18年にもなりますか

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柴田淳、2年8ヶ月ぶりの…

2017-09-24 17:08:00 | 音楽
2年8ヶ月

開き直ったのか

はたまた新境地か

柴田淳さんがあからさまに、ダークな部分をさらけ出した曲が満載



音楽アーティストって基本憧れられる「かっこいい」と言う要素だったり、「かわいい」と言う要素を備えるものと思われているけど、柴田淳さんほど、苦悩している人はいないんじゃないだろうか?

彼女はどちらかといえばリケジョ。論理的。そんな自分をどこかドライだと思っている。

でもそれは本当は違うのです。




柴田淳さんは、ウェットなんです。人の感情に特にセンシティブだし、もちろんその何倍も自分の感情にもセンシティブ。

だから、わずかが「揺れ」でさえも彼女を悩ませるし、苦悩の沼へと引きずりこんじゃうんです。




自分自身と言う存在への葛藤。

こんな苦しいことはないのに、それを問われるアーティストとしての仕事を全うする。

もはや、やってることはサドでありマゾ。




そんな彼女が綴った10曲が収められた「私は幸せ」には、ハッピーソングはありません




だのに、アルバムは楽しめる。一回聞いただけじゃだめ。


彼女のアルバムはいつでも「かつおぶし」のよう。カッチンかちんに固くてそのままじゃまさか料理に使えるなんて思えない代物。

それが削り節となり、茹でられることでダシとなってようやく料理に使える。

料理の仕方を選ぶといえばいいのか、なんといえばいいのか。

彼女の詩の世界観を消化して初めてわかる、繊細さと驚くほどの表現力。



そこまでして聞かなくても…と言うのもわかるけども、そこまで聞いた時にはっきり理解できる詩の素晴らしさは多くのアーティストのわかりやすい歌詞になれた人たちには感動ではないだろうか?




是非是非聞きましょう。



柴田淳「私は幸せ」


インタビューがこちらに掲載されています。



ニューアルバムリリース

2017-08-14 19:26:00 | 音楽
たまには、しばじゅんの事書かなきゃね。

2年半ぶりに新しいオリジナルアルバムがリリースされます。

https://www.shibajun.jp/schedule/new-release/



ニューアルバムのタイトルは「私は幸せ」


え?


え?


と二度見。


ざ落ち込みソング、失恋ソングのシンガーソングライター&綺麗なお姉さん代表のしばじゅんが、




「私は幸せ」




そうなんだ、幸せなんだ。








きっと電話の耳元で『どうした?』と言ってくれる、腕に血管が浮いている、包容力満載の男でもできた、







夢でも見たに違いない。








2017年9月20日(水)発売との事。あと1ヶ月余り。

全10曲。
どんな内容なのか楽しみです。






【初回限定盤】
VIZL-1208、4,000円+税、CD+初回限定ブックレット+豪華32ページフォトブック(スリーブケース仕様)
【通常盤】
VICL-64819、3,000円+税、CD+通常ブックレット



このアルバムタイトルに。怖いもの見たさで、アマゾンで予約しましたわよ。初回限定版。




しばじゅんって、繊細だなとつくづく思う。そんな繊細な人が、全力で「男らしさ」いっぱいでプロとしてアーティスト活動をする。ベテラン女優さんがよくいう「芝居では男よね」というのと近いのかもしれない。女優さんと違うところは、しばじゅんは芯の芯まで繊細な女性なのだという事。だから傷つき悲しみ、身を削りながらのアーティスト活動になる。ずるく逃げられない、いなせない正直さと純粋さは彼女自身を苦しめている様に思える。


彼女にしか書けない詩。おおよそ多くのアーティストが言葉選びに途中で妥協している様に思えるのは、言葉の使い方や表現が通り一編だったり、どこかで聞いた歌詞と感じたりすることからもわかる。似せない様にした言葉選びだったり、とても心の肉片から出てきた表現とは思えない妥協の産物に見える。

しばじゅんの歌詞は、徹底して無駄を省こうとし、直接的でかつ間接的という、もはや感性以外では決して選び得ない言葉を使っている。この彼女の繊細な言葉の使いは、デビューアルバムの「オールトの雲」から変わっていない、しばじゅんならではのもの。

こんな彼女の感性から生まれた楽曲は、隅から隅まで余すところなく聞きたいし聞かなければと思います。





このアルバム、入手できたらまた感想などをアップします。



「可能性」

2016-05-29 23:58:00 | 音楽
テレビを見ていてふと耳に入ったラップで歌う若い人たち向けと思われる歌の歌詞のなかに「可能性」という言葉あった。

「かのうせい」というアクセントからすれば、とても韻を踏みやすい。



でも、なんか簡単に「可能性」を押し付けてほしくないと思った。



可能性を信じたいと思って頑張って挫折して、「あぁ、やっぱり自分には可能性は残されていなかった」と思っている人に対する応援ソングの歌詞のつもりだろうが、とことん挫折しきった人には、トゲのように自分の壊れそうな心にとどめを刺す音でもある。



しかも、ラップで歌われてもなぁ。













可能性という言葉を信じなければいけない時とはどういう時だろう?




余裕をもって何かに臨んでいて可能性が高い人に、「可能性~♪」とうたわれても何の意味もない。





本当に応援してもらわなきゃいけないほど挫折しつくした人には「可能性」なんて言葉はいらない。




可能性なんて言葉は、「おまえの努力はまだ足りない」とも聞こえる。





そうじゃないはず。





可能性なんて無責任な言葉よりも、目の前の事をまず認めよう、そして自分を点検しよう、努力の方向が間違っていたら修正しよう、人と話をして気を楽にしてみよう




でいいではないか?






とことん疲れてしまった人には「可能性」という言葉はいらない。


まずは、ゴールの再点検、そしてそこに向かって進む方向を確認、それに加えて、どんな努力を重ねればよいかを周囲に素直に聞くことから始めるしかない。

どれだけ努力していても、方向が180度違っていれば永遠に目的には到達しない。最初からゴールと方向が分かっているような起用な人ならいいだろうが、多くの人たちは、それらを理解していない。それが証拠に目的を持たない大学生がうじゃうじゃいるだろう。


ゴールと方向性を再確認しよう。

それから、たとえ成果が出ていなくても、自分がこれまで積み重ねてきた努力を誉めてやろう。

自己否定ではなく、自己肯定である。

そして、冷静になってからゴールと方向の確認。間違っていれば直せばいい、間違っているかどうかが分からなければ、周囲に素直に聞けばいい。


素直になることが、何より大事なのだ。




それを、ラップ詞で「可能性~♪」だなんて歌ってほしくない。




あまっちょろい、嘴の青い連中が人の人生の可能性について無責任に語るな。可能性は個々の本人が試すもので、周囲がうどうたらこうたら言う問題ではないのだ。

















柴田淳の歌詞の魅力(2)

2015-12-25 19:09:00 | 音楽
さて、柴田淳さんの歌詞の素晴らしさについて続けると、
次にあげたいのが「後ろ姿」という歌。
これは「紅蓮の月」のカップリング曲ではあるが、そのタイトルから想像できる通り内容はと言えば、複雑な片想いの感情をどストレートに表現している。

曲の頭から最後までぜーんぶそのまま微妙な片想いの内容なので歌詞の一部だけを取り上げるのはとても難しい。なんか違う。
でも仕方がないから、ちょっと取り上げてみると。

例えば、歌いだしでいきなりこんな具合だ。

「正確なこたえならば、最後まで、聞けなかった」

この出だしで、なんとなく付き合いが始まったけど、2人の間に「恋人」としての確からしさが無かった事がわかる。

その後には、彼の冷たい行動がいくつか並んで行くが、その間には彼女の不安がそのまま表現されている。

「離れていきそうなあなたのシャツの裾強く握った」

「隣で微笑んでも、微笑み返してくれない」

「答えはとうにわかってるのに、どうして さよなら言えないの? 大嫌いこんな私」

もう、完全に心がない彼とまだ信じていたい彼女のそのままの歌である。

そして、

「明日のいいことも、昨日の夕立も
一番に伝えたいのは、
いつだってあなたしかいないの」


「愛してる人に愛されたかっただけ
あなたとなら 私だって幸せになれる気がして」

と、そんな重い要求はしてないのに…という女子らしい心情を吐露し、最後は、


「明日の雨音も、昨日みた夢も
一番に伝えたかった、
いつまでも、誰よりもあなたに」


と、「伝えたい」から「伝えたかった」とあきらめの感情で終わっている。

もう魔術師だろうこれは。

絵画で言えば、フォービズム(野獣派)のようなタッチで描かれた切ない女性の片想いの物語。






柴田淳の歌詞の魅力(1)

2015-12-25 08:51:00 | 音楽
家族にはあまりウケが良くないが、シンガーソングライターの柴田淳さんの楽曲が数年前からずっとお気に入りで、iPhoneのには様々な構成の柴田淳さんのプレイリストがある。

彼女のどこがいいのかと言えば、もともと自分がピアノ好きという事もあるが、ピアノによる弾き語りやピアノ演奏のイントロ楽曲が多い事、伸びやかでもどこか物悲しさがある女性らしい歌声、そして何よりも彼女の書く歌詞に出てくる表現が刺さるのである。

彼女の初期の曲、恋愛の切なさを歌った「夜の海に立ち」では、自身の恋愛に対する不器用さ、積極的に行動できないもどかしさを次の様に表現している。

「会いたいと言えたら、
もう会いに行ってる。
愛してると言えたら、
愛してると言ってる。
手を繋ぎたいなら、
もう握りしめている。」


「淋しいって言えない、
だから強がっている。
受け止めてくれない、
分かるから泣かない。
一人で平気と、
平気じゃないから言う。

それしかできないから、
こうして、歌っている。」

言葉の織り成す空気感が、たった数行で伝わって来る。

さらに、柴田淳さんの友人に起きた、恋人との別れ話を綴った「HIROMI」では、さらに感情表現が素晴らしい。

「いつかくれた指輪は、
サイズが合わなかった。
ブカブカで重たくて、
でもそれでもよかった。
不器用に騒がしい薬指を
いつもいじるのが好きだったの。」

で、2人の関係性が見事に語られ、さらに、

「みっともなくなるほど、
あなたを愛した私を
いつか許せる時が来れば
いいと思う。

何かを探す様に、時々しゃべりだす
薬指が、あなたを忘れなくても。」


"騒がしい薬指"や"指輪がしゃべりだす"という表現で、HIROMIという主人公の心が全て伝わってくる。見事としか言いようがない。


柴田淳さんの綴る歌詞の魅力は、これだけではない。