18年にもなりますか

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運動会考

2004-10-04 00:11:52 | ファミリー
いまや国民総カメラマン時代。とでも言えそうなくらい、運動会や学芸会など名前こそいろいろあるが、子どもたちの活躍するすがたを追う親はまるで、スキャンダルを起こした芸能人を追いかけるレポーターのような勢いである。 手に手にビデオカメラや、デジカメをもって、脚立まで用意して一年に一度ぐらいしか使わない望遠レンズを装着したカメラで子どもの姿を狙う。なかなかすさまじいものがある。

かくいう私も小学生の子を持つ親である。例外になるわけではなく、他の親同様に我が子の姿を追いかけているのだが、今日はちょっとちょうしがちがった。子どもが小学六年生ということもあって、もう既に何年も同じような調子でやってきたからか、去年までと比べてけっこうカメラのファインダーを通さないで観た子どもたちの活躍する姿を観てあらためて感動したのだ。

うちの子どもが通っている学校では、学年別にリレー競争がある。全員参加というのがポイント。昔良くあったように、走るのが速い奴を選抜して、クラスで競い合うものとはちょっと違う。足の速いの、遅いの、運動の出来る子、不得手な子みんな一緒だ。もちろん"車いす”の児童も参加する。

自分が小学5年~6年の頃どうだったろうか。運動が不得手な方で、走らせても遅い私は、かけっこ系の競技は極力さけていた。もちろん”徒競走”なんていう強制的に走らされる競技のときなんて、まったく気が乗らないし、”どうせべった(ビリ)だし”と考えてロクに練習もしなかった記憶がある。自分の昔の感情を今の子どもたちにそのままだぶらせる訳にもいかないが、おそらく運動会は憂鬱で、スタート前もドキドキモノなのはおそらく間違いなかろう。

そんなことを考えながら子どもたちがみんな一所懸命になって注ぎ込める限りの力をもって走るこどもたちの姿から伝わる、その「瞬間」の輝き、無心さ、に痛く感動した。同じ組の最初のランナーがスタートのピストルの合図とともに走り出し、バトンを次の走者へと渡す。バトンを受け取ったランナーは、ありったけの力をしぼってグランドを走る。トラック半周、約20秒ほどの戦い。前を走るとなりのクラスの”あいつ”を抜きたいがなかなか差が縮まらない。そうこうしているうちに次ぎのランナーへバトンを渡す。全力疾走したあとの息を整えるが、おもいきりはしって自分の役目をしっかり終えた事に対する、興奮とがまざって、なかなか呼吸が収まらない。

もう30年も前の自らの肉体が受けたその緊張と緩和を蘇らせながら、小学生のみんなが如何にその瞬間を大切にしたかを、かれらの全力疾走から受け取った。大人になる程に、”一所懸命”の中でつかんだ"無”の境地をどこかに置き忘れてしまっているのではないか。

運動会はもちろん小学校での教育カリキュラムの一環であるが、親にとっても大切な教育カリキュラムなのかも知れない。これから運動会が控えている”父兄諸氏”には是非とも、肉眼を通してみる彼ら小学生の私利私欲のない”戦い”を是非とも味わって頂きたい。そしてその「純粋さ」を再確認してほしいと思う。





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