18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

子どもをまもるのが親

2006-08-26 22:13:11 | ファミリー
 福岡市東区の”海の中道大橋”での事故が報じられている。3人の幼い命が失われた事故。飲酒運転の自動車が、猛スピードで、家族5人の乗る車に突っ込んで車はなんと川へ転落し水没。両親は助かったが、子どもを助け出す努力もむなしく、3人は亡くなった。

 幼い存在である子どもが、大人である親によってその命を”自分のモノ”とでもいうように奪ってしまうニュースや、親を困らせたくて放火する子のニュース。物事には限度がある筈だが、ここ数年そういう”タガ”が外れている。

 しかし、この悲しいニュースでは、必死に子どもを救い出そうとする親の姿が報じられた。そうなのだ、親はこのように子どもを必死になって守る存在なのだ。

 まだまだ幼い、いちばんかわいい盛りの子どもを3人も一度に失った両親にはどんなことばもかけられない。

 ”くやしいな””つらいな””どれだけ呼んでも叫んでも子どもは帰ってこないから、思いっきり声をだして泣きな”せめてそれぐらいしか思いつかない。

 同じようにこどもを持つ親としては、心配はつきない。中学生ぐらいになると、ニュースになる犯罪にも関わる場合だってあるから余計に心配だ。

 今日も「何かあったらおまえのことを守ってやるから、なんでも言いなさい、すぐに怒鳴り込む」と言ったばかりだ。こどもにしては迷惑な話かも知れないがこっちとしては極めて真面目なのだ。

 子どもを守る親の思いとしては、世の中の法律がどうか関係ない。自分の子どもに危害を加えたりしたら、仮に未遂であったとしても、その相手を絶対許さない。相手が同じぐらいの年齢であろうが、大人であろうが一切関係ない。やったことの重大さを認識してもらう為には何だってする。それが正直な気持だ。

 ボクシングの亀田選手の父の場合も近いものがあるがまだ救いようがある。常日頃から必死に努力している、まだ10代の息子。その当事者の関係ないところでバッシングの嵐。気持としては”怒鳴り込みたい”だろう。ただこのケースは、きっちりカタを着けることで問題に終止符が打てるから何とかなるのだ。

 しかし、命が奪われたり、心に深い傷を負ったりした場合、いったいそれにどういう”カタ”を着けることが出来るのだろうか?裁判か?賠償か?親の気持は決してそんなことでおさまらない。


 子を持つ親は、自分の子どもがそういう時の加害者にも被害者にもならないように、日頃から、そういう話をし、学校や普段の生活であったことを会話するように心がけるべきだ。ただ、何よりもその前に、「子どもを守るのは親だからね」ということを話することが大事だが。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする