18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

地球が静止する日

2008-12-29 10:14:04 | 映画
 キアヌ・リーブス主演、1951年に制作されたロバート・ワイズ監督のアメリカ映画がベースとなっているSF映画。

 キアヌ・リーブスといえばVFXを多用した映画に多数出演していてその端正な顔立ちから常に周囲とは異種の人物、どちらかといえば異星人をやるには最高にフィットする。

 さて今回、結構期待していたのだけども、なんだかイマイチ。

 VFXをふんだんに使った映画はおおよそVFXだよりになってしまって脚本や編集がイマイチだったりするのだけども、残念だがこの作品もその1つになってしまった。

 今回の映画のポイントは「人類が地球にとって害」になったことによる地球外生命体の人類滅亡計画の実施。結果として計画は中止されることになるのだが、そこに居たるまでに描くべき事は何だったのかを考えると今回の脚本は全く納得できない。前半部分と一番最後はまあいいとしてもその間を結ぶ構成がダラダラ、グダグダ。

 プロデューサーと監督と脚本がそれぞれの意図を無理から盛り込んでしまったような感じすらしてしまうぐらいバラバラな印象。

 

 アメリカ映画で描かれる人類滅亡系映画には、常に聖書でてくる表現が使われているのだがそれの盛り込み方も中途半端。やるんならもっとしっかり入れればいい。またVFXで描かれているシーンも予算がなかったのか少しちゃちな印象が否めない。



 キアヌ・リーブス主演で、VFX満載しているにも関わらず内容がまったくダメダメの映画。残念でならない。

 監督:スコット・デリクソン
 主演:キアヌ・リーブス

 100点満点で40点もつけると点をあげすぎの映画。残念だ。

 

裁判員制度反対について

2008-12-22 01:41:08 | ニュース
 裁判員制度に反対を表明した60代の人達のことがニュースになっていたが、この事についてちょっと考えてみたい。

 そもそも60代にもなる人生経験が豊かなひとたちが、何もする前から反対するというのはあまりにも行動として無責任ではないかと思うのだ。

 ひととおり経験してみて、あ、これは問題があるなぁと認識してから異論を唱えるのなら分るし、分別ある判断だと言えるかもしれないが、何もせず、ある人は通知の封筒を開封すらせずに返送してしまったというからあきれて物が言えない。

 60代の大人の取るべき行動だったのか?


 ところで、裁判員制度に反対する人達は、裁判員制度の負の部分に注目するが、それも偏ったものの見方ではないかと思う。

 以前このブログで紹介した映画「それでもボクはやってない」では、痴漢加害者として起訴されたある人の裁判でのやりとりが物語として再現されている。その中でも言われているとおり日本では検察が起訴した犯罪の90%以上(一説によれば99%以上)が有罪となるのだそうだ。

 「裁判で事実を明らかにしよう」とか「法廷で戦おう」というのは裁判というものの実態を知らないから言える、あるいは受け入れてしまうことなのだ。

 裁判とは検察が裁判長に対して、起訴した被疑者について、こんな証拠と動機があり、巧妙かつ悪辣なので、これこれこういう罪状で、こういう刑にすべきだと訴える場なのだ。

 けっして、被疑者が無罪の可能性があり、それを明らかにするというものではない。

 建前上はそうなっていたとしても、「それでもボクは~」を見る限りにおいてはそういうやりとりではない。


 裁判というものに対するこういう認識の違いは本当に恐ろしい。


 検察は起訴した被疑者を有罪にするために情報を隠すしもちろん捜査権だって持っているが、弁護士には捜査権すらない。弁護士は限られた範囲のなかで法律をつかって被疑者を守るしかないのだ。


 
 これは事実。だからこそ、一般的感覚に立ってものを見て判断する裁判員制度が必要なのだ。


 
 起訴した被疑者を有罪にするために活動する検察。そして被疑者が嘘をいってる前提でものを見る裁判官判事。限られた範囲内でしか活動できない弁護士という圧倒的な被疑者不利の状態で裁判が行われていることを知るべきだし、裁判員制度というのはそういう状況に一石を投じるものだと信じている。


 
 裁判員制度に反対している人達はこれらのことを分った上で反対すべきだし、また自分が仮に事実に反して起訴され、司法の場で活動に限りがある弁護士に自分をまもってもらうしか無い状況を想像すべきだ。裁判員制度は被疑者に対して刑を宣告することもやるが、無罪宣告もするのである。

 片一方しか見ない議論を続けても不毛だ。まずはやってみるべし。60代の反対派の方々、また11万人もの裁判員拒否された方々、もう一度考えてみるべきではないか?

 
 そしてその第一歩として、まず自らの目で裁判の実際を確かめる事から始めてみるべきだろう。そして裁判員制度の主旨を再確認しもう一度考え直すべきではないか。それからどうするかを判断してもいいではないか。

 





 





 

嫌われ松子の一生

2008-12-21 08:48:17 | 映画
 なんともこんな映画をよく作ったもんだ。と感心させられたヒューマンドラマ。

 主演の中谷美紀が演じるのは、川尻松子。

 幼い頃の父から受けた扱いがトラウマとなり、それが松子自身の人生にとても大きな影響を与えて行くさまを描いた映画。

 主人公の松子は、中学の音楽の教師をしていたが、あることがきっかけで教師を辞めることになってしまう。それから始まる波瀾万丈に満ちたけっして幸せとは言えない人生を歩み、どん底以下の、人間として生きることを放棄するまでの生活にまで身を落とすが、最後に自分のもっている一つの可能性を信じて立ち上がる。


 ごくごく普通の人の人生を描き、最後に立ち上がるきっかけもほんの小さなことなのに、とても感動的なトーンで描かれている映画。


 全体の脚本や構成を考えた人はすごい、きっと天才に違いないと思える程の複雑さと突拍子もない演出に圧倒される。映画的手法をこれでもかというくらい徹底して使って映画全体通しての雰囲気づくりをしているので、何気ないシーンを描いているにもかかわらずとても意味のある伝わり方になっている。

 

 あまりにもたくさんの表現方法を盛り込んだので、少々ごった煮的な印象もあるけども、娯楽映画としては結構いいんではないかと思う。この映画を一番楽しんだのはもしかしたら制作スタッフかもしれない。




 監督・脚本:中島哲也
 原作:山田宗樹 
 主演:中谷美紀

 点数では評価できません、賛否というか好き嫌いが別れる映画。自分としてはだらだら描かれるよりもこんな作り方で平凡な生活を描くというのは映画として賛成。なので、お勧めします。



ネットブック

2008-12-14 23:14:06 | ショッピング
 12月も半ばにさしかかろうとしています。大手電気店のパソコン売り場では、いわゆるネットブックといわれる販売価格が3万円台から5万円台のちいさなノートパソコンが盛況。

 ヨドバシカメラ新宿店の売り場はネットブックコーナーではほとんど人が途絶えることがなくあれこれ品定めをしている。

 次から次へと魅力的なネットブックが登場するので我慢較べをしているのに等しいのだが、今回は財布のひもを固く締めて(といっても財布の中身がそもそもさみしいのだが)必死に耐えている。

 ミニノート大好きな自分としても、購買意欲を刺激されてしまうのだがこれまでの経験からネットブックパソコンは買わないことに決めている。






 これまでの経験から言えば、まず自分の場合、1台のパソコンをフル活用する傾向がある。そして2台3台とあっても結局は使い慣れた1台を使うことになっているのだ。それはいちいちデータの移し替えや管理がじゃまくさく1台のパソコンに入れるのがもっぱらだからだ。

 脳みそも人間も一人なのだから、2台あっても同時には1台しか使わない。ということは1台はお払い箱。ただ根が貧乏性なのでどうしてもお払い箱パソコンは捨てられない。特に愛着をもって接してきたマシンは動作しないのだけどもまだ置いてある。

 これまでノートパソコンといえば、Thinkpad220, Thinkpad340, Thinkkpad560E, SOTEC Winbook 2130, Toshiba Libretto L1, Omron Massif、HITACHI Persona、Let's Note CF-W2といろいろ使ってきたがこのうち最も長く使っているのはLet's Note。愛着があったのはThinkpad560E。

 
 乾電池で動くThinkpad220は超マニアックな商品。DOSベースで使うものとしては最高。340はそれよりスピードアップ。560EはWindows95で当時は薄型ノートとして大活躍してくれた。そしてこれらはパソコン通信では最高に活躍してくれた。LibrettoL1はWin2000手軽に持ち運べる利便性は最高だった。Pesronaはいろんな問題があるもののWinCEとして最高の使い勝手。電源オン即起動はいまでも魅力的である。しかし用途としてはその非力さからメールぐらいに制限されてしまった。

 
 結局今の時代、インターネットで情報を収集し、仕事でもネットやメールが当然になり、YouTubeやPodCastでニュースをチェックし、iTunesで音楽を携帯やPSPに入れたりという使い方を考えれば、どうしても性能が高くないと困ることになる。

 
 またこれからさらにいろんなものがインターネット前提で展開される。クイズの応募、テレビ番組やラジオ番組のチェック、テーマパークの情報、映画のスケジュール、忘年会新年会の予約や割引券の入手、子どもの大学入試情報、会社情報、ネット通販、ネットバンキング、もちろん確定申告だって何年か前からネットでできるようになっている。

 
 つまり、ノートパソコンはもはや一般の人にとってもマルチに能力が高くないとダメになっているのだ。


 仕事でビデオを編集しているのであれば専用のパソコンがあってもいいだろうが、前述の1つ1つの機能の為に1台ずつパソコンを用意する必要は全くない。


 10や20の種類の日々の用事はパソコン1台あることで大変便利にこなせるように、パソコンそのものよりも周囲がそのように変わってきている。つまりこれからもっといろんな事をパソコンにやらせることになるので、自ずとパソコンの機能や性能は将来的に余裕が必要になると考えるべきだ。



 たとえばいま売れ筋のネットブックはAtomプロセッサで1GBのメモリー160GBのHDDに10.5インチディスプレイ。だけどもこのスペックで果たして何年持つのか? 2台目として、サブマシンとしてというのはこれまでの経験からまず成立しない理由だから、必然的にこれがメインと考えることになるが、このパソコンと2年も3年もつきあえるか? 残念だが答はNOだ。


 外出先でメールチェックしたい!だけだと割り切るからという理由であってもお勧めしない。その理由は、そのパソコンを持ち歩いている間はそのマシンがメインマシンになるからだ。メールチェックだけのために重さ役1.1キロ程のパソコンを毎日もちあるくぐらいならなんでもできる1.4キロを持ち歩いた方がマシだ。


 なんでも出来るパソコンでCDドライブやDVDドライブが内蔵されていれば、レンタルCDを日帰りレンタルして、無線LANが利用できるファーストフード店でiTunesでリッピングして速攻で返すことだってできる。

 大学のレポート、仕事の資料を作るときに、ネットは必要ないのか?いやもちろんある。そんな時に解像度が高くない小さな画面で使いやすいのか?それはない。画面が広いと作業効率もよくなる。サクサク動いてくれると思考を妨げないでくれる。データダウンロードやアップロードだってあっというまに済むと楽だ。


 そのシーンに応じたノートパソコンを使い分けるなんて事はまずできない。だからある程度のことは出来る一台を大切に使うのがお勧めだ。

  
ちなみに今のLet's Note は2003年9月のモデルCF-W2である。丸々5年使って6年目に入った。長いなぁと思ってもまだたったの5年である。5年使い続けるのは結構難しいのも事実だ。そろそろ性能的に限界に来ている。もう少し辛抱して新しいのを買おうと考えている。しかしネットブックは買わないだろうと思う多分




 
 

プレステージ

2008-12-08 21:11:06 | 映画
 2007年日本公開の、サスペンス映画。

 お互いの復讐と嫉妬によって数奇な運命をたどる二人のマジシャンの物語。

 マジック中の事故で愛するパートナーを亡くしたマジシャン、アンジャーは、その原因が仲間のボーデンのせいだとずっと恨んでいた。その後独立したボーデンは、人間瞬間移動のマジックで喝采を浴びる。

 そのトリックを見破れないアンジャーは、それ以上のマジックを実現する為にテスラという科学者を訪ね、いままで誰にも出来なかった人間瞬間移動のマジックを実現する。

 二人のマジシャンの異なるマジックのスタイルと、異なる生き方。そして二人の間の恨みと妬みを象徴するかのようなマジックの存在。そしてそのマジックという物がまた新たな憎しみを生み出すというなんとも皮肉な二人の運命。

 二人がもしマジシャンじゃなければこの脚本はこんなに面白くならなかっただろう。

 とても引きこまれたし、映画的な作りで、脚本もよく練られていて非常にいい作品。途中の展開は少し先読みが出来る部分もあったが、最後はまたしっかり見せてくれた。

 監督・脚本:クリストファー・ノーラン
 主演:ヒュー・ジャックマン、クリスチャン・ベール

 100点満点で90点ぐらい。見応えあり。あのデヴィット・ボウイも出演しているので要チェック。昔よりもすこしふくよかなので最初は気づきませんでした。