18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

20年ぶり

2005-05-27 00:52:45 | 風景
▲写真はCircular Quayというフェリーの船着場に位置する地下鉄の駅である。(Circuler Quay駅は地上駅)

 仕事の関係で丁度20年ぶりにシドニーの土を踏むことになった。都合3度目のシドニーは新鮮でもあり、変わらなくもあり感慨深いものだった。

 一度目の渡豪は大凡23年前。当時の首相だった故大平正芳首相がオーストラリアと交わしたワーキングホリデービザ制度が始まった翌年だった。オーストラリアが新婚旅行の人気が上がる少し前ぐらいだ。

 何しろ海外へ出かけたかった時だ。英語学校で2年間勉強して腕試しという分けでもなく、何か大きな目的があったわけでもなく、単に海外の文化や気候に触れたかっただけの単純な理由だった。当時からシドニーは都会だったし、観光も大きな国の収入源だったが、今ほど街にはタクシーが走っていなかった。もちろんダーリングハーバーも未開発で、もちろんカジノも無かった。 (20年前、カジノは西オーストラリア州のパースにあるだけだった記憶がある。)

 学生だったしアルバイトで生計を立てていたのでお金はないし、車もない。交通手段はバス、地下鉄、フェリーと徒歩である。安い映画を見にでかけるのは大抵深夜。帰りは徒歩で帰宅したことが何度もあった。アパートにはテレビも無い(買えない(^_^;))し、閑だからよく歩いた。
なかなか見過ごされがちな、キングスクロスのやや東側にあるラシュカタスベイはヨットが繋留してある静かなところだが、夕方の景色が大変美しかったことを今でも覚えている。

 そんな1年間を過ごしたシドニーも、シドニーオリンピック以降、大きく観光収入を意識した街の開発、ハイウエイの開通などで一気に大都会へと変貌したようだ。

 当時アルバイトをしていたレストランはVillage Cinema Centreの地下一階にあったが今は丁度その映画館(シネコン)全体が取り壊され再建築中で訪れることが出来なかった。

 20年ぶりの再会はそんな、ちょっとだけ懐かしい、ちょっとだけ寂しいそんな感覚をもって過ごした。ほんの一週間だったが楽しませてもらった。 





定年退職後

2005-05-21 21:34:52 | 
 今日、伊丹空港から三ノ宮までのバスの中でのこと。たまたま乗り合わせた20名弱の団体旅行客が丁度自分の座席の後ろに乗車した。約40分の行程なので寝ようかとおもったが、それとなく聞こえてくる会話が楽しそうでついつい三ノ宮までの間ずっと聴いてしまった。

 2人の男性の会話だが、一人は約3年前から農地を借りていろいろな野菜作りにいそしんでいるようで、もう一人は、聞き役にまわっていた。野菜作りを200坪の土地を借りてやっているそうだが、まるで自分の子供を可愛がるが如く、毎朝5時に起きては庭いじりならぬ、畑仕事をしているそうだ。それなりに苦労もあるようだが、明けても暮れても畑の事で頭がいっぱいだとのこと。

 それまで、どうしてもやめられ無かったパチンコやゴルフはどこへやら、毎日身体を動かすし、あしたは何をしようかとか、どうしたらもっとおいしく野菜が作られるかなぁとかで、頭を使うし、出来上がった野菜は近所に配ると喜ばれるし。もちろん畑仕事の為の費用はご当人のお小遣いからの捻出らしいが、嬉々としてやっているからそれでもいいそうだ。

 畑仕事という自然を相手にする”技術勝負+α”に喜びを見出し、何もすることなくぼけっと毎日を過ごすわけではない、大変元気な”先輩”の姿にちょっとうらやましさを感じた。70で有ろうと80であろうと、やることがしっかりあればみんな元気なのだ。

 高齢化社会なんのその。いわゆる諸先輩方は皆様お元気でおられるようです。



街で見つけためずらしいもの

2005-05-14 23:54:35 | 風景
 ▲近所の人でも知っているひとは少ないのではないだろうか?

 何度も通っている筈の道で新たな発見をすることがある。

 今日見つけたのは、「タイピスト養成所」の看板。実際に教室が運営されているのかはよく分からないが、さてタイピストという言葉からこの仕事が想像できるかたは何人いらっしゃるだろう?

 昔、庶民の印刷物といえば、ガリ版印刷。学校の試験や連絡は全部これだった。自治会や子ども会などの連絡もすべてこれ。原版に鉄筆で手書きで文字を書いて、原版を削って原版を完成させる。完成した原版を枠にはめて、インクをローラーで伸ばして原版に塗りつけ、紙に写して印刷する。どくとくの臭いがいまだに当時の情景を思い出させる。
 
 それから英文タイプライターや和文タイプライターなんていうのもあった。それを操って文書を作成する仕事をやる人がタイピストである。子供たちにどうやってこの仕事を説明しようか・・・。

 



ほんのちょっとだけ子供

2005-05-14 14:48:30 | 
 いくつになっても、どんな立場になっても、やっぱり人間だから失敗したりして後悔することがある。そんな小さな、あるいは時には大きな失敗や後悔を重ねて人間は1つ1つ成長してゆくものだから、ある意味でいつまでたっても成長の余地がある”子供”だとも言える。

 JR西日本の事故で、救助活動をせずに現場を立ち去ったJR西日本職員の手記が読売新聞に寄せられている。その時の状況は本人にしかわからないが、本人の手記によれば、後悔の念に苛まれているとのこと。

 人は時として、客観的にみれば分かることであっても、当事者の立場に立ってしまうと、なかなか冷静な判断が出来ないくらい、心理的に弱いものであることを分かっておかなければならない。

 毎日の生活の中でも列車内での迷惑行為、酔っぱらった勢いでのケンカなど、本当はやらなくてよいことを実は多くの年齢を経た大人であっても”やってしまっている”のである。それをストレス社会だとか分析するのは勝手だが、本当のところは、ほんのちょっとだけ、みんなが”子供”だからなのである。

 人は毎日成長してゆかなければならない。精神的に大人になってゆかなければならない。その為にはそういう失敗の経験や後悔の念を、1つ1つ自分の成長に積み重ねてゆくしかないのである。決して失敗や後悔から自分を追い込んではいけない。

 自分自身にも問いかけてゆきたい事である。




稼ぐが勝ち

2005-05-06 08:42:02 | 社会・経済
 ▲朝のJR明石駅の様子

JR西日本の今回の事故の背景にあるものとして、あたかも利益最優先、安全第二の体質であるかのような報道が為されているが、報道する側の代表例であるテレビ局にしたところで、視聴率ありきなのであるから五十歩百歩である。

視聴率さえあがればどんなくだらない番組であっても結果オーライ、なんてことは100%無いと言い切ることが出来るのだろうか?

やはり私企業であるかぎりは、利潤を追求しなければならない。上場していれば投資して下さっている株主に応えなければならない。それを駄目だと言っているのではない。キチンと事業を運営して、シッカリと稼がせて頂くことは大手を振ってやればいいのだ。

その前に、仕事の上でもっとも大切にして、自分達にとって何よりも守らなければならないものは何かを再確認すべきだろう。
JRならばそれは安全輸送だろうし、テレビ局なら報道の公正さ公平さになるのだろう。

これらはあまりにもキレイゴト過ぎるのだろか?