板などは完全にネタ探しの賜だ。今後もネタを探しつつ、日々の出来事や感じたことをブログに記してゆこうと思う。ただし、あまりうかつなこともかけない。

 ”たまごっち”売るってブログに書いたことでちょっと怒られました(;_;)詳しくはかけませんが・・・。(そういえばこれも書いてはいけないことの一つやなぁ・・・)

 


気遣い心遣い

2005-08-30 23:35:03 | 
さりげなく気配りや心使いが出来る人は案外と多くない。

いまや街全体が禁煙コーナーになりつつある禁煙ブーム。高校生を対象にした喫煙実態調査でも、はやその影響が出ているのか、喫煙率が減少していると言う結果が出たそうだ。(でもええんかなぁ、高校生のタバコ・・・。)

 そんな世間の空気を知ってか知らずか、未だに駅でタバコを吸っている人を見掛ける。もちろん喫煙エリア以外での話だ。
 
 タバコを吸う人にはキチンと場所をわきまえてマナーを守っている人も多いし、私の周辺の喫煙者は大概携帯灰皿を持ち歩いている。JTのCMか何かで「喫煙のマナーはあなた自身」と言う主旨のコピーがあったと記憶しているが、全くその通りだと思う。無神経な人は本当に気づかない様である。

 ちょっと厳しい言い方かもしれないが、喫煙マナーを守れない人は、周囲に気配りが出来るとは思えない。仕事場などで例え、気配りが出来たとしても、きっと何処か違和感を感じるだろう。何故なら自分自身の喫煙態度にさえ気配りが出来ないと言う事は、自分に関心の無いことには気配りが出来ないと言えるからだ。

 喫煙者ばかりではない。雨の日の駅の階段を傘の先端を後ろに向けて、その傘を持った腕を振りながら登るオバサン(何故かオバサンに多いのだが)の後ろなんて刺されそうで危なくて歩けない。

 そういう時はワザとぶつかって気づかせたりする。オバサンは何にぶつかったのかは大抵分からずにいるが、少なくとも自分の傘か何かに当たった事は分かるようで、傘の持ち方を変えてくれる。傘なんて真っ直ぐにぶら下げる用にチョットだけセンスよく持てば良いのになあ。ちなみに私は長い傘の柄の部分を、書道の筆を持つような感じで持つようにしている。そうすると手の形もしなやかに見えるし、ただ握るだけに比べれば、無粋さも無くなる。

 危険といえばショッピングセンターや百貨店のエスカレーターの登った踊り場辺りで一旦停止するオバサンもかなり危険な存在だ。

 「おいおい、そんなところで止まんなよ、後ろから人が上がって来てるの分かるやろう。オバサン、アンタが退けへんかったら自分より後ろの人が迷惑するどころか、怪我するで。あんた、そんな光景見ても自分に原因があるなんて夢にも思わんやろう。」などと徐々に迫り来る危険を前に考えたりする。「なんでもええから、はよどいて!」

 人に気を使い過ぎて神経を刷り減らす必要はないが、ある程度の気配りや心配りは必要だ。

 もう一つちょっとした気遣いといえば、贈り物。この贈り物選びはなぜか女性陣は嬉々として時間をかける。最近だと、「As you like」なんていうのもあるが、贈り物程、送り主の気配りが見えるものはない。

 自分としては、”いただきもの”はなかなか捨てられない方なので、頂き物でリクエストできるときは、”消えて無くなるもの”か”図書券”、旅行のお土産なら、”絵はがき”と決めている。かさばらないけど、その土地でないと買えない。やすいし思い出になる。絵はがきは一石三鳥である。

 確かに形が残る贈り物も時には大事だし、形を残すことに意味がある場合も少なくない。しかし、受け取る側からすれば、自分の趣味に合わないものだとか、かさばって片づけようが無いものとか、処分に困るものは、口には出さないがありがた迷惑かもしれない。そう思うと、できるだけ”消えて無くなるもの”を選んでしまう。

 ある知人に赤ちゃんが生まれたときは、ベビー服や食器などを思いついたが、あまりに平凡なので、”小瓶に入ったいろんな離乳食”を小さなカゴに詰めてリボンをしてもらって送ったことがある。生まれてすぐには必要ないので、しばらくはディスプレイ代わりに、実際に必要になるころに、送った人のことを思い出してくれる。カゴは捨ててもいいし、別の目的に使ってもいい。かさばらないし、そのうち無くなる。

 心配り、気遣いはなかなか難しいが、でもポイントは一つ。相手や周囲の気持ちを想像することだ。と実際はあまり偉そうなことは言えないのだが・・・。 


たまごっち狂想曲

2005-08-27 10:55:41 | ファミリー
 バンダイの「たまごっち」が再びブームだそうだ。そのブームに乗っかってウチのやつらも、ちょっと「乗りすぎ」気味である。

 そもそもこの手の育成系は苦手で、ファイナルファンタジーやドラゴンクエストだとかは、まあはっきり言ってじゃまくさい。生きた子供を育てるだけでも大変やというのに、なんでわざわざ「仮想生物」の世話をしなあかん!まして仕事では部下育成なんて課題もある。と愚痴を言っても仕方ないが、今日はちょっとその「たまごっち」をテーマにしてみる。

 以前のような単純育成だけじゃなくなった、いろんな「しかけ」がある。量販店やスーパーマーケットに行くと、「でかたま」と呼ばれる巨大なたまごっちがある。これは幾つかの「地域」バージョンがあって、関西なら関西、九州なら九州と、地元特産品をそのでかたまと「赤外線通信」して、「買う」ことができる。その買う為のお金は現金ではなくて、たまごっちの育成中にゲームやらなんやらで、獲得した「得点」を使う。でかたまには、ゲームセンター機能のものがあり、それもスーパーなどに置いてある。そこでゲームにトライして、得点をゲット、通信でその得点を受け取る仕組みだ。ゲームができるでかたまでゲームをやるのは”無料”。

 今朝も、朝5時起きで近所のおもちゃ屋さんに並んで、小学生向けの雑誌「ちゃお」限定バージョンのたまごっちを獲得してきたようだ。

 「そんなたまごっちばっかりどないすんねん」と聞いたら「ネットで売るねん」とのこと。さすがや。

 以前は模造品が出たりしたが今回、バンダイはどういう対応をしたのだろうか?そちらもちょっと気になる。ブームはいずれ下火になるから、また引き出しの奥にしまいこまれるのだろうが、今回はどれくらいもつのだろうか。ちょっとだけ冷ややかな目で見ている。

 私本人としては、もっと人間としての「想像性」を生かしたことにエネルギーを使ってほしいのだが。




だれが望んだか

2005-08-18 22:31:55 | 
 戦後60年が経過した。日本の多くの人が戦争体験から遠ざかっている。一方中東では未だに戦争が繰り返されている。平和な様に見える日本でも、繰り返し報じられる”大人の顔をした子供”による幼児や児童への虐待。平和だと思われている米国本土やイギリスでのテロ。一体だれがそんな世界を望んだのであろうか?

 主義主張は当然あるだろう、米国の一方的な優位は許せない人も多く居るだろう。愚かな戦争を繰り返してきた中で、取り返しのつかない虐殺や言葉にするのも耐えられない殺戮、残虐な暴行が有ったことは否定できない。

 しかしである。もしも、本当に神というものがあるのなら、その神はいまのこの状況を望んでいるのであろうか?神は殺戮を、虐殺を、残虐な無力な存在への暴行を、聖戦と言う名での自爆テロを本当に望んでいるのだろうか?

 否、そんな筈はない。全人類に幸福をもたらさない神などあってはならない。自分たちの種族や民族だけが優秀で、他の民族は下等だとか、殺戮対象としても良いというようなそんな神など有ってはならない。それは単なる”利己主義”あるいは”ご都合主義”が生み出した妄想でしかない。

 世の中に存在している宗教のなかにある神はそれはそれで歴史的背景を持つ物だろう。よってそれそのものをどうこう言うつもりはない。

 しかし、もう一度考えてみたい。もしも今改めて”神”というものを定義するならば、それはやっぱり全ての人類に対して”幸福”をもたらす存在であってほしいというのは正直な気持ちではないか?

 見方を変えて言えば、やっぱり人類はお互いに幸福を求め合うべきだし、それぞれの民族の持つ”神”がそれをじゃまするようではいけない。ある人が地球上の民族の抗争は概ね宗教を背景としていると著書で指摘していた。それは事実かもしれないが、そうあってはならない。人類に抗争や戦争をもたらし、平和や幸福を遠ざける宗教にはどんな意味があるのか?
 
 なにも新しい宗教や神を立ててみたり、拝んだりする必要はない。ただ、国同士が、民族同士が、隣人同士がお互いに幸福であることを望みお互いを認め合い、行動するだけで始められる筈である。

 人類が自分自身に問うてみればいいのだ。”自分だけが幸福”というのはわたしたちが追い求めるべきものではない。”隣人を含めての幸福”がわたしたちが一生をかけて世代を超えて求めて行くべき幸福なのではないか?ということを。







日本語は難しい

2005-08-11 00:50:01 | 風景
 会社の仕事の関係で、ある企画商品のネーミングを考えることになった。ハタと思いついてインターネットで、「ネーミング」や「商品名」関係のサイトを巡っていたがなかなかヒントになるようなものが見つからない。

 で、ちょっと休憩。こういうときこそブレスト(ブレインストーミング)が一番!雑談を兼ねて社内の関係者を集めていろいろと会話。

 「そういえばあのパッケージの名前って、よかったよね。」
 「あれは、女性の名前をいろいろ調べていて、ドンピシャと来たのを付けたんだ。」
 「そういえば、メルセデスベンツのメルセデスって、娘の名前だよね。」
 「カタカナがいいかなぁ。」
 「いまさら漢字四文字もねぇ。」

とかいろいろと言ってたが結局時間切れ。

気を取り直して、再度ネットで検索。「女性名なぁ・・・。」といいながら調べているとオモシロイサイトが見つかった。

ことばの散歩道」というサイトだ。
あまりにもおもしろかったので、仕事をそっちのけにしそうになった。「仕方ない、あとは携帯から見よう。」とURLを携帯へ送信して、出張帰りの新幹線でずっと眺めていました。

わたしたちにとっては、普通の言葉である日本語。助詞だとか形容動詞だとかを理解していなくてもちゃんとしゃべれるが、文法を考え出すと、むずかしい。このサイトのおかげで始めて知ったのだが、日本語の文法には四大文法(山田文法、松下文法、橋本文法、時枝文法)とそれ以外にもいろいろと文法があって、その中でも学校教育用には橋本文法というのが使われているらしい。ちょっとトレビアな内容だが、興味深く見ることが出来た。


隅から隅まで見たわけではないが、夏休みの話題としては十分に楽しめる内容なのでオススメである。特に中学高校生は必見かも。