東北の巨大地震の被害の実態が、だんだん明らかになって来ている。
自治体<全体>が壊滅した所すら有る。
町の住人の半数と、連絡がつかない自治体も有る。
今後、行方不明の方々の把握が進むにつれて、被害者数は残念ながら飛躍的に増えて行く物と思う。
犠牲者の方々のご冥福を、心からお祈りする。
ご家族に犠牲者の出た方々の哀しみに、深い同情の念を捧げたい。
原発は、相変わらず「危機一髪」の状況が続いている様だ。
被爆者の方々にとって、青天の霹靂であったろう。
何故、「もっと早く」避難の指示を出してくれなかったのかと、自分の力の及ばない所での理不尽な流れに、憤りのやり場が無いであろう。
この点に関しては、『東電』と『政府』との<情報の隠蔽>に、激しい怒りを覚える。
どのように責任を取るつもりなのか。
当地フランスでは、早くから『メルトダウン』の可能性を、深刻に語っていた。
仏政府は、日本に派遣する「救助隊」に「原子力の専門家」と「計測機器」その他を、追加すると語っている。
丸三日が過ぎて、当初のショック状態から覚醒して、これからが本格的な「痛みを伴う」作業に追われる事になる。
離散した家族の捜索。
消失した土地や家屋の整理。
失ってしまった総てに対する<再認識>の作業は、精神的に想像を絶する苦悩を伴うと、思われる。
夫々の実態を把握した段階での、法的手続きと、実際の処理。
家族全員が「目の前で」流されて、たった一人残された小学生男児の例など、胸が締め付けられる出来事だが、恐らく「唯一の例」では有るまい。
家族全員を失って、たった一人残された人の数は、増える事は有れ、減る事は無い。
そして、「後片付け」が済んだ後が、本当の哀しみと苦しみが待っている筈だ。
全く変わってしまった人生が、其処から始まるのだから。
しかし、日本人は挫けない。
そもそも『日本』と言う国の国民は、歴史的に「常に」痛めつけられて来たのだ。
天変地異と政治的混乱は、歴史を振り返れば、常に交互に、或は平行して、人々の頭上に降り掛かって来た。
近代だけをみてみても。
江戸幕府成立までの、地方の豪族達の運命は、大河ドラマをみるまでもなく、常に「天下を欲する」者のエゴにより、もてあそばれ、滅ぼされて行った。
戦の度に「庶民」の生活は、まるで「消しゴムで」消される如くに、この世から消滅して行く運命に有った。
徳川幕府成立により、多くの大名が「整理」され、あまたの武士達は「失業者」の群れに追いやられた。
その後も、数々の「大名の取り潰し」による、容赦ない人員整理。
そして、幕末の動乱。
『官軍』による『賊軍』の討伐は過酷を極め、多くの武士階級が殲滅された。
歴史に語られるのは、支配階級である『武士』達の運命のみであるが、その間に「庶民」の犠牲は、遥かに多かった筈である。
そして、明治維新以後の、戦争の連続と、その犠牲となった多くの国民達。
東京大空襲に始まって、全国通津浦々に及んだ、「絨毯爆撃」に依る破壊と殺戮。
極めつけは、人類史上『他に類をみない』原子爆弾の「試験投下」。
戦後の混乱と、ゼロからの再スタートでの多大なる困難。
その後も、『円の切り上げ』や、欧米による輸出への様々な『圧力』。
その度に、「規制」と「法規の変更」に伴う、生産システムへの変更。
数々の「石油ショック」や「金融ショック」によって、日本経済はもてあそばれ、きりきり舞いをさせられて来た。
その間の数世紀間に、一体どれだけの<天変地異>が日本を襲ったか。
火山の大噴火。
その影響に依る「冷害」と、その結果としての「大旱魃」。
定期的に押し寄せる「巨大台風」。
忘れた頃に繰り返し襲って来る「大地震」。
それらの『艱難辛苦』を、我らが先輩達は、血の滲む様な努力と、日本人としての『勤勉』な特性、『不屈の向上心』によって、乗り越えて来た。
お陰で。
日本の生産効率は、世界に例のない素晴らしい物となった。
技術開発の成果は、『メイド・イン・ジャパン』に神話的なまでの信頼性を勝ち取って来た。
それに伴って、世界各地での「日本人」に対する扱いも、有り難い程に「丁寧」で、それなりに「尊敬」されている事を、実感できるのです。
有り難い事だ。
そして。
特筆すべき事は、天変地異以外のそれらの「困難」は、ほとんどが「為政者」のエゴや無能力のせいでもたらされて来た、と言う事である。
更に言えば、それらの困難に立ち向かい、乗り越え、打ち勝って来た「成果」は、全く為政者のお陰では無い、と言う事である。
『お上』の世話になる事無く、すべてがあくまで「国民一人一人」の、<個人的>能力の発揮と不撓不屈の努力とのお陰で、日本社会はそれらの険難を乗り越えて来たのだ。
『日本人』は、偉大だ。
『日本人』は、素晴らしい。
世界中の、何処へ出しても誇りうる、素晴らしい国民である事は、疑う余地はない。
実際に、私自身も、今回の大地震に関して、あちこちから「心配と激励」の声を頂いている。
フランス各地の学校では、日本の被害について詳しく教えて、同情と激励とをもたらしている。
総ての教会では、ミサの度に「日本と日本人の為に」祈りを捧げてくれている、と聞いた。
平素より、積極的な前向きの評価を受けて、尊敬の念を抱いてもらえている『日本人像』が有ったればからこその、周囲の反応である。
今回の震災の間に、各地で起こっている筈の、ここの人々に依って示された「小さな」様々な『善意』と、集団としての『規律』や『社会的行動パターン』によって、普段忘れている「日本人の美徳」が、あちこちで「再認識」されている筈である。
↓
日本人のモラルに世界が驚く
日本人は、素晴らしい民族だ。
各人夫々、自分の義務や役割を果たす事を、少しもいとわず、困難にも負けずに責務を果たそうとする。
一例として、以下を参照されたい。
↓
東日本大震災 「早く逃げて」命かけた防災無線…南三陸
単なる「美談」をかざすつもりでは無い。
しかし、日本人に生まれて良かったと、心から感じる事が出来る。
私は確信している。
東北は、すぐに復興する。
人々は、哀しみと苦しみと痛みを乗り越えて、雄々しく生き続ける筈である。
私には、それが分かっている。
何故なら、私も日本人だから。
日本人に取っての、唯一の欠点は、政治力だけ。
ダメな日本人は「政治家」と「官僚」達だけ。
私は、総ての日本の同胞に対して、心からの『讃歌』を捧げたい。
自治体<全体>が壊滅した所すら有る。
町の住人の半数と、連絡がつかない自治体も有る。
今後、行方不明の方々の把握が進むにつれて、被害者数は残念ながら飛躍的に増えて行く物と思う。
犠牲者の方々のご冥福を、心からお祈りする。
ご家族に犠牲者の出た方々の哀しみに、深い同情の念を捧げたい。
原発は、相変わらず「危機一髪」の状況が続いている様だ。
被爆者の方々にとって、青天の霹靂であったろう。
何故、「もっと早く」避難の指示を出してくれなかったのかと、自分の力の及ばない所での理不尽な流れに、憤りのやり場が無いであろう。
この点に関しては、『東電』と『政府』との<情報の隠蔽>に、激しい怒りを覚える。
どのように責任を取るつもりなのか。
当地フランスでは、早くから『メルトダウン』の可能性を、深刻に語っていた。
仏政府は、日本に派遣する「救助隊」に「原子力の専門家」と「計測機器」その他を、追加すると語っている。
丸三日が過ぎて、当初のショック状態から覚醒して、これからが本格的な「痛みを伴う」作業に追われる事になる。
離散した家族の捜索。
消失した土地や家屋の整理。
失ってしまった総てに対する<再認識>の作業は、精神的に想像を絶する苦悩を伴うと、思われる。
夫々の実態を把握した段階での、法的手続きと、実際の処理。
家族全員が「目の前で」流されて、たった一人残された小学生男児の例など、胸が締め付けられる出来事だが、恐らく「唯一の例」では有るまい。
家族全員を失って、たった一人残された人の数は、増える事は有れ、減る事は無い。
そして、「後片付け」が済んだ後が、本当の哀しみと苦しみが待っている筈だ。
全く変わってしまった人生が、其処から始まるのだから。
しかし、日本人は挫けない。
そもそも『日本』と言う国の国民は、歴史的に「常に」痛めつけられて来たのだ。
天変地異と政治的混乱は、歴史を振り返れば、常に交互に、或は平行して、人々の頭上に降り掛かって来た。
近代だけをみてみても。
江戸幕府成立までの、地方の豪族達の運命は、大河ドラマをみるまでもなく、常に「天下を欲する」者のエゴにより、もてあそばれ、滅ぼされて行った。
戦の度に「庶民」の生活は、まるで「消しゴムで」消される如くに、この世から消滅して行く運命に有った。
徳川幕府成立により、多くの大名が「整理」され、あまたの武士達は「失業者」の群れに追いやられた。
その後も、数々の「大名の取り潰し」による、容赦ない人員整理。
そして、幕末の動乱。
『官軍』による『賊軍』の討伐は過酷を極め、多くの武士階級が殲滅された。
歴史に語られるのは、支配階級である『武士』達の運命のみであるが、その間に「庶民」の犠牲は、遥かに多かった筈である。
そして、明治維新以後の、戦争の連続と、その犠牲となった多くの国民達。
東京大空襲に始まって、全国通津浦々に及んだ、「絨毯爆撃」に依る破壊と殺戮。
極めつけは、人類史上『他に類をみない』原子爆弾の「試験投下」。
戦後の混乱と、ゼロからの再スタートでの多大なる困難。
その後も、『円の切り上げ』や、欧米による輸出への様々な『圧力』。
その度に、「規制」と「法規の変更」に伴う、生産システムへの変更。
数々の「石油ショック」や「金融ショック」によって、日本経済はもてあそばれ、きりきり舞いをさせられて来た。
その間の数世紀間に、一体どれだけの<天変地異>が日本を襲ったか。
火山の大噴火。
その影響に依る「冷害」と、その結果としての「大旱魃」。
定期的に押し寄せる「巨大台風」。
忘れた頃に繰り返し襲って来る「大地震」。
それらの『艱難辛苦』を、我らが先輩達は、血の滲む様な努力と、日本人としての『勤勉』な特性、『不屈の向上心』によって、乗り越えて来た。
お陰で。
日本の生産効率は、世界に例のない素晴らしい物となった。
技術開発の成果は、『メイド・イン・ジャパン』に神話的なまでの信頼性を勝ち取って来た。
それに伴って、世界各地での「日本人」に対する扱いも、有り難い程に「丁寧」で、それなりに「尊敬」されている事を、実感できるのです。
有り難い事だ。
そして。
特筆すべき事は、天変地異以外のそれらの「困難」は、ほとんどが「為政者」のエゴや無能力のせいでもたらされて来た、と言う事である。
更に言えば、それらの困難に立ち向かい、乗り越え、打ち勝って来た「成果」は、全く為政者のお陰では無い、と言う事である。
『お上』の世話になる事無く、すべてがあくまで「国民一人一人」の、<個人的>能力の発揮と不撓不屈の努力とのお陰で、日本社会はそれらの険難を乗り越えて来たのだ。
『日本人』は、偉大だ。
『日本人』は、素晴らしい。
世界中の、何処へ出しても誇りうる、素晴らしい国民である事は、疑う余地はない。
実際に、私自身も、今回の大地震に関して、あちこちから「心配と激励」の声を頂いている。
フランス各地の学校では、日本の被害について詳しく教えて、同情と激励とをもたらしている。
総ての教会では、ミサの度に「日本と日本人の為に」祈りを捧げてくれている、と聞いた。
平素より、積極的な前向きの評価を受けて、尊敬の念を抱いてもらえている『日本人像』が有ったればからこその、周囲の反応である。
今回の震災の間に、各地で起こっている筈の、ここの人々に依って示された「小さな」様々な『善意』と、集団としての『規律』や『社会的行動パターン』によって、普段忘れている「日本人の美徳」が、あちこちで「再認識」されている筈である。
↓
日本人のモラルに世界が驚く
日本人は、素晴らしい民族だ。
各人夫々、自分の義務や役割を果たす事を、少しもいとわず、困難にも負けずに責務を果たそうとする。
一例として、以下を参照されたい。
↓
東日本大震災 「早く逃げて」命かけた防災無線…南三陸
単なる「美談」をかざすつもりでは無い。
しかし、日本人に生まれて良かったと、心から感じる事が出来る。
私は確信している。
東北は、すぐに復興する。
人々は、哀しみと苦しみと痛みを乗り越えて、雄々しく生き続ける筈である。
私には、それが分かっている。
何故なら、私も日本人だから。
日本人に取っての、唯一の欠点は、政治力だけ。
ダメな日本人は「政治家」と「官僚」達だけ。
私は、総ての日本の同胞に対して、心からの『讃歌』を捧げたい。