18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

甲子園

2006-08-20 21:21:49 | スポーツ

▲2006年8月14日の甲子園は一日中晴天に恵まれた

 野球はプロもアマチュアもあまり見ない方だし、ましてや球場にまで出かけることは殆ど無いのだけども、今年の夏は、本当に何十年ぶりに高校野球を観に甲子園に出かけた。

 初めての甲子園は春の選抜で、浜松商業が優勝した年だったから昭和53年。いまから28年前だ。甲子園の場外では出番を待つ他校の選手や、中学などの野球クラブの団体観戦客がいっぱいだった。初めて足を踏み入れたスタンド。たしか3塁側だった。初めて観る甲子園のグランドは本当に広くて、芝生がきれいだった。多くの高校球児があこがれ、自分たちの青春をかけて目指すにふさわしい風格があった。

 それから、高校野球はたくさんの歴史を刻み、多くの選手を生みだしながらもずっと続いてきた。この28年間にどんどんと時代が変わり価値観も変り、経済も人の考え方も、どんどん変ってきているのに、変らず続いている高校野球は本当にすごい事だと思う。

 今年2006年8月20日に開催された夏の甲子園決勝戦、駒大苫小牧と、早稲田実業はなんと15回でも決着がつかずに再試合になった。高校野球はなんだかんだと地元びいきになるし、大方の予想がなかなか当たらないものだが、決勝戦がこういう結果になるとは考えもしなかった。

 智弁和歌山対帝京の試合も、9回の裏表の逆転につぐ逆転というとんでもない試合展開でだれも想像できない展開だった。

 本当に観る人の想像を超えた、知らず知らずのうちに引き込まれてしまう試合が多い大会だった。

 低迷するプロ野球人気とテレビ視聴率と今大会が比較されるが、これは単に、1つ負けたら後がないトーナメント戦とリーグ戦の違いだけでは語れないと思う。プロ野球にはきっといま何かが足りないのだろう。

 職業野球として世間から一つも二つも低く観られていた時代から、メジャーでも通用する選手が出る時代になったにもかかわらず、なにかが足りなくなってきている。

 多くのプロ野球選手や関係者にとってある種の”原点”である甲子園に再度なにかを見つけられはしないだろうか?



▲外野席からホームベース側を観た。青い芝生が目にまぶしい
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本願寺

2006-08-20 20:57:33 | 風景

▲”首都圏の心のオアシス”築地本願寺。正式名は浄土真宗本願寺派本願寺築地別院


 本願寺といえば、京都の西本願寺。そう浄土真宗を開いた親鸞聖人のお寺。そんなつもりで出かけた東京にある築地本願寺。なんと見た目は、京都の本願寺とは全く違う建物。

 え?と思わず、ここが本願寺なのか?と門まで戻って確認してしまいそうにな建物。お参りは自由だったので本堂まで入ってパンフレットを物色。英語とスペイン語のパンフレットまで用意されていた。

 手に取った築地本願寺のパンフレットには、これまでの経緯が書かれてあった。もともとは1617年に浅草の横山町にあったそうで、1657年の江戸の大火があって焼失、江戸幕府から八丁堀の海上への再建が許可されたとある。海上?それって事実上、立てるなという意味なのか?と思ったが、なんと海を埋め立てて1679年に本堂を再建したそうだ。焼失てから実に22年である。

 その後関東大震災で、再び焼失。その再建の時に帝国大学の伊東忠太博士の設計で、現在の建物となったとある。この形は古代インド様式だそうで、1931年に起工、1934年に落成。

 なるほど、京都の本願寺と違う筈だ。ちなみに京都の西本願寺は1994年(平成6年)に世界遺産となっている。

 東京という街は、大阪の商人(あきんど)のまちと比較して、侍の町という印象を持っているが、都内には、数多くのこのような寺院があって、江戸時代の約二百数十年の間に多くの文化や芸能、庶民の暮らしに基づいたいろんなものが生み出されたんだなぁと実感する。

 時代の最先端を行く大都会でもあるが、一方でいわゆる庶民の暮らしがそのまま残っている町でもある。京都ほど昔からの文化を優先しているわけでもないし、大阪ほど本音、や庶民感覚がいっぱいというわけでもない、日本の文化の最先端を謳歌しつつ、大きな公園や寺社仏閣や祭り、縁日があり、それも大切にしている。これが大都会たるところかもしれない。


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