18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

夏の朝の風景

2005-07-29 07:58:00 | ノンジャンル
夏を感じさせる風景にはいろいろとあって、朝早くからの灼けつくような太陽の陽射し、耳をふさぎたくなるくらいけたたましく鳴く蝉の聲、早朝のラジオ体操などがあるが、そこにもう一つ付け加えるとしたらそれは子供たちの姿だろう。

今朝もたまたま出勤途中の道すがらそんな風景にであった。いや、厳密に言えば聞こえてきた。

何時ものように、駅の近くまで来たとき、ふと聞こえてきたのは子供の泣きじゃくる声。道端にまで聞こえて来るのだから結構な泣き声だ。その泣き声にかぶさるように聞こえて来たのはどうもその子供の母親らしい大人の叱る声。

朝早くから一体なにをやらかしたのかわからないが、普段ならあまり耳にしない風景に、ああこれも夏の風景の一つなのかなあと感じた次第である。

朝からとは言え、梅雨も明けて気温もうなぎ登りだし、普段なら許せそうなちょっとしたことも引っ掛かる事も分からなくも無いが、まあまあ抑えて抑えて。そのエネルギーは夏バテ防止用にとっておけば?とお節介にもついつい思ってしまう。

身近な夏の風景でした。


生きざま

2005-07-27 23:10:47 | 
 沢山のメディアで報じられているとおり、2005年J1ヴィッセル神戸のフォワードの三浦知良選手が、7月26日の試合を最後に神戸を去った。

 人の人生なんてメディアで取り上げられる10倍も100倍も語られない部分があり、苦悩や喜びもその本人にしては決してすべてが語られているわけではない。しかし、プロとしての生きざまは、15歳で単身ブラジルへ渡った”決意”が沢山の紆余曲折を経て、38歳になる今までの彼の軌跡そしてこれからの道に挑むかれの姿が十分に語るに値するものだ。

 ”現実”を言い訳にして”物事をわかったように言うこと”はもしかしたら冷静な判断が出来る大人なのかも知れない。しかし、”サッカー選手でいるがぎり”、”サッカーというものを心の底から愛するからこそ”、”自分の人生をサッカーにかけることができることへの感謝”を、彼は全身で受け止め、その運命に応えようとしているのかもしれない。

 そういう人がいること、そういう人が神戸の街にいたこと、そしてサッカーというスポーツを通じて、いろんな人にそれを”魅せた”こと。彼の存在はますます輝きのあるものになる。スポーツという実力が問われる世界に居る彼は本当に希有な存在である。

 「大好きな神戸、ありがとう」と言ってくれたカズ選手に、「ありがとう」である。





 

百人一首

2005-07-23 23:11:24 | ファミリー
 思いっきり季節はずれな話題。百人一首が音読によいということで、季節はずれであることを理解しつつ書店を2件ほどまわったが、さすがに売ってない。まあ当然といえば当然なのだが、訊かれた店員もちょっと困惑顔なのがおもしろかった。

 しかたないかと、諦めていたら、執念深いうちの奥さんが探し出しました。公文出版から解説付きの百人一首カード。やるなぁとちょっと関心した。

 子供の頃、というかつい最近まで和歌の、5-7-5-7-7で描かれる世界に対してはあまり関心がなかったのが正直だが、人間、歳を重ねると変わるものだ。この31文字の世界の形式美がはなつ魅力になんとも言えない感性が反応し始めているのだ。

 ”君がため、惜しからざりし、命さへ、長くもがなと、思ひけるかな”

 ん~。凝縮された中に詰まった人への思いが、静かな情熱のように伝わってくる。

 よく、ビールの苦さがわかると大人の仲間入りだと言ったりするが、年齢の積み重ねが味覚にも変化を与えるのと同じように、言葉や文字の中に凝縮された何かに対する感性が変わってくるのかも知れない。

 宣伝するわけではないが、このくもん出版の百人一首カードはその名の通りその句ごとに絵カードになっていて、暗記もしやすく、もちろん解説も付いている。このカードで子供の感性が磨かれるかどうかは分からないが、一家に一セットあってもいいと思う。

書店で購入できます。
くもん式の百人一首カード上巻
ISBN4-87576-818-4
本体1456円+税
くもん式の百人一首カード下巻
ISBN4-87576-819-2
本体1456円+税

購入は左のリンクのイーエスブックスからでもどうぞ・・・結局宣伝か(^^ゞ



サービス

2005-07-21 00:39:37 | 社会・経済
今日、家のポストに面白いチラシが入っていた。“お墓参り代行サービス”と書いてあるチラシだ。

面白い商売を考えるなあと感心しつつ、あぁもうそんなシーズンなのかとも感じた。一年なんてあっと言う間である。それとはなしに読んでみると、“忙しくて時間がなかったり、体が不自由な方に代わって”と書いてある。なるほど確かにそういう人はいるなあ、としかし対象エリアがかいてある。ん?離島は除く?どういうこと?このエリアは依頼主の住んでいるエリアか?お墓地のあるエリアか?しかし代行をお願いする側としとは、遠方だったり離島だったりして不便だからこのサービスを利用しようと思うだろうに、これじゃせっかくチラシを印刷して配っても対して効果はないだろう、これではだいなしである。

サービスの多くはこんな風に、いま一つ痒いところに手が届かない気持にさせられる事が多い。どんな事に対してお客さまはお金を使うのかが分かれば、離島であろうと海外で有ろうと関係ないはずである。

サービスでお金をもらうとはどういうことなのかこのチラシのお陰で再考することが出来そうである。


i,ROBOT

2005-07-20 22:05:38 | 映画
i,ROBOTという映画を見た。ウィル・スミス主演のCG満載の近未来映画である。結構ヒットした方だから観た人も多いと思うが、最近DVDで観たのでその感想を記そうと思う。

映画は2035年のシカゴが舞台。大量生産された新型ロボットが人間に対して反乱を起こすのだが、最初それはロボット自体の欠陥だと考えられていた。しかし実際は、都市機能の管理をする巨大な”陽子コンピュータ”を頭脳に持つAIコンピュータ”VIKI”がロボットたちの反乱の大ボスなのだ。

”人間が心地よく暮らせる環境を作り、維持する”使命を持つVIKIにとって、”人間の存在がそれを妨害する”ことになってしまうというVIKIの出した答えは、最後の審判や人類滅亡に対する絶対神の存在を示唆している以外に考えられない。ストーリーの背後に”キリスト教でのイエス・キリストの存在”や、”旧約聖書の7つのラッパやノアの洪水”などをイメージしてしまい、単なるCG満載のSF娯楽映画という風には観られなかった。

また、そのストーリーのなかで、VIKIによるロボットの反乱を防ぐ役割を担うため、唯一特別に機能を付け加えられた、サニーという名前のついたロボットが登場する。映画のクライマックスシーンではサニーとウィル・スミス演じるスプーナー刑事の活躍により、ロボットによる反乱が無事に抑えられ、VIKIの停止に成功する。しかし、VIKIの停止に成功することで、サニー自身が”役割”を終えてしまう。役割を終えたサニーが自分の存在目的を見失う一方で、それはある種の”自由”を獲得したことに気づくところで映画は終わる。

役割とその役割からの開放、つまり束縛と束縛からの自由。それをサニーというロボットを通じて映画の最後に問いかけたように思えた。

”人間の繁栄、人間の豊かで安全な生活”を脅かす人間の存在。束縛を避け自由であることを望むのだが、”束縛があってこその自由”であることを忘れてしまっている人間の存在。すべてを選択しているのは人間自身であると言う事が、映画から受け止めたメッセージだ。

観られていない方は一度観られることをお進めする。