読者の皆様。
謹んで、初春のお慶びを、申しあげます。
日本の社会のあまりの異常さに、ずっとずっとブログを更新できずに、悶えておりました。
国民に選ばれた政治家が、国民のために「まつりごと」を行う『代議制』にあって、政府が国民の利益に反することしかしようとせず、国民の声に一切耳を貸さない事態に、最大限の危機感を抱いております。
一体全体、なぜこんな事態が到来してしまったのか。
国民は、自分たちにもたらされている現実を、把握できないのか?
立ち上がって、実力行使を行わないのか?
国民の意識と行動原理の根底が教育にあり、明治維新以来の「お上の政治」がもたらした教育が、お上の僕を生み出すために存在し、自分で考え、自分で分析し、自分で判断するという発想をもたせてこなかった、その結果が見事に結果として現れているとしか、言いようがありません。
神頼みしか、もはや手立てはないのでしょうか?
人間の思考は、訓練によって形作られ、深めることができるはずです。
その訓練にあたっては、すべてとは言わないまでも、可能な限り多くの情報が提示されなければならず、その情報を整理し、理解し、判断する能力とともに、判断した後に実際にどう行動するかという、現実論が控えているはずです。
そして、その行動に対する現実のなかに、「世間」とか「常識」とか、目に見えない複雑な規制をかける要素が横たわっています。
世間の目、社会の常識、波風を立てずこれまでのやり方を変えず…。
こんな自己規制も、社会そのものが作り出し、その社会は一人一人の市民が形成することで成り立っている以上、市民自身が社会を規制している、ということになるのでしょう。
つまり、目の前の白線をまたげない、ということでしょう。
そして、状況はますます酷くなり、自分自身が置かれた環境はどんどん劣悪になり、それに気がついても反発する代わりに受け入れて、自己の忍耐と努力とでなんとか受け入れて、受け入れたことでその困難を乗り越えた気分になって、安心するわけですね。
徳川家康とルイ14世には、共通点があります。
それまでの時代を変えた。
その時代のキー・ワードは「17世紀」です。
家康は17世紀になって程なく世を去り、ルイ14世は17世紀になってこの世に登場します。
それまで両国とも、地方諸侯権力が無視できないほどに強力で、一国の統一感は無かった。
家康もルイ14世も、その社会を転換しました。
地方の勢力の力をなくし、国を一人の権力者の元に一本化して、いわゆる中央集権を確立しました。
ただ、この二人では「やり方」が正反対でした。
家康にとっては、自分の子孫が未来永久に栄えて存続すること、という一点のみが政治の原点でした。
ライバルである諸大名を、すべて無力化していった。
大名の固有の領地であった「藩」の所有権を『認めてやる』か『認めない』かは、権力を掌握した自分にある。
文句があれば「取り潰す」ぞ。
これは「恫喝」による強権政治です。
配偶者と世嗣の男子を自分の足元に留め置かせ、参勤交代などという膨大な出費を伴う義務を課し、ある藩の公共事業を別の藩にやらせる。
とにかく、常に大名たちの「実力以上」の出費を強いて、彼らを体力的に消耗させてゆくことに、すべての力を集中した。
それでも、ごく稀れに社会に文化が発展し始めると、「贅沢禁止令」みたいなことで潰していった。
庶民たちは、「お上」にはあくまで従順なまま、黙々と年貢を払い続けて忍耐力を養った。
一度「あり方」が定まると、変われない日本人社会はこの頃からすでに完成していた。
愚鈍な将軍が出ようと、平々凡々な将軍が続くこうと、もはや変われない。
その間に、支配構造は疲弊し劣化していった。
従って、安定は保たれたものの、社会全体の文化は発展できず「足踏み状態」のままで、260年間持続しました。
江戸という都市の構造や社会生活の実態は、ヨーロッパをはるかに凌駕していた先進的なものであったことは、いまは触れません。
ルイ14世は、全く逆です。
貴族たちを徹底的にもてなしたのです。
ヴェルサイユという壮麗な宮殿で「夜毎日毎」に、それまでの概念を超えた途方もないパーティーを繰り広げ、そのパーティーに貴族たちを招き、喜ばせます。
そのパーティーに招かれた貴族たちは、あまりの型破りな有様に驚き目を丸くして感動した。
招かれることが、名誉であり、差別化でありました。
自分で「自分は大貴族のはずだ」と信じている貴族達は、競って「招かれ」るために事前運動を繰り広げた。
大貴族たちは、自分の領地でふんぞり返っていても「面白いこと」に参加できないのでヴェルサイユに入り浸って、ルイ14世の周りでウロチョロし、なんとか国王陛下に「覚えていただき」仲間に加えてほしがり、領地は顧みなくなって『宮廷貴族』と呼ばれるようになってしまう。
そのパーティーとヴェルサイユの宮廷生活の、あまりの途方もなさに驚き目を丸くしている貴族たちに、ルイ14世は「大いに楽しんでくれ給え。諸君も自分たちで同じようなことをやれば良い」といい、結果として貴族世界の文化がどんどん底上げされていったのです。
各国との戦争も続いたが、「宮廷と一体になった」貴族たちは、フランスの名誉のために「自らの意思で」戦い、勝利を続けていった。
勝てば相手国から「戦時賠償金」は取れるし、領土も増える。
国庫は潤い、国民たちの生活も安定し、そのプライドも十分満たされる。
国はまとまり、強固となる。
しかし。
天才ルイ14世の遺産を受け継いだルイ15世は、ごく普通の「秀才」に過ぎず、天才が築いた途方もない国力を秀才が受け継いでも、発展させることはおろか、維持してゆくのも難しい。
対外戦争に負ける事も出てくる。
負ければ戦時賠償金を取られ、領土も割譲させられ、国民のプライドは傷つく。
国庫は苦しくなり、取り返すために、すぐ次の戦争をやる羽目になる。
その戦費調達のために増税を行い、国民の生活は困難に陥ってゆく。
国としての、物理的精神的統一感が緩んでゆく。
負のスパイラル。
そしてルイ16世は、探せばどこにでもいる「平凡な」単純ないい人に過ぎなかった。
平凡な王は「平時」であれば問題ない。
しかし、経済が完全に逼迫した事によって、社会の制度全体が崩壊寸前となってしまった大国の君主には、強力な才能と強烈な個性とが求められる。
日本は「将軍」が愚かでも、諸大名は反発などしないし、ましてや庶民は「まつりごと」の埒外で存在していたので、260年の間続いた。
ところが。
日本と違ってフランスは、民衆自体がお上の一方的なやり口をどこまでも我慢して受け入れる民族ではないので、革命が起こり、結局ヴェルサイユの栄光は160年しか続かなかった。
しかし、対外的な影響力としては、政治と文化の面では20世紀初頭まで、ヨーロッパ全体に君臨したのです。
家康と、ルイ14世と、どちらのやりかたが良かったのか。
物事は、そんな単純なものではありませんが、少なくとも「国家の影響力」は全欧州的に260年続き、国民は革命を起こして自ら自由と平等ととを獲得して行く足がかりを得た。
やはり、神頼みでは何事も変わらない。
『神風』は吹かないのですね。
そして、恫喝では国民の心は得られないのです。
現時点での日本の実態は、17世紀から19世紀にかけてのフランスと日本との、悪い点だけを併せ持ってしまった。
無能な支配者と、物理的に抵抗しない国民。
其の結果が、今の日本なのではないでしょうか。
今年は、衆参同時選挙になるでしょう。
そして、このままでは自民党は、公明党と大阪維新との協力で、衆参両院で共に3分の2を確保するであろうことは、間違いない状況になっている。
そのあとは、当然憲法改悪が待っています。
『基本的人権が国民に有るのがおかしい』
そんなことを声高に発言する副幹事長が居る政党の政府です。
どうしますか…?
私は、個人的には、行くところまでいかないと日本の国民は「変われない」と思ってしまいます。
70年前焦土と化した国土を前に、涙し不戦と平和を誓った日本人。
あの様な状況に再び陥らなければ、国民も、報道も、官僚も、そして政治家も、変われないのではないでしょうか。
あの頃と違って、即座に日本が対外戦争に突入することは、ないかもしれません。
しかし、宗主国アメリカの経済的・人的負担を肩代わりするべく、自衛隊を中東に送るでしょう。
中東だけで済むとも思われない。
マイナンバー制度と、目下準備中の共謀罪、さらに秘密保護法で、日本はこれまでの日本とは違う気にになります。
原発も次々と再稼働させて行きます。
兵器を開発し、国際的に売り出して行きます。
ルイ14世は、大貴族たちをもてなすことで国家を統一し、対外的力の源泉としました。
フランスの文化は全欧州の規範となりました。
安倍晋三は、大企業をもてなすことで国家を危険な方向へと導き、対外的に危ない国として観察され始めています。
大貴族をもてなして築き上げた国力は、国民が一旦倒したフランスにいて、大企業をもてなして国民が立ち上がらない国を、憂いております。
今年、日本の辿る道は、どこに向かうのか。。。
起死回生の奇跡は起こるのか。。。
日本にもジャンヌ・ダルクが現れるのか。
森裕子さんでも良い。
太田和美さんでも良い。
他の誰かでも良い。
現れるのなら、現れて欲しい。
神頼みに走りしかないほど、祖国は傾いている。
新年早々、思いは現実の苦しさに苛まれております。