18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

大阪の神々

2006-03-30 23:49:38 | 風景
 書店で見つけた文庫本。わかぎゑふの書いた「大阪の神々」、あまりの普段の風景の描写に思わずふきだしそうになりながら読んだ。久しぶりに面白い大阪の本だった。

 大阪について書いた本はいろいろある。藤本義一、谷沢永一、小松左京、筒井康隆など大阪出身の作家が居るが、彼らが描いた大阪の風景もそれなりに面白かったが、このわかぎゑふ。本職は劇団主宰。小説家としての仕事はどちらかと言えば彼女にとっては副業なはずだが、なかなかの内容だ。

 大阪に昔からある風景や名物、人物を「神々」としてその文化の脈々と伝わっている様をおもしろおかしく綴っている。

 自分自身も大阪出身の人間なので、この本に描いてある風景そのものが見事に目の前に浮かんでくる。あまりにも見事すぎて、まるで自分が体験しているかのような錯覚にさえ陥ってしまう。

 わかぎゑふがまだ幼少のころ、鶴橋へ焼き肉を食べによく父親と一緒に行った時の話が書かれていたが、そこで、・・・『父が、センマイ(牛の胃)を焼いて、「ほら、火星人の死体やで」』・・・といって彼女に見せたというのがあるが、「大阪のおっちゃんたちなら、確かにそういうことを言うなぁ」と思いつい吹き出してしまった。

 そういえば、この本には書いていなかったが、よく子供の頃、近所のパン屋さんというかお菓子、日用雑貨も売っている店で、30円の駄菓子とかを買うと、「はい、さんじゅうまんえん(30万円)」といわれたりした。それで50円玉を渡すと、「おつりは、にじゅうまんえん(20万円)」といいながらおつりを渡されたりしたのを覚えている。あえてひらがなで書いたのは、大阪弁独特のイントネーションをイメージしてもらいたかったからなのだが、ちょっとねっちょりした言い回しで言うのが面白い。最近そんな風景は見なくなってきた。コンビニでそういうことを言う店員は居ないし。仕方がないが、わかぎゑふに書かせるともしかしたら、「大阪のコンビニのおっちゃんは、おつりを渡すときに”さんじゅうまんえん”とか言う」と書きそうでこわい。

 いずれにしても、そんなごくごく身近で大阪の普段のありのままを書いた本。よくある「大阪人は東京の人とどう違うか」なんていうような内容ではないから気軽に読めるし、どっちが良いとか、優れているとか、古くて伝統があるとかといった話しではないから、耳(目)にも悪くなくて楽しめた。

 時には、過大な表現の部分もあるが、それもこれももちろんわかぎゑふが大阪出身であるからなのだが、大阪に住むひとの”サービス精神”である。


大阪の神々
わかぎゑふ著
ISBN4-08-747608-1
集英社文庫 本体514円+税


英語

2006-03-25 19:07:08 | 風景


 人にはそれぞれ向き不向きがある。運動神経が鈍くていわゆる「鈍くさい」人もいれば、理数系が弱くて「方程式を見るのもいや」と言う人もいる。一方国語や社会科や歴史が苦手な人もいる。「資料しらべたらわかることを問題にするなよ。」というノリで、テスト問題を非難したりする。

 英語も同じように、「あー苦手」という人が圧倒的に多いが、実は英語だけは向き不向きはない、もちろん勉強としての英語ではなく、言葉としての英語の場合だが。

 英語は所詮言語なのだから、アメリカやイギリス、オーストラリアなどの英語圏の人たちは、3-4歳の子供だって英語をしゃべる。

 かくいう自分自身も、英語は苦手と言うか、そもそも勉強しなかった方である。だから中学時代のいわゆる中間・期末テストでは、1桁の点を取ったこともある。それまでなんだかんだと言いながら、勉強を一切しなくても2桁の点は取れていたのだがさすがに、これは気になった。

 そもそもBE動詞が全くわからない。授業を聞いていないし、英語には何の興味もないし関心もない。ところが、高校に入ると(そんな状態でも入れる高校があった!)あまりにも成績が悪くて赤点取ると落第があるなどと入学式の日に言われたモノだから、大あわてで、高校入試の為に親に買ってもらって、最初の10ページで挫折したきれいなままの英語の参考書を引っ張り出して急速に勉強しはじめた。

 途中で何度も「あーわからん!」と言いながらも、なんとか勉強していくと、あるところからブレークスルーが始まる。「そっか、要するに文の切れ目がポイントやな。」と気が付いた。

 よく考えたら、それまでまともに英語の文を聞くことも無かった。だからイントネーションとか、ブレスの場所。つまり文の切れ目も想像出来なかったから仕方がない。子供用の英語番組で「セサミストリート」があったが、何言ってるかさっぱりわからんというのが正直なところ。何の参考にもならなかった。そういえば「基礎英語」というラジオもあったが、怠すぎて続かない。

 少しずつ英語がわかり始めて、幸いなことに高校の英語の教科書も薄っぺらかったし、授業も受験対策英語でも無かったからだんだんと英語が面白くなってきた。
その後さらに英語の専門学校へ行き、オーストラリアへ1年近くいったりして「英語」感覚を身につけていった。二十歳ぐらいの時である。

 それから20年以上経ってTOEICブーム。どれだけ中学、高校、大学ときちんと勉強して良い成績を取ってきても、英語を”集中して身につけた”ことが無い人たちにとっては大変な現実を突きつけられたことになったようで、周囲の30代中頃から後半のの人たちが次々に英会話学校通いを始めた。

 正直そんな根性ないなぁと思いながらも、つられてというか、英会話学校にしばらく通ってさびついて軋んでいた英語力にちょっと油を差したが、どうもみんなとは違う。周囲の人たちは、英会話が出来ることそのものを楽しんでいる様だが、自分としてはそれよりも、英語的表現やディオムをもっと使いたいし身につけたいと思うようになってきたのだ。

 それ以来、本屋さんで徹底的にイディオムを身につける為の本を探して買ってみたが、どの本も大差なく面白くないのである。最近の英語関係の書籍は大概CDが付いているが、どのCDを聞いていても飽きてしまうのである。例文を読み上げるだけだったり、単調で面白くなかったり、会話がお行儀よすぎたり・・・。ずっと飽きない本を探していたが、今回やっとそのうちの1つを見つけることができた。

 それがNON STOP ENGLISH WAVEである。2004年から販売されている。書店ではどうしようか買うのに悩んだのだけども薄い本が1冊とCDが付いて1000円なのでまあだまされたと思っても良い値段かと思って買った。ラジオのDJ風に演出されたリズミカルな英語で内容も豊富。久しぶりに買ってよかったと思えるモノで、ちょっとお勧めかなと思うので紹介した。販売されている書店が限られている様なので、詳細は (財)日本英語教育協会のホームページを参照してほしい。



 

ウィニー

2006-03-21 09:46:44 | 風景
 いま、あちらこちらで情報流出騒ぎが起きているがその原因の一つとしてウィニーなるソフトが上げられているが、果たしてそれだけが問題なのだろうか?

 すでに殆どのITに関連する企業では、私用パソコンを社内ネットワークに持ち込むだとか、あるいは仕事で使っているパソコンを自宅に持ち帰ってネットワークにつなげる等ということは「社内ルール」としてダメと規定していたり、あるいはセキュリティ保護ソフトなどをインストールして、物理的にも防いでいたりする。

 パソコンを使う本人にとっては、いままで自宅でなんだかんだと言いながらも自宅で仕事ができたり、出張時の飛行機や列車の待ち時間などで仕事をしたりと便利だったものが、不便になり不満の声も上がっていたが、「会社の社会的信用」にまで問題が発展するとなると、個人の不平不満はさておいて、やっぱりきちんとしたルールが適用されるものである。

 さて、この情報流出問題。そう考えると、必ずしもウィニーだけが問題とは言えなくなる。
 (1)業務用パソコンで仕事をすることになっていなかった
 (2)許可なくソフトウエアをパソコンへ導入して使っていた
 (3)十分な知識もなくウィニーを使っていた
 (4)そもそもウィニーはその作者が著作権法違反(ほう助)で裁判中である

 まともに考えれば、ウィニーによる情報流出は防げる話しなのだが、IT立国のはずの日本は、まだまだIT幼稚園レベルとしか言えない実態がよくわかる。

 一方、ヤフーのニュースを見ていると、ウィニーの作者(保釈中)が講演で、「技術の高い人を利用者として想定していた」と発言しているようだが、そんなものが自由に入手できて、インストール出来るようになっていたのだから、それにも問題があるのではないかとおもう。

 殆どのパソコン技術者は、いろいろな便利なソフトの開発をしている。今回のウィニーも普通のソフトとは概念が異なるがあきらかにその一つだ。しかし、そういう優秀な開発者から常に忘れられているのは、情報漏洩やセキュリティの問題。

 そもそもWindowsというOSは操作している本人以外からの進入について、他のOSから見るとかなり”緩い”。OSそのもののセキュリティがその仕組み上緩くならざるを得ないことを知っていなければならない。

 開発者は、「自分はみんなが便利なものを作りたかっただけ」と主張しても、一方で情報漏洩に荷担することになるかもしれないことをわかっていなければならない。仕組みをよく理解している人しか使わないでほしいなどと言っても、なんでもアリのパソコンの世界でそんな主張は認められない、自己防衛の幼稚な考えだ。

 パソコンは常に、初心者にとってもよりわかりやすく、簡単に、しかも安全に使えることを目指して発展してきた。コマンドを覚えてキーボードから入力するのではなく、アイコンを操作することでここまで広まったのだ。それを理解せずして、パソコンソフトを開発するなんてことは迷惑だから止めてほしいものだ。

 ウィニーによる情報漏洩事件で考えなければならない問題は多いが、いつでも防止できるものである。


スローな時間

2006-03-09 02:07:08 | 
 くりかえし起る事件。大人が子供力づくで傷つける。いったいどこで人は心の余裕を失ってしまったのだろうか?痛ましい事件が起る度に、怒りと哀しみの気持ちでやりきれなくなる。

 世の中のあまりのスピードにどこかでみんな”空虚”なものを感じているのではないか。ある人はそれを感じていて隠している。ある人はそれを感じていないけど、何かでそれを埋めようとして飲んで騒いだり、その場をやり過ごそうとしている。刹那的な横顔がむなしい。

 まさに空虚。うつろでむなしい。地に足がついていない。

現金を使わない。クレジットカードや電子マネー。
手で文字を書かない。すべてキーボードか携帯メール。
写真を撮ってから現像してどんな写真ができているのかという期待感でワクワクする時間もなく、すぐに手に入るデジカメ。
戦闘ゲームはテレビの画像の中。
何人の大人が泥まみれになって遊んだり、何人の大人が額に汗して何かに熱中したりしているのだろうか?

五感をつかって感じることができるものをどんどんとデジタル化してしまう無神経さ。 青空を見上げたり、風の冷たさを素肌で感じたり、痛いくらい冷たい水に手をつけてみたり、昇る太陽や沈む夕日、ぽっかり浮かんだ満月を見るような感覚はどこへ行ったのだろう?

他人の気持ちを思いやる余裕のなさ。他人の為にじっと待つ。他人のために我慢するといった最低限の忍耐力さえ消え失せている。なんでも、自分の思ったとおりになると思っている、あるいは自分の思った通りにならないと耐えられない幼稚さ。

遠回り、長時間、我慢してもいい!って心から言える気持ちのゆとりはどこへ行ったのだろう?
 
本当の意味で、心の底から”ゆっくり”過ごす時間を持つ心の豊かさはどこへ行ったのだろう?

ゆっくりと時間をかけて作る料理。
一目ずつ編むセーター。
一文字ずつ綴る手紙。
子供のスピードに合わせて歩く散歩。

もっともっとスローなテンポで、時間の経過を感じる時があってもいいのではないだろうか?

そしてもっと心に余裕を持って過ごせないものだろうか?
どこかで”何かに追いかけられて、走らされている”生き方を見直す必要はないだろうか?

痛ましい事件の度に感じる、壊れてゆく大人の心の豊かさ。
次代を担う子供達の為にも、スローな時間を過ごして大人は今こそもう一度心の豊かさを取り戻すべきではないだろうか?


 

バーコードと楽譜の微妙な関係

2006-03-07 22:33:31 | 音楽
 夕食を終えてリラックスしていた時、ちょうどステレオからピアノ演奏が流れてきた。ピアノの奏でる音を、グランドピアノの中の弦をたたくハンマーをイメージしながら聞いていたとき、ふとあることに気がついた。

 音楽は、音が鳴っている時と音が鳴っていない時から構成されている。音が鳴っていないことが音楽にとって重要なんだなぁと。今更ながら、ピアノの鍵盤を叩くことで内部のハンマーが弦をたたき一つ一つの出す音と、ハンマーが休んでいて音が鳴っていない時の両方がそれぞれ重要なのだと、改めて感心した。

 楽譜を観れば確かに休符という記号がある。ただそういう無音の時間の事ではなくて、4分の4拍子ならば、四分音符が4つ並んでいて、その音と音の間の無音の時間。これが音符と同じくらい意味を持っている。

 実は、バーコードも同じ理屈なのだ。細い線と太い線からなっているバーコード。いまとなっては何も珍しくないのだが、このバーコードも、実は黒い線だけではなくて、白い隙間(線)も意味を持っているのだ。

 なんとなく、二つが結びついたそんな意外な発見をいまさらながらしてしまった。

 もしかしたら、あらゆることについて、そういう”音と音の間”、”線と線の間”が意味を持っているのかもしれない。

 ”間”を”あいだ”とは呼ばずに、”ま”と呼べば、会話の間や、芝居の間、漫才の掛け合いの間、も大きな意味をもつことに気づく。

 さて、この”間”、朝から晩まで仕事に没頭している多くのビジネスパーソンにとってもおそらく重要なのではないだろうか? 多忙な毎日を送るビジネスパーソンはその人生の中でこの”間”を感じることはできるのだろうか?