18年にもなりますか

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難しい方程式を解く頭脳はあるが、簡単な方程式すら立てられない

2023-06-11 17:10:41 | 

いま、とある企業の業務改革をサポートするチームにオブザーバーとして関わっている。

 

業務改革が必要で、そのためのチームが立ちあがるっていうこと自体は素晴らしいこと。

企業規模の大小に関わらず、会社組織って存在は、社会から必要とされる”何か”を供給することで存続できるわけなので、その”何か”が、社会から全く必要とされないか、別の誰かが自社に変わって”何か”を供給し、需要を満たしてしまうと、自社の出番がなくなり、存続が危うくなってしまう。

 

飲食でも、アパレルでも、工業製品を提供する会社でもこれは同じ。

 

企業規模が小さいから、競争に弱いというわけではなく、小さいなら小さいなりの機動力を生かして生き残る、あるいは勝つことができる。

小さい企業はその経営の舵取りをする人が、変化を機敏に察知して、さっさと動くことができる。組織も小さいから、一旦経営が方向を示し、具体的な方策を示せばすぐに方向転換できる。財務体制が弱ければなかなかこの舵取りも難しいから、小さい企業ほど内部留保が必要だし、普段からの融資元との付き合いも重要である。

 

一方大企業が安心かといえば、真面目にやってる限り、屋台骨を揺るがすようなことは起こらないと見ていい。東芝のような役員連中が不正の中心になってしまうようでは、解体も仕方がないし、シャープのような”先を見誤った結果、財務的に影響を与えてしまうことはあるが、おおよそ重厚長大企業は潰れることはないと見ていい。

が、しかしそれだけ大きい分、何をするにしても”遅い”のである。”のろま”をはるかに超える”敏捷”という言葉を辞書から抹消したのではないかと思えるほど全てが”遅い”。これはその企業がそのようなやり方を”正”として、積み重ねを繰り返し、日に日に遅さが増した結果であると言っていい。過去30年40年の蓄積の結果だから、おおよそ全ての社員はその遅さが”標準”で、何の疑問も持っていないのである。

 

高い付加価値を持つ製品を世に出すことこそが正しく、そのためには”議論”を繰り返してきた。

 

その結果、何ができたか?

 

まず一つ目が。議論の進め方のルール。

適当な議論は許されず、全ての議論項目を議論したのかをまず問われる。

議論の結果よりも、議論すべき項目を議論したかどうかを問われるものだから、議論すべき項目の洗い出しから始まり、その項目の裏付け資料を用意し、その議論結果もしっかり議事録としてまとめることが要求される。

議論の結果よりも、議論のプロセスが先に問われ、それに則っていなければダメと言われるのである。

 

 

二つ目が、決定者を決めないルール

議論をする人と、決定する人が別という異常事態が起きてしまった。議論の進め方のルールに基づいて議論する人が、しっかり議論していればその議論の結果は正しいと考えたのだろう。議論の結果を、決裁者は書面の内容を見て決裁する。決裁者は、議論がルールに基づいて行われたからおおよそ”正しいだろう”と考える。なぜなら、ほとんどの場合決裁権を持つ人は、数年現場の業務から離れ管理職として業務を優先するから、議論一つ一つに目を通す時間が与えられず、”とりあえず”決裁を下す。

 

この二つが大きな負債となる。

 

決裁者は、決裁という”事務処理”上の責任は持つが、”議論の内容”についての責任は”持たない”のである。

 

議論する人は、本質的な議論よりも早く結論めいたことを決裁申請し、議論の時間を早く切り上げたい。

決裁者は、議論が十分かどうかの判断ができないから、決められた議論のステップをふんだかだけを重視する。

 

決裁者に、真にその議論結果に対する責任を求めず、また議論者にも本当に必要な結論を考えさせることもない。

 

この”負債”を抱えた状態で、何かの業務が始まって、その途中でなんらかのトラブルが起きたら、その決裁を受けて実施している業務は途端に破綻する。

 

何せ、かたちだけの決裁、形だけの議論なのだから。

 

 

表現をかなり大袈裟にしているが、多かれ少なかれ大企業ではこのようなことが起きている。

誰が見ても「やばい」状況である。形だけの組織である。給料をもらうために組織に所属していると言っていい。

企業活動の何たるかなどはどうでもよく、言われたことを言われた通りに行う。

 

 

自分たちに「非はない」ことが重要で、成果責任などないという感覚である。

議論のために議論し、決裁のために決裁しているのだから当然そうなる。

 

 

さらにそこに拍車をかけるのは、それでもその会社は「潰れない」のである。

 

 

 

大企業の社員である。有名大学を出ている優秀な頭脳を持っているはずである。

全く脳みその無駄遣いと言っていい。

 

 

 

そんな状況を、言葉を変えていうと。

 

「難しい方程式を解く頭脳はあるが、簡単な方程式すら立てられない」

 

ということだ。

 

 

日本の経済を支えている大企業ではあるが、かれらの未来は明るいのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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宗教と政治

2022-08-04 11:37:34 | 

故安倍元総理が暗殺されてから、旧統一教会と自民党、自民党国会議員との関係が連日ニュースで報道されている。

 

この問題を、宗教と政治という組合わせで語って欲しくない公明党に加担するわけではないが、

 

マスコミは旧統一教会とあまり強調しすぎるのは良くないと思う。

 

問題は、宗教法人であれ、社団法人であれ、”社会的に問題を起こしている団体”と付き合っていること。

 

であるから、全政党、全国会議員は、社会的に問題を起こしている団体との付き合いはしません!と決めればいいだけ。

宗教団体であれ、NPOであれ、団体として政党を支援したり政治家を支援することを法的に制限することはできない。

政治信条や信仰などについて自由が保障されているからだ。

 

しかし、その団体があやしげな活動をしていたり、繰り返し訴訟の対象となっているなら、それは政治信条や信仰の自由よりも

国会議員としての信頼、政治政党のあり方の面からNGでしょう。

 

極端にいえば、例えなんの要求も見返りも無くても、暴力団、準暴力団組織、詐欺とおぼしことで訴訟を受けている団体と付き合うようなことは、

政党として、政治家として「いたしません」とすべきなだけ。

 

旧統一教会がはたしてどこまでこれらの団体の行動に性質的に近いかは知らないが、少なくとも訴訟が起きていることはたしかなのだから、

付き合いは致しませんとすべき。

 

 

そして、

 

 

宗教法人であろうがなかろうが関係なく、政党や政治家は、支持してくれる団体や団体の関連企業についてまずはすべて明らかにすべきでしょう。

宗教法人や宗教団体だけに議論を絞るのは、正しい事とは言えない。

追求はもちろん結構だが、マスコミはことさら”旧統一教会”と強調するなかれである。

 

 

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幼稚化がはげしすぎる有権者

2022-08-04 10:48:16 | 

先の参議院議員選挙の比例で、ガーシー氏が当選した。

朝日新聞によると社民党の福島瑞穂氏(216,984票)を超す287,714票を獲得。N党としても120万を超す票を得ている。

そして、懸念したとおり、臨時国会の参議院には登院しないまま、さらにいえばN党はずっと登院しないと言っているらしい。

 

 

さて、この比例代表制は、そもそもなぜあるのか?

様々な議論の結果設ける制度となったが、もっとも大きな理由は”死に票”問題を解消するためだ。

昭和の頃は、選挙といえば中選挙区制。その選挙区で上位の票獲得者が当然する。中選挙区だから、選挙区域は広く、区域内の有権者数は増える。

したがって、そこそこの票を獲得したのにもかかわらず、当選できない議員が多くいた。

100万票でも当選できないというケースがあったかどうかは調べていないが、例えば今回の参院選比例で120万票を獲得したN党が誰一人として当選者をだせないという事態を招いていた状況といえば想像しやすいだろう。

民意が反映されていない!

として、中選挙区をやめて小選挙区にしよう!というわけだ。それ以外にも中選挙区ではお金がかかりすぎるという意見もあった。

小選挙区にするならいいだろうと侃々諤々の議論をしているなかで、比例代表制を並立させる案が出た。

これでさらに票をすくい上げるというわけだ。

 

この議論、野党第一党であった社会党がそれなりに強い存在だった。もちろん圧倒的なのは自民党。自民党は昔から、さまざまな疑惑を取り沙汰されていて野党としては、このまま安定的に政権の座に就かせている自分たちの責任だとばかりに選挙制度にメスを入れることを思いついた。

自民党は、農村部に強いのは有名だった。そんな確固たる支持基盤を持っている政党にどうやって対抗すればいいのか・・・社会党の支持母体は労連、自治連などだったがそれでも十分ではなかった。そこで中選挙区には問題があるというキャンペーンを張り、”死に票”に目をつけ、「有権者の貴重な一票を積み重ねた数百万票がムダに消えている、有権者の声が無視されている、有権者の声が政治に反映されていない!」と世間に訴えかけた。

これに便乗しないマスコミはいない。今も昔も同じだ。政権批判こそマスコミの存在意義だと息巻いていた大手新聞社は冷静な立ち位置をとりつつも、批判キャンペーンを行なった。

自民党はこれまでの選挙優位性を奪われたくないうえに、資金も潤沢だったから中選挙区で何の問題もなかったが、さすがにこのキャンペーンを無視するわけにはいかず、選挙制度を変えることになった。

 

ざっくりとではあるが、このような経緯を経ていまの小選挙区比例代表制が成立した。

 

 

つまりは、「たとえ少数であっても有権者の声を国会に届ける」為の制度である。

この制度は正しく運用されてこと意味をなす。つまりは、届けるべき有権者の声を持つ人が、立候補し国会の場でその活動を支援するという物である。

そもそも届けるべき有権者の声を持たない人が立候補するなど想定もしていないし、当選して登院しないなどということも想定していない。

よもやそんな「不埒な」立候補者などいないだろうと考えていたし、そんな立候補者に投票する有権者もいないだろうと想像していた。

 

 

しかし、今回、ガーシー氏が28万票を得て当選した。

 

 

立候補した人も、投票した人も。あまりに国会というものを軽く見過ぎている。「わるふざけですか?」と問いたくなる。

 

 

 

かつての日本でも身分制があり、金持ち、貴族しか国会議員になれなかった。多くの国民の為というより、自らを利するため、

自らの体面のため、自らの価値観だけの国家運営ができた。その後戦争をへて、参政権が確立された。

 

 

しかし、今回の投票でやっているのは有権者の権利行使でも参政権の行使でもなんでもない。ここまで培われてきた制度を愚弄するような話に等しい。

 

 

よほど、国民がバカになったとしかいいようがない。

国の税金で歳費や経費を負担するのは、その議員が国のための仕事をするからだろう。

悪ふざけの為ではない。

 

 

 

このような事がおきた直接的な原因は、有権者にある。有権者には当選させない選択肢もあったはずだが、悪ふざけに加担した。

そしてもう一つの大きな原因は、これまで政治活動を続けてきた既存政党と議員にある。

 

『不正してもいいんだ』『仕事して無くてもお金もらえるんだ』『国民のためと偽って私腹をこやしてもいいんだ』

『不正の隠蔽も官僚になすくりつければいいんだ』という理解を植え付けてしまった。

 

また、以前からタレント議員を立てることをどの政党もやってきた。

知名度、好感度を考えれば戦略としてありうるが、果たして本当に「国のために 働ける人、働く覚悟があるひと、働く能力がある人」たちばかりが

立候補していただろうか?

 

「碌でもない連中が国会議員やってる」

「大した仕事いなくても議員になったら歳費がもらえる」

「文書交通費は、満額もらえて領収書なしだって」

 

こんなことしてたら、舐めた考え、悪ふざけで出馬するし、ノリで投票する有権者も出るって。

 

 

与党も、野党も自分たちのこれまでの姿勢や実態が招いた結果だと重く受け止める必要があろう。

有権者も、一人一人が納めた国税を使って「国のために」働く人を選ぶ選挙だと理解すべきだ。

 

こんなことが続くようなら、選挙制度改革を進める必要があろう。あるいは、国会議員宣誓書なるものを用意して

宣誓させて、欠格要件を満たしたらそく解職するなどの対策を考えねばならないだろう。

 

 

法規制しなきゃいけなくなる選挙制度って、有権者にとって恥ずかしいこと。

有権者がしっかり考えて投票すればいいだけなんだが・・・。こんな状態でネット選挙などあぶなっかしくって、技術論以前にモラルとしてだめだろう。

 

 

選挙はタダじゃない、国費がかかっている。

目に見えないから分からないというのなら、投票を有料にする? 

お金をはらってまで投票したい人だけにしなきゃいけなくなる時代がきたらどうなるんだろうな。

 

 

 

 

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純粋培養

2021-08-27 13:25:00 | 
とある仕事で、お客様から「この設計をお願いします」と言われる。

当然ながら、設計の前提となる「要件」が必要なのだけども、それを「確定」するのは、「設計」を依頼したお客様の仕事のはずだけども・・・


たまたま、その会社ではずっと設計を内製していて、ふんわりした要件を元に設計しながら要件を確定させる仕事のやり方を続けきた。

だからそのお客様には、「要件確定」が設計の中にあるというのが「常識」だった。


まさかそこでもめるとは思わず。


「いえ、お客様に要件確定していただかないとこちらは設計を進められません」

「そんなことないでしょ」


とらちがあかず。





このお客様の仕事のやり方がいいとか悪いとかではなく、


一般的な品質保証のプロセスを考えると、要件を確定させる仕事と、設計する仕事は別であり、それぞれの仕事の区切りできちんと「検証」して要件の正しさ、矛盾のなさ、無駄のなさ、重複のなさ、妥当性を評価されなければならない。




たまたま、それを正当なプロセスと考えている側と、そんなことを知らずにこれまでやってこられたお客様とでこの問題が起きた。




仕事として対価をいただき請け負う限りにおいては、責任の線引きをおろそかにしてはいけない。当然のことながら、この話は曖昧にせず協議して、結局お客様は自社で設計までを引き取られた。



さて、この仕事のやり方、世間一般で通用するのかなぁとお客様のことが心配になった。



一つの企業に長く勤める、定年まで勤め上げるのが美徳というのも否定はしないが、一方でその企業でしか通用しない純粋培養された職業人、いや会社人間を作っているのではないかと懸念する。



世間知らずで定年になって世間に放り出されて果たしてたくましく生きていけるのだろうか?























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メンタリストの発言と誹謗中傷

2021-08-16 16:04:00 | 
「メンタリスト」としてテレビに登場した、ある人がYOUTUBEでの差別発言で誹謗中傷を浴びているということがニュースになっている。



そのニュース。誹謗中傷していることを非難するわけでもなく、どちらかといえば、誹謗中傷され続けている本人の言動を取り上げて、何が問題なのかを問うている内容が殆ど。



いつからニュースは「誹謗中傷」を「炎上」という言葉に置き換え、その行為を全て発信した”本人の人格”に問題があるかのように報じるようになったんだろう。



行われているのは誹謗中傷なのに、ニュースはなぜそれを非難しないんだろう? 誹謗中傷はいけないことなんじゃないの?



誹謗中傷を非難しないで、ニュースを流しているって言うことは、つまり煽っている側って事なのだろうか?


そしてそのニュースが「止まらない炎上」なんてタイトルをつけていたりする。

笑える位におかしい。もはや異常だ。




それとも、単なるアクセス数稼ぎ?









ちょっと昔、2ちゃんねるというインターネット掲示板が注目されていたとき、書き込まれた内容の削除責任をめぐって裁判がおこなわれたが、書き込む方が悪いのか、書き込みを制限しないほうがわるいのかということが議論になったことがある。



その話題を聞いたとき、どちらが正しいのかという話ではなく、ネット掲示板って人間社会そのものが「見えて」るだけなんだなと感じた事がある。





SNSのコメント欄も本質的には掲示板と同じだ。





全くの赤の他人による誹謗中傷。根拠があろうがなかろうがそれが公然と行われる。

ネットなどが無い時代までは、狭い範囲で陰口で済んでいたが、ネット社会は、その陰口を表に浮き上がらせる。




陰口はそもそも人間の性。

そして、ネットでの炎上やら中傷も、陰口と同じ人間の性だ、だれにでもそういう感情はある。

だけどもいくら性とはいえ、普通の感覚ならば陰口などは醜悪な部分と捉えている。

その証拠に、もし実名でなら中傷コメントも躊躇するだろう。



しかし、誹謗中傷を平気で行える、実名がでない環境を与えられていることが理由なのか、
誹謗中傷が日常化していて、ただ実名がでないだけでもはやその行為自体を醜悪だと感じてないことが恐ろしいと思う。

行っている事は、本人で変わりないのに。




そもそも、人なんていうのは善意もあるし悪意もあり、善悪両面を持っているが、この醜悪さをさらしながら善意を示されても、
その善意が真意だったとしても、容易には信じられない。

でも、誹謗中傷を書き込む時には名前を出さず、善意を行う時には名前をだせば、他人には「善意の人」と映るだろう。



「バレなきゃいいじゃん」



という感覚なのだろうか。



けど、そういう行為を続ける自分自身はそんな自分をどう感じるだろう。



「ふつうでしょ?」



という感覚なのかも知れない。



そして、きっと自分が誹謗中傷される身になってはじめて気づくんだろう。



「なぜ、そこまで誹謗中傷されなきゃいけないんだ」「何を知っているというんだ」



そしてその誹謗中傷している人たちが仮に善い事を進んでする人だったとしても



「信じられない」

「偽善者だ」



と感じるだろう。



それまでは



「ふつうでしょ?」



と捉えていたのに。



「偽善者だ」



と。



いや、その偽善者は、あなた自身。











このようにして自分の善意を毀損するのが、他人への誹謗中傷。
つまり、誹謗中傷は、結局は自分自身の醜さを露呈し、自分自身の持つ人間としての誇りを毀損するもの。







もし、それを全て分かった上で、なおも続けるというのは、もはや感覚麻痺状態。





千と千尋の神隠しで、本能のまま食べ物にがっついて、決して食べることをやめられない豚になったのと同じだ。











あなたは、豚か?






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