18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

神戸製鋼コベルコスティーラーズ

2006-01-24 02:48:50 | スポーツ
 1月22日(日)に秩父宮ラグビー場にラグビーのマイクロソフトカップを観戦に出かけた。前日の大雪と22日の朝の凍結で足元が大変な状態だったが、試合は無事行われた。

 観戦したのは、東芝府中VS神戸製鋼の試合。結果は東芝府中の勝利なのだが、見ていてどうも神戸の選手、あるいはチームの”集中力”あるいは”勝つ意欲”が見えなかったのが気になった。年末に神戸ウイングスタジアムで見たトップリーグ戦のワールドとの戦いもそうだったがどこか今ひとつ覇気が感じられないのはなぜだろうか?

 弱いチームではない神戸製鋼だが、どこか、まあトップリーグにいるんだからいいじゃないか、みたいなところがあるのではないだろうか?何が何でも優勝するのだ!というエモーショナルな雰囲気が無い。トップリーグが開催された初年度のチャンピオンの座を獲得したものの、それ以降はチームはトップリーグの中でも中位に甘んじている。かつての、強さ、情熱が感じられないのは、チーム再建中だからなのか、もともと悲惨さを感じさせない神戸製鋼ならではの伝統なのかよくわからない。

 かつては、毎シーズンそれぞれ課題と新しい何かを求め続けてきた神戸製鋼だった。日本のラグビーシーンを変える、世界に通じるラグビーをするといった高邁な目標があって、どんどん走るラグビーをやったかと思えば、痛いラグビーをやる、細かいパス回しのラグビーをやったかと思えば、キックを活かしたラグビーをやる。また80分間おもいっきりつかれるラグビーをやった年もあったはず。

 それが22日の東芝府中との試合では、フォワードの集まりも遅いし、パス回しも遠距離でバレバレ、展開も遅いし、かつての面影はゼロ。

 ALWAYS ATTACKというキャッチフレーズのシーズンは、何しろボールをつなげてつなげて、なかなかホイッスルが鳴らない。時には大柄で足の遅いフォワードだってボールをもって走った時もあったほどだ。当時大八木選手がボールをもってどんどんゲインして走ってゆく(といっても遅いからすぐに追いつかれる)姿に競技場が沸いたのも記憶にあるぐらい。どよめきと感動を呼んだ試合、変幻自在でラグビーを楽しんでいる試合をしていたのだ。

 それが今は東芝府中がそれを実現している。もちろんいつも強いチームなんてなかなか出来ないけども、それにしてもちょっと残念だ。

 かつての、三洋電機から”何が何でも倒すのだ”と思われた神戸製鋼の復活を期待している。もういちどラグビーの原点に戻って、痛くて、しんどい、ラグビーをしてはどうだろうか?走って走って走って、へとへとになってしまうラグビーをもう一度やってはどうだろうか?



いま、会いに行きます

2006-01-22 09:14:42 | 映画
 1年以上も前の映画の話だけども、ロードショーの時に見ていなかったのでご勘弁を。邦画って映画館でなかなか見ないので・・・。

 さてこの映画、原作は読んでいないので改めて読みたいのだけども、やっぱり映画のすごさを感じさせるなぁと関心した。たった2時間ほどの時間の中で訴えかけるものがあって・・・。映画作りに携わられている方々のすごさには感動します。

 竹内結子と中村獅堂が主演のこの映画、普通の家族愛を描いただけではなくて、一つの”人生の選択”を描いたものとも言える。それは生き方と言い換えても良いのかも知れない。

 食べるものにも不自由がなく、水や電気、ガスがあたりまえに使えて、お金も普通にある一件豊かな世の中で、みんなが見失っているもう一つの豊かさ、”人生を自らの手で選択する”という事をこの映画で感じ取ることが出来た。

 竹内結子が大学生の時に、交通事故に遭い、病院で目覚める間に”夢で見てしまった、28歳で死んでしまう自分の人生”。中途半端なままの秋穂巧(中村獅堂)との恋愛感情を背負ったままな澪(竹内結子)が、その秋穂巧とその子供との幸せそうな家庭を持っている夢。そして自分が先に逝ってしまう受け入れがたい夢。自分が秋穂に会いに行けば、まちがいなく28歳で死んでしまうという”人生の選択”。秋穂に再び会いに行かなければ、もしかしたらもっと人生をながく生きられるのかもしれない。

 澪は28年という短い人生を選んだ。

その短い人生の中でとことん家族との時間を大切にし、家族を愛し、愛されてゆくことを決意した。

 なんとも言えない、けっして古くさくない、純愛だ。

巧から見た澪、澪から見た巧がそれぞれ上手く構成されて、映画を見る者を惹きつけてしまう。澪が自ら巧に電話をかけてひまわり畑で再会するシーンが2度出てくるが、2度目のシーンの説得力にまたまた関心させられる。

 この映画の公式サイトの書き込みにも、再上映希望や何度でも見たというのがあったが本当にそういう映画だとおもう。映画というもののおもしろさ、映画だから描けたというおもしろさと、脚本のおもしろさがちょうど良い感じである。”心が温かくなる”映画の一つだろう。

主演:竹内結子、中村獅堂

ここのところ映画に関する記事が、邦画ばっかりになっているが、洋画も結構見ているのでまた洋画についての感想はいずれ。

雪の街

2006-01-21 20:40:03 | 風景

 今日の東京は昨夜からの降雪で一面の雪景色。自然を前にして人の小ささがよくわかる。

 もともと天気予報でも報じられていた通りの天候だったのと、平日ではなかったこともあって、比較的ゆっくりとした一日だった。平日ならば会社員らが”時間に間に合わない”だのなんだのといって駅員に詰め寄ったりするのだろうから、鉄道関係者はそれなりに胸をなで下ろしているのではないだろうか?

 対応も、落ち着いていて、都内を走る列車も70%ぐらいの間引き運転だったりしたのも影響しているのかもしれない。

 さて、このように雪が降って都内でも8CMぐらいの積雪だと報じられているのを聞くのも久しぶりだなあとおもってふと気がついた。日本には四季がきちんとあって春には桜が咲き、初夏には梅雨とあじさい、夏は、都会独特の高温高湿度の気象と台風、秋には、サンマや松茸、冬には・・・。そう都会で冬だと強く自覚することって最近あんまりなかったなぁと。せいぜいクリスマスシーズンとかお正月とかで、気候を感じるようなものが特に都会では減ってきているように思う。

 今回の雪にあるように、まさに真冬だと感じさせてくれたのは何年ぶりかなぁと改めて考えてみた。それくらい”真冬”を感じさせる物が減ってきている都会の生活に、今回の雪は改めて”四季”の存在を認識させてくれたように思う。もちろんこの都会に降った雪で、怪我をされた方には、早く回復されることを思うから、不謹慎な発言は控えなきゃいけないが、そのように季節を感じさせることをもっと味わってみても良いと思う。
 


まだ今年も始まって2週間過ぎただけなのに・・・

2006-01-19 01:42:13 | 風景
 ライブドアへ検察が家宅捜索との報道。株価だけでのし上がってきた会社がとうとう”ガサ入れ”に会うことになった。

 少々気の毒だと思うが、ルールや規制をかいくぐってやってきた結果なのかも知れない。本当のところはまだ明らかにされていないが、普通検察が家宅捜索するというのは、絶対の確証を持ってやるのだそうだ。内偵などは長ければ1年以上も前からやっていたはずだし、証拠がそろっていれば即、踏み込むという物でもない。十分に泳がせて、検察として裁判になったときに、きちんと罪を立証できるようにするためにあらゆる人のつながりも押さえているはずである。

 昨年の暮れに小耳にはさんだ話だったのでそれほど気にもとめていなかったが、ある人から”年始にちょっとバタバタとあるよ”と、なんだか曰くありげなことを聞かされた。その時は”ふーん”という感じで聞いていたし、ちょうど耐震強度偽装疑惑がマスコミの話題の中心だったので、それに関連して大物政治家が参考人で証人喚問かともおもったし、ヒューザーの社長の証人喚問もあったので、このことなのかなと思っていたけども、”ちょっとあるよ”はもっと騒々しいことだったのねと気づいた。

 経団連の奥田会長が、「早すぎた」とコメントしているが、これもこれでちょっと無責任すぎないか?良識ある経営者、納税の意義を理解している経営者、マネーゲームに興じるようなことのない大人の団体ではなかったのか?まあ今更済んでしまったことは仕方がないけども・・・。

 今回の件については、やってしまったことはそれできちんと認めて、一旦株式市場から退場してやりなおすのが、まだまだ若い堀江社長にとってプラスなはずである。恥の上塗り、言い訳すればするほど罪を自ら認めるのであれば、潔く認めた方がましだ。



「少年A」この子を生んで・・・・・・

2006-01-16 02:29:15 | 
 この冬休みに幾つか買った本のうちの一つが”「少年A」この子を生んで・・・・・・”だ。神戸の連続児童殺傷事件の犯人である少年Aの父母の手記である。

 この事件は1997年に起こった、衝撃的すぎる事件だった。あれからもう9年が経過しようとしている。手記が最初に発行されたのが1999年。文庫本化されたのが2001年、2005年6月で文庫本が第16刷ということだから関心が決して失せていないことがわかる。

 少年Aの両親の苦悩が未だに消えず、さらには決して許してもらえない被害者家族に対する言葉にしよう無い謝罪の気持ちが渦巻いていることもわかる。何が原因でそんな事件を起こしてしまったのか、おそらく自分たちに問題があるはずだが、それがはっきりしない。しかし起こしてしまった取り返しのつかないことは厳然として存在している。何から手をつければいいのか混乱してしまうのも無理はない。

 この本の中で書かれている少年Aの像は、もちろん父母から見た面のみ書かれているが、表面的にはそれこそ取り立てて異常な行動をとっているようには見えない。同じような行動や態度を示す中学生などざらに存在している。”時には暴力をふるい、友達とケンカをする。時には優しい面を見せる。成績は悪いが、国語や絵が得意だ。外で活発には遊ばないが、手伝いはよくする。万引きしたり、タバコをすったりしたこともある。”ごくごく普通の中学生か、ちょっとグレたりしている場合の行動となんら”表面上”は変らない。

 よく”あいつは何を考えているのかわからないときがある”という表現で人の性向を言うときがあるが、そういう性向を持っている人は大抵は、自分に対して向き合っている時間が長いものだ。物質的な興味よりも、精神的な興味や、観念的な事象に対する関心が高い場合が多い。

 「人は何のために生まれてきたのか?」「成績がいいとはどういうことか?」「なぜ人は生まれながらにして平等ではないのか?」「自分のような劣等生には未来がないのになぜ生きているのか?」「なぜ貧困にあえぐ人がいて、お金にこまらない人がいるのか?」という「なぜ」の連続。

 一方で、肉体の存在が、結局「生」への執着を自覚させ、結局その狭間で精神が激しく揺れうごくのだ。ダメというレッテルを自らに貼る一方で、自らの存在を消し得ない事実。自分自身の価値に対する疑問を抱きつつも、自らの存在を認めざるを得ない”命”の存在。そのバランスが崩れた時に人は自殺を選択するが、”命への執着”の自己弁護の為に、理由を見つける旅が始まって、それがあらぬ方向に進み、おそらく本人でさえ予想もしなかった行動に出るのだろう。

 「自己の否定」と「自己の存在」の葛藤。いったいどういう目的をもってヒトは生まれてくるのか、その存在意義は何なのか?など、それこそ未熟な精神状態の時期や、思春期にどうどう巡りの自問自答を繰り返すのだ。特に劣等感にさいなまれてい多感な時や、無気力な自分自身に対する自問からこういう旅が始まるように思う。

 自分という存在は、幼児期は家族や両親との関係のなかで見つけるものだし、成長してゆくに従って周囲の環境の中で形成されてゆくのだが、それには必ず精神的なこのような自問自答が意識、無意識にかかわらずあるはずだ。それが例えば普通の学校の成績だったり、何か得意な物があったりして周囲との関係を作れていれば、内側への追求へは進まないか、抑制されるが、そういう関係がうまく作れていない場合や、あまりにも強い劣等感がある場合など、内への追求が進むのは当然だ。

 少年Aはあまり物事に関心がなかったと手記に記されている。勉強やスポーツなども特に関心がない。自ら何かをやりたいと言い出すようなこともあまり無く、自ら少林寺拳法を習いたいといいだした時は父母ともに喜んだとある一方で、中傷などについては相当な執着心を持っていたとある。

 詳細に見れば、この少年Aが何に関心があったのかがなんとなくわかってくる。彼が関心があったのはそのような原理的な精神世界への関心なのではないか。
たまたま少年Aの両親が、思春期にそのような悩み方をしなかったか、あまり深く考えることなくその時期を過ごしたかのどちらかで、少年Aが悩んでいるのを感じ取ることができなかったのではないか。両親が少年Aの事をわからないままでいるのも無理はない。

 ただ、そのような精神世界の追求はさまざまな事で抜け出したり、あるいははまったりすることになる上に、拡大の限界もないし、連鎖の速さも限度がないから、一度なんらかのはずみでタガがはずれるとどんなことになるかは予想がつかない。

 少年Aが起こした、説明するのもおぞましい事件と、それに関係した多くの人々の苦悩、変えられた人生。一方どこにでも現れる可能性がある第2の少年A。

 本当の意味で子供の気持ちをわかるということの難しさがこのような悲惨な事件を通して教えられることはつらいことだ。また今、子供を育てている親たち、育てようとしている親たちも、画一的な価値観や見方で子供の言葉を聞くだけではなく、自分たちも同じように悩んだ思春期の気持ちを思い出して、子供の気持ちをくみ取ることを願いたい。もしもそれほど悩んだ記憶がなければ、数多くの悩める子供達の声を聞く機会を持っておくほうがいい。

 想像以上に複雑で入り組んで説明しきれない精神世界はそれぞれの個人の宇宙なのだから、”わかろう”なんてしても無理なのだ。例えそれが親子関係であっても。子供が未熟な小学生や中学生に思えても精神世界は大人と同じように無限の広がりを持っているのだ。ただただ、自分の宇宙と相手の宇宙との間でのコミュニケーションをとることから始めることをおすすめする。

「少年A」この子を生んで・・・・・・
文春文庫
「少年A」の父母:著
ISBN4-16-765609-4
定価(514円+税)