晴れのち曇り、時々パリ

もう、これ以上、黙っていられない! 人が、社会が、日本全体が、壊れかかっている。

中央市場探訪記 3

2008-11-18 05:08:19 | グルメ
ご好評(?)に付き、<中央市場ランジス>の探訪を続けましょう。

前回<季節柄>という事で、<キノコ>をご紹介しました。
今回は、引き続き<青果>なので、あまたの売られている商品の中から、あまり日本ではお目にかからないものを取り上げてみようと思います。


こんなの見た事有りますか?

これは<根セロリ>と言います。


葉っぱ付きだと、<セロリ>だと解りますよね。。。

これは、いわゆる茎を食べるのでは無く、あくまで<根っこ>を食べるのが前提、のセロリなのです。

この<鬼のゲンコツ>みたいなヤツを、茹でて、千切りにして、マスタードを利かせたマヨネーズ・ソースで和えて食べます。
ゴリゴリした食感ですが、味はまごうかた無き『セロリ』そのもの。

フランスの、一膳飯屋みたいなレストランの<定番>の前菜に、『クルディテ』というものが有ります。
生の<ニンジン>の千切り、スライスした<キュウリ>、角切りの<ビート(甜菜=砂糖ダイコン)>、同じく千切りの<紫キャベツ>等と共に、この<根セロリ>の千切りを合わせ盛りにして、ドレッシングを掛けただけ、という一品です。
学食や社食でも必ず<定番>のはず。

新鮮な野菜をモリモリ食べる時、欠かせない食材です。


これは<黄ブロッコリー>です。

一見ブッキー(古い?ブキミって言いたい)ですが、最近出回り始めた、ブロッコリーの一新種。
食べ方は、旧来の<ブロッコリー>と全く同じです。
色目がいいので、サラダに映えますネ。

所で、いわゆる『フランス料理』という<レストラン料理>には、実は<スープ>は有りません。

スープとはそもそも<家庭料理>である。
造るのに手間がかかる割に、値段は安いので、<客単価>があがらない。
先にスープを食べてしまうと(飲むとはいわない!)、お腹が張って、料理があまり食べられなくなってしまう。
安い一膳飯屋のイメージ。

等が主な理由なのですが、でも秋口から冬の間は、スープも復権します。
特に<カボチャのスープ>は定番カモ。


写真では<大きさ>がよくわかりませんが、直径50センチ以上は有りそうな<ドテカボチャ>。

フランスの八百屋で数少ない<切り売り>する野菜の一つです。

ただ、<カボチャ>は観賞用というのが有って。。。



何とも不思議な形、例えば<クラゲ型>だったりとか、<イボだらけ>やら、<水玉模様>や<シマウマ柄>なんてのが、時々家庭のデコレーションとして、サイドボードの上や、玄関の靴入れ戸棚の上等に飾られています。



カボチャと言えば、こんなのも。
『ヒョウタンカボチャ』
ウリとカボチャの中間種。

ところで、日本人が見て首を傾げ、なんだか聞いて頭を抱えるのがこの野菜。



これは<ダイコン>です!

この写真のは、洗ってあるのか色がやや薄いですが、もっと<真っ黒>なのも。。。
でも中は白いのが不思議。

近年、中国野菜がこちらでも栽培される様になり、『白菜>等と並んで、<白いダイコン>もそれほど入手艱難では亡くなりました。
しかし以前は、この『黒ダイコン』を剥いて<大根おろし>を作った物です。
中は白いけれど筋だらけ!!


それにしても、<所変われば>とは申しますが。

和食には欠かせない、ごく当たり前に存在していて、その有り難みも忘れがちな物の一つが『ネギ』でしょうか。
フランスは、和食を作る材料はかなり何でも手に入るのですが、絶対にないものが、日本風の<ネギ>なのです。


これは<ポワロー>

日本で俗に<ポロネギ>と呼ばれています。
どう違うか、といいますと。

先ず、<筒型>になっていないのです。
ですから、下手すると中に砂が入っていて、どうしようもない事も。
それより決定的なのは、<香り>が無いに等しい。

固いし、美味しい『ヌタ』が作れません!
ネギのみじん切り、も繊細さに欠ける。。。

フランス料理では、それこそ冬の家庭料理の<野菜のスープ>の、中心素材。
夏は、<ブイヨン>で茹でて、クタクタになった状態で、冷たくしてビネガーを掛けて食します。
それはそれで、夏の風物詩としては美味しいですよ。

面白いのは『ニンニク』の売り方。


<三つ編み>状態。



その<三つ編みのニンニク>を鴨居から吊るして、ダイニングルームの室内装飾にしてある事も良く見かけます。


所で、これな~んだ?


これは『ルーバルブ』と言います。
日本語では『大黄(だいおう)』と呼ばれて、漢方薬の薬草として知られています。

昔から田舎では、他の菜っ葉や前述のポワローなどと一緒に煮潰して、野菜スープ(ドロドロの)にしたりします。
それ自体はやや<酸味>があり、その酸味を生かして、砂糖で煮込んでジャムにもなります。
懐かしい、昔の味。


そろそろ<果物>もご紹介しなければ片手落ち、と言うものでしょう。


『フィッグ・ド・バルバリー(=北アフリカのイチジク)』

と呼ばれている、『団扇サボテン」の実です。
当然皮を剥いて食べるのですが、さっぱりした甘みで、<ドラゴン・フルーツ>に似た味。

モロッコ等では夏場から市場に山盛りに売られていて、皆<露天>で皮を剥いてもらってかぶりついています。
モロッコの田舎の国道沿いに、延々と何キロにも渡って<団扇サボテン>が並木のごとくに植えられていて、一斉に実を付けている様は、とってもエキゾチックです。
やや離れて見ると、『ミッキー』が群れを成しているようなシルエット!

それから、季節を問わず、ヨーロッパ人が大好きなフルーツが、いわゆる<ベリー>類。


定番の『フランボワーズ』

日本語は『木いちご』。
英語で<ラズベリー>と言いますね。
フランス人は、大人も子供も大好き。
大盛りにホイップクリームを乗っけてだ出せば、立派なデザートです。
フランボワーズのタルトも定番中の定番。



<ベリー各種>取り合わせ。

高級フルーツ店にそのまま出せるようなプレゼンテーションです。

そろそろ晩秋の日本で、伝統的果物と言えば、『柿』ですね。
日本の秋は、<柿>が無いと始まらない。
洋風のフルーツの氾濫に押されて、やや肩身が狭い思いをしているのでは、、、と遠くから心配しております。

その<日本の果物を代表する>柿が、何とフランスにも、ちゃんと有るのです。


その名も<KAKI>

なんと、カキがフランス語になっています。
しかも、<エキゾチック>な物ではなくて、秋の八百屋さんには普通に出回る、<普通の>フルーツなのです。

あなたが冬場のコート・ダジュールにいらっしゃらば、ニースの後背地の村々で、あちこちの家の庭先に、摘み残りの柿がたわわに残っている光景を目にする事でしょう。

『トンボ柿』のような、やや縦長の種類で、実は<渋柿>なのです。
柔らかく熟す迄待って、とろとろになって甘くなった所を食べます。

南仏の、気の利いたレストランでは、<柿のシャーベット>なんてのも、出してくるかも。

いかがですか。
フランスの市場は、面白いでしょう?



9棟もある大きな建屋の夫々の中は、中央の通路を挟んで両側に、こんな感じの<卸商>のブースが並んでいます。
その狭い中央の通路は、売り手、買い手、台車、フォークリフトに自転車までが右往左往して、でも少しも騒がしい事は無く、静かに活気に満ちています。

一棟しか無いのに、世界第二の売り上げ、『築地市場』の半分の売り上げ高を誇る<鮮魚>のセクションをご報告出来なかった心残りを秘めながら、3回にわたって続けました、『パリ中央市場ランジス』の訪問記は、これでおしまい。

またいつか。
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パリの胃袋<ランジス市場>探訪記 2

2008-11-12 07:47:45 | グルメ
前回に引き続き、<パリの胃袋>中央市場ランジスをご紹介しましょう。

その前に、かってのパリ中央市場<レ・アール>の跡地は、70年代初頭の<ポンピドウー大統領のパリ再開発>の一環で、<地下ショッピング・センター>と、プールその他パリ市の施設、および公園に姿を変えています。



ここは、地下5階が<郊外高速鉄道>のターミナル駅、4階から上がショッピング・モールなのですが、かなりユニークなのです。
それというのも、日本と違ってスペースにゆとりの有るフランスは、本来<地下街>を造る必要性がないのです。
そこで、彼等は<地下にも太陽>を求めた!

つまり、、内側をガラスで囲った逆ピラミッド型にすることで、地下でも<自然光>が入る。



出来た当時は、パリでも最も<イケてる>ところで、日本で言うと今の東京の<六本木ヒルズ>みたいな所でした。

70年代から80年代にかけて15年間くらい、建築家、ショッピング・モールのデザイナー、都市開発の行政当局、ゼネコン、ショッピング・モールの経営団体、等日本から多くの<視察団>が訪れたものでした。

その敷地に隣接して、『サン・トウスタッシュ教会』があります。
数世紀間、変わらず見続けて来た<レ・アール>が移転して、心なしか寂しそうです。



教会内の小祭室に、『レ・アールの引っ越し』という題の彫刻群が飾られていたのが、印象的でした。




では、またランジスに戻りましょう。

パリ首都圏のみならず、ヨーロッパ各地から買い付けに来るこのランジスは、千八百万人の胃袋を満たしています。
毎日の入荷が百六十万トン。
毎日、搬入搬送をふくめて二万六千台のトラックが出入りし、二万人のバイヤーが訪れます。

そんなランジス市場のなかで、もっとも規模の大きいセクションが<青果>です。
つまり、野菜と果物。



このような建屋が、なんと9棟(!)も立ち並んでいるのです。

中に入ると、両側の<卸業者>のブースの前には、それこそ<世界中>からもたらされた、ありとあらゆる<青果>が並んでいます。



今の時期は、何と言っても<キノコ>です。


秋の味覚の最高峰が、この『セップ』茸。

日本人が『松茸』をありがたがる様に、ヨーロッパ人は『セップ』をことのほかありがたがります。
日本では、なぜかイタリア語の<ポルチーニ茸>で通っているようですが。。。
この写真は小型ですが、大きいセップは、七人の小人のお家そっくり。
なぜか目からウロコです。


これは日本ではお目にかかれないかも。
クロ茸。

正式名称は、何と『死者のトランペット』と言います。
全身黒ずきんの<死神>が吹き鳴らすラッパみたいに細長くて黒いから。。。
これを干したものは、えも言われぬ芳香が漂い、椎茸以上にいい出汁がとれます。


これは『ジロル茸』。

ステーキの赤ワイン・ソースの付け合わせには欠かせません。
バターでいためても良し、クリーム煮にもよし。


これは、『ヒラタケ』の一種。

とってもポピュラーなキノコで、秋のお料理の付け合わせに、頻繁に登場します。

今回はこれくらいにして、続きはまた次回。
お楽しみに!
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パリの胃袋を担う<ランジス中央市場>探訪記 1

2008-11-09 05:46:49 | グルメ

エミール・ゾラの『パリの胃袋』で曰く。
「<レ・アール>では全てが売られている。女まで!」

パリのド真ん中に、かって中央市場が有りました。
そのものズバリ、<市場>と言うイミの言葉『レ・アール』と呼ばれていました。

あらゆる食品が飛び交い、周りには美味しいステーキや魚料理で名を成すレストランが取り囲み、運搬人や売り手や買い手が入り交じり、その道の女性達が立ち並んで、みな24時間フル回転で活気に富んでいたそうです。

しかし、その場所に何世紀もの間続いて来た市場は、無秩序に混雑し不潔で、そこに住むネズミは犬より大い(!)とまで言われておりました。
朝から晩迄物資を運び込むトラックその他の車両がひしめき合い、戦後は既に二進も三進も行かない状態になってしまっていたのです。

ついに1960年代には、バルザックが讃えたさしもの<パリ名所のレ・アール>も、さすがに不評になって来ました。

そこで、都会と<市場>は共存しない。「中央市場は郊外に移転」という事になったのです。

場所の選定は、まずアクセスの容易な所。
搬入にも、販売にも、搬送にも便利な場所を。

パリに隣接する近さで、陸と空からのアクセスが便利で、、、という事で、パリの南8キロ(パリの出口から4キロ)の<オルリー空港>に隣接する、ランジス村が選ばれました。

高速道路はすぐ横を通り、鉄道線も引き込めて、便利な事この上なし。

あらゆる物資流通の一大拠点を造ろう!

大号令のもと、1969年、<食肉>が最初に移転終了で開業。
その後も<青果><鮮魚><生花><酪農品>などの各セクションが順次移転していって、『パリ中央市場ランジス』が開業したのです。


その<ランジス市場>を訪れてみましょう。



朝まだき、眠い目をこすりながらパリを出て、高速を10分も走ればもう到着。

何と、<高速道路の料金所>のようなゲートが霧の中に出現。

バイヤーは年間パスを持っていて、ヴィジターは入場費を払って、市場内に入ります。

場内は235ヘクタールもの敷地で、何と東京ドームの80倍!

早朝1時半に始まり、5時半まで続く<鮮魚>のセクションから始まり、5時から9時迄<精肉>、8時から11時迄<青果>と続き、11時から14時迄<生花>で締めくくり。
閉まる程に、清掃と、次の日の搬入と続いて行きます。




赤で示されたのが<精肉>の建屋群、黄色が<乳製品>、青が<鮮魚>、緑が<青果>、そしてピンクが<生花>です。

その他レストランが20数件、銀行も20数行、そして、動物検疫と植物検疫の出先、さらに税関、レンタカーのオフィス、ガソリンスタンド、旅行代理店等々。
ゴミ焼却場と、製氷工場まで有ります。

さすがに<鮮魚>はもう閉まっておりましたので、<精肉>のセクションを訪れてみました。



とりあえず中に入ると、いきなりコレです。

ちなみに<精肉>のセクションは、<赤肉><白肉><家禽><臓物>に別れます。
『赤肉』とはその名の通り<赤い肉>、すなわち<牛>と<羊(子羊)>です。
『白肉』はこれまたその名の通り白い肉で<仔牛>と<豚>。
『家禽』はチキンとウズラ、食用バト、鴨等。



このランジス市場は、築地など日本と違って、いわゆる<セリ>は有りません。

どのセクションも、夫々<卸業者>のブースが並んでいて、店舗に並べられた<商品>を見ながら、売り手と買い手で値段の交渉をする、『相対(あいたい)取引』システムなのです。



売れたばかりの<枝肉>や<ブロック肉>を、まとめて吊るして<配送待ち>。


<精肉>はそろそろ後片付けを始めていたので、まだ取引の続く<乳製品=チーズ>の建物の一つに移動。



フランスは、<チーズ>は質量共に世界一。
700種類くらいのチーズが、常に流通しているそうです!



それにしてもでかいのは、アルプスの『エメンタール』
何しろトラックのタイヤくらいも有り、一個の重さが70キロ!


一人では持てない。。。

両側に並ぶ卸商のブースの前には、ありとあらゆるチーズが積み重ねてあります。


東部フランス『ロレーヌ』地方の、牛のミルクの『トンム・ド・ロレーヌ』です。

ちなみにチーズは、<牛乳製>と<ヤギ乳製>と<羊乳製>、さらに<水牛乳>なんてのも有って、それらのミックス製も有ります。


ピレネー地方の<羊>のチーズ、『ポーリネトワーズ』
どうです、美味しそうでしょ?

続きは次回。
お楽しみに!

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日本ははたして<侵略国家>だったのか

2008-11-03 07:15:48 | 歴史と文化
現役自衛隊最高幹部『空自幕僚長』の懸賞論文の波紋の<微妙さ>についての考察。

私の大前提は『不戦』。
『憲法第九条』は守る。

その上での発言です。

だいたい、地球上の全生物の中で、食料目的(つまり共食い。。。)以外で、同じ『種』同士で、しかも組織的殺しあいをするのは、<人類>だけ。
大脳の発達と、文明の構築に伴って、同種で殺しあう<霊長目ヒト属ヒト>という生物の<野蛮さ>に考えを及ばせない訳にはいかない。。。
我々は、なんて不幸で、希望の無い存在である事か。。。

で。。。

1930年代の『大日本帝国陸軍』の厚顔無恥なる破廉恥な突出ぶりを振り返るに、日本が東アジア/東南アジア各地でどれだけ<ムチャクチャ>をやりまくったか、は想像に難くない。

何しろ、同胞同士で(軍内部で)すら、<新兵イジメ>やらなんやらかんやら、陰湿な性格の軍部(有るイミ日本人の気質??)が、他国に<勝ち戦気分>で進駐していた頃、現地の人達に<ヒドイ事>をやらなかった訳が無い。
戦中派ではないけれど、見て来たごとくに<断言>できる。

そもそも、『大東亜共栄圏』なんて勝手なスローガンで他国に蹂躙して行った『日本軍』に、いかほどの<弁解>の余地が有るものか。

だがしかし。

その事を<大前提>とするも、『太平洋戦争=第二次世界大戦』に踏み込んで行った『日本』が、他に選択肢があったかというと、これはまた別の視点から語られても良いはずではないか。

つまり、『国際連盟』を脱退せざるを得ない方角にわが日本を誘導して行ったのは、英米では無かったのか。

既に<欧米列強>はアジア全域と『清朝中国』を完全に植民地化し、パイの分け前に<紳士協定>を結んでいた彼等<欧米列強>にとって、後から分け前を要求して来た『日本』が邪魔だったわけだ。

ありとあらゆる外交経済政策を駆使して、日本の中国大陸進出を阻止しようと画策した挙げ句、我が国の生命線である<海上輸送ルート>を封鎖して、<石油>その他日本にとっての命の糧を奪って、殺生与奪の権利を行使しようとしたのではなかったか。

日本による満州進出やらを<否定>する私の立場から言っても、<日米開戦>はアメリカの仕組んだ事だったと言わざるを得ない。

<宣戦布告>の通達の遅れも、既に前もって把握していたアメリカ合衆国政府は、日本を開戦に導く戦略に成功した訳だった。

その点においてのみ、あの<空幕僚長>の言わんとする事は、間違っていない。

そもそも<欧米>は、彼等のパイを、決して第三者に渡そうとしないという事は、21世紀になった今日でも、連綿と続いている。

すなわち、『核不拡散条約』がそれだ。

旧戦勝国である<ヤルタ会談>側は核兵器を保有し続け、それ以外は<所有してはイカン>なんて、一体何の権利で言えるのか?

まず自らが所有している<核兵器>を全て廃棄した後に、他国にも「持つな」と言えるのではないか。

米英仏露中+イスラエルは、『神』でもなければ、『地球』の所有者でもないのだ。

イスラエルが<核>を保有している事は<公然の秘密>であるのもかかわらず、イラクを滅ぼし、イランにも隙あらば攻め込まんとしている。
(そのくせ、経済的理由でインドとパキスタンの核にはホッかむり)
ダブル・スタンダードどころか、トリプル・スタンダードだろう。

アフマディジェネドと金正日の<抗米姿勢>は、少なくともその点においてのみ<理論的>には理解出来る。

要するに、私が言いたい事は、20世紀前半の国際紛争は、何も<日本だけが常に永遠に懺悔>し続けるような事ではなかった、という事です。

日本軍が周辺諸国に<多大なる迷惑>を欠かけた事は疑う余地はない。
そしてその事は、天皇陛下に一度だけ現地にお出まし願って、彼の国々の国民に頭を下げて頂ければ、いつまでもいつまでも責められる状況を全て解決して、一発で済んでしまうはず。
(お上の脱政治性なんて言わずにさ、一度だけで済むんだから。。。)

それと共に、一晩で20万人の非戦闘員を殺した<東京大空襲>を始めとする、<非人道的>戦術と、原子爆弾を、しかも2度も(!!)投下したアメリカの<人類全体への罪>を、未来永劫まで途絶える事無く叫び続ける事も、又必要な事であると、確信しているのデス。

今回の<論文問題>を一石として、世界外交は、是々非々で行ってゆくべし!

ちなみに、私はいわゆる<右翼>では有りません。
全共闘世代である私は、どちらかと言うと常に心情的に、<左翼>側です。
念のため。。。





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ディズニーランドにおけるハローウイーンに集まる大人になれない日本人と、『神田高校』との関係について

2008-11-01 06:53:22 | フランスと日本の文化比較
NHKテレビのニュースで、「浦安市のテーマパーク(NHKだから固有名詞は出さないのですね)で<欧米のお祭り>ハローウイーンを祝いました」というニュースをやっていました。

(パリにいても、有料で日本の番組を見せてくれる衛星チャンネルがあります)

まず、『ハローウイーン』なんてものは、<欧米>のお祭りではない。
アメリカとイギリスのみのお祭りです。

フランスに関して言うと、夏休みの<消費期間>以後、一年で<最大の消費期間>であるクリスマス迄の間が空きすぎる。
その間<何もイヴェントらしいイヴェントが無い>ことで売り上げの落ち込みに焦燥感を抱いていた<流通業界>が、フランスの歴史にも文化にもなじまない<ハローウイーン>を定着させよう、という試みを、10年くらい前に始めてみた事が有りました。

トロカデロの広場下の大噴水の周りを、何百個かのカボチャで取り囲んでみたり、パリ中のお店のウインドーにカボチャやオバケの飾り付けをしてみたり。

何年か続いて、だんだん下火になり、案の定定着しませんでした。

このところ何年かは、<チョコレート屋さん>のアイテムに成り果ててしまっていました。
(フランスは、さすがに<固形の>チョコレートを世界で始めて食べ始めた国民だけ有って、手作りのチョコレート屋が実に多く、何かと言うとプレゼントの対象になり、お店もシーズン毎に色んな季節感を出した商品を売り出すのです)

ヨーロッパ各国(イギリスは海を挟んだ向こう側の島国でヨーロッパという認識ではないのです、彼等にも大陸側にも)とも、ハローウイーンなんて文化の何処にも存在しない。

NHKに於いてすら、そのハローウイーンを『欧米の』と平気で全国放送のニュースで読み上げる、認識の無さ。

この原稿に対して、ニュース編集部のデスクも、番組ディレクターも、全く何の疑問も抱かなかった訳だ。

これが、私があきれた、まず第一点。

次はディズニーランド。

ここは元々<アメリカの>企業だから、ハローウイーンをイヴェントにするのは構わないし、それが当然であろう。

だがしかし!

そこに<仮装>して集っているのが、全員<成人とおぼしきいい大人>達だという事が、大問題なのです。

<お姫様>のカッコしてだぜ!

いい大人の女どもが、マイクに向かって「楽しいですウー」とか、「イエイ~」とか、「ハッピー・ハロウイーン」とか叫んでる。
バカか!
これが、私があきれた第二点。

知能指数をはからせて欲しい。

ヨーロッパにはディズニーランドはフランスにしかないので、「フランスでは」としか言えないけれど(イヤミったらしく聞こえたら本意では有りません)、あそこは<子供>の遊び場です。
しかも、フランス人以外の!

パリの小学生達の中には、「あそこは赤ちゃんの行くとこだよ」と言う子すらいるノダぞ。

少なくとも、自分の子供の為以外に、<年間パスポート>持ってる大人のフランス人なんて、聞いた事も無い。
ディズニーランドでデートするカップルなんてのも、聞いた事も無い!

ところが日本は違うんだよね~。。。

イイ大人が嬉々として、ディズニーランドのファンである事を公言してはばからない。
年間何十回通った、なんて事を自慢したりしてる。。。

成人式なんてものは、ペーパーテストやって合格した子だけやって欲しい。

何故日本人はそこ迄<子供>なんだろう。。。


かと思うと、<神奈川県立神田高校>の騒ぎ!

高校入試の場に、イキがって詰め襟のボタン外して行くか?

<高校入試>と言うからには、受験生はまだ<中学生>のはず。
そんな15歳のガキどもが、茶パツだと?
ピアスだと?
親のツラが見たい!

みかん箱の中に、<腐った>ミカンが一個あると、その箱のミカンは次々腐るのです。

ただでさえ<モンスター>生徒が跋扈する今日この頃、腐ったミカンが箱に入るのを事前に阻止するのは、至極当然の事。
<選抜要項>に明記してない、からナンボのモンじゃ。
<内申書>にだって、学科以外の評価欄があるダロ。

高校生としてふさわしいかどうかを選抜する試験で、学科以外の要素で<ふさわしくない>事が明々白々であるなら、学科に関わらず排除するのは、当たり前。

ところがビックリ!
その事が公になるや、泡を食って<校長を更迭>する県教委ダト。

茶髪でピアスの15歳のガキ(そんなのが居る事自体がびっくり)が大人(悪い)でみたいで、いい年の教育委員会の役員がガキみたいダ。。。

これが驚いた第三点。

<県教育委員会>という<狭いシマの中だけの権威>を守らんが為、現場で日々奮闘している教師達の足を引っ張る事で権力(!)を行使し、ふんぞり返っている時代錯誤の役人どもの、救いようの無い幼さ。
『教育長』の顔が見てみたい!

そして、たかだか15年しか生きて来ていないくせに、世の中全部を見下してツッパリまくる悪ガキの見苦しさ。
そのような子供に育てた親達の幼さ。

ディズニーランドで<お姫様>の服着てはしゃいでる、大人になれない若者(バカものだよ)といい、どいつもこいつも!

いったい我が祖国はどうなってるんだろう。。。
(このフレーズを、拙ブログで一体何回使った事か。。。悲しいです)

ところで、我が愚妻の所に『年金宅急便』が届きました。
(私と違って、彼女はまだ日本で年金負担金を払い込んでいるのです)

そしたら何と。

名前の<字>が違っていました。

早速社保庁に電話して、訂正を依頼した所、「会社を通じて、会社から訂正手続きしないとダメ」と言われた、とカンカンになって怒り狂っておりました。

私はかねがね、日本の運転免許証に、名前の読み方を<限られた読み方(役所が勝手に決めた)しか認めず>、勝手に違う読み方でカタカナ表記する役所の横暴を、個人の尊厳を犯す<憲法違反>だと思っているのですが、役所のやる事は一事が万事、同じだ、と改めて怒りを新たにするものであります。

社保庁の長官は、どんな顔して給料貰っているのか見てみたい、と愚妻が叫んでおります。
社保庁の実際が私があきれた第四点でした。
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