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ヒロシマ 終戦71年目の訪問

2016-08-17 20:20:00 | 風景
恥ずかしながら、終戦71年目にして初めて原爆ドームを間近で見学した。そして平和記念資料館を見学した。

そこにあった数々の証言、写真、遺品そしてジオラマやリトルボーイの模型。




改めて、原爆投下はやっぱりあってはならなかった。アメリカが終戦させるための手段だと言ったところで、正当化されるべきではないことを確信した。




日本人なら、ほぼ誰でも知っている広島、長崎への原爆投下。そしてそこで十数万人の人たちが一瞬にして殺された事。そこには兵士だけではなく、普通に日常を過ごす人たち、子ども、老人がいたこと。

もちろん社会科の授業で習うからだろうが、この事実は授業で習うから知っているというものであってはいけない。

いま、憲法改正論議が高まっていて、憲法九条の改正がこれまで平和を貫きとうしてきた日本がまたかつてのような国に戻るのではないかと危惧する向きもあるが、その危惧をしている人たちうちどれくらいの人たちが、学校行事以外で広島の平和記念資料館や原爆ドームを間近で見学しただろうか?

憲法学者は、法律学者で法律学的観点からぐちゃぐちゃ言うので平和理念から外れてゆくのでかれらの意見は無視するとして、我々一般市民はもっと本音の部分で平和を守り維持するための憲法がどうあるべきかを語らねばならないのではないか?その際、核の話は避けて通れない。だからしっかりと広島長崎で何が起きたかを知るべきだと思う。


平和記念資料館に様々な遺品が残されていることは授業でも習うだろう。

しかし、原爆がどのように投下され、どのように被害をもたらしたかというのは、授業では習わない。

ヒロシマの原子爆弾は、原爆ドームからおよそ200メートルほど離れたところの上空600メートルで爆発した。爆発直後に摂氏百万度を超える直径280メートルの火球が発生した。

その熱線で多くの人や物が焼かれた。百万度の熱は人間の体を溶かし跡形もなく蒸発させた。
皮膚や肉体が溶けた姿や全身やけどの写真は、蒸発しなかった姿だ。

そして百万度の火球の発生は、周囲の気圧に急激な変化をもたらし、数十万気圧というとてつもない圧力をもって膨張した空気が爆風となった。その爆風は爆心地から200メートル離れた地点で、1平方メートル当たり19トンの威力となった。すべてのモノが吹き飛ばされ、なぎ倒され、倒壊、崩壊させられた。

それでも生き残った人たちは、やけどの症状に加え、大量のつよい放射線放射線を浴びた結果発熱、嘔吐、下痢、出血、脱毛、倦怠感の上に死亡した。

短期間で死亡に至らなかった人たちは、ケロイド、白血病、ガン、原爆白内障、小頭症児の出産など多くの被害にあい死亡していった。

これら被害にあったのは戦争に駆り出されていない人たちである。赤ん坊から老人まで、学生も労働者も含まれている。

戦争を終わらせるために核の使用は必要だったか? 14万人もの市民が一瞬にして死亡した事実を目の前にして肯定していいはずはない。







戦争はいけないというのは当然。戦争を起こしてはいけない。戦争を起こされてもいけない。


しかし戦争は起こりうる事である。


国と国がエゴをむき出しにし、理不尽に戦い合うことなどいつでも起こる。


その前哨戦は世界のあちこちで起きている。


だから戦争は否定するが、戦争は起こりうる。


しかしながら、核の使用は起こり得てはいけない。
出来うるなら世界中の核をすべて封印、廃棄すべきである。


そんな勇気のある(愚かな)国はないだろうと笑うのも考え方の一つだろう。

日本がアメリカの核先制不使用に文句を言ったらしいという報道があったが、

日本でさえ、アメリカの核に守られているという事という事実と、

核は絶対に使用してはいけないという人としての当然の自制。

そして戦争はいつでも起こりうるという事と、核をもっている隣国が2つもあるという事実。

そして、個人個人の総意が、必ずしも国を守ることにつながらない事だってあることをどのように乗り越えるのか?

全てを考え合わせたうえで、知恵を駆使していかなければならない。





核を使用しないで済む為の知恵


核に守れれている事実


核を持った国が隣に2つもある事実


憲法九条で、『国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。』と定められている事実


憲法改正反対、反核、反戦はみなが望むことである。ただ、目の前の現実にどう対処するのか?
一人ひとりは一市民として反核、反戦、反憲法改正でもいいが、国を守る、国民の生命と財産を守る責務を負う日本政府はそう簡単に結論は出せないことをわかったうえで、市民一人ひとりが真剣にあるべき姿を考えるべきではないだろうか? そうしないと政府というのは悲観論で市民を煽動し軍事国家へ進み始めるかもしれない。 

知恵ある市民は反対ばかり叫んでいてはいけない。
知恵あるメディアも黙っていてはいけないし、政治の監視だけでもいけない。

表面上反戦、憲法改正反対を叫んでいる政党や政治家を応援するだけでもいけない。
かれらは真に国民を守ることの重大さを爪の先ほども理解していないのだから。



どうすれば、平和を守り続けることが出来るのか? 議論を尽くすべきだろう。


だれにも二度と核を使わせないために、そして我々日本が永遠に核を使う事がないために。