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18年にもなりますか

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いじめのきっかけ

2004-10-16 15:09:35 | 
 いじめの発生の背景はこのブログに書いたほど単純なものではないが、決して否定はできないと考えている。わかりやすく言えば、親も子も一緒になっていじめの構図の中にいる当事者なのである。計らずもいじめた側になってしまった親はもっと自分のこどものやったことに責任を感じ、親子で謝罪し償うべきである。

 全国のいじめによる痛ましい事件を一つ一つつぶさに検証してゆけば、当事者達が意識しているか、していないかに関係なく"心理"としていじめを起こす"劣等排除"や"異物排除"の価値観を持っていることに心当たりがあるはずである。

いじめ発生のメカニズムの心理的背景は説明したことがすべてではないが、それとは別に、いじめの芽が出てしまう部分には、"引っ込みがつかない"という心理がある。もともといじめるつもりなんて全然なかったにもかかわらずいじめは生まれる。最初はなんの悪気もなかったし、ちょっとしたあまのじゃくな気持ち、できごころ、ほんのささいなことがきっかけになって、"いじめの前哨戦"をやってしまうことがある。やった本人はたいへんばつが悪く、本当は素直に謝りたいのだけれども、"ごめん"の一言が言えないでいる。"ごめん"が言えずに収まりがつかなくなっているそんな二人の問題に、しだいに周囲がそれに気づいて、さらに収まらなくなる。周囲が"あやまりなよ"と言えばいじめに発展せずに終わるのかもしれないが、これがちょっとタイミングがわるく、"あやまりなよ"というどころかみんなでその本人の"味方に"なってしまい、いじめられた一人対いじめた側+その取り巻きの構図を作り出し、集団いじめのきっかけにさえなってしまう。謝りたくてしかたない本人、ここまで大げさなことになるとは思っていなかったと後悔してももう遅い。完全な第三者がとめない限りどんどんエスカレートしてしまうのである。

昔、子供たちがあそんだ鬼ごっこ。近所の子供たちがあつまって集団でやるのだが、必ずしも同世代の子供が集まるわけではない。小学校1年生の弟をもつ小学高学年のお兄ちゃんたちが考え出した、いっしょに遊ぶ知恵のひとつに「ままこ」というルールがある。例えば「太郎君は、鬼に背中をタッチされても鬼にはならない。なぜなら太郎君は小学1年生の"ままこ"だから。」
という具合だ。これなら一緒に楽しく遊べるし、弟のめんどうを見なければならないお兄ちゃんも責任を果たせ、みんなと遊べるのである。

このルールをどんなふうに呼ぶかは別として、似たようなルールで遊んだ記憶を40代の大人諸氏は持っているはずである。ところが最近は核家族化や少子化、テレビゲームなどの普及が原因なのか、年齢の違う子供の集団が一緒に遊ぶなんていう機会が奪われて、そんな知恵さえ出なくなってきている。それどころか、「おまえは邪魔なんだよ。」と弟を遊び仲間に入れなかったりすることさえある。明らかに年齢や成長に起因しているのだが、自分達が遊ぶことを中心置いたとき、"弟くん"の能力が低いことが邪魔になってしまうのである。自分よりもか弱い存在だから守らなければならないということはわかっていながら、友達と遊ぶことを優先してしまって、友達から嫌われたくない、排除されたくないという気持ちも当然あるのだろう、弟が邪魔な存在になってしまっている。この場合、お兄ちゃんもお兄ちゃんの友達も「相手を思いやる」部分が完全に抜け落ちている。

自分が相手と違う、相手が自分と違う、そういうことを認めあって、お互いに協力しあうことこそいま子どもたちに教えることではないだろうか?