晴れのち曇り、時々パリ

もう、これ以上、黙っていられない! 人が、社会が、日本全体が、壊れかかっている。

2017年5月14日、フランスの新大統領就任

2017-05-14 13:05:14 | フランスとヨーロッパの今日の姿
全くつまらなかった、何もやらず、なにもやれなかった『フランソワ・オーランド大統領』の最後の日がやってきた。


大統領府『エリゼー宮』(大統領府)では、去る人を送り、来る人を迎える儀式が行われる。

と言っても、去る人は別に式典などはなく、来る人を迎えるだけ。

来た人が、式典を行うのですが。。。


写真は全て「ル・モンド」より流用。




フォブール・サン・トノーレ通りに面したエリゼー宮の門を入ると、中庭があり、宮殿に入る階段に赤絨毯を敷き始めている。






屋根の上も「警備」の目が光る。






片隅には山ほどの報道陣が、押し合いへし合い。






最後の点検。

大統領儀仗兵も準備。






窓から、新大統領受け入れの準備の具合を覗く「去る人」フランソワ・オーランド。

この時点では、まだ大統領だ。






エマニュエル・マクロンの強力な支持者の一人で、リヨンの市長「ジェラール・コロン」が到着。

有力閣僚の候補。






選挙期間中の選対本部のメンバーたちも到着。

戦友たちも、就任式典に臨む。






中道の小政党「Mouvement Democratic(民主運動)党」の党首「フランソワ・バイルー」も。

旧与党保守党から割って出た少数派。

今回の『マクロン政権』の中核をなす可能性を打診され、首相候補とみなされた。

政策のすり合わせがうまくいかず、物別れに終わりかかったが、結局まとまりがついたようだ。






エマヌエル・マクロン到着。






「来る人」を出迎えに出てきた「去る人」が、エリゼー宮のエントランスの階段上で握手を交わす、新旧両大統領。

この時点で『権力移譲』がなされた。






大統領となった「来た人」は、再度「去る人」と階段を降りて別れの握手を交わす。






新大統領『エマニュエル・マクロン』はファースト・レディーと、大統領府で大統領夫妻としての最初の写真撮影。






去る人『前大統領フランソワ・オーランド』は、大統領府の警備陣に最後の挨拶を送って、私邸へと去って行った。



これから、エリゼー宮の中で『大統領就任式』が行われる。

その後、凱旋門の『無名戦士の墓』へ献花に向かう。



◇5年前の2012年5月19日『フランソワ・オーランド』の就任式の記事も参照されたい。
 結構詳しく写真で書いています。

http://blog.goo.ne.jp/veritas21/e/c6b2f68c85d95a61ec02fe2041850f0d



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決戦前夜。明日『パリは燃えているか?』

2017-05-06 23:17:33 | フランスとヨーロッパの今日の姿
フランス・グリンピースが巨大な横断幕を掲げた。

反国民戦線を謳って。




(Photo by Le Monde)

エッフェル塔に。

『自由・平等・博愛  抵抗せよ』



日本で、NHKを筆頭にマスコミが騒ぎ立て、煽りに煽ってきた『極右政権誕生とEUの危機』
は、残念ながら訪れそうもない。

しかし、かなりのフランス人たちは、たしかに悩みに悩んだ。

ある若い女性はかたった。

「どっちに投票するかですって? 言えない。なぜなら、今いっても6時間後にはまた変わるかもしれないから。寝る前にやっと決心して、朝起きたら変わってるのよ。6時間おきに心が揺れるんです。。。」


別のご婦人は。

「決まっています。 マクロンに入れます。私は第一回目にはメランションに入れました。彼の主張が私の価値観に一番近かったから。しかしもう彼はいません。しかし、フランスの価値を完全に否定している人たちに、祖国を与えるわけにはいきません。マクロンに投票します。」


別の中年の男性。

「(投票に)行くか行かないか、未だに悩む。投票したい候補者がいないからね。しかし過激な国粋主義者に国を任せるわけにはいかないし。



さる3日水曜日、ル・ペンとマクロンとのテレビ討論会が行われた。

どこか然るべき場所に『パブリック・ヴュー』が設営されるか探してみたが、どこにもなかった。

大きなTVスクリーンを置いたカフェやラウンジバーを当たってみたが、いずれの店もその夜は「当然」サッカー中継だそうだ。
ヨーロッパクラブカップ準決勝のモナコ vs ユベントス があるにだから、当然だ。

しかし、パリのある劇場でやるらしいと聞きつけた。

オペラ座からほど遠からぬ場所にある『アテネ座』という由緒ある劇場で。

聞いてみると、その日はある公園の初日だそうだが、通常の開演時間を30分繰り上げて19時半に開演し、20時45分の終わって、そのまま中間フロアーロビーのカフェ・バーのあるフロアーでテレビを据え付け、興味のある人はそのままそこに居残ってみてもらおうと、考えたそうだ。





劇場の公央担当責任者の女性曰く。

「おそらくフランス人にとって、とても大切な夜になりそうだから、やってみようと考えたのです。初めての試みだし、一体どのくらいの人が参加するかわからないけれど、やってみるべきだという結論に至ったのです。」

何だか『フランス人スゴイ』と思った次第。

その劇場は、ギリシャ人劇作家のシメーヌの前衛独り語り劇『3つの要素による悲劇』の初演。

面白そうだから、行ってみましたよ。





500人ほど収容する、「イタリア様式」の劇場の典型で、フロアー席の周囲に4層の桟敷。

赤い天鵞絨に優美な天井








私は小さな両開きの扉を開けると、椅子が2脚ある桟敷にご招待して頂きました。





50歳くらいの女優さんが、1時間15分を静かに独り語りで演じる熱演でした。

しかし、お芝居の方は今回は話題にしません。


終わってからのテレビ討論会は、結局50人くらいが飲み物や軽食を取りながら、熱心にスクリーンに見入っていました。








マリーヌ・ル=ペンのトンチンカンな発言があると、微かなブーイングやせせら笑いが沸き起こっていました。

前衛劇を見に来るほどの人たちなので、少なくともル=ペンを支持するような人は、居ないようでした。



実は、翌日の報道によるとル=ペン候補はその世の2時間超の討論で、『11の虚偽の発言と多くの内容の疑わしき発言、明らかに扇動と取れる発言』でマクロンに論争を挑み、簡単に論破されていた。


その討論会の翌日、選挙戦最後の投票動向の調査結果が発表され、『マクロン 62% vs ル=ペン 38%』という結果になっていた。


3日を前に、そろそろ自分なりの結論を出す人が増えてきた、ということのようです。


それにしても、マリーヌ・ル=ペンの陣営は、今回の選挙戦を通じて事実無根の情報を、あたかも事実のようにsnsで流す、いわゆる『フェイク・ニュース』を連発して、エマニュエル・マクロンの公私両面での人気を失墜させようという行動事実が、次々と明らかになってきた。

『マクロンはバハマ諸島(タックス・ヘイブン)に隠し口座を持っている』というル=ペン側のツイートは、あっという間の10万回もリツイートされた。

それまでもヨーロッパの報道界では、不正確や虚偽の情報を報道してしまわないように、フェイク・ニュースを見極めることにかなりのテマヒマをかけてきた。

サルトルが基礎を作った左派系リベラル日刊紙『リベラシオン』紙を訪ねて、実際の現場を見せてもらった。




編集フロアーの一角。


フェイク・ニュース対策セクションは、常勤が5名、他の仕事と兼務が2名だそうで、目の回るような忙しさだとか。





一番右端の男性が「チーフ」で、まあ係長とでもいいましょうか。

かれは、10年前に専従セクションの必要性を会社に問うたが、社内の同意をまとめきれずに頓挫。

8年前に再度意見を具申して採用となり、セクションが作られて責任者となったのだそうです。





最初は日々の政治家の発言と文書が「正しい」かどうかを考証するのが、仕事のほとんど出会ったが、ここ数年はsnsの急速な普及により、ネット上での虚偽の情報を見つけ出して「警告する」ことが仕事のメインとなったそうだ。

日本のマスコミは、政治家の発言の真贋どころか、最初から政府にとってうれしくない「正確な事は報道しない」というスタンス。
なんという違いだろう。

専門のサイトを立ち上げてあって、毎日ヨーロッパ中から「問い合わせ」が送られてくる。

先ほどの隠し口座に関しての公式見解は。

『出来る限りの検討と調査をした結果、今現在<事実である>という根拠はどこにも見出せない』

というもの。

勿論サイト上にアップされ、このような微妙な時期の重大な影響を与える可能性のある事案に関しては、紙面でも発表する。





セクションのあるブロックの仕切り壁に『CHECK NEWS.COM』というセクションのサイトのプレートが貼られていた。


ちなみに、奥の一角では編集会議中で、耳を澄ましていると「マクロン…」という声が何度も聞こえてきた。







その「注目の」マリーヌ派、とにかくイスラム系住民へのヘイト発言が頻発しているのだが、目下パリ近郊で明らかにイスラム教への国を挙げてのイジメが行なわれている。


パリの東30kmほどにある静かな小都市『トルシー』で、先の4月13日警察によるモスクの強制閉鎖が行なわれた。





モスクといっても、提供された駐車場みたいな敷地にプレハブの建物が3棟ならんでいるだけなのだが。
写真は日常に礼拝に使われている、いわば「本堂」のような建物。



20012年に同市で起きたちょっとした爆破騒ぎ(ほとんど花火程度のもの)で逮捕された青年が、そのモスクで時折お祈りに参加していた。

その事件はすでに犯人には刑期も課せられ、全て終わっているらしいのだが。

『その犯人を含む若いイスラム系住民たちを、モスクで過激派への誘導を行っていた』という容疑で、捜査令状もないまま特殊部隊の警官10数人が早朝やってきて、何からなにまで引っ掻き回して捜査をおこない、同時に『イマム(指導者)』の自宅も襲われて徹底的に引っ掻き回した挙句、なんの証拠も見つからないまま『閉鎖命令書』を貼りつけ、あらゆるドアの鍵を交換し、モスクの運営団体(NPO)の閉鎖も行なわれて銀行口座を凍結した。

イマム本人は、フランス国籍を取得して30年来その町で高校の数学教師を務めてきたが、『公教育の現場での宗教色を禁ずる』法令に違反したかどで、職務停止処分。

本人の銀行口座も凍結されている上に給料ももらえなくなって、ひどい状況に置かれているそうだ。





普段礼拝に使う1棟目、女性専用の2棟目と、奥の突き当たりは事務所、右側は手洗い所。

全て閉鎖命令書が貼りつけられており、鍵が取り替えられているので誰も入れない状態。

発効日も公印もない命令書には「不法に侵入した者は罰金75000ユーロを課す」とも明記されている。



住民たちは仕方なく、コンクリート敷きの地面に敷物を敷いて、毎日5回のお祈りを行っている。

日の出の祈りが6時前後。
午前の祈りが14時前後。
午後の祈りが18時前後。
日没の祈りが20時前後。
夜の祈りが22時前後。

これは夏時間なのでややピンとこないかもしれませんが。
しかも月齢日に基づいて、時間は毎月少し変わって行くのです。

多い時は200人ほど。
少ない時で20人ほど。

たまたま訪れた日が雨だったので、2棟の隙間をビニールシートでカバーした狭い空間にひしめき合って、お祈りを挙げていた。







この措置を警察(内務省)が行った後、4月の22日に裁判所による「訴訟手続」が書類化され、5月3日にその措置が閣議決定された。

つまりわかりやすく言えば、裁判所による令状なしに『非常事態宣言』を根拠に内務省が暴走し、一週間後に裁判所が形式を整えるために書類化して、さらに2週間後に閣議決定で政府が追認したわけです。


これは、明らかに「社会的な見せしめ」としか言いようがない。

すでに結審している事件、しかも5年も前の事件を根拠に、当時は捜査もされていなくて無関係とみなされていたモスクとイマムを犠牲にした。

非常事態宣言は、行政にフリーハンドの権限を与えることになると言うことが、明確に分かる事例ではあります。

それまで使っていた「臨時」のモスクを閉鎖されてお祈りする場所を奪われたこと以上に、運営組合も閉鎖され口座が凍結されて所有財産を失うことが閣議決定で公式になったため、まともなモスクを建設するために10年掛りで住民たちが小銭を寄進して集めた浄財で購入したばかりの、将来のモスク建設予定地も没収ということになってしまった。

数学の教師で、宗教的は話などする時間すらなく、同僚教員たちも誰一人イマムであることも知られていなかった、イマムその人も定年目前にして、職を失う、年金までもしかしたら、という事態になってしまったのです。


さらにもう一つ。

パリの北に隣接する町『クリッシー市』でも、市当局が賃貸で提供していたモスクの建物を、昨年保守党の市長に変わった途端に契約期間の満期を理由に契約解除されて、遠く離れた狭い建物に移るように勧告。

反対してそこに居座ろうとしていた住民たちを強制排除してしまって、モスクを失った信者たちが抗議の一環として「市役所前」の道路で礼拝を行っている。

イスラムの戒律により礼拝は当然のことで、しかし公道上などで皆に迷惑をかけてお祈りすることは許されていない。

フランス共和國憲法で、宗教の自由は権利として認められている。

キリスト教徒が教会で、ユダヤ教徒がシナゴーグで、仏教徒が寺院でお祈りするように、イスラム教とはモスクでお祈りする権利がある。

にも関わらず。。。





毎日午後の礼拝を19時半頃。

金曜日は昼の礼拝13時半と午後の礼拝19時半。


最初に、市役所前の通りから市役所前の角を曲がったところの、市場の斜め前の小さな広場で、礼拝の前半を行う。

信徒代表による『アザーン(礼拝への呼びかけ)』がなされる。

イスラム諸国では、ミナレットの上のスピーカーから流されるあれだ。






その後、イマムの講話。






広場の、イマムに向き合う側にはなんとマクドナルドが。






女性たちは、別のシートの上にひとかたまりになって集まる。

本来はモスクでは男女別なので、このような街頭でのいっしょくたの場合は、女性はあまり多くは集まらない。

それから全員が市役所前の通りへ移動する。

巨大なビニールシートを引っ張りながら。






市役所前の通りは4車線。

歩道も5メートルはある。

その歩道全部と、車道3車線分を使って整列。






イマムの短いアザーンのあと、一斉に五体投地のようにひれ伏すことを繰り返す。






警官が数名で1車線を走る車を整理し、お祈りする人々を車から保護している。






今日は500人くらいが集まった。

最前列からもう一度見てみた。



この異常な光景は、イスラム人口の割合の多い町に住み、イスラムになんとなく反感を抱いている人たちには、とても醜い光景に移るようだ。

顔をしかめて横を通り過ぎる女性のお年寄りもいた。

このクリッシーの町は人口25000人。
そのうち4000名ほどがイスラム教とだとか。


そしてこの様子を我らがマリーヌ・ル=ペンは「この醜いフランスを、(フランス人の手に)取り返そう!』とツィートした。



『美しい国を取り返そうではありませんか、皆さん』

『教育勅語を暗唱し、総理大臣万歳!』と叫ぶ幼稚園児に笑顔で手を振るトップ・レディー。



日本も、着実に同じ歩行に進んでいる。

幸い明日の20時には、国民戦線の大統領は実現しないことは明らかだ。

日本の方が先に、ずっとずっと極右国粋主義の政府を戴いてしまったのです。


『秘密保護法』
『盗聴法』
『安保法』
『(テロ等)共謀罪』

そして、教養のない扇動家の総理大臣。


日本は危ない。

日本が危ない。





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大統領選挙の決選投票まであと1週間、そんな中でのメーデーのデモ行進は如何にと、凸ってみました。

2017-05-01 21:21:03 | フランスとヨーロッパの今日の姿



英国のEU離脱のあとを受けて、ドイツやオランダ、ハンガリーなどの極右勢力の台頭に重ね合わせて、日本のマスコミがこぞって『EUの危機』を煽り立てて何かが起こるのを待ち焦がれている<フランス大統領選挙>の、第一回投票を経て上位二人の候補者による決選投票『第二回投票』までの、2週間の選挙戦。


その、ちょうど中日の今日5月1日はメーデーということで、例年のデモ行進以上に両陣営に対する国民の支持の行方に、注目が集まっていた。


まさに両候補とは、保守派『共和党』でもなく、左派「社会党』でもないエマニュエル・マクロンと、国民の大半から蛇蝎のごとくに嫌われてきた「ヘイト政党」である極右『国民戦線(Front national)』の新党首マリーンヌ・ル=ペンとの一騎打ち。


もともと「国粋主義」を旗印にするFNは、この『労働者の祭典』がサヨクの象徴のごとき存在で、実にお気に召さない。

そこで、この5月1日になんとフランスの国家守護神『聖ジャンヌ・ダルク』に花束を捧げる式典にしてしまった。
1週間後の5月8日が、カトリックの聖人一覧で『ジャンヌ・ダルクの祝日』とされているにもかかわらず、である。

一方労働者の祭典としてのメーデーの行進は、時と場合で変更になることはあっても、基本的には「デモの王道コース」である『共和国広場(Place de la République)』から『バスティーユ広場(Place Bastille)』を経て、『国家広場(Place de la Nation)』であることが普通である。

今年も、同じそのコース。



そこで筆者は、その両方に突撃してみることにした。


それにしても、2002年のジャン=マリー・ル=ペンに次いで、支持者たちの悲願を受けて今回の大統領選で決選投票に残ったのが、娘のマリーヌ・ル=ペンである。

この娘、底意地の悪い性格でもともと人気がなかったことに加えて、父ジャン=マリーの右腕を務めてきた、副党首でジャン・マリー自身が推すブルーノ・ゴルニッシュに対抗して党首の座をもぎ取り、父親を党から追い出す様にして全ての関与を封じてしまったことで、結党以来の支持者、長年苦楽を共にした支持者を完全に怒らせてしまった。

その彼女は今年のジャンヌ・ダルク献花は行わないと宣言し、パリ北部シャルル・ド・ゴール空港に近い『ヴィルパント見本市会場』での政治集会を開催することを宣言。

その集会への参加を広く呼び掛けた。

対する父親、党の伝統を破壊されてなるものかと、ジャンヌ・ダルク献花を強行することを決定した。


はたして、「おとーさん」の権威は復活するのか、それとも…。



参加者は、これまで通り「パレ・ロワイヤル広場』に10時に集合。

そこから400メートル行進して、ジャン・ヌダルクの騎馬像のある「ピラミッド広場」へ。



集合時間の15分前。





まばらな人集りが、あちらに10人、こちらに5人。

既に早々と待ち構えている報道陣の数の方が、圧倒的に多い有様に「なんだかなあ」状態。

それでも、スキンヘッドの怪しげな風体のガタイのいいお兄さんたちや、背筋をピシッと伸ばした、着古してはいるもののクリーニングの行き届いた古めかしい背広姿のおじさま方が、徐々に集まってくる。

三色旗を配っているお姉さんも。






そして、集合時刻に20分遅れて親分ジャン・マリーの車が着くと、待ち構えていた報道陣のカメラが文字通り殺到した。



それから行進開始。

「ブルー・ブラン・ルージュ!(青白赤)」
「イスラム主義者は出て行け!」
「テロリストはやっつけろ!」

などのシュプレヒコールを繰り返しながら、5分でピラミッド広場に到着。

総勢150人も居るだろうか。。。







広場中央のジャンヌ・ダルクの騎馬像前には演壇がしつらえてあり、やがて白い百合の花束が据えられる。






天気予報は外れて雨は降らないが、冷たい風が吹き抜ける中を、震えながら30分待たされて、ジャン・マリー御大が登壇。

大音量のワーグナーのメロディーに送られて。







騎馬像に向かって頭を下げること30秒。

向き直って、演壇でスピーチを開始。







おん歳89歳!

しかし「アジ演説」はお手の物。

語り始めて15分、突如音声が途絶える。

マイクが効かなくなった。

アンプの故障か、断線かと皆が気を揉み「ジャン・マリー聞こえてないぞー」という皆の悲鳴を物ともせず、彼は語り続けた。

最前列の少数以外は、誰も何も聞こえない。
彼の口が動いているのが確認できるので、かれが演説を止めていないことがわかる。

『ドン・キホーテ』ル・ペン健在!






結局、30時分以上にわたって、彼の孤独なパフォーマンスが続き、やっと音声が戻って皆が拍手した10分後に、彼のスピーチはおわった。

1時間10分の演説中、聞こえたのは30分も無かった。


<ジャン・マリー、おまえの時代は終わったのだ。ゆっくりと休め>と、天の声が聞こえてきた気がしてならなかった。

前回まで1500人から2000人は集まっていた事をおもうと、実に寂しい「おそらく最後の「ジャンヌダルク集会」であった。

テレビカメラと新聞雑誌のスチール・カメラを合わせると、カメラの数が10倍はあったような…。



彼の演説の最後の言葉。

『フランス、フロン・ナショナル(国民戦線)、マリーヌ万歳!』

そして、

『ジャンヌ(・ダルク)よ (フランスを)救ってくれ!』






さて、その後元来のメーデーのデモ行進の出発基点『レピュブリック広場』に場を変えることにする。



14時半出発の予定。

1時間前には、結構な人が集まってスピーカーから溢れ出る強烈なビートに体を揺す振りながら、あちこちで其々のブループが集っている。

恒例の屋台もお約束通り。







キャンデーの屋台。







ミント・ティーを売る「アラブ系」市民。







ソーセージと串焼きバーベキューの屋台からは、逆らいがたいいい匂いが。。。







共和国広場のシンボル、広場中央にそびえる『共和国の女神』の像の台座に、何やらおもしろそうな人々が。

被っているお面は、見憶えが有る様な無い様な。

ん、マリーヌ・ル=ペン…にしては「より」不気味、とよく見れば、なんと親父のジャン・マリーの顔に、娘マリーヌの髪を被せた面白い作品。

聞いてみると、国民戦線とマリーヌに反対する人の一グループで『ジャン・マリーヌ』と言うのだそうで、皆で大笑い。

黄色いプラカードには「ハッシュタグ」Le Pen NON とある。







10以上もある労組の其々、さらにそれらの各産業ごとのグループ、パリとフランスで暮らす世界各国の人々の組織の旗が、数え切れない程はためいている。

なかには「マルクス・レーニン主義者労組」なんていう、半世紀前にタイム・スリップしたかと錯覚させられるものまで。


スタート時間を待ちわびて、「輪になって踊る」娘たちも出現。

通りかかる、いろいろなグループの女性たちが飛び入りで踊りだした。

最初5人くらいだったのが、20人以上が連なっていた。







そして、出発の準備を始めるグループもそろそろ。

最前列の横断幕に『一票たりともル・ペンに入れるな』という表記が見られる。







団体に属さないと思しき人たちも多く、各種思いを表す手製のプラカードやゼッケンを持つ人も多い。

『棄権することは、(ル・ペンを)サポートすること。憎悪の政治は拒否』と書いたゼッケンを胸にするご婦人。

写真を撮れなかったが、ユニークなユーモアたっぷりのものも多い。

若い女性が胸に『マリーヌを堕胎しよう』と書いていた。

選挙戦から「降ろせ」と、伝統主義にこだわり『堕胎反対』を唱える国民戦線の女党首への皮肉とを掛けているものと思われた。


下の写真は『炎を消そう。憎悪の政治にNON』というゼッケンのご婦人。

ちなみに国民戦線のロゴが「燃える炎」で、最近の彼らの台頭を消そう、という掛け。






「ル・ペンは危険、マクロンに投票しよう」






残念ながら枠に写らなかったけれど、カラフルな女性運動団体の横断幕にも「ル・ペンに反対」とあった。







そして、広場にいた『Le Pen NON』の黄色いプラカードの『反ル・ペングループ』の人たちも300人ほど続いた。







『棄権するということは FNを支持するということ』
という手書きのプラカードも結構目につく。







盛り上がる『反ルペン・デモ隊』








そして。

ある意味で多少期待していた訳だが…
和気藹々だったはずのデモ隊の一部が、後半機動隊と小競り合い。







デモ隊の一部が機動隊に向けて、建物の外壁材を剥がして投石。

機動隊に一気に緊張が走る。

先を行く人々との間隔を開けるために、デモ参加者を継ぐyすぎと「前へ前へ」と押しやる。







ついに催涙ガス弾発射。


デモ参加者は一斉に抗議。


普通デモ隊が暴徒化すれば、機動隊や軍隊が威圧して追散らす。

しかし、ここの彼らは防御線を弾きながら、下がる。

それより前のデモ隊と混ざらないように「阻止線」を維持しながら、下がる。

デモ隊は、機動隊に抗議の声を上げながら、機動隊の制止線を跳ね返す勢いで、迫り、前進を続ける。

怖がる気配など、微塵もない。






機動隊の催涙ガス弾による「攻撃」を非難しながら、機動隊員の阻止線を押しのけるように前進を続ける。

下がりながら食い止める機動隊の列と、機動隊に抗議する暴れた一部を含むデモ隊との、相対する最前列。




もう、報道陣の中には「ガスマスク付きゴーグル」着用、なんていう凄いカメラマンまで出現。







時折、部分的に衝突が繰り返され、投石の石の飛ぶのが見える。

しかし、それ以外の人たちは「われ関せず」と、それまでのリズムを崩さないところが凄い。

一部の参加者に聞いてみると、帰ってくる答えは決まって同じ。

「跳ね返る者たちはかならず居るもの。残念だけど、デモの本質は変わらない。私たちが今日ここを歩かなければ、ル・ペンの時代が来るかもしれない、そうなると、毎日こうやって歩かなくてはいけなくなるだろう。だから、私たちは今日歩いている。フランスの伝統的価値観に相容れない人たちに国を渡すわけにはいかない。自由や博愛や平等を否定し、多民族国家フランスをズタズタにしてしまう政権を、許すわけにはいかない。」






行進は止まる事なく、みな声を上げ続ける。

機動隊員も、暴徒化しない一般の参加者には一切圧力は加えない。

足元には、投げつけられた割られた外壁材が散乱していても。







6歳くらいのお嬢さんが、お父さんに肩車されて「ル・ペン・ノン」のプラカードを得意げにかざしていた。

今年のメーデーの『象徴的』光景だった。







筆者は、70年安保以来実に久しぶりに『催涙ガス』を浴びてしまった。

なんだか、懐かしく嬉しい1日だった。



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