goo blog サービス終了のお知らせ 

18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

東京国際映画祭 永遠の天

2009-10-25 00:50:00 | 映画
 東京国際映画祭もこの25日で終わる。その直前の土曜日なので予定をやりくりして2本観る予定が、ちょっと都合が変わって1本のみ。でもその1本なかなかよかった。

 テン・ウィンターズとおなじく長期間にわたる男女のすれ違いとその周りで起こるさまざまな出来事で「愛」とは何か?「愛する」とは何か?を直接問いかけてくる映画。

 舞台は中国の杭州。幼い少女の母親が少女を置いて男と逃げる。その二人を追いかけた父親が少女の目の前で交通事故で即死するという衝撃的なシーンから映画がスタートする。

 このシーンだけで一気に映画の世界に引き込まれる。

 この少女はその後、叔父に引き取られて育てられてゆくがその時に出会った少年への想いをなんと20年近くもずっと持ったまま映画は進んでゆく。


 
 この映画の中で、主人公の少女が成人してから1人さびしく想うシーンが印象的である。親の愛情を知らずに育った。愛し方も愛され方も分からないで悩み苦しむ主人公。そんな不器用な主人公はそれでも精一杯もがきながらも何かを見つけてゆく。




 
 何かを見つけるための心のイラつきや葛藤についていえば、テン・ウィンターズよりも分かりやすく描かれている。これは地理的に日本に近い中国だからかもしれない。





 最後にこの二人はどうなるのか、本当に最後の最後まで分からないのだけども、結果は映画を観てのお楽しみである。







 この前に観たロード・ムービーのなかで、こういう台詞があった。

 「迷っても、まっすぐに行け。 みんな迷ってるんだから。
               まっすぐにひたすらまっすぐに・・・」

 


 永遠の天も直接できではないけども同じ事を言ってるように思う。まっすぐに進むことの大切さ。どれだけ心が折れようともまた立ち上がり前に進む、そしてその力を与えてくれるのは、人を想う心ではないのかと感じた。





 
 人を想う力、家族を想う力、愛する人を想う力こそが、前に進む原動力。たとえ前に進めなくても、そういう想いは、エネルギーを与えてくれるのだ。






 「愛してる」という言葉は、相手への愛情を表現する言葉だが、自分自身にエネルギーを与えることにもつながっている。






 「愛してる」という言葉で、心のどこかがほっとするのは、人を想う力が自らのエネルギーになっていることを物語っている。







 「大好きだ」ではなくて「愛してる」







 ドラマの中でしか言えない言葉だけども、たまには使ってみてはどうだろうか?




 



▲花束を持っているのがリー・ファンファン監督、その隣がリウ・ドン、オレンジのドレスを身にまとっているのがフアン・ミン、紺のチャイナ服を身にまとっているのがコウ・ゲンシン(共同プロデューサー)




なかなかいい映画でした。


監督:リー・ファンファン
主演:リウ・ドン、ファン・ミン





東京国際映画祭 ロード・ムービー

2009-10-23 23:44:00 | 映画
インド映画としては異例(?)の本編90分の映画。

しがない整髪オイルを売る父親を持つ主人公が、1942年製のシボレートラックを引き渡しに行く途中に出会うさまざまな出来事を中心に映画の魅力、力、面白さ、なぜ映画が必要なのかを描いた映画。


アメリカ人が描くともっと出来上がった脚本になってしまって説教くさかったりするのだろうが、ここはインド映画。味付けは確かにインド映画。
インド人らしい笑いがあるのがなんともいいし、さらに、1942年ということは67年前に作られた超ポンコツのトラックがとても存在感があり映画のなかでとてもいいキャラクターとなってくれているし、このポンコツがゆえに起きる出来事も多々あり、うまく仕上がっている。



私たちが普段「映画」を観ると、その時間だけは、別の世界に旅立てるし、現実に起きていることを忘れて没頭できるが、それをこの映画の中でうまく表現していてとても好感が持てる。




ところで実はこのトラック「移動映画館」なのだ。


今の日本で屋外で映画を見ることはほとんど無いだろう。自分もかつて小学生ぐらいのころに住んでいた団地の広場に出かけて屋外で上映される映画をみたような記憶があるぐらい。




本当になにもない野っぱらにスクリーンを立てて、そして映画を上映する。そうするとそこに徐々に人が集まり、お祭り広場にまでなってしまうシーンがあるのだが、それが映画の魅力をとても象徴している。





主人公たちが、朝目覚めると、そんなことが無かったかのように周囲にはまた何も無い風景が広がる。






実は、これは監督が実際にムンバイから車で6時間ぐらいはなれたところにまで、移動映画館をやっている若者について行って実際に経験したことに基づいているのだそうだ。




インド人の映画好きは有名だが、今でも移動映画館は健在で、その時にも実際に3000人もの観客が集まったのだそうだ。





こんな映画が大好きなインド人監督が作った、少しボリウッド映画っぽさを抜いた、おしゃれな、ファンタジー色をつけた楽しい映画でした。


日本で上映されるかどうか分かりませんが、そのときは是非観てください。



インド映画に特有の、突然ダンスしだしたり、歌を熱唱することがないので、そういう味付けのインド映画が大好きな人には、物足りないかもしれません。




▲インタビュアーに近いほうから、監督のデーウ・ベネガル、共同プロデューサーのフレッド・ベルガー





監督:デーウ・ベネガル
主演:アバイ・デオル

東京国際映画祭 テン・ウィンターズ

2009-10-19 16:58:00 | 映画
 イタリアの若手スタッフと、ロシアによる始めての伊露共同制作映画。

 テン・ウィンターズというタイトルの通り、初めてであった男女二人が10回の冬を迎える間に起こるさまざまな愛憎、嫉妬、恋愛を、冬のヴェネツィアとロシア(たぶんモスクワ)を舞台に描いた、冬らしい、素直になれない男女のラブストーリー。


 10年をだらだら展開するのではなく、緩急をうまく使い分けていて展開にも好感が持てる。映画的には静かに進むので、はらはらドキドキというのでもなく、切なくて胸がキュンとするわけでもないのだけども、舞台となっている冬の景色から伝わってくる空気感と、主人公の二人の男女の間にある人肌の温かさ程度のぬくもりが、この映画独特の雰囲気を作っている。


 初めて出会ってから、男にも女にもそれぞれの人生がありながらも、なぜか接点があり消えずにいて、彼彼女の関係でもないし、友達というほど長く時間を共有したわけでもないし、また知り合い程度というほど冷たくもない関係というのは、人間にとってもしかしたらとても普遍的な関係なのかもしれない。


 自分にもそういう不思議なつながりの人たちがいるので、とても共感できた。もっと若いときに観ていれば、もっと映画に入り込めたかもしれない。20代後半~30代が観ると、とても違った印象になるかもしれない。

 
 監督:ヴァレリオ・ミエーリ
 主演:イザベッラ・ラゴネーゼ、ミケーレ・リオンディーノ


▲上映後のQ&Aの様子



東京国際映画祭 ACACIA (アカシア)

2009-10-19 16:29:00 | 映画
 アントニオ猪木、林 凌雅主演、辻仁成原作・監督の日本映画。

 取り戻せない過去、やり直せる現在、これからの未来と、家族との間に生まれるさまざまな思いや出来事が残したしこりは、消えないものなのだけども、でも乗り越えることも出来るんだということを伝えてくれる映画。

 1人暮らしの老人たちの住む、平屋のアパートを舞台に、アントニオ猪木が演じる老いた元プロレスラー「大魔神」と、そこに突然現れた、林 凌雅演じ「タクロー」。この二人を中心にストーリーが展開される。

 
 
 原作者が監督した映画は、自分の原作をあまりに大切にするがゆえ、映画的手法によらない作品になる傾向があるが、このACACIAもそういう作品になってしまっていた。



 
 監督の5年ぶりの映画だというが、辻監督の作品は今回が初めてだから成長したのかどうかは一切不明。分かってない事を踏まえたうえで言えば、もっと展開がだらだらしないものに出来たはずだと正直思う。




 アントニオ猪木と石田えりが夫婦なのか、元夫婦なのか分からないが、この二人の間にある、思いにまつわるストーリーと、タクロー君の家族の事情とがうまく絡み合っているのは面白くてよかったので、監督に力量がないわけでないが、そのあたりをもう少し深くしっかりと描いて、それ以外の部分は思い切り削ってしまえばいいと思った。


 彼らに絡まないエピソードを入れるのならもっと、うまく入れて構成して欲しい。

 
 

 監督・脚本・原作:辻 仁成
 主演:アントニオ猪木
 助演:石田えり、林 凌雅他




 

東京国際映画祭 ボリビア南方の地区にて

2009-10-19 16:01:00 | 映画
 10月17日から始まった、第22回東京国際映画祭、コンペティション部門エントリー作品『ボリビア南方の地区にて』を観た。


 この映画は、いままさにボリビアで起きている、かつての裕福層の没落と、それに代わる新高所得層による大きな変革を、監督独特のカメラワークと、ボリビア人の感性で描かれた映画。


 変革は本当に大きく起きていて、大津波ではないのだけれども、でも明らかに押し寄せてきていることを表現するために、裕福層の家族の日常を彼らの住む「家」を中心に、その変革の到来が静かだった様に、映画でもとても静かに描こうとしている。その為、映像の端々には、徐々に没落の道に向かって進んでいることを示すさりげないエピソードや、家のインテリアなどで表現されている。


 中南米は、かつてスペインにより侵略され支配されてきた歴史があり、この映画の舞台となっているボリビアもそのひとつなのだそうだ。



 そういう歴史的背景と現在の国内事情、ボリビアの文化を踏まえた上で見るとよりいっそう感動できると思う。知らないまま観たから、ちょっと分かり辛かった。テンポのいい映画に慣れているとちょっと間延びするように感じるかもしれない。




 監督・脚本:フアン・カルロス・ヴァルディヴィア

 ボリビアについてはこちらから。



▲上映後のQAで登壇した監督のファン・カルロス・ヴァルディヴィアと、主演女優のニノン・デル・カスティーヨ