晴れのち曇り、時々パリ

もう、これ以上、黙っていられない! 人が、社会が、日本全体が、壊れかかっている。

体罰訴訟、原告が逆転敗訴…最高裁「教育的指導の範囲」

2009-04-29 04:20:58 | 社会問題
本日、興味深い裁判結果の記事を見つけました。

教師の体罰に賠償を求めていた、一審二審の判決を最高裁が破棄し、逆転判決を出したと言う出来事です。

事のあらましを、読売新聞から(勝手に)抜粋してみます。

>熊本県本渡市(現・天草市)の市立小学校で2002年、男性の臨時教師が小学2年男児(当時)の胸元をつかんで壁に押し当ててしかった行為が、体罰にあたるかどうかが争われた訴訟の上告審判決が28日、最高裁第3小法廷であった。

>近藤崇晴裁判長は「行為は教育的指導の範囲を逸脱しておらず、体罰ではない」と述べ、体罰を認定して市に賠償を命じた1、2審判決を破棄し、原告の男児の請求を棄却した。

>学校教育法は教師の体罰を禁じているが、教師の具体的な行為が体罰に該当するかどうかを最高裁が判断した民事訴訟は初めて。

>判決は「悪ふざけしないよう指導するためで、罰として苦痛を与えるためではなかった」と認定。原告側は上告審で「恐怖心を与えるだけだった」と主張したが、判決は「教師は立腹して行為を行い、やや穏当を欠いたが、目的や内容、継続時間から判断すれば違法性は認められない」と述べた。

この出来事を通して、現代日本の抱える<子供の教育>に関する問題点が、またまた透けて見えてくる気がするのです。

つまり、現代の日本社会において、あまりにも<躾>のなされていない子供達が多すぎる、と言う現状があると思うのです。

>教師は02年11月、校内の廊下で悪ふざけをしていた男児を注意したところ、尻をけられたため、男児の洋服の胸元を右手でつかんで壁に押し当て、「もう、すんなよ」と大声でしかった。男児はその後、夜中に泣き叫ぶようになり、食欲も低下した。

思うにこの子は、一度たりとも大人に叱られた事が無かったのでしょうな。

この子は、自分が<叱られている>と言う事自体を、理解していなかったと思われる。

廊下で騒いではいけない。
大人の尻を、まして先生のそれを、子供が<蹴る>などという事自体がいけない。
そんな事も、全く理解していなかった事と思われる。

大人は自分に取って<家来>みたいな物。
何やっても大丈夫。
未だ平気。
もっとやっても大丈夫。
これでも全然平気。

と言うワケで、日常で一度も叱られる事無く、ついにはガキの分際で自分が世界の中心だと<思い違い>をしてしまう。

そこへ持って来て、いきなり<大人>が<逆襲>して来た。
胸ぐらつかまれて、壁に押し付けられた。
大声で<怒鳴られ>た。

きっと、その子にとって生まれて始めての<出来事>ダッタに違いない。
大変な<恐怖>だったに違いない。

だから、<夜中に泣き叫ん>だり<食欲が低下>したりの有り様。

ザマ見ろ、と言う個人的感情はさておいて。

とにかく現代日本の子供達は<オカシイ>よ。

特に<団塊世代>が育てた子供達、さらにその子供達が大人になってから育てた子供達、のひどいことヒドイコト。

もちろん大多数の親ごサン達は、ちゃんとご自分のお子様達をきちんとしつけられていらっしゃる事でしょう、キット。

でもね。

小学校低学年のクラスでは、席に座っていられない子供達が歩き回って、まるでクラスが動物園状態。

と言う所から始まって。

クラスメートはいじめて自殺させるは。
親は殺すは。
女の子襲って、事が終わった後ばれない様にと簡単に殺すは。
オヤジ狩りやら。
ホームレスを襲うやら。
お年寄りから引ったくるは。
大麻は育てるは。
女子高生の分際で、ルイ・ヴュイトンのバッグを買う為に売春はするは。

コンビニの前にウンコ座りしながら三白眼の上目使いで、<自分以外>の総ての人間に対して敵意をむき出しにしている、サルみたいなガキやらを見るに着け、人間としての矜持を持ち合わせていない子供達があまりにも目立っている。

<他人との協調>だとか、<弱者への思いやり>だとか、はたまた<年上の人への敬意>等と言った、それこそがまさに<人間>をして<サル>と区別している、<精神性>や<社会性>が、全く欠落してしまっているがごとき子供達。

実際問題として、8歳位までの子供は、時には<激しく>躾けないと、物事の真実は理解できないのです。

昔は、いたずらをした子供は先生にブン殴られた物でした。
時には<イタイ思い>をする事で、子供達は貴重な<人生の教訓を>学び取って行ったのでした。

それが、<体罰の禁止>とやらと、<親の無責任>とが相まって、もはや手の付けられない子供達が、世に排出されて来たのですね。

自分でも経験が有るので分かりますが、少年時代後期は、他人が総てきに食わない、事もある。
何をやっても面白くない、事も有る。
大人や社会に対して、むやみと反発したくなる、事もある。

でも。

小さい頃から、ちゃんと躾けられてさえいれば、本質的には道は踏み外さない物です。

私は、このブログで頻繁に<子供の育て方>に対するグチをかいておりますが、今回の最高裁判決から、またまた同じ事を見てしまったのでした。

それにしても、近藤崇晴裁判長、よくぞ正しく裁いてくださいました。

大人をナメタ態度をとってワルサするガキは、厳しい態度で望むべし!

それ以前に、家庭で子供をちゃんと躾ようでは有りませんか、皆さん。
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世襲議員と比例復活議員とどっちが偉い?

2009-04-28 03:49:27 | 社会問題
ここに来て<国会議員の世襲禁止ウンヌン>と言う論議が、急にわき上がってきたようです。

薄々感じてはいたものの、自民党議員のおよそ三分の一が<世襲議員>だったと知って、やっぱりな。。。というか、唖然としたと言うか。。。

『ヤーメた!』とおっ放り出す首相が続くのも、むべなるかな。

私事で恐縮ですが、実は母方の曾祖父が<第一回帝国議会>の議員であったとか。
(もちろん<貴族院>ではありません)
そのころの議員さん達は、文字通り<私財をなげうって>お国のため、奮闘していたそうです。
曾じいサマも、ずいぶん家族と家財を犠牲にしたらしい。。。
それでも、どの議員さん達も、祖国の将来の為に天に恥じない活動を行っていたらしい。

而して、平和ボケの現代、<国会議員>は単なる<職業>だそうで。
それと言うのも、<世襲禁止>に反対を唱える自民党議員サン達の言い草の一つが、「職業の選択の自由を保証する憲法に違反する」という言い分。

なるほど、<単なる職業>である以上、<国家財政>に破綻をきたそうと、自分の利権を守る為には<声を荒げて>自動車税の一般財源化に反対する訳だ(結局骨抜きにされてしまった)
作る必要の無い<高速道路>だの、<ダム>だのを無理矢理作らせる訳だ。

誰が考えても納得いかない<国家公務員の天下り>を完全禁止できないし。

どんだけ(裏で)儲かるのかしらん。

<聖職>と言う言葉は<死語>かもしれないけれど、やっぱり<国会議員>を職業と言い切る人には、<国家百年の大計>は語れないだろう事は、想像に難くない。

『立候補の平等」とのたまう議員サン達も多い。

世襲を禁止する事の不平等と、<地盤>も<看板>も<鞄>も無い立候補したい人と、親の百光(七光りどころではナイ)で当選確実の世襲立候補者とを同じ土俵で戦わせる事の不平等と、どっちが<平等を損ねている>と思いますか、皆さん?

「選挙民は親が議員だったから選ぶのではない。人間を見て選ぶのだ」
「結局、どちらが優秀な議員になるか、の問題です」

なんともカントモ説得力のないご意見ばかりですな~。
ご自分が、そんなに人徳溢れる大政治家だと、思っていらっしゃる事が既にコワイ。

こんな反対意見しか吐けない<世襲議員>達が、すでにいかにボンクラであるかを、白昼の基に晒している事に、彼等はお気づきでないのが、また悲しいやら、滑稽やら。

一部の地元の取り巻き達が、それこそ自分達の<利権>を失わない為に、よってたかって先代の坊ちゃん嬢ちゃん達を当選させてしまう事が可能な、日本の選挙事情が、悲しいなあ。

だから、オヤジが死ぬ迄サラリーマン(高級な)してて、政治がキライだったボッちゃまが、引きずり戻されて後がまに据えられて、その内<ボクは大人物なんだ>って、思い込んでしまうに至るのですね。
その挙げ句、結局同じ穴のムジナ同士の利権擁護会の互選で<総理大臣>にまで祭り上げてしまう物だから、難しい局面になると直ちに放り出してしまう。

外国から見たら、文字通り<唖然>とする様な、政治家としての自殺行為をしでかしたにも拘らず、半年もたてば、もう<元首相>で影響力を行使出来るンだって。

昔からよく聞く言葉。
「出たい人より出したい人を」

でも、<本音と建前>を使い分けるのが我がニッポンの美徳!

現実は<出たい人>は、鞄も看板もなく、孤軍奮闘の挙げ句の泡沫候補。
そして<出したい人>ってのが、早い話、<利権>の周りではしゃいでいる<選挙屋>たちが<出したい人>なのです。

ハナから<世襲>を当然の事として育って来た<ボッちゃま嬢チャマ達>は、能もないのに<出たい人>だし。

いずれにせよ、よしんば<世襲>の議員が本当に<実力>があっても、2代3代続けて行くと、どんな分野の何であれ、<活力>は無くなって行く物です。

実はフランスにも、<世襲議員>はいます。
戦後の一時代を築いた名物議員の2代目がそっくり同じ選挙区で、先代と同じ様にふんぞり返っている。

でも、日本みたいに異常に多くは有りません。

第一、日本と大きく異なる点は、フランスでは<政権交代>が当たり前、という事実です。
そして、<落下傘候補>いわゆる<お国替え>も日常茶飯事なのです。

地方議会選挙では<政党名簿>に投票する形の、国政選挙では各選挙区に定員一名を選ぶ為に候補者当人に投票する、完全な『小選挙区/比例代表制』であるこの国では、同じ人物が(同じ家系が)半永久的に権力の座に居座り続ける事が、非常に難しい、と言う事が一番のポイントと言えるでしょう。

その様な状況下では、本格的な政策論争による熾烈な選挙戦と、国民の目に見える日々の政治活動が、当然必要となります。
たとえ<世襲>のボッちゃまでも、よくもワルくも<実力>が問われざるを得ない仕組みになっているのです。

とりあえず日本も、完全な<完全小選挙区制>にしなくては、イミが無い。
あの<訳分からん>惜敗率とやらで、選挙区で負けたのに、比例区で復活するなんて<ゾンビ>は誰が何と言おうとオカシイよ。

そして、<政府>が国民の期待を裏切ったら、次の選挙で交代させようよ。

末代迄残る借金の<赤字国債>乱発して、上っ面だけの<バラマキ>は、それこそ次の選挙で自分が落選しない為ダケの、国家反逆罪にも匹敵する程のクダラナさであります。

ただあちこちムダ金ばらまいても、この本格的大不況が、上向きになる訳が無いダロ。
そして後2年後には、消費税増税ダト!!

そんな事しか考えつかない<世襲議員>達の政府は、どう考えても『脳死状態』なのであります。

少なくとも、<世襲>の候補者は、選挙区を<他県>に替える事、を義務化する事は、絶対必要条件でありましょうゾ。
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新入学児童のバス下校時の事故に思う

2009-04-09 07:55:02 | 社会問題
広島県呉市で、新入学女児が入学2日目の下校時に、通学に使っていたバスから下車直後に起こった事故死には、言葉が無い。

初日には、母親が下校時に学校まで迎えに行った由。
当日は、「友達と二人で帰るからいい」と本人が母親の迎えを断った。。。

このお母さんの気持ちは、想像しても及ばない、深い後悔と悲しみに満ち、今後ずっとご自分を責め続けられるに違いなかろう。

下校のバスに同乗されていた先生にも、今後きっと非難が集まるのでしょう。
その先生の辛さも、考えるだけでもこちらが辛くなるような。。。

6歳の子供に、下車した直後のバスの<正面>を横切る事が、いかに危険であるかは、分からなかったでしょう。

運転手の過失はもちろんであるけれど、フロント・ウインドーの真下を小さな子供が横切っていても、見えないかもしれない。
万全の注意を怠った、と責めるのは簡単だが、それもなにか酷な様にも思えてしまう。

結局、6歳やそこらの子供に、付き添い無く通学させる事の是非が、問われるべきではないのだろうか。

当地フランスでは、先頃まで12歳以下の児童の一人歩きは禁止されていました。
(現在は10歳に引き下げられている様です)

学校の送り迎えは、必ず親か、親が指定して学校に届け出ている人物(ベビー・シッターとかお手伝いさん等)が付き添って行わなければならない。

ちなみにフランスの小中高は、始業時間前30分と、下校時間30分以外校門は閉ざされ、用のある人間は必ず<呼び鈴>を押して、受付を通さないと行けないシステムになっています。
もちろん正当な理由が必要な事は言う迄も有りません。

就学時間帯は、学校内の事は総て学校側に責任が有り、保護者父兄といえども、用がなければ立ち入る事すら出来ないのです。

早退は、事前に届け出る事、担任の許可ならびに、前述の様な資格者が出迎える事が必要です。

最近は8歳になれば、保護者の事前の届け出によって、子供単独での登下校が出来る様になったものの、とにかく子供の一人歩きは厳重に管理されています。

30年程前は、その規則があまりにも厳密に適用されていたので、ルールを知らなかった日本人の駐在員のお子さんが、一人歩きをしていて車にはねらる事故が有ったとき、運転手は無罪になり、保険も下りなかった、と言う悲劇すら有りました。

翻って日本の場合、はるか昔から、小学校に上がると一人で登校するのが当たり前でした。
幼い心の中に、一人で学校に向かう<誇らしさ>が溢れていたものです。

下校時や学校が休みの日は、子供達同士で、外で遊び回ったものでした。

スランスの小学生は、一年生から朝8時半に始業で夕方16時半迄の授業なので、時間もあまりなく、且つ子供が単独で出歩かない為、往来で小さな子供同士がつるんでいる、と言う事は起こりえません。

友達と遊びたい場合は、事前に親が相手の子供の親に連絡を取って、あらかじめ日時を決めて、相手の家を1~2時間訪問する、と言った感じになっています。

お昼は<給食>はオプションで、午前の終業時に迎えに行って自宅で食べさせ、午後の始業に合わせてまた送って行く、と言う家庭も結構有るのです。

その折、友達を一緒に連れ帰って(もちろん事前に相手の親の許可を取ってから)お昼ご飯を共にして、又午後の登校のする、と言う様な<社交>がよく行われます。
ちなみにお昼休みは2時間強あるので、給食は早番と遅番に別れて、残りの1時間程が、クラブ活動に当てられています。

共稼ぎの場合、子供の学校への送り迎えはかなりの負担になりますが、どちらかの親が通勤の車に子供を乗せていって、校門でおろして行く、と言うのが普通でしょうか。

そんな社会的システムであれば、今回の<呉市の事件>などは、決して起こらなかったでしょうが、国情の違いとは言え、なんとか防げなかったものか。。。

心が痛む事件でした。
(合掌)
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北朝鮮の<ミサイル外交>おかげで浮かび上がってくる、様々な思惑

2009-04-03 04:33:28 | 国際関係
今日明日にも、<人工衛星>と称する北朝鮮のミサイルが、発射されようとしている。

この国の<威嚇外交>もここに極まれり、と言った所だが、国の内外の反応は実に様々で面白い(情けない?)。

政府自民党(公明含み)は、これを機に、一気に<自衛力の強化>を目指したいところ。

断固たる姿勢を貫く事で、内閣支持率の問題に霞がかかってくれそう。

万が一<迎撃>に成功でもした日にゃ、<支持率>は一気に高騰するだろうし。

そうでなくても、再軍備(とまでダイレクトには言えなくとも)を可能とする、憲法第九条の修正のまたとないチャンスで、もしかしたら、金正日にこっそり感謝してる議員さんすらいたりして。。。

対する民主党は、中朝(韓)にえらくすり寄っている昨今、あまりはっきりとした姿勢を表明出来ないていたらく。

社民、共産に至っては、<迎撃反対>だと?!

くだんの<人工衛星>が、彼等の意図に反して(あるいは意図通りに)日本に向けて落下する事がはっきりした時点ですら、「迎撃するな」と言う事は、自ら座して死を待て、と言うのと同じ事。
天下の<公党>の、これが国民に対する政策であります。

そして、<迎撃反対>のデモをする<市民団体>という<ヌエ>の存在が、恐ろしい。

私は、<九条を守る>立場の思想を持っています。

『戦争放棄』などは本来人間には絶対不可能であろう<ユートピア>的机上の空論であるからこそ、一度そんな条文を持った(持たされた?)からには、それを貫いてやろうじゃないか!

でも、祖国が責められるときは、銃を持って国を守りたい。
(自分自身にそんな勇気があるかないかは定かでは有りませんが)

専守防衛は、禁止されている訳ではないはずでしょう?

そして、我が祖国を常に恫喝し続けている国から、<人口衛星>という名の<ミサイル>が頭上に降ってくるとすれば、それを迎撃する事と、不戦思想とは決して矛盾する物では無い、と思うのですが、間違っていますか?

日本の側から、日本以外のいかなる国に対してでも、ミサイルを発射する事は絶対認められない。
しかし、日本領内に降ってくるミサイルがあれば、それを迎撃するのが、何故反対されなければならないのか。

北朝鮮曰く。
『もし我が人工衛星を日本が迎撃すれば、直ちに祖国に対する戦争行為と見なし、展開された迎撃手段だけでなく重要対象にも断固たる報復の攻撃を加える』

これぞいわゆる<盗ッ人猛々しい>の見本みたいな物で、どちらが先に挑発してるんだ、という事ですね。

そんな<狂犬>の様な行動を取る対象に対して、衆参両議院採決で『自制を求め』たって、屁の突っ張りにもなりゃしない。

気違い相手に、同じ土俵に出る必要は全く無い。
しかし、その<気違い>から放たれた<人工衛星>が、もし軌道がそれて我が日本の領域に落下してくるとすれば、その時は<撃墜>しても、何ら『憲法』に背く物ではないと思うのです。

それすら<反対する市民団体>とやら言う人々の、思想の背景を知りたい、と切に思うのです。
はっきり言って、<脳みそ>の中身をぜひ見てみたい。

ただ、悲しいかな、<迎撃>なんて物理的には不可能でしょうね。

発射後もし軌道がそれて<日本>をめがけて落ちてくることがはっきりする迄は、現行憲法では動けない。
事が判明した時点で、着弾迄10分を切っているはず。
先ず、その連絡が<首相>に伝えられる。
首相は、速やかに<決断>して、迎撃命令を発する。
正式に<命令>が届く迄の時間、PAC3の照準調整をするのだろうが、果たして間に合うのかしらん。
そして首相からの正式命令が国防大臣経由で現地司令官に届いて、「打ち方始め!」。
その間、合計何分経ってると思いますか、皆さん?

しかも、未経験の作戦ですぞ。

<多分当たらない>ほうに3000点!

所で、日本は昨年のODAが9700億円程だったそうです。

そして、何と未だに<中華人民共和国>と<ロシア連邦共和国>にも、供与され続けているらしい。。。

両方とも、<自他ともに認める超大国>だそうで。
それにも拘らず、日本からはふんだくれる限りふんだくる、と言うのが彼等の国是。

その両国は、ともに<原子爆弾>を所有し、<有人宇宙衛星>を打ち上げ、国連安保理<常任理事国>なのです。

そして、その両国とも、北朝鮮のこの挑発に対し、影響力を行使しようとせず、安保理決議案にも反対しているのです。

そして、その両国とも、本来の日本の領土を不法領有しているのです。

そして、その両国のうち一方は、公然と国民に<反日教育>をしており、片方は平気で日本漁船を拿捕し身代金を取り続けているのです。

唯一の<味方>であると信じていた<軍事同盟の相手国>アメリカは、この<人工衛星>が日本の領域に落ちようとも、行動を起こさない事を<言明>しました。

日米安全保障条約とかいう<不平等条約>を再考する、実に良い機会になった物です。

その点も、<日本再軍備論者>を影で勢いづかせる事となった様な気がするのは、私だけでしょうか。

今回の<北朝鮮の人工衛星>問題は、いままでかなりの日本人が意識していなかった(で有ろう)様々な問題点を、浮き彫りにしてくれました。

それにしても、腹の立つ!
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