18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

セブンイレブン自体が賞味期限切れかけ

2009-06-23 01:27:00 | ニュース
 コンビニエンスストアチェーン最大手のセブンイレブンによる加盟店への、弁当値引き販売に対する圧力について、公正取引委員会から排除措置命令がだされた。

 排除勧告ではなく、排除措置命令だからこの決定はレベルが違う。


 このことに対してセブンイレブンはなんだかんだといろいろコメントしているが、オテントウ様に聞けばわかる話だ。



 結論だけいえば、「弁当を廃棄することがおかしい。」




 ニッポンはいつから、おいしく食べられるお弁当を簡単に廃棄できるようになったんだろうか?当たり前の心を持っていれば、せっかくのお弁当が廃棄されることに胸が痛まないはずがない。


 ところがコンビニという販売形態では、捨てさせるのだ。食べるものを粗末に扱ってはいけませんと教えられた世代なので、食べるものを捨てるという行為は、そもそもあってはならないのだ。



 お米の米という時は、八十八と書く。農家のかたがたが丹精こめて八十八の手間をかけて作ったものだから、こぼしたり、残したりすると目がつぶれるだのと注意されたものだ。




 農家の人たちが作ったお米を、おいしいお弁当にしようと考えた人の努力を、「廃棄」という行為はすべて無駄にしているのだ。




 こんな酷い話もないだろう。




 セブンイレブンがこの排除命令にどんな理由をつけても、
 この当たり前のことが守られていないことに違いはない。





 この当たり前のことが守られていないことのほうが、

 ひととして、当然の感覚から乖離していることを主張していることの方が、
 
 よほど良識を疑うし、主張を続ければ続けるほど、

 「顧客の視線」から離れているということもわからないのだろうか?


 そういうセブンイレブンのほうこそ、賞味期限切れで廃棄されるべきではないか?



 ちなみにこんなアホなことを言ってるシンクタンクさえあるので驚いた。

 ろくなもんじゃない。



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仕事で大事なのは

2009-06-20 18:18:00 | ニュース
 Yahoo!の記事に、

 新型インフル感染男性の新幹線帰宅というのがあったが、これまさにお役所仕事。

 役所という組織は、“誰も責任を取らないですむ仕事をやるところ”。だから“決められた”とおりに仕事をやる。

 だからこの記事のように、“決められた”通りにやることになる。もっともらしい理由もあるから、わざわざ、ルールが決められた背景にまで入り込まない。

 

 ただ、新型インフルエンザにかかってしまった男性も、自宅に帰る手段として新幹線や飛行機などの方法以外に取ることができないのも事実。東京で入院したとしても何日いればいいのかということもわからないのでは、本人の仕事や生活にも影響が及ぶだろうから、難しいところでもある。



 
 それをわかった上で、あえて苦言を呈する。



 仕事で大切なのは結果である。



 



 
 



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書いて覚える

2009-06-20 07:50:00 | 趣味
 今朝のラジオで、小学生向けの学習方法として「書いて覚える」という話をしていた。

 まったくその通り。

 ここ10年~15年でパソコンが急激に普及し、社会人や学生も普段の文書作りでは手書きすることが少なくなってきている。文筆のプロである小説家でも作品作りにワープロやパソコンを使っている人も多いと聞く。

 そこでよく言われるのが、「“漢字”が書けない。」という話。

 そうそう、読めても書けないという漢字は昔からよくあるが、昔ちゃんと掛けていた漢字が書けなくなっているのだ。原因はもっぱら紙と鉛筆で字を書かないから。

 そういうこともあって漢検ブームになってきている。


 つまり、紙と鉛筆で勉強しないと物を覚える、学習には役立たないということはわかっているわけだ。



 一方で、英会話もずっとブームであるし、TOEICや英検も注目されている資格なのだが、さて、どれだけの人たちが、単語を紙と鉛筆で覚えようとしているだろうか?



 自分も昔は紙と鉛筆で英単語を覚えた。だからその頃覚えた英単語はいまも結構覚えている。


 でも紙と鉛筆を使わずに覚えようとした英単語はさっぱりだ。



 改めて、紙と鉛筆で繰り返し書いて覚えることの学習効果に気づかされた。



 小学生であろうと、大人であろうとしっかり覚えたいのなら、紙と鉛筆に限る。



 父の日に、子どもとおそろいで、紙と鉛筆をプレゼントするっていうのも素敵じゃないですか?



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何が罪なのか

2009-06-09 06:01:00 | 文化・芸術
 裁判員制度が始まった。

 そこでふと疑問がわいた。

 「何が罪」なのか、「何を罪とする」のか?

 「何に罰を与えるのか?」

 というごくごくシンプルな疑問




 “殺人”を起こしたことのみが罪ならば、そしてその事実に罰を与えるのであれば、その事実が立証されるだけで機械的に懲役何年だとかを決めればいい。

 しかし、その動機、その時の精神状態まで問うということは、罪に問われるのは、もちろん司法上での加害者の保護というのもあるが、単なる殺人の事実だけではないことを物語っている。


 裁判員の存在が必要とされるのは、その事実以外の部分をどう汲み取るのかということが要求されているからかもしれない。

 
 裁判では単に殺人の事実の立証のためだけではなく、何故殺人に至ったのかという経緯や動機を明らかにして酌量の余地を問う。


 つまり単に殺人を犯したという事実に対してのみ罰を与えるのではなく、経緯や動機を含めて罰を与えるわけだ。


 
 1人殺したから無期懲役で3人殺したから死刑という図式だけで人を裁くのではない裁判の難しさを司法のプロの感覚だけに任せるのではなくて、一般市民のごくごく当たり前の考えも取り入れてよりよくしようという試みがこの裁判員制度のように思う。



 何が罪なのか、何を罪とするのか?そして何に罰を与えるのか?


 一般市民としての感覚をうまく反映させることができるような進め方になるように裁判員も積極的に関わる必要がある。



 制度への賛成反対の不毛の議論にエネルギーを投じるのではなくて、真正面から考えてみてはどうだろうか?

 裁判員制度がうまく行くことを見守りたい。




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