正しくは文部科学省というが、私はここではあえて「文部省」と言う。
文部省の調査では年々「いじめは減っている」と言う。これは実体とは大きくかけ離れていて、現場から上に報告させないシステムで数が少なくなっているだけだ。少しでも「いじめの気配を」いじめと報告すれば罰られることもある。だからいじめていても「喧嘩」で処理する。喧嘩回数が多くても文部省のダメージとはならないからだ。
大津市の中学でも喧嘩で見過ごされた。一女子生徒が伝えてもいじめにはならなかった。これは上からの通達の結果である。
文部省が一番恐れるのは社保庁のように解体されることだ。だから自分たちの仕事・管理はうまく行っていると国民に知らしめることだ。しかし今回の世論の高まりは予想を超えている。今朝、朝ズバでも大きく取り上げた。過去に息子が自殺した親は、文部行政の腐敗を暴いた。命令に背くと教師、校長、教育委員会の首が飛ぶ。この時勢に公務員から転落することは自家族の死に近い。
子供を守るよりも自家族を守るが最優先されている。「公務員では子供は育てられない」文字どうりそうなっている。
「いじめ」の根本にあるのは「お金だ」。お父さんの収入が減る、失業するなどで「お小使が少なくなった悪がきは」他人から得ることに目を向ける。一番とりやすいのが同級生だ。お金がありそうで自分よりも弱そうなたーゲットを選ぶ。集団を組めば誰でもやれる。
私が「いじめ」は益々増えると言うのは、消費税が上がり、不景気になり、子供たちまでお金が回らなくなることだ。文部省の小手先対策で末端の子供が潤うことはない。と言うことは益々、子供が万引きやいじめでお金を奪うことが増激発する。こうなれば現文部省ではどうすることもできない。
巷にはゲームや興味を引く魅力的なものが氾濫している。欲望を抑えられない子供は、自分が盗むか、他人に盗ませるか、それを購入できる金を奪うしかない。
これを現在の教育で防げるのか。「否」だ。だから文部省はいらない結論になる。
百歩譲っても文部省にはやれる方法がないのだ。ゆえに文部省解体すべきとなる。