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晴れのち曇り、時々パリ

もう、これ以上、黙っていられない! 人が、社会が、日本全体が、壊れかかっている。

今の日本の社会には『国会運営』と言う名の三流ドラマを見せられている様な暇はない筈だ。

2012-02-29 23:19:07 | 政治と社会
「一緒に消費税を引き上げるために、(法案を)通すために努力しようじゃありませんか」



今年最初の「党首討論会」だそうだ。



▶党首討論:野田首相「党内51対49でも提出」 谷垣・自民総裁「解散後に協力も」 「小沢抜き再編」見極めも(毎日/見出し)

>今通常国会初となった29日の党首討論は、野田佳彦首相と自民党の谷垣禎一総裁が消費増税をめぐる応酬を繰り広げつつ、「民・自」協力の芽を探り合う展開となった。

>首相は「51対49でも(民主)党で決めたら、しっかり野党と協議する。皆さんもぜひそうしていただきたい」と小沢一郎元代表らの反対論を押し切って消費増税法案を年度内に提出する決意を強調し、今国会での成立へ向けた協力を要請。

>与野党協議を拒否した谷垣氏も「(次期衆院選後は)協力する道はいくらでも開ける」と述べ、首相が「小沢切り」に踏み切れるかを見極める構えをみせた。



何が何でも「増税」したい!

その「確個たる姿勢」は、一体どこから出て来るのか?


勝英二郎を通じて、財務省から完全にマインド・コントロールされている事は、知る人ぞ知る、明白なる処ではある。

しかし。

ただ、「役人」の一方的具申だけで、ここまでの「決意」が形づくれるものか、非常に不思議である。

相当の「弱みを握られている」としか、他に合理的な理由付けは見つからない。

『小沢冤罪』を散々見せつけられて、小沢の二の舞にだけはなりたく無い、というトラウマでも形成されてしまったか。

叩けば「ホコリ」は溢れかえる程出て来る身としては、多いに有りそうな事だと思える。

それにしても。。。



>「一緒に消費税を引き上げるために、(法案を)通すために努力しようじゃありませんか」。首相は党首討論で谷垣氏に正面から協力を呼びかけた。その切り口としたのが、野党側の批判する「交付国債」だった。

>政府は12年度予算案に基礎年金財源の一部を計上せず、将来の消費増税で償還する交付国債で賄う方針。自民党はこれを「粉飾的」と批判し、赤字国債を発行する対案を示している。

>首相は「(赤字国債の)償還財源は消費税か」と逆質問。谷垣氏が「その通り」と答えると、首相は「いい答弁をいただいた」と歓迎し、消費増税では共闘できるとの認識を強調した。



見事に構成の行き届いた「シナリオ」を、見事に演じ合っている様に見える、お二人様である。

もともと、消費税の税率アップは「自民党」の根幹をなす政策であった。
で或るからには、野党になったからと言って、「与党の政策には総て反対」と対決姿勢を見せる訳にもいかない。

国民は、みな分っている。


しからば、政党間の事前協議をやるかやらないか、あらかじめ「結論有りき」の国会論議にはしたく無いかどうか、といった「技術論」的反対しか出来ない立場としては、谷垣総裁の身の置き所は苦しい所ではある。



>自民党内には「小沢切り」や、民主党の掲げる「最低保障年金」の撤回などを条件に法案賛成を模索する動きもくすぶる。



結局の所は、それが「落としどころ」。
それしか無い。

と言うよりも、税金の話も、公務員給与の話も、年金の事も、全て「小沢を屠ってから」の後始末に過ぎないのでは無かろうか。



>谷垣氏は最低保障年金について「棚上げなのか、撤回なのか」と迫り、与野党協議の糸口となることを示唆。消費増税法案への対応では「まず党内をきちんとまとめてほしい。小沢さんは倒閣も示唆している。説得できるのか」とけん制し、小沢元代表と決別する覚悟を問う発言とも受け取られた。

>自民幹部は「衆院選後の政界再編では小沢一派のいない民主党の一部と『第2の保守合同』だ」と思惑を語る。



「衣の下に鎧がちらり」

どころか、狙う処がギラギラの見え見え。


要するに、与党議員も野党議員も、日本の明日の為に旧来の「悪しきを切る」事が、許せないのだ。


何の為に「国会議員」などになったのだろう。
哀れな者共ではある。


そんな議員達の存在が、国民は許せない。



>民・自協力のムードを感じ取った社民党の福島瑞穂党首は「谷垣総裁の完敗だ。自民党は消費増税に賛成だから対立軸にならない」と皮肉った。
【毎日新聞/2012年3月1日 東京朝刊】



あ~あ。

かっての「最大野党」の成れの果てが、与野党「二大政党」のやり口を、指をくわえて横目に眺めながら、「皮肉る」事しか出来ない。

これ又、哀れ。


そして、この「茶番劇」には、ちゃんと伏線が有ったらしい。



▶極秘会談:野田首相と谷垣自民総裁 消費増税で協力模索か(毎日/見出し)

>野田佳彦首相と自民党の谷垣禎一総裁が2月25日に東京都内のホテルで極秘に会談していたことが29日、明らかになった。

>両氏は消費増税の必要性では一致しており、野田政権が3月提出を目指す消費増税法案の成立へ向けた協力が可能かを協議したとみられる。



こう「断定」されてしまうご両人。

国民の生活より、財務省の収入が優先。
国家経済の崩壊より、霞ヶ関の蓄財の方が優先。

見事。


>首相は消費増税に反対する民主党の小沢一郎元代表への警戒感を強めており、自民党の求める今国会中の衆院解散・総選挙に応じる代わりに、次期衆院選後は小沢グループを排除して民・自両党が大連立か政界再編で連携する「話し合い解散」も議題になった模様だ。



その「根回し」の結果が、討論中の「谷垣総裁」の上記の発言である。

こんな事、バレちゃダメだろうに。
おかげで実に、分りやすい。



>関係者によると、会談は首相の働きかけで行われた。詳細な会談内容は明らかになっていないが、首相は「このままでは消費増税法案を小沢元代表につぶされる」と強い懸念を示したという。



いくら楽観しても、どれだけ司法官僚の法の暴力を黙認しても、やはり「お天道様は見ている」事が怖いのだ。


「年度内に提出する。51対49の(民主)党内世論でも、手続きを踏んで決めれば、みんなで頑張っていく」

民主主義は<数>である。

51で勝ち。

しかし、自分の国(という認識を持っているかどうか定かでは無いが)の、命運をかける如き「重大案件」を、党内で51対49になる様な「大混乱」を、野党を頼んでやり逃げしようと言うその根性は、そのエネルギーは、どこから湧いて出るのか?

「弱みを握られて」居るだけで、ここまで「不屈」になれるものなのか。

泥鰌は人間の精神とは、違う神秘の力でも持っている生き物なのか。



>党内で小沢元代表らが反対しても、あくまで3月中に消費増税法案を閣議決定し、国会に提出する方針を強調した。

>これに対し谷垣氏は早期の衆院解散・総選挙を改めて要求。「それをきちんとやれば、私たちと方向性が合い、協力する道はいくらでも開ける」と述べ、選挙後は消費増税の実現へ向け協力する考えも示した。



例に依って「見て来た様な」書き方である。

リークによる記事の典型。

この事実がTVで流れた後、両者ともに「否定した」と言うが、噴飯物である。



>会談について首相は29日夜、首相公邸で記者団に「会っていません」と否定。谷垣氏も党本部で記者団に「全くなし」と述べたが、将来的に会談する可能性については「一般論だが、政治家は場合によって、さしで会って話さなければできないことはいろいろある」と含みを残した。
【毎日新聞/3月1日02時35分配信】



要約すれば、小沢一郎に対するメッセージなのだ。

『どれだけ反対しようと、もう自民党とは話はついている。かちめはありませんゼ』

小沢一郎よ、屈服せよ!


巷では、ネットのなかで数多くの情報が流れている。

特別会計やら、年金基金の引き当て金の積み立て分やら、国債償還の引当金の余剰分とか、具体的な数字まであげて「増税不可欠」が、如何にマヤカシであるかが、広まっている。


しかし、それらの「声無き声」の情報は、一般社会の市民達には届かない。

天下御免の大新聞と、NHK とが「増税路線」に沿って国民の意見集約を実行している事実に、太刀打ち出来ない。


政府と、国会と、官僚と、財界と、学界と、報道とが、一丸となって「国民をたぶらかし」て、騙して、国民からの搾取を更に強める為に躍起となる、摩訶不思議な国。

スパイラルに落ち入っている「デフレ」の出口無しの状況下に有って、更に増税する愚かさを、分っている筈の「専門家」である財務省が率先してやらせようと首相を操り、国会議員を操り、報道を通じて国民を操って、無理矢理成し遂げる。


政府と、国会と、官僚と、財界と、学界と、報道とが、全てグルとなって国を傾けて、搾取を継続するシステムは、もはや修正は不可能なのでは有るまいか。


たとえ、小沢一郎が「晴れて無実が明かされ」て、政府を立て直せる立場についたとしても、一人の『剛腕』だけでは、如何ともし難いのでは有るまいか。


財務省の影響力を無くす為に『歳入庁』を設置したとして。

今までの様な、無能な政府の如くに「新たな官僚ポスト」を増やすだけの存在では無く正しく機能したとしても。

更に「事務次官」制度の廃止やら、「官僚の国会答弁」の禁止やら、予算の総組み替えを実施して「省庁お手盛り」予算編成を止め、各予算を必要に応じて必要な額だけを、必要な部分につける事が出来る様になるとしても。


所詮は、今の国会議員達を見ていれば、「改革の精神」など理解する事は能わぬであろうし、各部門の大臣以下政務三役が、早々に官僚の手で籠絡されてしまうのは、眼に見えている。


その間に、報道組織の制度を変え、クロスオーナー・シップを廃止する事にするとしても。

絶対に山ほどの抵抗が、霞ヶ関各所や財界やらから一気に押し寄せ、実現にまで漕ぎ着けられずに、流されてしまうのは眼に見えている。

その間のマスコミは、(小沢)政府の批判宣伝に明け暮れるであろう。

多くの国民達が、彼等の報道をそのまま信じ込んで行く事であろう。


要するに、各所各場に「小沢一郎」が居ない事には、事は進まない、と言う事だ。


実際「小沢幹事長」下で、鳩山総理が何が出来たかを振り返れば、自ずと見通せることである。


日本と言う国家の有り様は、根本からあらゆる枝葉までが、「親米官僚組織」と「強欲経団連」との手で、全て有機的に絡めとられ、絡み合い、解きほぐす事など絶対に不可能な所まで、来てしまっている。

そんな気がしてならない。

それこそ、強大な指導者がいでて、何から何までを「一気呵成に」同時進行で、ぶった切り破壊しつくさないと、日本の病巣は摘出出来ないし、病状は改善出来ないと、思ってしまう。


クーデターによる独裁政治。

それしか、日本を救う手段は無さそうに思えてならない。


そして、人類の歩んで来た歴史をひもとくと、強大な独裁権力を振るえる人物が出て来たら、ほとんどの場合は「正しい方向」とは逆の方向に力を行使するのだ。

毛沢東、お。
チャウセスクも。
ムバラクも、カダフィーも。

登場した時は、英雄であった。

救国のヒーローであった。

そして、国民全員が彼等を讃え、世界中も尊敬のまなざしを送っていた。


その後、彼等の行動が明らかになるに連れて、実は救国の祖でもヒーローでも、なんでも無かった事が、明らかにされる。

実は、単なる強欲の独裁者であった。

国民の多くを、殺したり傷つけたり、苦しめた事が分って来た。


アフリカ諸国には、もっと酷い例が山積している。


しからば、「日本を救う事が出来る」強大なヒーローなど、望むべくもなのだろう。

例えば、ヒーローと言うにはもの凄く小粒ではあるが、橋下徹を見てみるが良い。


多くの国民の支持を集め、拍手喝采されて権力を手にする事が出来そうな、そんな可能性のある。

旧来の政党がおもねり、彼にすり寄って合同すれば。

その間、マスコミ挙げての応援が期待出来れば。


しかし、彼の発想、発言、態度、これまでの実績、何一つ「国を救う」能力も、その思想も哲学も有りはしないでは無いか。

それでも、今のままで総選挙にでもなれば、大連立の野合を実行した彼を総理にする事だって、恥とも思わない「野田」であり「谷垣」でありその他大勢である事は、見えている。


日本は救われない。


それこそ「最後の審判」を迎える為の全社会の崩壊と消滅でも無い事には。

救われる「変革」は、起きる可能性は無い。


座して亡びるのみ。

しからば最後は、騒がず恐れず、日本人としての存在を改めて噛みしめながら。

笑って逝く事にするか。

優雅に酒でも酌み交わしつつ。


亡びて行こうか。



国民の多数が、目覚めるならば、何とでもなるのだが。。。。。


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『シャンパーニュ』液体の宝石の造られる現場への誘い【日曜フォトの旅】

2012-02-26 23:27:50 | 歴史と文化
人の歴史と共に、酒が存在したと言う。

『命の憂さを払う玉箒』
「酒無くて、何のこの世の命かな」


でもって、世界中に人種の数以上に存在する「お酒」の中の、『宝石』と言われるのが<シャンパーニュー>である。

蒸留酒では無く、「醸造酒」であるにも拘らず、葡萄を絞ってから最低3年、良質の物となると10年以上の年月を経て、人々ののどを潤す。

ダイヤモンドの煌めきに比せられる、繊細できめ細やかな「泡」を立ち上らせながら。


その、シャンパーニュと言うお酒は、ワインの一種である。


ワインとは、言うまでもなく<葡萄>から醸されるお酒。

いろいろな種類のワインが存在する。

色で分けると。
「白ワイン」
「ロゼ・ワイン」
「赤ワイン」

やや上級になれば。
「黄色のワイン」
「灰色のワイン」
「緑のワイン」


糖分の存在で分けると。
「ドライなワイン」
「甘いワイン」
この<甘い>ワインには、甘みを残すプロセスでまた各種ある。
「貴腐ワイン」
「アイス・ワイン」
「遅摘みワイン」
「藁のワイン」


そして、<状態>で分けると。
「スティル・ワイン」
「スパークリング・ワイン」

スパークリング、即ち<発泡>ワインにも、その泡の発生のさせ方で、いろいろなタイプが有る。

醸造の過程で、完全に発効が止まらない状態が続くのを、そのまま瓶に詰めてしまうと、微かに泡が残る。

ポルトガルの「ヴィーニョ・ヴェルデ」や、イタリアの「カヴァ」の様に。
この種類は「微発泡ワイン」と呼ばれる。

次に、人口的に泡を造り出すやり方。


これの一種が、シャンパーニュである。


フランス東部、パリから50キロから150キロあたりに『シャンパーニュ地方』がある。

かっての、「シャンパーニュ伯爵」の領土で、中心都市は『ランス』と『トロワ』と『シャロン』。


     
     ランスのノートル・ダム大聖堂


ゴシック建築教会の<華>と言われる最高傑作のカテドラルが有り、歴代フランス王が戴冠式を行った。


     
     素晴らしいステンド・グラス


     
     シャガールのデザインになるステンド・グラス



先ず、生産地の区域の限定。

この『ランス』と『シャロン』そして『バール』と言う街に挟まれる三角形の土地の中で生産される事。
土地の「土壌」の特殊性が、他の土地にでは得られない結果をもたらします。


次に。

伝統的な「独自の製法」に忠実に造られる事。


その条件を満たして、始めて『シャンパーニュ』と名乗って商品として売り出す事が出来る。

その、伝統的製法とは。


先ず、葡萄の品種の限定。

黒葡萄の『ピノ・ノワール』と『ピノ・ムニエ』
白葡萄の『シャルドネー』
のみが、認められる。

一ヘクタール当たりの「株」の数も法的に規制されている。

葡萄を収穫した村で搾る。

一度の圧搾に「4トンの葡萄」を小刻みな三回絞りを三度。

何故、小刻みに九回もプレスするかと言うと、力をかけすぎると種や果皮を傷つけて、不純物が混じって来るから。
静かにゆっくりと、圧搾する。

それで合計2550リットルの果汁を搾る。
以上でも以下でもない。

最初の一絞り目は、ホコリやその他が混入している可能性が有るので、捨てる。
最後の三回目の三回目も、種や果皮が潰れて「タンニン」が出て来るので、捨てる。

後は、普通の白ワインの醸造プロセスと同じ。
ただ、品種ごと、畑ごと、夫々別々に発酵させる。

通常は、ステンレスの発酵タンクの中で。


     
     発酵タンク


発酵という化学変化は、葡萄の果汁の「糖分」を、果皮に生息する酵母が分解して、「熱」と「二酸化炭素」と「アルコール」とをもたらす過程を言う。

非常にデリケートな温度管理が求められ、酵母の敵である他の細菌などの混入を防ぎやすいため、最近はこのようなステンレスのタンクが使われ、温度管理はコンピューターで監視されている。


しかし、中には昔ながらの困難を伴う「樽発酵」を止めない蔵本も有る

樽仕込みは、温度管理や衛生管理の面だけでなく、葡萄自身の品質が飛び抜けて良く無いと、「白ワイン」は木のタンニンに負けてしまうので、例えばブルゴーニュの『モンラッシェ』など、グラン・クリュ(超一流銘醸酒)のクラスでないと、行われない。

シャンパーニュでは『クリュッグ』のみが、樽仕込みを行っている。


     
     『クリュッグ』の発酵用の樫の樽


葡萄の糖分が、酵母によって分解されてアルコールが発生する。
この過程を、「アルコール発酵」と言う。

9月末に摘み取り、10月初旬には発酵が終わる。

その後、静かに安定させて置き、ある環境(気温その他)が整うと、やがて又微妙な発酵が起こる。

葡萄の果汁に元来含まれている<リンゴ酸>が<乳酸>に変わるのだ。
このプロセスを「乳酸発酵」と呼ぶ。

それで、始めて「白ワイン」の誕生。
ここまでを「一次発酵」という。


赤ワインも同じであるが、乳酸発酵を経ないと「舌をさす」刺激のある酸味のままで、美味しいワインにはならない。

この「乳酸発酵」が自然発生する為に大変デリケートな温度管理が求められる。

このような「発酵のメカニスム」が解明されたのは、僅か数十年前の事で、それ以前は自然の気温変化で、乳酸発酵が起こらなかったり、或はボトルに詰めた後で起こって破裂したり、ワイン造りは「神様のご意志」次第だと、信じられていた。


『シャンパーニュ』が造られるのはここから先である。

出来た白ワインは、畑ごと品種ごとに、蔵本にも依るが数十種から百種を越える程の種類に分けられている。

それを、『オーナー』と『セラー・マスター』とで、利き酒をしながら、<どの>ロットと<どれ>とをブレンドして行くか、を決める。

つまり、シャンパーニュは「有るメーカーの製品」は、世界中のどこで何時買って飲んでも、常に「その味」という物を守って行く為に、毎年ブレンド作業が非常に重用となるのだ。

「モエ・テ・シャンドン」のブリュットは、<この味この香り>なのであう。


ブレンドが決まったら瓶に積める。

その際、同じ白ワインで砂糖をとかした「リキュール」と呼ぶ糖分を加え、少量の酵母も加えて、王冠を打って密閉する。

砂糖は必ず「サトウキビ」製。
というのも、ヨーロッパで砂糖は普通「ビート(甜菜=砂糖大根)で造られるが、コクが無い。


その状態で地下深い「カーヴ」におろし、水平に積み重ねて「長時間」寝かせておく。


「カーヴ」とは一般的にワインの熟成用の地下室の事を指す言葉である。


     
     『ポメリー』社のカーヴに下りる階段(下から見上げた光景です)


ここシャンパーニュ地方は、古代にローマ人が建築石材を切り出した立坑が数多く残っていた。


     
     トンネルの要所要所に残る、ローマ時代の立坑が空気抜きとなっている


その立坑を繋いで掘り抜いたトンネルで、各蔵本が独自に敷地の地下に持っている。

おおて蔵本になると、総延長距離30キロメートルにも及ぶ。


     
     地下のカーヴにおろされて、積まれているボトル


光のほとんど届かない、温度変化も無く年間を通じて10度ないし13度ほどで、湿度75%から90%もある地下の「熟成倉庫(カーヴ)」に、寝かせる。


そうすると、添加した酵母が添加した糖分を、瓶の中で分解し新たな発酵が始まる。

二次発酵「瓶内発酵」と呼ぶ。


もし瓶が破裂した時、総崩れにならない様に、水平積みの一段ごとは「桟木」が通されている。


     
     首と底とを互い違いに水平に積まれた瓶(青い部分は王冠)一本破裂している


その「瓶内発酵」で発生する<熱>はカーヴの冷気で吸収されてしまうが、<炭酸ガス>は王冠で密封されている為に、逃げ場が無い。

その「ガス」が、ワインにとけ込んで『泡』となる。


この「発酵の秘密」を発見したのは、ある修道僧であった。


     
     黒葡萄「ピノ・ノワール」が作付けられている『モンターニュ・ド・ランス』


「ランス」と、その南30キロに位置する「エペルネー」の町の間に、標高200メートル程の山が有る。

その『モンターニュ・ド・ランス(ランス山)』の一角に『オーヴィレール』という修道院が有った。


     
     この森の奥に『オーヴィレール修道院』の教会堂が残っている



その修道院で造るワインを管理していた修道僧が『ドン・ペリニョン』師といった。


     
     『モエ・テ・シャンドン』本社にある「ドン・ペリニョン」師の銅像


ある年の春、その前の秋に仕込んだワインが、倉の中で全部破裂していた。

悲しくて、悔しくて、彼は割れた瓶の底に残っていたワインを舐めてみたら、今まで飲んだ事も無い美味しいワインになっていた。

彼は、必死で研究して「瓶の中で起こる発酵」に気がつき、それを人技的に起こす技術を確立した。



     
     オーヴィレール修道院聖堂


この教会に、「ドン・ペリニョン」師は眠っている。


     
     「ドン・ペトリュス・ペリニョンここに眠る」とかかれた墓碑銘


かくして人間は、「泡を吹くワイン」を造り出す。


瓶の中で発酵を起こした酵母は、糖分が無くなると死滅して滓となる。

発生した炭酸ガスが、瓶の中の気圧を6気圧程に高める。
酵母のカスは、「オリ」となって瓶内に残っている。

その「オリ」が瓶内に留まる時間が長ければ長い程、ワインはきめ細かく繊細になって、泡も細かく芳醇になる。

従って、瓶は寝かされたままの姿で最低3年、葡萄の作柄の特に良い年の物は5年から7年、眠ったままに置かれる事となる。

大手の蔵本では、数百万本が眠っている。

小口の「造り酒屋」程度の農家は、何年も眠らせると「固定資産税」を負担しきれないので、2年熟成させれば「シャンパーニュ」と名乗って商品化して良いと、法的に決まってはいるものの、よりきめ細かな泡が長時間途切れずに立ち上る様な仕上がりには、2年では短すぎるのだ。

作柄の良い年の、「ヴィンテージ」をつける物は、最低5年は寝かせる。

各メーカーの「最上位」の商品、例えば『ドン・ペリニョン』や『ルイーズ・ポメリー』クラスだと10年以上寝かせておく。

クリュッグは、一番安価なタイプでも5年では出さない。


各蔵本では、本当に素晴らしかった年、従って性格が強いため長持ちするものは、特別オーダー用になくなるまで保存してある。

オリが入ったままの状態で置いておくと、劣化しない。


     
     宝物の様な古い瓶のストック


     
     特別の許可を戴いてフラッシュを焚いて写した


クリュッグでは、なんと1874年の物が一瓶保存されていた!



セラー・マスターが定期的に利き酒をして、これ以上時間をかけてやっても「これ以上にはならない」と判断した時、いよいよ「最後行程」にかけられる。


瓶の内側にべったりくっ付いている「オリ」を取り除かなければならないのだ。

その段階になると、瓶を『ピュピートル(動瓶棚)』に、首を引っかける様にして差し込む。

最初はほぼ水平に。

そして、「動瓶師」と言う専門家が、毎日各瓶を少し左右に回す動きをして
は八分の一程、回転した状態に変えて、瓶の角度も少しずつ変えて行く。

瓶の底に一カ所印を付けておいて、時計の時刻の位置で何分の一回転させたかが分る。

棚の板の厚みを利用して、入り口と出口で大きさが違って居り、瓶の首を奥に差し込めば、瓶が水平から垂直に近い角度へと変わって行く。


     
     ピュピートルに差し込まれた状態の瓶


揺すって、回転させて「オリ」を瓶の壁面から「そっと」剥がし、瓶の角度を変えて行く事で、徐々に「首の方へ」おろして行く。


二~三週間かけて、オリを「中身が濁らない様に」慎重な手順で首の位置に集めてしまって、瓶の首の部分だけを「冷凍液」に数分浸けると、オリの部分だけが凍ってしまう。

王冠を抜くと、内圧で氷った<オリを含んだ氷>が飛び出して来る。

それで、瓶内にオリが無くなり、完全な清酒の状態になるのだ。

その際、内部の圧力が二気圧程減って、四気圧程(4バール)になる。


氷ったオリを取り去って減った分だけ、同じお酒を注ぎ足す。
その時点で、ほんの少量の砂糖液(サトウキビの砂糖+発泡する前の白ワインン)を加える事で、味を調整する。

その後、例の「シャンパーニュ」のシンボルとも言える<コルク栓>を打って、圧で抜けない様に針金をかけ、ラベルを貼る。


以上のプロセスを「全て正確に」経る事で、『シャンパーニュ』と名のる事が「法的に」認められるのです。



世界中で造られる「発泡ワイン」は、せいぜい数ヶ月から、長くても一年で出荷する為、気泡が大きく荒く、30分もすると抜けてしまう。

シャンパーニュは、コストを度外視して「長い年月」を与える事によって、あれだけきめ細かい繊細な泡が立ち、グラスに注いで一時間経っても、泡は立ち続けるのだ。


     
     クリュッグの「テイスティング・ルーム」



バブルの頃お水の世界で、売り上げを上げる為に「お腹がふくれない様」に泡を飛ばして飲む事が見られた。

あの繊細な「泡」を造り出す事に、大げさに言えば「命をかけてる」作り手に取っては、酷なはなしである。



     
     ポメリー社の最高級シャンパーニュ『キュヴェ・ルイーズ』


     
     ポメリー社の一部外観


     
     19世紀末、パリ万博にポメリーが出品した「大樽」


この巨大な樽は、樽造りの技術を示す為に、万博に出品された。
デザインは、あのアール・ヌーヴォーの旗手『エミール・ガレ』でる。


     
     ガレのサイン




さあ、至高の飲み物が完成した。

あとは、美味しい食事が欠かせません。


ランス一のホテル『レ・クレイエール』の食事は素晴らしいです。


     
     レ・クレイエール

このシャトーは、ポメリー社の中興の祖『ルイーズ・ポメリー』が建てた。

今は、ランス「シャンパーニュ事業者協会」の共同出資でホテルに改造されている。


     
     緑豊かな敷地に悠然と立つ「レ・クレイエール」

ここのレストランは、かって名シェフ「ボワイエ」氏が3つ星を持っていた。

息子が継いで、更に今は別のシェフに委ねられて二つ星を誇っている。



しかし、私がお勧めしたいのは「モンターニュ・ド・ランス」の畑のど真ん中のホテル。

シャンピオン村に有る、かっての馬車の馬を取り替える「宿駅」で有った『ロワイヤル・シャンパーニュ』である。

以前、拙ブログで既にご紹介した事が有るのだが。


     
     ナポレオンも泊まった「ロワイヤル・シャンパーニュ」



何しろお部屋から、そのまま「葡萄畑」を見晴らせる。



     
     窓から葡萄畑が! 外のテラスには寝椅子も完備


     
     この景色が貴方の物


     
     レストランの一隅


ある日のディナーをご紹介しよう。


     
     「アミューズ・ギュル(突き出し)」


ハーブのクリームに、ハーブのギャレットに、スモーク・サーモンに…。


     
     前菜(1)


ポロネギと、フォワ・グラのエミュルジオン(泡仕立て)。


     
     前菜(2)


鹿のテリーヌ。


     
     メイン(1)


ラングスティーヌ(手長海老)と、グリーン・アスパラ


     
     メイン(2)


ホタテとハーブのエミュルジオン・ソース


     
     メイン(3)


小鳩のロースト(胸肉と手羽)。


     
     デザート


最後は、エキゾチック・フルツーツ(マンゴーやパション、グァヴァ)風味のスフレで。


ちなみに、このレストランは一つ星です。


口福はお届け出来ませんので、せめて眼福だけでも。。。。。


コメント (4)
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復興するつもりあるのですか…被災中学生が直言/平野氏「胸にぐさっと来た」検討を約束。【週末一口時評】

2012-02-25 20:49:36 | 政治と社会
一週飛んでしまいました。

久しぶりの、<週末一口時評>をお届けします。



【今週の悪党共】

<ご注意>
気色悪い写真の連続です。
心臓に不安の有る方は、ご用心下さい。
いかなる結果になろうと、拙ブログは一切の責任を負いかねます。



     
     「一体改革は不退転の決意で!」


▶「数」で圧力の小沢氏、野田首相も譲る気配なく(讀賣新聞/2月24日(金)10時18分配信)
▷党内では、2人の直接会談により、事態収拾を図る案が浮上しているが、双方とも今のところ譲る気配は見えない。



     
     「腐った狸は東電を食い物にします!」


▶<民主>東電改革へ仙谷氏始動 市場自由化に意欲(毎日新聞/2月25日(土)2時31分配信)
▷民主党は24日、「東電・電力改革プロジェクトチーム(PT)」の初会合を開き、仙谷由人政調会長代行がPT会長に就任した。
「影の首相」とも言われた仙谷氏にとって久々の表舞台。ここに来て登場した背景には、東電への公的資本注入を巡り、政府と東電の攻防が激化していることがある。



     
     「東電は不滅です! 私の退職金も不滅です!」


▶<東電>全取締役の退任要求 政府方針、新任は半減(毎日新聞/2月25日(土)2時30分配信)
▷政府は24日、東京電力の取締役17人全員を6月の株主総会で退任させる方向で調整に入った。1兆円規模の公的資本注入に伴う経営責任を明確にするには、取締役全員の一斉退任が不可欠と判断した。勝俣恒久会長らは退職金も放棄させる。また、取締役の数は半減させる方向だ。



【今週の通知表】


     
     口先番長君の言行不一致の一覧表


▶前原氏、会見で本紙排除 「言うだけ番長」報道に反発(産經新聞/2月24日(金)7時55分配信)
▷始めて「有言実行」だね。



【今週の宗主国】


     
     米兵のコーラン焼却により、住民の反発が過激化。米大使館閉鎖。


     
     米軍に向かって抗議するアフガニスタンの市民


▶<アフガン>駐留米兵のコーラン焼却 各地で抗議デモ拡大(毎日新聞/2月25日(土)22時59分配信)
▷『これに対して、米国は異例とも言える「謝罪外交」を繰り広げている』・・・小学生の女児をレイプした位では「謝罪外交」は、形だけだった。。。




【一口時評】


◆復興するつもりあるのですか…被災中学生が直言(讀賣新聞/2月25日(土)19時47分配信)
◇ 平野氏は「胸にぐさっと来た」と述べ、提言の検討を約束した。でも翌日には忘れてます。


▶消費税法案、絶対成立しない…亀井代表がけん制(讀賣新聞/2月26日(日)0時8分配信)
▷しませんとも。

▶「与野党とも沈みかねない」=橋下市長人気を警戒―岡田氏(時事通信/2月25日(土)22時56分配信)
▷与野党共に、国民に見捨てられてるんです。

▶安倍元首相、「話し合い解散」に前向き意向(讀賣新聞/2月25日(土)20時32分配信)
▷増税を話し合う「談合」政治。

▶安倍元首相「話し合い解散」言及…「5月に選挙あり得る」(産經新聞/2月25日(土)14時23分配信)
▷その頃、又お腹痛くなりそう(^^)

▶「若い人にも恩恵ある」一体改革対話集会で訴え(讀賣新聞/2月25日(土)20時24分配信)
▷「『明日(あした)の安心』対話集会」って、<百年安心年金>とどう違うの?

▶社民党、幹事長は初の選挙で決着 党内対立深刻に(産經新聞/2月25日(土)20時23分配信)
▷ひび割れコップの中の嵐。

▶鳩山氏「私はリハビリ中。もっとリハビリ必要なのは民主党…」(産經新聞/2月25日(土)19時48分配信)
▷リハビリもくそも、まだ「患部摘出手術」も済んでない。癌を矯めて宿主滅ぶ。

▶首相、震災遺児に支援進める考え強調(讀賣新聞/2月25日(土)18時52分配信)
▷要するに、まだ何も支援を始めてないって訳ね。

▶信頼回復へ死力尽くす=輿石氏(時事通信/2月25日(土)17時39分配信)
▷年寄りの冷や水。

▶「決して一人ではない」=野田首相が震災遺児ら激励(時事通信/2月25日(土)17時26分配信)
▷「決して一人では無い」ただ、政府が放ったらかしてるだけです…。

▶離島でも海保に逮捕権=不法上陸に対応―国交省(時事通信/2月25日(土)15時17分配信)
▷何でも良いから「国土」を守れ!

▶27日から審議官級協議=海兵隊の移転計画焦点―日米(時事通信/2月25日(土)14時13分配信)
▷居座るのも、出て行くのも、全部アメリカ頼み。外務省も防衛省も要らないじゃん。

▶評価低く改善しない職員はクビ! 千葉市が新制度導入(産經新聞/2月25日(土)14時8分配信)
▷地位と利権の為に、住民の生命財産を犠牲にする様な首長はクビ!

▶監督強化の検討必要=AIJ問題で岡田氏(時事通信/2月25日(土)13時0分配信)
▷政府民主党執行部と内閣の監督の方が緊急課題。

▶猪瀬副知事、中部電に都庁舎への電力供給打診(讀賣新聞/2月25日(土)13時0分配信)
▷ツインタワーの全壁面にソーラーパネルでも張り巡らせれば?

▶衆院へのくら替え否定=社民党首(時事通信/2月25日(土)10時43分配信)
▷そこが瑞穂タンの弱点。

▶「憲法破棄」新党綱領に…石原知事(讀賣新聞/2月25日(土)9時54分配信)
▷ピエロは時代を超えて。で、誰が指にとまるの?

▶前原氏の産経記者会見拒否、野党が批判(讀賣新聞/2月25日(土)9時18分配信)
▷「新聞は出ていけ! TVだけ。新聞は嘘かくから、TVだけだ」(自民党ノーベル賞首相)

▶首相、小沢氏説得も 消費増税法案 年度内提出強調(産經新聞/2月25日(土)7時55分配信)
▷えっ? 誰が、誰を説得するって!? 緊張して、口聞けるのかな…(笑)

▶<橋下市長>改憲で国民投票 維新の会公約に(毎日新聞/2月25日(土)1時33分配信)
▷次から次に思いつきで何か言ってるけど、この国を一体全体どうしようってんだ!? レゴランドと勘違いしてないか?

▶借金の多くは自公政権の時=前原氏(時事通信/2月24日(金)20時55分配信)
▷番長、たまにまともな事言うと、言い逃げ出来ませんよ。

▶選挙権年齢引き下げ、政府が検討委(産經新聞/2月24日(金)20時53分配信)
▷その結果、分母が大きくなる事で投票率が更に下がり、既成政党の得票率が更に減る。

▶厚生、共済年金一元化法案を先送り(産經新聞/2月24日(金)20時50分配信)
▷やってはならん事は必死でゴリ押しし、やらねばならん事は全て先送り。政権の正体は明らか。

▶自民幹部、予算組み替え動議提出を明言(産經新聞/2月24日(金)20時49分配信)
▷おっ、と思ったら「公共事業費の増額」だと。凝りもせず、これしか出来ない自民党。

▶首相は消費税の殉教者…国民新・亀井代表(讀賣新聞/2月24日(金)20時28分配信)
▷「鳩山元首相は自爆した。菅前首相はお遍路に旅立った。野田首相は『消費税の殉教者』になっていて、本当に残念だ」…殉教は正義だぞ。逆だろ。

▶消費増税で結束を=民主・藤井氏(時事通信/2月24日(金)20時21分配信)
▷落ち着いてみると、凄いキャッチ・フレーズだ。『増税で結束!』

▶復興特措法案の早期成立要請=佐藤福島知事(時事通信/2月24日(金)19時38分配信)
▷原発推進しておいて、尻拭いは国にって…。

▶次世代電力計で標準規格=節電へ普及後押し―経産省検討会(時事通信/2月24日(金)19時37分配信)
▷スマート・メーターで新たな利権♪

▶関連4社も不正、指名停止=三菱電機の過大請求問題―防衛省(時事通信/2月24日(金)19時8分配信)
▷またトカゲの尻尾?

▶首相、沖縄訪問「大事にしたい」(産經新聞/2月24日(金)19時25分配信)
▷生計塾らしい「口当たりの良い」言葉ですこと。でも、意味分らん。

▶圧力こそが解決への道筋…自民拉致特別委(讀賣新聞/2月24日(金)18時26分配信)
▷だったら、速く野田佳彦に圧力かけてくんなまし。

▶産経記者排除「それぞれの判断」=首相(時事通信/2月24日(金)17時36分配信)
▷「人生いろいろ」って、先輩も言ってましたしね。無責任連合(^^)

▶前原氏、産経新聞を排除 松井知事「一瞬で前言翻すから…」(産經新聞/2月24日(金)10時41分配信)
▷言われちまいました。「維新排除」します?

▶2%のインフレ目標導入=自民が「政策ビジョン」(時事通信/2月24日(金)17時5分配信)
▷お得意の「対米追随」ね(^^)

▶原発担当相の事故調委員長との接触問題「予算委で取り上げる」(産經新聞/2月24日(金)16時53分配信)
▷同じ穴に棲む仲間同士ですので。

▶福島党首の5選決定=新役員調整続く―社民党大会開幕(時事通信/2月24日(金)16時38分配信)
▷瑞穂の「ムバラク化」ちゃくちゃく。

▶原発再稼働、慎重に判断=首相(時事通信/2月24日(金)16時27分配信)
▷「慎重に再稼働させて頂きますので」(野田佳彦)

▶自民党県連顧問、民主議員応援し党員資格停止(讀賣新聞/2月24日(金)15時58分配信)
▷中央より先に地方レベルでは「大連立」してます。

▶橋下人気を借りた「おごれる維新」…野党指摘も(讀賣新聞/2月24日(金)14時52分配信)
▷橋下自身が「驕れる勘違い」ですからね。

▶「歳入庁」設置の検討開始=政府(時事通信/2月24日(金)18時17分配信)
▷小沢の言う「財務省の無力化」の為の歳入庁ではなく、単に役所を一つ増やすだけ。

▶法相「重大な関心」=小沢裁判、検事の虚偽捜査報告(時事通信/2月24日(金)12時45分配信)
▷「関心」は分った。それで、何か「行動」は?

▶震災1年、国民も黙とうを=野田首相(時事通信/2月24日(金)12時40分配信)
▷国民は、「野田政権」への黙祷を待ち望んでいる。

▶首相「一致点見いだせる」=一体改革(時事通信/2月24日(金)12時29分配信)
▷「見いだせる」のでは無く「決めつけて、押し付ける」でしょ。

▶公明、橋下氏との意見交換に意欲(産經新聞/2月24日(金)12時28分配信)
▷「公明」って、核武装徴兵制国家って、反対なんだと思ってた。なあーんだ。

▶海峡封鎖でも原油確保可能=玄葉外相(時事通信/2月24日(金)11時45分配信)
▷のだエモンに、「どこでもドア」を出してもらうんだもおーん。

▶被用者年金法案先送り=小宮山厚労相(時事通信/2月24日(金)11時33分配信)
▷「先送り党」と改名決定。

▶橋下市長、内外の熱視線も「僕は普通」(産經新聞/2月24日(金)9時33分配信)
▷「異常な人」は全員「自分は普通」と言います。

▶前原氏、産経記者を排除 「これはペンの暴力」(産經新聞/2月24日(金)9時30分配信)
▷「生計塾」の暴力は? 「オリ民」の暴力は??

▶パート年金適用拡大、小幅に…経済界の反発配慮(産經新聞/2月24日(金)9時22分配信)
▷そして「先送り」ですね。労働者に年金かけない人国家。

▶中川少子化相「移民政策を視野」…政府で議論も(讀賣新聞/2月24日(金)8時4分配信)
▷「少子化対策」って、子供を増やす事を考えるのかと思ってました。労働力確保のことだったんですね。

▶小沢氏、倒閣初めて言及 数の力に限界説(産經新聞/2月24日(金)7時55分配信)
▷三流新聞社はお解りでない様ですが、「民主主義」とは「数の力」の事なんですよ。

▶稲盛氏に継続指導を要請=日航再建で、前原政調会長(時事通信/2月24日(金)2時31分配信)
▷正統財界人の仲間に入れてもらえない稲盛サン。まともな政治家の仲間に入れてもらえない前原サン。似た者同志でお友達。

▶小沢氏、増税解散なら「倒閣」…政界再編視野に(讀賣新聞/2月24日(金)3時5分配信)
▷ほれ、野田! 一日も早く解散しておくれ。

▶<予算案>自民「粉飾」と批判 採決で反対の構え(毎日新聞/2月24日(金)0時50分配信)
▷それを言うなら「自民党政権下」以来の財務省の伝統芸です。

▶「石原新党」は「うまくいかない」 小沢氏(産經新聞/2月24日(金)0時10分配信)
▷わざわざ小沢さんに言われなくても、子供でも分ります。

▶「来月いろいろ動く」=石原新党構想は酷評―小沢元代表(時事通信/2月23日(木)22時45分配信)
▷もうすぐ三月!

▶<小沢元代表>増税・解散なら「政権構築し直す」(毎日新聞/2月23日(木)22時42分配信)
▷再編! 再編!

▶65歳までの再雇用義務づけを答申…労政審議会(讀賣新聞/2月23日(木)22時25分配信)
▷そんな事より、本人が拒否する場合を除いて「全員正規雇用」義務づけが先です!

▶来年度予算、91.8兆円に増額=自民が組み替え指針(時事通信/2月23日(木)21時33分配信)
▷あれれ。赤字国債増額を批判してたの、だぁーぁれ?

▶輿石氏、教育の政治的中立「実態はそうなっていない」(産經新聞/2月23日(木)19時27分配信)
▷日本は「司法」が中立では無い、とんでもない国家です。

▶次期衆院選から中選挙区制、比例全廃を提案 超党派議連で加藤氏(産經新聞/2月23日(木)19時23分配信)
▷絶対政権交代を起こせない制度へのノスタルジー。過去の政治家の妄想ですね(^^)

▶「大平元首相に学ぶべきだ」=野田首相、消費増税へ決意強調(時事通信/2月23日(木)19時3分配信)
▷何かと言うと先人のパクリ。だったら「小沢」の正論を真似てみろ!

▶鳩山氏、船中八策は「判断しかねるものばかり」(讀賣新聞/2月23日(木)18時34分配信)
▷「演歌の歌詞」みたいな物ですね。

▶消費増税で「想定問答集」=政権公約との矛盾否定―民主(時事通信/2月23日(木)17時32分配信)
▷「あんちょこ」が無いと、党の方針への質問にも答えられない議員サン達。

▶消費増税「手続きに瑕疵ない」=野田首相(時事通信/2月23日(木)17時32分配信)
▷反対意見を一切聞かないだけです。

▶石原知事と会談の大村知事、「密談」と一言(讀賣新聞/2月23日(木)16時53分配信)
▷だって、発表出来る様な中身などある訳無いですよね。聞く方が野暮。

▶橋下カラーで改革…市教育委員を全国から公募(讀賣新聞/2月23日(木)16時50分配信)
▷ぎゃあ、毒キノコ色。

▶<衆院予算委>円高やデフレで集中審議 日銀総裁も出席(毎日新聞/2月23日(木)11時35分配信)
▷やっては行けない事を強行する事が役職だと勘違いしている野田首相。何もやらない事が役割だと信じている白川日銀総裁。

▶野田首相「日銀と連携強化」 デフレ脱却に意欲(産經新聞/2月23日(木)11時33分配信)
▷断固インフレ政策を拒否していた政府日銀財務省。米FRBがインフレ政策を言ったとたんに! 分りやすい…。

▶「竹島の碑」建立求める 東京・港区議会に請願書提出(産經新聞/2月22日(水)22時1分配信)
▷そんな事より、現地に漁船用の「避難港」と、気象庁観測所、海上自衛隊補給廠を作れば良い事。

▶自公支持率低迷を憂慮 公明・山口代表(産經新聞/2月22日(水)20時46分配信)
▷当然ですが、何か?

▶北方領土、要塞化の危機 国後島で演習(産經新聞/2月26日(日)7時55分配信)
▷「北方領土」「尖閣諸島」「竹島」全てやりたい放題を観てるだけ。。。

▶仏女性ジャーナリスト追放から見えるロシア政府の“憂鬱”(産經新聞/2月25日(土)21時8分配信)
▷どいつもこいつも、権力維持には何でも有り。攻められる奴も入れば、殺される奴も入れば、地位を守り通す奴も居る。

▶核弾頭開発の証拠なし=米情報機関、イランに慎重分析(時事通信/2月25日(土)18時58分配信)
▷『イラク』の時と一緒だね。アメリカは聞く耳持たぬ。

▶シリア政権崩壊で大量破壊兵器拡散…米政府懸念(讀賣新聞/2月25日(土)19時52分配信)
▷出た!常套句。世界一「大量破壊兵器」を持ってる国が、第三国の「大量破壊兵器」を問題にする権利が、どこに有るのかな。


◆1回生議員130人 首相新たな「敵」/衆院選見据え独自行動/消費増税批判で集団離党?(産經新聞/2月20日 産経新聞 東京朝刊)
◇自分の党の議員を<敵>呼ばわりせざるを得ない「党代表」首相の哀れ。


では、この辺で。




【今週のモフモフ】



     
     僕たちも「人間の鎖の輪」の仲間に入れてね!



     
     早く起こせ! そろそろ再編だぞ!



     
     「障がい者対策に情熱を傾けるY子」
      vs
     「東大卒でクールなでも非情なH」



     
     今週のオザニャンは、方や増税の動き、他方解散風の
     両方を睨みつつ、作戦立案中です。


     
     私がオザニャンです。このマナコの金色のうちは、かってな事はやらせません。






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教育こそが、国民の価値観と生命観を形づくる。そこから思想も生まれる。そして国家の品格も。

2012-02-24 21:02:27 | 日本人の意識と精神構造
いま、日本社会が平穏で安らかだと信じている人は、恐らく居るまい。


人間が人間扱いされていない。

企業は、社員を「部品」と同じ消耗品としか見なくなった。
労働を、企業の根底と捉えず、企業の屋台骨を支え、企業を発展させ、経営陣や株主、及び顧客と共に幸せを築いて行くという、善き日本企業の経営哲学を喪失してしまった。

経営状態の如何に関わらず、従業員への利益の部分供与は考慮されず、人件費を経費として、切り詰められる限り切り詰めて、利益を増やす事に血道をあげる経営者ばかりになってしまった。


官僚たちは、国家と国民とに仕える公僕との認識は、完全に消滅してしまった。

国家経営の先兵として、行政の全てを掌握する立場を、人生に於ける「勝ち組」の象徴だと思い込む様になった。
国民の血税を、各省庁の山分けによる国家予算の配分でわたくしし、省益即ち自分達の行く末の利益の確保にうつつを抜かして、恥じる所が無い。

政治家達は、政権を取る事のみを政治活動の全てと思い込んでいる。

政権を取る事、即ちゴールテープを切る事であり、あとは国家権力の重みを弄んで喜んでしまうのみ。
深い知識も見識も無い為、政策立案も法案策定も、全てを官僚に頼り、従って「省益」と「官僚の利益」とを優先する政策を取る様に誘導され、その行方の意味を理解も出来ずに、国民の利益を忘れ去って気がつきもしない。

これらの、悲惨な社会を造り出したのは、一体誰なのか。


我々「国民」である。


国民人一人一人の、日常の生活の一番先の先端に、財界が有り、政界があり、官僚の世界が有る。

国民の誰もが、所謂「勝ち組」を目指して幼い頃から「競争」に晒され、少しでも「エリート」階級に潜り込む為に、勉学に勤しむ事を強いられる。

エリートとは、「一流企業」の正社員であり、「高級公務員」である。


個人は個人のレベルで、国家は国家の次元で、トップクラスを求め続ける。

一流企業を目指す。
国家公務員を目指す。
医者を目指す。

金持ちを目指す。

先進国を目指した。
先進国と見なされる所まで行った。
後発諸国に追い上げられ追い越されても、先進国のままで居続けるつもりである。


そして、日本の狂想的競争社会は、「教育」がになって来た。


筈だった…。
しかし日本の教育は、とっくの昔に「破綻」している。


▶大学生の4人に1人「平均」分からず 数学基本調査、論理力欠如明確に(産經/見出し)

>大学生の4人に1人は平均の意味が分からず、マークシート入試が中心で論理的思考力が低下している-。日本数学会が24日、発表した大学生数学基本調査の結果から数学に弱い大学生の実態が浮き彫りになった。同会は「論理を正確に解釈する能力や整理された形で記述する力が不足している」と分析している。

>調査は昨年4~7月、全国の48大学で受験を終えたばかりの1年生を中心とする約6000人を対象に実施。偏差値群から東大・京大など最難関国立大を「国立S」、難関を「国公A」、中堅を「国公B」とし、私立もSからCまでの4グループに分け、文系・理系別でも分析した。

>小6で習う「平均」について「生徒100人の平均身長が163.5センチ」から導かれることとして、3つの選択項目すべてで正答を選べたのは76.0%。国立S群では94.8%と高かったが私立B、Cは半数が不正解だった。

>「偶数に奇数を足すと必ず奇数になる」ことを数式と文章で説明する中2レベルの問題は、正答とほぼ正答をあわせても全体の33.9%。国立S群は76.6%だったが、私立は最難関のS群でも27.8%と4人に1人にとどまり、入試で記述式を採用している国立難関校とそれ以外とで大きく差がついた。

>誤答例には「思いつく偶数と奇数を足したら全て奇数だった」と例を示して論証としたり、「偶数は2で割り切れ、奇数は2で割ると1余るから」と偶数・奇数の意味を反復したりするものがみられた。

>同会は「大学には数学の入試問題をできるかぎり記述式に変更し、中学、高校は受験対策でなく思考力を高めるよう指導してほしい」と訴えている。
【産經新聞/2月24日(金)23時13分配信】


日本の学校で行われるテストや試験は、必ず正解が一つ有る。

たとえ「読解」など数値化出来ない分野でも、或は情緒に関わる「美術」や「音楽」の寡黙のテストですら、『正解』が決められている。

その『回答』を制限時間内で如何に多く見つけ出せるか。
その能力が「偏差値」と呼ばれる。


フランスの中学一年生(11歳)の数学のテスト問題は、『幾何』の定理を言わせる(書かせる)物がほとんどである。

計算問題も有るが、答えが合っていても、プロセスにあやふやな所が有れば、点数を引かれてしまう。

日本は「正解」が有って当然である発想で、点数を積み上げて行く。
良く出来る子は100点満点も、特別な事では無い。

フランスは、「理論」を覚えさせ、それを展開させる。
従って、一つだけの正解が有る訳では無く、筆記して展開して行く過程で齟齬を見つけて減点して行く。

20点満点で、10点取れば合格点となる。
20点満点は、小学校以外ではあり得ない。

19点が全学年に一人か二人、17点がクラスに一人。
後は11~15点の間に納まっていれば、良し。

さすがに小学校は、採点基準がもっと優しいテストなので、20点も少なく無い。

平均点17点以上がA。
13~17点がB。
12~8点がC。
7点以下はD。

しかし、30人のクラスで<A>が5人、<B>が10人、<C>が10人、<D>が5人程に分布され、『D』は落第を考慮される。

小学校一年生(5歳の秋から)留年があり得る。

学業について行けない子供を、学力不足のまま無理矢理進級させると、もっと理解出来なくなる。
それより、同じ学年をもう一回やった方が、二度目はより理解しやすい筈である以上、次の年には楽に進級出来る、と言うのが発想である。

ただ、小学生の間は、落第は一度しか許されない。

一学年を通じて<D>のグループにいた子は、最終学期に父兄面談で進級の条件を話し合う事になる。

成績が伸びない子は、毎学期両親が呼ばれて、担任や校長も含めての相談が繰り返されるのだが、その度に、親は必死で「判断するのは最後前待って欲しい」と訴える。
その為に、本人も努力するから…と。

最終学期で、必要な学力レベルに至りそうも無い場合は、選択肢は三つ残される。

成績が伸びないのは、その学校の校風や教育システムに会っていないからだ老、と判断し、違う教育環境に行けばのびるかもしれない、と言う判断。

その場合は「転校」する事となる。
新しい学校で、同学年を繰り返すか、進級するか。

二つ目の選択は、学力は足りないが、何年かかけて追いつけると判断してもらって、進級する。

三番目は、無理をするよりもう一回トライして、次の年にもっと楽に進級した方が良い、と言う判断。

その場合が、落第である。


フランスの教育は非常にアカデミックで、低学年の日本の様な遊びだか勉強だかの区別が尽きにくい様な内容の物は無い。

小一から、8時半から16時半まで、昼休み1時間半を挟んで午前午後で四科目。

毎日欠かさず国語(フランス語)があり、後は算数。
国語は、完全に「言語学」として教えられる。
「音読」などは『詩』の暗唱である。

小学低学年のうちは、社会科や理科の範疇は、算数の中に出て来る。

週に一度(ないし二度)の体育。
(校庭は無いので、屋内体育が主となり、高学年からは近くの公立のグランドに出かける)

国の認定教科書など無い。

学校ごとに、同学年の先生方が教科書に相当する本を選定し、(ほぼ)同じ内容の教育になる様に話し合って、夫々の先生がいろいろな所から引き写した「プリント」を生徒に与えて授業をする。

生徒はそのプリントをファイルしながら、ノートを作って行く。

9月第一週に新学期。

1月半ばで一休みという発想で、二週間の「秋休み」となる。
年末に二週間のクリスマス休暇。
新年早々三学期が始まり、一ヶ月半で又中休みの「冬休み」。
ここで皆スキーに行くのです。
その後、3月終わりから四月初めに、二週間の復活祭の「春休み」となり、最後は6月最後の週で、一年が終わる。

つまり、授業日数が日本に比べれば非常に少ない。

従って、カリキュラムは大変に濃いので、休暇中以外は勉強漬けとならざるを得ない。


小学校は5年間、中学校が4年間で、15歳までが義務教育となる。

日本の様に、在籍していれば、学力ゼロでも出席ゼロでも進学させる、などと言う事は無い。

小学校最終学年(五年生)の最後に、その学年を通じての成績で『中学校進学可』という証明書を貰う事が、進学の条件となる。


中学では、落第回数に規制はないが、同一学年は二度までしか繰り返せない。
つまり、同じ学年を2度やっても上がれない場合は、転校する。

その際、進級するか又同じ学年をやるかは、本人のやる気と親の意見、それから受け入れ側の新しい学校の判断とで決まって来る。

普通は、進級する様だ。

極端に言えば、小学校で一回、中学校で落第を繰り返し、中一で15歳を迎えたら、「義務教育」は終わったと見なして良い事になっている。

最近さすがに聞かないが、昔はある日突然学校に出てこなくなる生徒が居て、どうしたのか調べたら「15歳になった」から義務教育は完了した、と言う事で、嫌いな勉強は止めて家業を継ぐ、などと言う子も居たらしい。

中学からホームのクラスは有るが、科目ごとに教室を移動することになる。
日本の様に、先生が教室に来るのでは無く、生徒が先生の部屋に行く。(教科にもよるが)

中学も三年目からは、試験はほぼ論述式。

期末テストは、氏名欄は折り畳まれて誰の解答用紙か分らない様になっていて、他のクラスの先生が採点する。

中学以後は、全て「資格試験」による『ディプロム』制となる。

最終学年の「一斉試験」を受けて『中学卒業資格』を得て、高校にすすむ。


その間に、生徒の適不適や、勉強の好き嫌いが見えて来る。

そこで、高校では「一般進級コース」とでも言う様な普通コースと、職業科とに分かれて行く。

農業高校、工業高校、その他各種専門学校(高校と見なされる)に分かれる。

高校終了時に「全国一斉高校卒業資格試験」『バカロレア』の試験を受ける事になる。

一週間続く試験の、第一日目は『哲学』と決まっている。
5時間の回答時間で、与えられた命題に対する論文を書く。

全就学児童のなかで、バラロレア受験まで漕ぎ着けるのが70%程か。

それ以外は、「職業バカロレア」の受験と言う事になる。

『バック』と省略形で呼ぶこの試験は、文系が『文学バック』と『政経バック』、理系が『数学バック』にわかれ、合格率は70%台の半ばほど。

言い換えると、同学年の生徒達の60%弱がバック取得まで至る訳だ。


たとえ3年間の高校過程を全出席しても、バックに合格しなければ「高卒」とは見なされない。

つまり<卒業>とは、「通った証」では無く、「認定試験に合格した証」なのだ。

逆に言えば、『バカロレア』を持っていれば、大学は好きな所に好きな時に入れる。
(人気のある町の大学の人気講座は席数に限りが有って、志望者が多すぎると同種の学科の別の大学に行かされる事も有るが)


大学は、文系は『文学部』『哲学部』『歴史学部』などと、『政治経済学部』や『語学部』など。

理系は『医学部』『薬学部』『IT学部』に、別に<工科大学>がある。

「教養課程」など無いので、一年目の一日目から、いきなり専門分野の各講義が始まる。

文学部は二年で一般大学履修証、三年で学士、四年年以上で修士。
理系はそれぞれ異なる。

しかし、大学は一般的に「最高学府」であるだけで、エリート養成の学校では無い。

文部省に属さない、夫々超難関の「国立専門大学校』と言うのが20数校有り(グラン・ゼコール)、そこに入るには厳しい入学試験が有る。

高卒程度では入るのは至難の事なので、通常高校に併設されている「進学予科」に通う。
それが二年間。
その過程が、大学二年の「履修証」と同等の学歴となる。

通常、二度しか受験機会は与えられない。
従って、一浪で入れなければ諦める敷かない訳だ。


最高学府は、文系が総理府直属の『国立行政学院』と、文部省の『国立高等師範学校』。
理系は、陸軍省に属する『国立理工科学校』

以上の内の二校を卒業出来れば、大統領。
一校でも、大臣か軍の将官、もしくは国際コングロマリット企業の経営陣は保証されているも同然。


それ以外にも、土木工学のスペシャリストを養成する『橋梁・道路施設専門学校』も、土木工学に限らず、理系全体の最高レベルの教育機関である。
その他幾つか。

文系も、『国立経営専門学校』その他多数。

これらの<国立高等専門学校>は、入学と同時に給料が支払われ、高級官僚か、有名企業の幹部候補社員で、スタートする事になる。



このあたりの事情は、以前も書いたので重複したが、言いたかった事はフランスは超学歴社会であると言う事。

そして、それはとりもなおさず「身分社会」が現代も続いている、と言う事である。

かっては『血』つまり、生まれで身分が決まっていた。

支配階級と一般大衆との間には、越えられない垣根が存在していた。


いまは、貴族制度は法的には存在しない。
かっての爵位は、名誉称号や愛称としてのみ、使われる。

そして、現代の身分の垣根が「教育水準」なのだ。


日本は、教育は(建前としては)皆に平等に機会が与えられるので、「ゆるく」「ひろく」「平等に」行われる。
義務教育期間中は、引きこもりで一日たりとも出席しなくても「卒業証書」が貰える事が多い。

中等教育ですら、状況はほとんど変わらない。

高校全入が叫ばれる。
就学児童の半分以上が大学に通う。


しかし。
考えてもみよ。

同じ年に産まれた子供達<全員>が、高校の過程を履修出来るだけの能力が有るのかを。

ましてや、大学が「各駅前」に有り、どの偏差値の生徒達にも、「それぞれ大学をご用意してございます」なんて事が、おかしくないのかを。



▶橋下大阪市長が小中学生の留年システム提案 制度導入のフランスでは36.9%が留年経験(NNN/タイトル)

>22日夜に行われた大阪市教育委員会との意見交換会で、橋下市長は、一定の学力に達しない小中学生への留年システム導入を提案した。

>しかし、尾木教授は「橋下さんの教育基本条例的な発想に、この留年制を導入したとしたら、大変なことが起こる。留年した子は、ビリのビリなんだと。本当に落ちこぼれなんだというラベリングをされるわけですね。そうしたら、恥ずかしくて、子どもは学校に行けない。親たちも、地元に住んでいられなくなるかも」と語った。

>OECD(経済協力開発機構)によると、フランスでは15歳になるまでに、36.9%の子どもが留年を経験しているという。
フランスでも賛否両論の声があるようだった。
パリの高校生は「わたしの友達は留年したけど、それをバネに、今はとても優秀よ」と語った。
また、パリの人は「子どもにとっては、成長のために必要です」と語った。
こうした、留年制度への肯定的な意見がある一方で、制度に反対する意見もあった。
中学4年生は「留年は怖いよ。友達が先に進むんだから」と語った。
留年経験のある男性は「1年やり直したからといって、成績がよくなるわけじゃないよ」と語った。
【NNNニュース/2月23日(木)17時33分配信】


日本も「学歴社会」と言う事になって居る。

しかし、日本の社会の「表面だけ平等」という発想から、内容は実に緩くぬるいものである。

結果として、大学生の多くが「平均」の意味さえ把握していない。


従って、エリートを目指すには「家庭で」努力する必要がある。
小中高と有名校に入る努力をする。

その為に、学校の授業などではとても足りず、幼い頃から塾通い。

大学も厳しい試験をパスしなければならない、と言う事になっている。

ただ、誰も彼も大学を目指すが余り、入試制度もあれこれ複雑になり、「推薦枠」で入る子も多いらしい。

或は、なるべく優しい科目の選択で合格を目指す。

従って、大学生が「平均」の意味を知らず、『シリア』の位置など殆どが答えられない。


しかも、「偏差値教育」の普及により「回答」の無い問題に遭遇した時に、直ぐお手上げとなってしまう。

「最高学府」の序列の中でも、幾つかの限られた大学に入学出来るテクニックを身につける事に、全力を傾けて子供時代を過ごす。

従って、「そこに入る」事で、その後の人生の全てが「勝ち組」として保証される訳だ。

であるからして、「良い大学に入学する事」がゴールとなってしまうのだ。


そこからの発展は無い。
ほとんど。

理系は別として。。。


だからこそ、高級官僚は「驕り昂り」好き放題をしでかして、恥じないのだ。

実際の諸問題に、全く対処する能力が無いにも関わらず。

人間の痛みを知らす、知ろうともせず、知る機会も無い環境を自分達で造り上げてしまうのだ。


何しろ、その手のエリートを世に送り出す<母体>である「国民全体」の厚みが、無いに等しいのだから。


「国民のレベルの政治家しか持てない」と言う。

その政治家を操る官僚は、偏差値の物差しでしか計られた事が無い、薄っぺらい教養しか積んでいない。

そんな社会で、国民の命と財産とを守り、国家の平和な未来を守ろうと言う様な「為政者」が、出て来る事は無いだろう・・・。



それでは、フランスが優れているのか、と言うと…。

それが、そうでもないのだ。


フランスは、日本とは逆に、理論を叩き込み、厳しく最初から選抜を繰り返し、鍛えに鍛えて教育する。

結果として、一般大衆はその競争の参加資格を持てないままになってしまうのだ。

質も量も凄い中身の教育に、落第もせずついて行って、尚かつグランド・エコールにも入学出来るためには、フランスでも家庭の努力が不可欠なのだ。

基から頭の良い子以外は、家庭教師を学科ごとに付けて、環境を整えてやらねば難しい。
そして、一般の人々には、それを可能にする経済力は、ない。

そんな事に興味も無い。

垣根を越える事など、考えもしないのだ。


日本は、結果として競争に破れ、エリート・コースからそれて行く。
フランスは、最初から参戦しない。

その、精神的ストレスの差は、大きい筈だ。

フランス人に取って、エリートでない事に悔しさなどは覚えない。

人生観も、行きて行く環境も、心構えも、最初から違うのだから。


しかし。

小学校の一年生から、きちんとした理論的教育を積み重ねる事により、みなが「自分の意見」を持つに至る。

そして、その自分の意見を語る能力を備えている。


保守党は「財界の為に」政治を行おうとし、左翼政党は「民衆の為に」政治を行う。

従って、大統領選挙の投票率は80%に迫る勢いである。

学生も、老人ホームの寝たきり老人も、投票する。

自分達の権利を主張する。

新聞やTVの意見を、決して鵜呑みにしない。

五人集まれば、意見が八つに分かれる程なのだ。

それが生きた人間。
それが人間の社会。


つまり、じぶんで分析し、自分の解釈が出来る能力。
自分の意見を持ち、その意見を堂々と開陳する能力。

横並びなど決して無い。

他人と違って居て当たり前なのだ。


その、人格形成が、日仏の違いであろう。


洋の東西を問わず、政治家は信用されないものだ。
しかしフランスでは、各社会階層で、夫々の候補者が居る。

極左から極右まで。
弱小政党から、最大与党まで。

そして、選んだ議員が、選ばれた政府が、選んだ国民を裏切ったら、次回は無い。

こんな至極当然の事が、当然に起こる国民意識の形成。

それが、日本には無い、フランスの特徴では無かろうか。


もし、日本で小学生が落第するとしたら、本人に取っては「屈辱」で、家族に取っては「恥」で、周囲に取っては「イジメ」の対象であろう。

そんな日本社会では、小学学校からの落第は、絶対に機能しないと思われる。


しかし、このままで良い筈は無い。

日本社会は、日本の国民気質は、崩壊の縁に立たされている。

何とかしなければならない。


人間の心。

それが社会を形成する。

社会の構造と性質は、国民の精神の現れである。


日本は、教育制度を、根本から改めなければならない時期に、来ている。


そして、願わくば物質的豊かさより、精神的豊かさを上位に置く様な、そんな社会になって欲しい。

お上も下々も、夫々を尊重し合って、お互いを必要とし合って、共に前進出来る様な、そんな社会を持てる様になって欲しい。


その為にも、本物の教育が欠かせない。




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少年の死刑判決に思う/刑罰の軽重は、犯罪者と被害者との<関係性>に於いて語らるるべきでは無いのか。

2012-02-21 22:57:59 | 日本人の意識と精神構造
私は自分を「優しい」人間だと、思っていた。


暴力を憎み、人間の性善説を信じ、人が人を傷つけると言う事実が、理解出来なかった。

戦争を否定し、武器弾薬を嫌悪し、日々の平安を愛おしむ事が、大切だと信じていた。

今でも、『非武装完全中立』国家は可能だと、夢見ている。

『戦争放棄平和憲法』は、人間の歴史の総ての面から、人間の思考の勝利だと、信じている。



しかし。


近年、『死刑廃止論者』の言動に、違和感を抱いてしまう。

この事は、拙ブログで以前にも書いた気がする。



確かに、死刑廃止論者の前提として、「ひとの命の絶対性」は否定する気はない。

その「絶対」なる存在である人の命を、国家権力が奪っていいのか、と言う理論も理解出来る。

一人の人間の命を、第三者が奪う決定をする権利など、神では無い人間には無い、というのも否定しない。


しかし。


その論拠に、最近は素直には頷けない物を感じる。



▶光市母子殺害事件の弁護団に怒りのコメント殺到(トピック/見出し)

>1999年に山口・光市で母子2人を殺害したとして殺人などの罪に問われていた当時18歳の元少年・大月(旧姓・福田)孝行被告の裁判で、最高裁は20日、被告側の上告を棄却、大月被告の死刑が確定した。この判決に対し、大月被告側の弁護団が「判断を誤っており、極めて不当」とする声明を発表していることがわかり、「被害者を冒涜している」とネット掲示板などで物議を醸している。

>20日配信の日本経済新聞電子版によると、弁護団は「強姦目的も殺意もないことは、客観的証拠や鑑定から明らかにされたのに、裁判所は無視した。被告は虐待で成長が阻害されており実質的には18歳未満で、死刑は憲法や少年法に反する」と死刑判決に批判的な声明を出し、また裁判官全員一致の判決でなかった点にも「強く非難されなければならない」と指摘しているという。

>この記事を受け、ネットユーザーは「(強姦目的も殺意もないことが)明確な事なのにきちんと説明できなかったのは、自分たちが無能だったせいではないのか」「この人達は、自分の身内が同じことされても同じこと言えるの?」「土壇場で“殺意はなかった”だの“復活の儀式”“ドラえもんが”だの言い出したから、再審で無期が死刑にひっくり返ったんだろ」「実質的には18歳未満だったと言うけど、それなら30過ぎて事件を起こしても、精神的に未熟なら実質的には18歳未満だったって事で少年法を適用するつもりなの?」「むしろ、死刑をアシストしたあたり“かなり優秀”なのでは」など、弁護団への批判、怒りのコメントが相次いだ。
【トピックニュース/2月21日11時32分配信】



弁護士の仕事は、弁護士本人の思想信条からはなれて、被告の利益を検察から護る事である。

その点に鑑みると、事件によっては、当然一般的に避難される言動を取らざるを得ない事であろう。

そう考えれば、弁護士など「因果な」商売ではある。


それにしても、「死刑廃止論者の弁護士」という存在が有るらしい。

しかし、私がどうしても引っかかる点は、何故「加害者の人件」を、「被害者」のそれより優位に置かれるのか、と言う事だ。

加害者の「背後関係」や「生い立ち」にメスを入れて、事件の原因を探り出す事に、一体全体いかなる必要性があるのか、理解出来ない。

良く聞く被害に遺族の言葉に、次の様な物が有る。

「いったい、何故こんな事になったのか」
「何が原因で、こんな事が起こったのか」
「なぜ、◯◯がこんな目に遭わなければならなかったのか」

このような言葉が出て来る「心情」は、痛い程良く解る。

ある日突然、他人の手で「日常」が破壊され、「家族」が切り裂かれ、「将来」が抹殺されてしまえば、誰だってそう思う。

しかし考えてみると、この言葉は別に「加害者に何が有った」から、こんな事になったのかを、本当に知りたい訳では無いのでは無いか。

「加害者」が、子供時代に実の親から虐待されて育った。
「加害者」が、幼い頃に精神の成長が損なわれる様な境遇に有った。

こんな事は、被害者側に取っては、どうでも良い事なのでは無いか。

「何故こんな事に」と言う言葉は、加害者の実像を把握したい訳では無く、自分達に降り掛かった不条理に対する、怒りの心根の発露なのだ。


>被告は虐待で成長が阻害されており…

申し訳ないが、被害者の家族や遺族に取って、そんな事は「加害者のかって」に過ぎない。

<少年時代に、家庭環境のせいで精神的発育が止まった結果、家族が殺されました>なんて事は、どうでも良いのだ。

「何故、お前はそんな事をしでかしてくれたのだ!」という叫びは、「何も無く平和に暮らしていた頃の幸せを返せ!」という意味なのだ。



昨今、あまりにも「悲惨な事件」が多すぎる。

親が子供を殺す。
子供が親を殺す。

ここまでは、「家庭内」の事件であり、第三者には不幸はもたらされていない。

しかし。

子供が他の子供を殺す。
通りすがりに「誰でも良いから殺したかった」奴から殺される。
一方的に方想いされて、追い回された挙げ句に、殺される。


この手の不条理な犯罪の犠牲者の家族や遺族に取っては、犯人の生い立ちの中での「不幸」や、受けて来た「仕打ち」や人間関係の「軋轢」等を調べ上げる事には、関心など無い筈では無いか。


日本が真の意味で『法治国家』であるかどうかは、この際さておいて。

思想信条に拘らず弁護をするとは言え、弁護士にも夫々の思想が有り、自らの思想に基づいて弁護をする事は、当然の成り行きだと思われる。

死刑が予想される事件の被告に対しては、「死刑反対論者」の弁護士が、弁護を担当する、言い換えると「買って出る」事が普通に行われている様に思える。

自分の弁護活動を通じて、自分の主義主張を社会に訴える大きな機会である以上、その他の事案の弁護より、熱も入ろうと言う物だ。

そう言った立場の「弁護団」からすれば、今回の『光市母子殺人事件』の弁護において死刑判決に至ってしまった事は、無念であるに違いない。

その流れからして、以下の様な生命がでて来る事は、当然だろうと思う。


>「強姦目的も殺意もないことは、客観的証拠や鑑定から明らかにされたのに、裁判所は無視した。被告は虐待で成長が阻害されており実質的には18歳未満で、死刑は憲法や少年法に反する」

>「裁判官全員一致の判決でなかった点にも、強く非難されなければならない」

純粋に六法全書の指示する法体系の見地から言えば、正しいのであろう。


しかし、単に「六法全書」という、日本人の社会規範の原典に過ぎない物を、不条理にも命を奪われた被害者の無念より優先させる事が、正しいのだろうか。


法的概念では、正しいのだろう。

理解はしたい。

『法』を「情」でゆがめていたら、法治は成り立たない。


では、法を優先する事によって(それが当然では有るにしろ)、突然奪われた『命』を救済出来るのか。

「法律」は、人々を罰する物では無く、救済する物でなければならない筈だ。

そして、救済されるべきは「犯人」では無く、『被害者』でなければならない。


>「(強姦目的も殺意もないことが)明確な事」

って。

他人の奥さんに劣情を催して、その人の家に押し込み、乳児を抱いている若い母親に強引に迫った挙げ句に、殺してしまった挙げ句に死姦しておいて、『強姦目的も殺意もない事が明白』等と言われても、人の道から言えば受け入れられる事では無い。


18歳未満の死刑は不当。
三人以上殺せば死刑。
一人では死刑は無い。
残裁判官が合意でなければ、未成年に死刑は言い渡さない。

全部おかしい。



『公判でも明らかにされたが、彼は特異な家庭環境で育った。父親は事あるごとに暴力を振るい、したたかに殴られた夜には、のちに自殺する母親がFの寝床に潜り込み「生まれ変わったら結婚しよう」「あなたの子供がほしい」……と囁いていたという。彼が育ったこうした“健全とは言い難い成育環境”は、発達障害やコミュニケーション不全というかたちで、のちにFを苦しめることになる。』
【日刊SPA!/2月20日17時15分配信】


この犯人が、特異な環境で育った事は、分った。

その少年時代が、異常で歪んだ物であった事は、分った。

本人が、どれだけ辛く悲しい初年機を過ごし、それがどのように過酷な物であったか。

しかし。

不幸な子供時代を送った人は沢山居る。

子供時代に、父親から殴られていた人は、沢山居る。

子供時代に、父親の家庭内暴力に苦しみ、母親の自殺に遭遇し、誰も理解してくれる歩とはいなかった、そんな人は一人や二人では無い筈だ。

最近では、近親相姦もそれほど珍しく無いらしい事も、洩れ伝わって来る。


では、そのような「過去を背負った」人が、皆が皆「無差別殺人」を犯すのか。

そんな訳は無い。

いかなる形であろうとも、歪で不幸な子供時代を過ごした人も、そのほぼ全員が「真っ当に」暮らしている筈だ。


悲惨で残虐な犯罪を犯す事を、その人物の成長期の異常さに求めて、それが免罪符になる訳が無いでは無いか。


確かに、未成年は社会に対して責任は取れない。

しかし、それならばこそ「取れない責任」を取らざるを得ない様な事を、しでかしてはならない。

自分で「取れない責任」が拘って来る様な事は、やっては行けないと言う自制心が、必要なのだ。


そして、はなはだ困った事に、そのような精神的自己抑制が出来ない人間が、日本社会にはかなりの数で産み出されている様な気がする。


「我慢」するしか無かった戦中派が、子供達だけには「何不自由のない」暮らしをさせたいと、物質的に甘やかされて育った団塊の世代。

その団塊の世代は、日本経済の再生と発展の為に「一生」働き詰めに働き、子供達を「家庭的に」躾ける機会を失っていた。

その団塊世代の子供達は、物質的な飽和状態の中で、家庭で受けるべき躾を一切受けず、ただ「勉強だけしていてくれれば良い」という家庭規範の中で育った。

さらに、ゲーム機が成長の友となってしまった。


その結果が、「モンスター・ペアレント」の登場であり、「モンスター・チャイルド」であり「モンスター・クレーマー」である。

自分の欲求だけは常に満たされて育った挙げ句に、欲求が見ただれないときの対処が出来ない。

「我慢」を知らない。

「何処までやっていいのか」
「これ以上はやってはいけない」

という規範を体得していない。

散々語られて来た様な事を、ここで繰り返す気はない。

しかし、そのような日本人が増えている社会環境の中で、凶悪犯罪は確実に、目に見えて増えている。


確かに、「掛け替えの無い人の命」を、国家権力が抹殺する行為は、思想哲学を越えて、成してはならない事なのだろう。

しかし、そこには人間「性善説」が、成り立っていなければならないのでは無いか。

「命が掛け替えの無いもの」であるからこそ、利己的欲求の暴走で「奪われた方の命」は、救われないでは無いか。


本橋氏は、実に偉い方だと思う。

感情の伴わない「法律」の壁に、「被害者の家族の人件」を考慮すると言う、<穴>を穿った。

社会運動を産み出した。

遺族が「裁判」を膨張出来る様にした。

そこに、地味で忍耐強い彼の継続的行動が、存在する。


私が、彼の立場であったら。

恐らく、我を忘れて短絡的に騒ぎ立てるだけであっただろう。

冷静で継続的社会行動など、とても取れなかったに違いない。

おそらく、あらゆる手だてを尽くして拳銃を手に入れようとしただろう。

裁判の日取りを調べ出し、何とか傍聴券を手に入れる努力をしただろう。

厳しい警備の検査を以下にくぐり抜けて、拳銃を携帯したまま「傍聴席」に入り込めるかを、必死で考えただろう。

それに成功したら。

私は、法廷内で、犯人に発泡してと思う。

それくらい、憎い、残酷な、無慈悲な、非人間的な、犯罪である。

夫として、父親として、堪えきれる範囲を超えた、支えきれない出来事であると感じる。


そんな「過酷な結果」をもたらした犯人が、『少年』だから<死刑>は免れる?

馬鹿野郎である。


『無期懲役』とは、最低7年から最高20年程の不定期刑である。

「模範囚」を決め込めば、七年で釈放される。

この犯人自身、手紙でその事を公言していたそうな。

『七年後に、僕は地上に出て花を開く』
『誰も、僕を罰する事は出来ないんだ』

こんな状態で、何故「犯人の人件」ばかりを、声高に求める動きが起こるのかが、理解出来ない。


『終身刑』を設けるべきである。
仮釈放無しで。

失われた命と、その失われた命の周囲で、生涯苦しみ続けなければならない家族の「人件」を、少しでも安んずることが出来る程度に、厳罰を課すべきである。


日本社会が、ここまで「道徳喪失社会」に成り果ててしまった以上、社会規範を変える必要は無いのか。

『ハンムラビ法典』が、求められる。

「盗みを働いたものは、右手の手首を切り落とされる」
「死をもたらせば、死であがなう」


人間が生きて行く限り、犯罪は無くならないだろう。

凶悪犯罪も、続くであろう。

事件を引き起こすに至った「犯人の内面」を探り、犯罪が引き起こされるに至った犯人の人格形成を解明するのも、良いだろう。

少なくとも、犯罪の「唯物感」的原因は、多少は辿れるに違いない。

だから「何」なのだ。


毎回繰り返される、犯人の生い立ちや、育った家庭環境の事など、週刊誌的興味でしかない。

それを知って、どうなる。

どうにもならない。


第三者に与えた苦痛、被害、損失が、大きければ大きい程、その結果を造り出した者に対して、その責めを負わせる事は当然では無いのか。

これは、何も殺人事件だけに留まる者では無い。

レイプもしかり。
虐待も、精神的拷問である「ハラスメント」も然りである。

被害者の人数が、量刑の多寡を決めるなど、不合理だ。

犯罪の責任と被害者の救済とは、算数では無いのだ。

年齢で線を引く事も、ある一定の目安に過ぎない次元に留めるべきでは無いのか。

近年、外国では小学生がより幼い少女を、集団でレイプする事件すら、多々聞こえて来る時代となってしまった。

自分がやっている「事の重大性」を認識出来ない「子供」達の事件に対して、無条件に「最高刑」は課さない、という決りを作って、哀しみや苦しみを社会に野放しにする事は、決して「人は身分や生まれに拘らず法の下に平等」と言う精神には、逆の意味でそぐわないのでは無いか。


私は、悲惨な事件を引き起こしたら、相応の責任を取らせなければならないとおもう。

『<更生>の為に犯人の人件を擁護する』などは、出来心で万引きをしでかした中学生程度に、適用される感覚だと思う。

極めて凶悪な犯罪を引き起こし、反省の念が希薄な未成年を一人「更生させる」という美名で、数年後に社会の野放しにする事と、後に残された被害者とその家族に残された、生涯消えない傷の重みとを比較したら、どちらがより大切な事かは、言うまでもないことだ。


日本は、あまりにも「責任を取らない」社会に成り果てしまった。


二人を殺した少年は、「やっと」死刑にする事になった。

しかし、日本中の国民の生命と健康とを損ない、これから先何十年もの間多くの国民を苦しめる事が明らかな、『東電』経営陣や、組織防衛と利権擁護を優先して、国民に被曝を避ける機会を与えなかった、関係省庁院、政府は、責任を負う気も見えない。

彼等の責任を問う声も、社会的に起こらない。


日本は、法治国家では無かった。

それなのに、死刑廃止だの、犯罪少年の保護だの、おこがましい。


この稿は、パリ時間2月21日夜投稿する筈でした。送信ボタンを押したとたんに「サーバーのメンテナンス」に引っかかり、消えてしまったものです。
 22日になって、恐らくメンテナンス開始以前であったと思われる時間帯に書いた部分は復元されて来ました。
 後半を書き直して、21日の日付で投稿致します。
(筆者啓白)



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「ヒゲと天才とカタルーニア」と言えば、答えは一つ/ダリは狂気を演出した貴族であった【日曜フォトの旅】

2012-02-19 21:34:16 | 歴史と文化
カタルーニア。

スペイン北東部。

首都はバルセローナ。

その他の中心都市は、ジローナ(ヘローナ)。

ピレネー山脈を北に越えて、フランスのラングドック地方は、同じ文化圏である。


その『カタルーニア』は、20世紀前半に多くの天才を世に送り出す。

建築家「アントニー・ガウディ」
画家「パブロ・ピカソ」
画家「ジュアン・ミロ」
音楽家(チェロ奏者)「パウ・カザルス」

そして、画家『サルバドー・ダリ・イ・ドメネーク』


その他、日本では知られていなくとも、高名な建築家等が輩出し、百花繚乱である。


十代の前半であった私は、有る一枚の絵の写真に衝撃を受けた。

『燃えるキリン』

しびれる様な衝撃から、少ない資料を探して『引き出しの有るミロのヴィーナス』と『柔らかい時計』をも見つけ出した。

「こんな表現が有ったのだ」と、正しく目から鱗であった。



カタルーニアの北東部、フランスにもほど近いあたりに『フィゲーラス』と言う町が有る(標準スペイン語カスティーリャ語ではフィゲーレス)。

天才と自ら名乗った「サルバドー・ダリ」の誕生した町である。

彼は1904年5月11日、この地で生を受けた。

地元の画家の家族と交流のあった彼は、14歳にして近くの町の学校でデッサンを学び始め、既に翌年にはフィゲーラス市の劇場で数点の作品を展示して、高名な批評家の目に留まった。

1921年、18歳でマドリードの美大に通うが、「アナーキスト」達との交流で一度逮捕されるなど、数多くの問題を起こし、最後は有る教授の質問に答える事を拒み、「彼から学ぶ物は何も無い」と放言して放校処分となった。

その頃、妹が頻繁にモデルとなっており、「背中を向けて窓の前に居る女」は有名である。

27年に巴里に登り、同じカタルーニア人のもう一人の天才画家「パブロ・ピカソ」と出会った。

同じ年に、フィゲーラスから遠く無い海岸の小さな漁村「カダケス」にある父親の家に滞在中、更にもう一人の天才画家「ジュアン・ミロ」が会いに来て、交流を結ぶ様になる。


     
     海に臨むカダケスの家

     
1929年、再びパリを訪れた彼は、当時一世を風靡していた『アンドレ・ブルトン』との出会いから、<シュール・レリスム>運動の一派「トリスタン・ツァラ」「ルイ・アラゴン」「ポール・エリュアール」達と深く関わりを持つに至った。

その同じ年、ポール・エリュアール夫妻がカダケスを訪れ、ポールの妻エレーヌとの「運命の出会い」がなされる。

エレーヌは夫と帰る事を拒み、サルバドーの妻となって『ガラ』と呼ばれ、生涯の彼の良き伴侶にしてエスプリの源泉、更に人生の船長として大きな存在となった。

ガラは、多くの絵のモデルとなっている。


このサルバドー・ダリは、とにかく奇行で知られている。


トレードマークの<カイザー髭>は、蜂蜜で固めている、とウワサされた物だった。

有る時記者会見に旧式の「密閉型潜水服」で現れ、送気のトラブルから窒息死しかかった事すら有る。


その彼は、フィゲーラスの『オテル・ドウラン』のレストランで週に四回は食事をしていた。

特に、店の「ワインセラー」用の奥まった部屋がお気に入りで、友人達とそこで楽しく食事を取るのが習慣であった。


     
     オテル・ドウラン


ここのレストランは、(言うまでもない事だが)食事が大変美味しい。

店内の奥のワイン・セラー用の小部屋『セレール/カ・ラ・テータ』は、5人くらい以上の人数だと、今でも予約出来て、サルバドー・ダリが愛用したテーブルで食事を楽しむ事が出来る。


     
     セレール(セラー)『カ・ラ・テータ』の看板


     
     一番奥のテーブルが、小人数の時のダリのテーブル


     
     ダリの「専用」テーブル

     
     樽の前の大人数用のテーブル

     
     大テーブル
 

背後の同じ壁面には、ダリのスケッチが多数飾られているのも、その当時からのまま。

今では、この店には観光の団体がガイドと共に訪れ、この部屋を見て行くようにすらなってしまった。

しかし、御心配なく。
食事は、今でもこの辺りでは一番の美味しさを護っている。


     
     フィデウア

パスタで作ったパエリアの様な『フィデウア』は、ことのほか美味。

勿論「パエリア鍋」で調理されて出て来るが、面前で一人前ずつ取り分けてくれます。

突き出しで必ず出て来る、脂肪のソーセージ『ブーダン・ブランコ』も絶品です。

一般に食事するのレストランの部屋は、広くて明るく、地方色豊かな雰囲気です。

     
     壁に飾られたガラス細工


オテル・ドウランのレストランの支配人によるエピソードを一つ、紹介しよう。

「ガラが町に居らっしゃら無かった或る日、お一人で夕食をとる事になって居られました。ところが町の洋服店からマネキンが四体届き、彼はマネキンに美しいドレスを着せて席に座らせました。彼はその日、散歩中或る洋服屋でウインドーの模様替えをしているのを見つけて、マネキンをお買い上げになり、当店まで配達を命じられたのだそうです。その夜は四人のご夫人とお食事をされましたのですよ。」


彼は、根っからの「奇人」では無く、この店で友人と過ごすときは、とても細かに気遣いをする、繊細で行き届いた人物だった様だ。

ちなみに、パリ滞在中は週に四日は『トウール・ダルジャン』で夕食をとっていたとか…。



もともと裕福な家庭の出身だった彼は、画家と美術家として大成功を納めた後、1969年ジローナ県の『プーボル城』を購入し<城主>となる。


1982年に、国王により『プーボル侯爵』に叙任された。


画家のしての彼は、かなり多様な表現を駆使し、初期に影響を受けた「印象派」の<モネ>や、その他<セザンヌ>やキュービスム<ピカソ><マティス><ミロ>はては抽象画家の<モンドリアン>風の作品など、年代によって作風が変わるのは当然ながら、かならずしも時間軸に沿ってでは無く、生涯を通じてこれらの各種表現の作品が混在している。

戦後はカトリックに大きく傾倒して、イエスや聖人達、教義のテーマも多く描いている。


1974年9月、自宅で有る館に繋いで、『絵画劇場美術館』を開設した。

彼の生き様自体が彼の芸術であり、彼の生き方自体が「劇場的」で有る事の、全表現の場であった。


     
     サルバドー・ダリ絵画劇場美術館

鮮やかな「レッド・オーカー」に塗られた建物は、お城の外観を取り壁面には無数の「パン」がくっついて、塔の上には「金色」の巨大な卵が鎮座している。

口の悪い連中は、壁面を飾るのは「パン」では無くて「ウン◯」だ、と囁いているらしい。


内部は、本来の中庭のガラスの天井から、不思議な船がぶら下がっていたり、巨大な女戦士アマゾネスの如き巨像が屹立していたり、キャデラックが鎮座していたり。

正しく劇場そのものである。


     
     吊るされた、雫の滴る船


     
     力強い女戦士


     
     溶けかかったアイスクリーム状の椅子


それらの、渾然一体となったオブジェ。


     



カラフルなオブジェも数多い。
椅子にかぶさる溶けたアイスクリーム状の物の中から、飲み込まれたらしい誰かの「手」が覗いていたり。


     
     引き出しの有るヴィーナス


この『ヴィーナス』にも、思春期にショックを受けたのでありました。


何だか不明のオブジェも。


     
     不明の彫刻


名高い「ピンクの唇」という彫刻オブジェを発展させた、インテリアのコーディネート。


     
     クチビル型ソファーと鼻のフォルムの暖炉


この唇と鼻とを、高い位置に明けられた丸窓から除くと。


     
     女性の顔


     
     ピカソ的女性の胸像


     
     弾ける女性の顔


     
     「マーク・ウエストエンドの妹」

この絵画は、キリスト教に深く傾倒してから何点か手がけた『イエスの昇天』の、72年頃のヴァリエーションの一つである。


     
     『ベーコンの有る柔らかい自画像』1922年


得意の「柔らかい」シリーズは、時計から始まった。


この「劇場美術館」の地下中央部に、彼がニューヨークの宝石商とのコラボで制作した「宝飾品」の展示室があり、更にその奥に彼の墓所が有る。

宝飾品は総て本物の金と宝石とで制作された。


     
     宝飾オブジェ


     
     ダリの墓標


「サルヴァドー・ダリ・イ・ドメネーク / プーボル・デ・ダリ侯爵」ここに眠る。



自ら『天才』と名乗った、サルバドー・ダリ・イ・ドメネーク。

敢えて「独裁フランコ主義」を擁護してみせて、シュール・レアリスム運動から破門されたサルバドー。

しかし、世界各地で開催された「シュール・リアリスム展」には、必ず招待されたサルバドー。

大げさを好み、貴族趣味の拘り続け、奇行を繰り返し、世界中の芸術家に尊敬され、生涯一人の女性に愛を捧げた、サルバドー。


1982年に、彼の製作と人生との総ての源泉であった、最愛のガラを亡くすと、完全に制作意欲を喪失して、筆を折り、プーボルの城に引きこもってしまう。

二年後、大やけどをして生地フィゲーラスの戻り、『ダリ絵画劇場美術館」に隣接した『トーレス・ガラテア』の館で没した。


     
     『トーレ・ガラテア館』


水星の五つの衛星の一つ『ガラテ』から名付けた彼の館が、絵画劇場美術館に隣接している。


この世で最も髭の似合った男。
生けるキュール・ポワロ。
歩く反骨芸術の髭。


彼の「彫刻」の美術館は、パリのモンマルトルにも有ります。






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平均的国会議員と平均的国民の発想は未来永劫に「小沢はクロ」/人間の脳みその硬化恐るべし。

2012-02-17 22:56:55 | 政治と社会
「政治家失格は自明」
「説明責任ある」


小沢裁判に関しての楽観論が、一部で流れている。

チャンチャラ可笑しい。
巷の人間の脳みそは、変わらない。

変われない。

先入観で凝り固まった脳みそは、腐るまで変わらない。



▶陸山会公判 有罪立証の柱失う 元秘書らの供述調書不採用で(産經/見出し)

>小沢一郎被告への「報告・了承」を認めた元秘書らの供述調書の大部分が証拠採用されなかったことで、指定弁護士側は、小沢被告の共謀を示す立証の柱をほぼ失った形となった。判決は間接証拠も含めて総合的に判断するため影響は不透明だが、指定弁護士側は論告の見直しを迫られることになる。

>公判の争点は(1)検審の起訴議決に基づく起訴の適法性(2)虚偽記載の有無(3)元秘書との共謀の有無-の3点。中でも最大の争点である共謀を裏付ける直接証拠は小沢被告の虚偽記載の関与を認めた石川知裕衆院議員らの調書だけだった。

>石川議員らは証人尋問で「事実でない」と調書の内容を否定。

>これまでの公判で有力な証言を引き出せたとはいえず、調書が却下されたことで立証は厳しさを増したといえる。また、冒頭陳述では元秘書らの調書を引用し、「報告・了承」の場面を再現したが、論告は変更を余儀なくされる。

>一方、調書却下が、小沢被告の無罪に直結するとまでは言い切れない。元秘書らの公判では「取り調べに威迫と誘導があった」と調書の多くを不採用としたが、客観的事実から全員を有罪とした。

>指定弁護士側は小沢被告が署名した融資書類など客観的事実を重視。小沢被告が「記憶にない」を連発した説明の不合理さも合わせて、有罪立証に結びつけたい考えだ。

>法廷で示された証拠と小沢被告の説明、元秘書の証言のいずれが信用できるのか。その評価が最終的な結論を左右することになりそうだ。
【産經新聞/2月17日(金)11時46分配信】



このながれを、どう判断するか。

立場によって、大きく違って来る。

小沢陣営は、祝杯をあげんばかりの喜び様が、透けて見える。



▶小沢被告の弁護団「証拠はほとんど消えた」(NNN/見出し)

>民主党元代表・小沢一郎被告が政治資金規正法違反の罪に問われている裁判で、東京地裁は17日、小沢被告の事件への関与について認めた元秘書の供述調書の大部分を「信用できない」として証拠採用しないことを決定した。

>小沢被告の弁護団は17日午後の会見で、「調書の中心部分が却下された。小沢さんを有罪とするような証拠はほとんど消えてしまった」と話した。

>一方、検察官役の指定弁護士は「池田被告の調書は一部採用されており、調書以外の間接証拠でも小沢被告を有罪とすることはできる」とコメントしている。
【NNNニュース/2月17日(金)19時35分配信】



小沢側弁護士団は、「公判自体の維持が不可能になった」と繰り返し語っている。

しかし、そんなに甘く考えていていい物か。


「『記憶にない』を連発した説明の不合理さも合わせて、有罪立証に結びつけたい考え」なのだから。

何年も以前に、「ある日有る時これこれの事に返事しましたか」等と問われて、「記憶に無い」と言うのは、至極当たり前である。

それを「検事役指定弁護士」は、繰り返し繰り返し5~6回も問い重ねた。

同じ質問である以上、同じ返事をするしかない。

にも拘らず、「<記憶に無い>を連発する不遜な態度」と報道し、また新たな「悪人」のイメージを刷り込んで行った。

しかし、刷り込まれた方の脳ミソは、それ以外の判断はしなくなる。

「小沢はノラリクラリと逃げ回る」


そして。


「調書以外の間接証拠でも小沢被告を有罪とすることはできる」と畳み掛ける訳だ。

思考停止の国民たちは、「そーだそーだ」となる。

挙げ句の果てには、国会議員達までが同じ事を繰り返して喚き立てる。



▶「政治家失格は自明」 調書不採用で自民・脇氏 公明・井上氏も「説明責任ある」(産經/見出し)

>自民党の脇雅史参院国対委員長は17日、小沢一郎民主党元代表の公判で、元秘書らの検察官調書が証拠採用されなかったことに関し「秘書に任せてあって知らなかったから、自分は無罪だというのはありえない。政治家の倫理として政治資金規正法の精神からして間違っている」と指摘した。

>その上で脇氏は「判決が(有罪、無罪の)がどちらになろうと、もはや政治家としては失格であるということは自明だ」として、政治とカネ問題をめぐる追及を続ける考えを示した。国会内で記者団に語った。

>公明党の井上義久幹事長も記者会見で「(小沢氏に)政治的、道義的責任はある。秘書が3人、有罪になっているわけだから国会に対する説明責任はある」と述べ、小沢氏の証人喚問の必要性を重ねて強調した。
【産經新聞/2月17日(金)17時37分配信】


動脈硬化とは言うが、脳ミソ硬化と言うべきか。

それとも、『脳機能停止症候群』とでも言うべきか。

相も変わらず、同じ論調。

「英字資金規正法」の概念、とこのご仁が何処まで理解しているのか知らないが、正統に行われた商取引の、支払を行った日時か、土地登記の偏向官僚の時期か、単純に3ヶ月程の違いが年をまたいでいただけ。

これが、「違法」と言われた事実の総てである。

その事実を理解しての発言とは、到底思えない。

『政治家失格』とまでほざいた。

「当選3回の比例区議員風情が、偉そうに大口を叩いて…」と言われても致し方ない程の、市裏滅裂かつ、無礼千万な「弾劾」である。


片方も同じ。


「政治的、道義的責任はある。秘書が3人、有罪になっているわけだから国会に対する説明責任はある」

『推理』し『認識』することが、<有罪>の判決理由であった。

べらぼうな「法律無視」の悪行である。

<法の番人>で有るべき砦が、判事であった筈。

法を司る「秤」の紋章は、ドブにでも捨て去ったか。


そんな『推認』した事実には一言も触れずに、「秘書が3人有罪」で「政治的、道義的責任」がある、などと言われて身の潔白が立証出来る人間が、この世に如何ほど居ると言うのだろう。

「小沢氏の証人喚問の必要性を重ねて強調した」



しかし。

これが、現実である。

これが、日本人の発想である。

風土である。


「立件する根拠としての<唯一>の証拠が不採用となった」

これはあくまで、《法的手続きに於ける一つの事実》にすぎない。

判断を下す裁判官は、「自己の感情」で判決を下すのは、良く有る事だそうだ。

法治国家もクソも無い。



▶<剛腕出廷>弁護側「証拠消えた」(産經/2月18日(土)7時55分配信)

>「一つの山を越えた」

>閉廷後に会見した小沢一郎被告(69)の弁護団は安堵(あんど)の表情を浮かべた。主任弁護人の弘中惇一郎弁護士は「これで有罪の証拠はほとんど消えてしまった。小沢さんの責任を問うには、虚偽記載を強く指示したとか、具体的な内容がないと有罪にならない」と強調。

>「報告書を作成する立場だった秘書の公判とはレベルが違う」と続けた。


甘い。

弘中弁護士の有能さを疑う訳では、全く無い。
しかし哀しいかな、彼は「真っ当な」法曹人なのだ。

証拠に基づかない、組織の決定に合致させる為に、全てを想像と希望的観測とでねじ曲げて恥じないような脱法行為を、判事が自ら行うと言う様な「非法治」行為は、対処した事が無いのでは無かろうか。

真っ当な司法界なら、こんな裁判は行われていない。

その角度からの対策を、たててある事を、ただただ願うのみである。


>一方、立証の柱を失った形の指定弁護士、大室俊三弁護士は報道陣の取材に対し、「あんなものかな、と予想していた。意外感はない」と淡々とした様子。

>大室弁護士は、小沢被告との「報告・了承」が石川議員の引き継ぎによるものだった、とする池田元秘書の調書が採用されたことで「石川さんの報告・了承の重要な証拠にもなる」と指摘。

>小沢被告が被告人質問で関与を全面否定したことにも言及し「一切の指示なしに秘書が勝手にやったという主張に合理性があるのか。間接証拠はそろっており、有罪立証は十分可能」と言い切った。
【産經新聞/2月18日(土)7時55分配信】


日本と言う国に於ける、新旧の国家権力を賭けた権力闘争に、常識は最早通用しない。



「政治資金の透明性に、政治家が何処まで責任を持つべきか」

NHK『自論公論』での、今回の判断に対する論調の柱の一つであった。

この理論は「小沢が、本人の関わりとは別にして、政治資金規制法に則った違法性があった」事を前提としている。

秘書用の寮にする為に購入した土地の購入代金を記入した「時期」の数ヶ月のズレ、に過ぎない事がそこまで「犯罪性」を責められるべき事なのだろうか。

指摘に応じて「訂正」するだけの事例に過ぎない事であった筈。

小沢一郎の場合に限って、「犯罪」扱いする事を続ける事自体、反法治性の根源である。

「しかも、<刑事裁判>に於ける有罪か無罪か、と言う事だけでは無く、「政治とカネ」という問題を改めて国民に突きつけている」

「会社の決算報告所に不正が有ったとして、会社の経営者が決算報告所にタッチしていなかった、で認められるのか」

「近々出される判決は、悪まで<刑事事件での有罪か無罪か>に過ぎない。政治とカネとの関わりを、もっと高い次元で問いかけて行かねばならない」


これが、『時論公論』での、論旨である。

最初から最後まで、「小沢一郎が不正なカネを動かしていて、手続き上は責任を逃れられるやり方だった」という宣伝。


この様な報道が、日本人の平均的思想と、発想と、受け止め方と、理解と、解釈とを『正当化』して来た。

そして、そのような考え方に凝り固まっている日本人が、過半数存在している。


哀しきかな、我が祖国…。


『勝って兜の緒を締めよ』というが。

今回の「検察側証拠」の不採用程度の事で、浮かれている場合では無い。

兜の緒は、更に堅く締め直さなければならない。

未だ「勝って」いないのだから。


判事殿は、「状況証拠」という便利な道具で、どの様にでもいか様にでも「推認」出来る事を、肝に命じるべし!


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「来年の夏に向け、再稼働できるものは再稼働していかなければならない」(野田佳彦)

2012-02-16 21:35:21 | 政治と社会
<原発再稼働>は、野田内閣に取っては『既定路線』であるようだ。


実際に、福島第一原発が破壊され、天文学的な量の放射性物質をまき散らし、その結果、どれだけの市民が被曝に晒されていようと、どれだけの汚染食品が国内に出回っていようと、何も感じないらしい。

野山に放射能が吹き寄せられ、河川や地下水脈に放射能が集まり、作物生産とその流通と摂取の循環に集積されようと、海洋を汚染して水生生物に蓄積されようと、一切何にも感じないらしい。

いまだに、福島第一原発の原子炉のメルトスルーした「核燃料」の状態も把握されて居らず、それどころか、2号機と4号機には更なる爆発の危険汗待っているらしいと、海外で報道されているにも拘らず。

『原子力発電』に、何一つ全く完全に丸っきり「危険性」を感じないらしい。

東京首都圏で、マグニチュード7以上の地震が、ここ4年間に起こる確立が70%とされる予想すら、出されているにも拘らず。

野田佳彦と言う人は、心は空っぽで、頭の中は「経済原理」しか詰まっていないらしい。

人間としての、感情も、感性も、愛も優しさも、なあああんにも無いらしい。


恐るべき「人間もどき」である。

そして、その人間もどきが、我らが祖国の舵を握っている…。



▶朝日が原発再稼働「民主党容認」報道 野田政権になって風向き変わった(J-Cast /見出し)

>政府・与党は、点検停止中の原発の再稼働へ向け動き出すのか。

>夏前の再稼働をめざす野田政権を後押ししようと、民主党が再稼働容認へ向け調整を始めた、とも報じられている。

>2012年2月16日付の朝日新聞朝刊は、1面(東京最終版)で「民主党が15日、原発再稼働を容認する方向で調整を始めた」と報じた。

>記事では、夏場に電力不足になるとの予想や、核開発問題を抱えるイランからの原油調達の削減を受けたエネルギー不足への懸念が広がっている、と指摘。

再稼働をめざす野田政権を「後押しする狙いがある」としている。

>関連記事では、菅直人前首相が「脱原発」を打ち出した頃に比べ、民主党などの「『脱原発』への動き」が冷めてきた、と分析している。

>野田政権になって風向きが変わったからだ。



「野田政権になって風向きが変わった」

何やら、何処からか勝手に風が吹いて来た如き、良いようである。

アホこくんでねえよ。

野田佳彦本人が、風向きを変えてしまったのだ。

恐らく「経団連」と結託した「経産省」の言いなりになって。



>野田佳彦首相は、2011年9月の米紙ウォール・ストリート・ジャーナルとのインタビューで、「来年の夏に向け、再稼働できるものは再稼働していかなければならない」と語っていた。

>2012年1月のテレビ番組でも、再稼働について「どうしてもお願いしなければいけない時は、枝野経済産業相なり私なりが、直接住民に説明することが最後には必要だ」と述べた。



「直接住民に説明することが最後には必要だ」

いかにも丁寧な口ぶり。

いかにもそつのない「丁寧」さ。

中身は、国民の為に政を行う姿勢では無く、一部支配階級の為にのみ働く姿丸見えの、哀しきピエロ。

哀しきピエロは、幕が下りてライトが暗転し、観客が去ったあと、一人で涙を流す。

しかし、この巷で野豚と揶揄されている首相殿は、「気違いピエロ」である。

国民に災いを無し、影で一人笑っている。


>また、民主党の前原誠司・政調会長が再稼働を訴えているほか、2月12日には、仙谷由人・政調会長代行が講演で「市町村、知事から許可が得られる場合、ぜひお願いしなければならない」と再稼働の必要性を訴えた。


「お願いしなければならない」

<お願い>とは、何百億円かのはした金を「助成金」と言う名で目の前にぶら下げに行く事。

そして、首長達の中には、その「はした金」が住民達の命よりずっと大切に感じるらしい連中が、居る。



> 一方、慎重論もある。

>枝野幸男・経済産業相は2月7日の会見で、再稼働について「期限を切ってやるつもりはない」と述べ、さらに「地元をはじめ、国民の一定の理解が得られているのかどうかが唯一の基準だ」と言い切り、「慎重姿勢」(毎日新聞)を示した。

>原発が次々停止する中での電力確保の見通しについては、例えば2月4日付の日本経済新聞朝刊では「電力供給綱渡り続く」「今夏も厳しく」と指摘している。

> 一方、毎日新聞は1月23日付朝刊で、2012年夏の電力需給について、「全国で約1割の不足」との試算を政府が11年夏に公表したが、実は「最大6%の余裕がある」との別の試算もあり、当時の菅直人首相に報告されながら公開されなかった、と報じた。

> NHKが2月14日に報じた世論調査によると、原発再稼働について、「賛成」22%、「反対」36%という結果だった。「どちらともいえない」も36%いた。
【J-Cast ニュース/2月16日 18時58分配信】



「枝野幸男」経済産業大臣は、演技がうまくなって来た。

先日も、公的資金の注入を求める「西沢俊夫東電社長」の前で、大見得を切ってみせた。

『(議決権を渡ささない限り)少なくとも私がこの任に有る限り、一切認める事はございません』


テレビカメラも入っての席で、段十朗顔負けの大見得であった。

誰が描いたシナリオであるかは知らぬが、臭い程の名演技であった。



これらのやり取りに於ける、首相の意思と、経産相の意思との間に、齟齬は無いのだろうか。


方や、一般的に「原発再稼働」の意志。

一方、東電の企業姿勢に対する、国としての立場の表現。

東電への「会社整理」と「賠償要求」とを、国も被害住民達と同じく怒っている、と言う姿勢を見せて、国民の怒りの矛先を鈍らせる。

その方針として、この様なやり取りがあちこちで繰り替えされながら、なし崩しに原発の存続と稼働とが、続けられて行くのであろう。



「あの」菅直人が、最後の方では『脱原発』を言い出した。

自分の手には余る大事故を経て、自分の能力の限界を見せつけられて、「東日本はもうダメだ」と感じた彼が、最後まで総理の椅子にしがみつき続けた挙げ句に、辞めざるを得ないその時の直前に「原発の怖さ」に、スタンスを変えてみせた。

退任後の、自分の影響力を残したくて。

国民の「原発への拒否感」を敏感に感じ取った上での、機敏な身のこなしを見せたのだった。


その後の、野田佳彦が官僚達に「丸め込まれる」のに要した時間は、『地上げ屋さん』によれば、2日であった…。

菅直人退陣後、野田佳彦に政権が移るや否や、原発推進は息を吹き返したに違いない。


そして。


枝野経産相が13日に「(東電への)資本注入額に照らして十分な議決権を伴わない特別事業計画を認定するつもりは全くない」と発言したことに、藤村修官房長官が「政府で合意した上での発言ではない」と述べた。

早速。

それに対しての枝野の発言。

「大きな方向性は総理等にもご報告している。発言する具体的な中身までご相談しているわけではない」と述べ、政府内で意思統一ができているとの見方を示した。


要するに、出来レースである事は、確かである。



▶東電国有化、財界に波紋=経産相の意図めぐり(時事/見出し)

>枝野経産相は13日、東電への公的資金の資本注入について「十分な議決権」の取得が条件と明言。国が普通株式の過半数から3分の2超を取得して経営権を握る方針を示したが、国有化時の在り方に関しては「東電の将来像は資本注入の実行時に示す」として明らかにしていない。

>これに対し、経団連の米倉弘昌会長は「国有化とはとんでもない。勘違いしている」と強く反対する一方、経済同友会の長谷川閑史代表幹事は「権限を担保しておきたいという意味で理解できる」と語り、財界トップの立場が分かれた。
【時事通信/2月16日(木)19時0分配信】


相も変わらず、労害を振りまく「米倉弘昌」経団連会長である。

この爺さんは、一体全体自分を何様だと思っているのだろうか。

勿論「経団連会長」米倉様であるが。


野田佳彦が、長谷川閑史氏と気脈を通じているとは、到底信じられない以上、「民主党による原発再稼働の流れ」は、この『経団連』のご意向に沿った者である事は、間違いない。

そして、東電国有化に於けるプロセスでも、彼等は「田舎狂言」を演じている様だ。


この「米倉」といい、経産省といい、民主党首脳部といい、ハッキリ言って『人』と断定して、差し支えないであろう。


この期に及んで、今更ながらに。

『再稼働出来る物は、再稼働して行かなければならない』



どのような神経をしていれば、このような<妄言>を平気で吐けるのだろうか。


労害と言えばこの人。

我らが「石原慎太郎」東京都知事。

その彼が、粋な事を遣り出している。



▶東京都「第2東電」で動き出す 東電を厳しく批判、自前の電力確保へ(JーCast/見出し)

>東京電力福島第1原発の事故に伴う電力供給不安に対応するため、東京都が自前の電力確保に動き出している。

>返す刀で東電の料金値上げを厳しく批判するなど、バトルは激しさを増す一方だ。

>都は2011年年11月、首都直下型地震など大規模災害に備えた新たな防災対策を公表。都内60か所にある防災公園、物流拠点や上下水道施設などにガス発電設備を導入し、いざという時に電力供給が途絶えないようにする考えを打ち出した。

>①東電からは独立した独自の送電網を臨海副都心に設置し、青梅コンテナふ頭や東京ビッグサイトに電力を供給

>②帰宅困難者を受け入れる民間事業者がコジェネレーション(熱電併給)システムを導入する際に最大3億円補助

>③新宿の都庁舎が来年度から東京ガス系の電力小売り事業者から電力供給を受ける

>都が推進する電力対策のもう一つの柱が、「第2東電」(猪瀬直樹副知事)ともいえる大規模発電所の新設構想だ。

>100万kw級の天然ガス(LNG)発電所の建設候補地として、中央防波堤外側埋め立て地(東京湾)、砂町水再生センター用地の2カ所(江東区)、旧江東清掃工場跡地(同)、葛西水再生センター用地(江戸川区)の計5カ所を決定。

>予算原案には民間投資家と連携して官民連携インフラファンド創設のため、都が30億円を出資することも盛り込んだ。民間からの資金を集める呼び水という位置づけで、200億円規模のファンドを目指し、4月に運営事業者を民間から公募し、7月をめどに投資を始める計画だ。

>ただ、発電事業に新規参入しても東京電力の送電網を使い、「託送料」を払わなければならい。これをいかに下げるか。そこで猪瀬副知事が繰り出した次の手が東電のコスト構造への切り込みだ。

>東電が4月からの企業向け電気料金を平均17%値上げすると発表すると、大株主の立場も利用して、1月26日、東電などに対し、さらなる経営合理化などを求める緊急要望書を提出。

>猪瀬副知事は会見で経営合理化で2012年度1934億円の経費削減としていることについて、「家賃が高い子会社事務所の移転や、自社ビルの売却だけでも約100億円捻出できる」などと具体的に無駄を指摘して攻め立てた。

>2月1日に東電が「回答書」を出したが、猪瀬副知事は3日、東京電力の皷副社長を都庁に呼んで、内容が不十分だとして、報道陣の前で「東京都としてはこれを受理するわけにはいかない」と突き返すパフォーマンスも見せた。

>こうした都の攻勢で、「東電は企業向け値上げのドサクサで宅送料引き上げを狙って水面下で動いていたが、都に値上げ自体を責められ託送料を言えるような状況ではなくなった」(エネルギー業界筋)というのが現状だ。

東電は「財政支出を抑えたい財務省の威光を利用して経営自主権維持と、その裏付けとなる大幅値上げを狙っている」(霞が関筋)といわれるが、枝野幸男経産相の真意は今ひとつはっきりしない。

>今後の一般家庭向け料金値上げも含め、「東京都ペースで事態が進展することに焦りを深めている」(業界関係者)と見る向きが多いようだ。
【J-Cast ニュース/2月11日 18時00分配信】


慎太郎殿の遣る事は、一時が万事油断は出来ない。

しかし、この件に関しては「方向性」は間違っていない。


東電の会社整理以外に基本的に必要な事が、ここで示されている。


消費者に取って「選択の与えられない」現在の電力事業者の独占体制を、打破する事。

如何なる分野であろうと、「競争の無い所」に消費者に有利な商売は起こり得ない、と言う事である。

東京電力。
北海道電力。
東北電力。
北陸電力。
関西電力。
中部電力。
中国電力。
四国電力。
九州電力。
沖縄電力。


これらが、夫々の「シマ」をキッチリと決め、互いに他者の商売を犯す事無く、自分のシマで無競争の商売を行う。

そこに、如何なる批判も抗議も、起こらない。

まるで、ヤクザの商売といっしょである。


そう言えば、東電の幹部達の言動を見ていると、ヤクザと同じにしか見えない。

「値上げは、義務と言うか権利であります」

手下(警官隊)に護られた、要塞の様な邸宅に棲む、親分いや会長。

被爆者と支援者の抗議活動を、手下いや警官隊の暴力で粉砕する。

組員いや社員達は、高給で優遇され組いや会社専用の厚生施設で案楽な暮らしをしている。


電力会社を、牛丼屋並みにするべきである。

並み350円が、よその組320円にするや、300円に値下げ。
お互いに値下げ合戦に明け暮れて、今や230円…。

競合他社を、複数作るべし。

送電線だけを国有にし、総ての電力会社は同じ条件で「送電料」をおさめさせる。

そうすれば、当然「売値」としての電力料金は、各社の企業努力次第と言う事になる。

政府は「電力事業者」と言う殿様を保護するのでは無く、消費者である庶民の保護に、軸足を据えなければならないのでは無いのか。

『統括原価方式』などという、たわけた殿様商売は許すべからず。
あらゆる経営努力で、値下げに努力し、身を切る思いで会社経営に務めるべきである。


「新競争原理」などと言うご託は、企業にこそ適用せよ。


伝統的に、東電社員は『準公務員』扱い?


被爆者の全員の救済と弁済を済ませ、汚染を総て除去し、日本の国土を元通りの美しい山河に戻してから、言いたまえ。

ふんぞり返ってほざく寝言は、もううんざりだ。


『再稼働できるものは再稼働していかなければならない』(野田佳彦)

このような事を平気で口走る総理など、除染作業に従事させれば宜しい。


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班目が涙目になった。現場は反省し始めたが、枝野も西沢も増々増長するのみ。では橋下は!?

2012-02-15 21:18:24 | 政治と社会
日本の原子力発電の関係者が、いかに驕り昂っていたかが、当事者に依って明かされ始めた。


涙目になった班目春樹原子力安全委員会委員長が、口を開いた。



▶言い訳づくりばかりしていた…班目氏発言の要旨(讀賣/見出し)

>国会の東京電力福島原子力発電所事故調査委員会での班目春樹原子力安全委員会委員長の発言要旨は次の通り。 


>【原発の安全審査体制】

>原子力安全委員会の安全審査指針に瑕疵(かし)があったことははっきりと認めざるを得ない。津波に対して十分な記載がなく、全電源喪失については、解説で「長時間そういうものは考えなくてもよい」とまで書いている。原子力安全委員会を代表しておわびする。

>【原発の安全確保】

>国際的に安全基準を高める動きがある中、日本では、「なぜそれをしなくていいか」という言い訳づくりばかりしていて、まじめに対応していなかったのではないか。

>安全指針一つ取っても、変えるのにあまりに時間がかかり過ぎている。そもそもシビアアクシデント(過酷事故)を(前提に)考えていなかったのは大変な間違いだった。

>【原発事故時の住民避難】

>放射性物質拡散予測システム「SPEEDI(スピーディ)」の計算には1時間かかる。今回のような原発事故にはとても間に合わなかった。

>予測計算などに頼った避難計画を立てたのが間違いで、発電所で大変なことになっているという宣言があったら、ただちにすぐそばの方には避難してもらうというルールにしておくべきだった。スピーディが生きていたら、もうちょっとうまく避難できたというのはまったくの誤解だ。
【讀賣新聞/2月15日(水)21時5分配信】



この発言に、関西電力・大飯原発(福井県おおい町)3、4号機のストレステストに対して下した「妥当」の判断を、<最初から>決めていた経済産業省原子力安全保安院は、どう答える!?


該当原発を有する「関西電力」は、一日も早く再開しなければ「赤字」が膨らむと、焦っているらしい。

関電が有する11基ある原発も、2月20日には最後の1基が止まり、火力のたき増しによる燃料費増大で2012年3月期は営業赤字に転落する見通しだと言われている。

しかし、「東電」の様な「恥知らず」な値上げは、余程の人面鬼ででもなければ、言い出せる訳が無い。

「値上げではなく、経営合理化を続けながら再稼働の努力をする」(八木誠社長)

と、早期の原発再稼働をあきらめていないが、だからと言って保安院が「お約束」の<OK>を出したものの、今後も波乱が必至だ。


意見聴取会委員から判断の妥当性を問う声が出ている中、閣僚はともかく、地元の理解を得るのはそうとう難しい筈である。

実際、大飯が立地する福井県は、簡単には譲らない姿勢を見せている。

「ストレステストは机上の調査にすぎず、再稼働の判断材料にするのは不十分」(西川一誠知事)

「福島第一原発事故を踏まえた新たな安全基準を作るべき」と譲らない。

事故後は、原発立地区だけでなく、近隣する京都府などの意見も無視しにくくなっている。


そんな状況の中においての、今回の「涙目懺悔」である。

たとえ、枝野や細野、或は野田佳彦が「再稼働」を決めていようが、世の中の空気が簡単許す訳が無い状況になって来た。


もう一つの記事も。


▶2トップ、福島事故で謝罪「言い訳に時間をかけた」「私は文系で…」(産経/見出し)

>原子力安全委員会の班目(まだらめ)春樹委員長と経済産業省原子力安全・保安院の寺坂信昭前院長が、原子力の安全規制当局として事故を防げなかったことについて陳謝した。

>寺坂氏は平成16年の美浜原発配管破断事故などを挙げ、「(保安院は)安全規制を進めようとしていたが、個別の問題の改善や安全確保に相当な時間や人員をとられた」と釈明した。

>官邸への助言など、事故当時のそれぞれの行動について、班目氏は「1週間以上寝ていないのでほとんど記憶がない。私がいた場所は固定電話が2回線で携帯も通じず、できる助言は限りがあった」と説明。寺坂氏は「私は文系なので、官邸内の対応は理系の次長に任せた」と述べた。

>黒川委員長は委員会後の会見で「安全委員会と保安院は安全を担う使命を持っているが、緊急時の備えができておらず、事故がない前提で原子力行政を推進するなど、国民の安全を守る意識が希薄だ」と批判した。
【産經新聞/2月15日(水)22時43分配信】


さらに。


▶保安院の専門性「不十分」=前院長が認める―福島原発事故の国会事故調(時事/見出し)

>寺坂氏は保安院の能力について「専門性、知見、習熟度において、米国などと比較すると十分なものではない」と認めた。

>当時の保安院トップが能力不足を認めた発言は、事故の背景に規制制度の欠陥があることを改めて浮かび上がらせた。 
【時事通信/2月15日(水)20時14分配信】



「専門性、知見、習熟度において、米国などと比較すると十分なものではない」

しかし、自惚れと思い上りと、高圧的態度だけは米国並みか、それ以上である事は疑いない所だ。

文系、理系とを問わず「官僚」は、思い上がっている。

誰が何と言おうと、思い上がっている。

その「思い上り」が、今回の福島第一原発の事故を呼び寄せた。


「原子力安全委員会の安全審査指針に瑕疵(かし)があったことははっきりと認めざるを得ない」
「津波に対して十分な記載がなく」
「全電源喪失については、解説で『長時間そういうものは考えなくてもよい』とまで書いている」

「原子力安全委員会を代表しておわびする。」


よくぞ言った。

今更詫びられても、何も改善しないが、「国民無視の安全神話」をいまだに垂れ流し続けているあまた居る『御用学者』達よりは、余程まともだと言っておこう。

「国際的に安全基準を高める動きがある中、言い訳づくりばかりしていて、まじめに対応していなかった」

「安全指針一つ取っても、変えるのにあまりに時間がかかり過ぎている」

「そもそもシビアアクシデント(過酷事故)を(前提に)考えていなかったのは大変な間違いだった」


どれをとっても、日本の官僚の発想そのもの、で有る。

こんな奴らが、わが国の内政も外交も、財政も司法も、経済も軍事をも、総てを取り仕切っているのだ。

背筋が寒くなる。

そして、彼等は「決して」謝らない。
決して「責任」を取らない。


今回の班目春樹を除いて。

寺坂信昭に至っては、この期に及んで、班目の謝罪を横に聞きながらでさえ、まだ「逃げ」と「言い訳」に徹している。

「(保安院は)安全規制を進めようとしていたが、個別の問題の改善や安全確保に相当な時間や人員をとられた」

「私は文系なので、官邸内の対応は理系の次長に任せた」



しかし、いくら「現場」が過ちを認めたとて、管理する側が態度を変えない限り、日本は何も変わらない。



以下は、12月19日、日比谷の外国特派員協会で会見を開いた細野豪志の発言の一部である。


>確認できたことがいくつかあります。100ミリシーベルトを超える被曝線量については、原爆被害者の疫学的データが集まっておりまして、一定の発癌リスクが高まることが確認されております。具体的には100ミリシーベルト/年で、生涯のガン死亡率が0.5%増加するというデータが出ております。

>しかし、100ミリシーベルト以下になると、疫学的調査をしてきましたが、他の癌のリスクに隠れてしまうほど小さいものですから、放射線による発癌リスクは、明らかな増加を証明することは難しいという報告が出ております。

>個人として冷静にリスクを評価してもらうため、あえて、比較する数値をご紹介したいと思います。

・喫煙のリスクは放射線量で言うと1000ミリから2000ミリシーベルト。
・肥満のリスクは200ミリから500ミリシーベルト。
・野菜不足や受動喫煙のリスクは100ミリシーベルトから200ミリシーベルトのリスクと同等と考えられます。

>我々が設定しております。20ミリシーベルト/年は、実際にそこで生活する人たちの被曝量は、その4分の1、現実的には4ミリから5ミリであることが明らかになってきました。それだけ保守的な基準だと言うことです。

>まだ具体的な目標設定をするところまで至っていませんが、例えば、放射性物質による影響と言うのが、わずかであっても存在していたと、考えましょう。

>一方で、それよりはるかに大きなリスクが県民の生活の中にあるわけですね。

>その中から例えば、喫煙を少なくする、バランスのいい食事をする。運動不足を解消する。それを県をあげてやることができれば、福島は長寿・健康県になりうるんです。我々は福島を再生の場所にしたいと考えています。日本社会はそれをしっかりとサポートします。



このように、詭弁と言葉の遊びとに終始し、責任を取らされる様な発言をしない様に、逃げながら、かつ自分達の働きぶりを大きくアピールしよう、と言う様な行動様式に捕われたままで、国は国民を犠牲にし続けている。

肥満のリスクや、喫煙のリスク、野菜不足のリスクといった、個人の責任に於いて為され、かつ個人の責任に於いて避け得るリスクと、一方的に押し付けられ、避けようも無い逃げ道の無いリスクとを、同列に並べる不誠実さ。

しかも、避難すらさせない様に、避難する事が悪であるかの如き風潮を造り上げ、わざわざ「被曝環境」に縛り付けられている住民達に、『放射線による発癌リスクは、明らかな増加を証明することは難しいという報告が出ております』などと、いけシャアシャアと言ってのける。


これが、官僚とその官僚からコントロールされて行動する政治家との、言動である。

彼等が、己の間違いに気づき、自らの罪深さに恐れおののき、心の底からの謝罪をする気にならせるには、後幾つの原子炉が爆破する必要が有ると言うのだろうか。。。


心寒い日本である。



▶「目的は菅直人リスクをなくすこと」自民・塩崎氏、原発事故対応を批判(産經/見出し)

>「原子力規制組織を見直す最大の目的は『菅直人リスク』をなくすことだ」。

>自民党の塩崎恭久元官房長官は15日の衆院予算委員会で、原子力規制庁の設置をめぐり、菅前首相の東京電力福島第1原発事故への対応を厳しく批判した。

>塩崎氏は、第1原発のベント(排気)・海水注入の指示や現地視察、全原発対象のストレステスト(耐性検査)導入表明など菅氏の一連の対応を列挙。「支持率アップをねらった政治的パフォーマンスだ。これでは原子力政策の信用失墜をもたらす」と断じた。

>普段は低姿勢の野田佳彦首相も、「菅直人リスク」との表現に「事故対応に批判はあるかもしれないが、その表現だけはやめてもらいたい」と反論した。
【産經新聞/2月15日(水)14時40分配信】


自民党の質問にしては、良く遣った、と褒めて良い出来である。

『菅直人リスク』

まさに、それなのだ。

問題の本質には触れず、何ら解決に必要な手段も考えず、問題の中心に切り込む事も無しに、ただ周囲で騒ぎ立てて、パフォーマンスをしてみせる。

これこそが、危機管理能力の欠除した「日本型政治」の行動であり、官僚の行動様式なのである。

ただし、何時如何なる場合に於いても、<官僚>は個人としての姿は現さない。

羽織の中の背中越しに操られる、政治家の言動として、表面化して来るのだ。


それでも、「二人羽織」を拒否出来るような、芯の通った政治家であるならば、それも防げるかもしれない。

しかし、大多数を占める「総理」「閣僚」になりたがる様な政治家は、その任に値する能力は備わっていない事が、普通である。

さすれば、嫌が応でも「二人羽織」にならざるを得ない。

そして、能力は無くとも「見栄をはる事」だけには引けを取らない政治家が、責任有るポストについていると、『菅直人リスク』が発生する。

避け様が無く。

この「菅直人」とは、たまたまその時に起こったリスク・パターンであったが故に、塩崎恭久元官房長官はこう呼んだ。

しかし、これは「野田佳彦リスク」「岡田克也リスク」「前原誠司リスク」「仙谷由人リスク」とも、呼び変える事が出来る。


人間、究極の事態に至って適切な行動が取れない者は、国の舵など取ってはならない。

決して。


最後に付け加えるならば。

「二人羽織」を拒否出来る政治家として、橋下徹が挙げられるかもしれない。

しかし、彼は残念な事に「リモコン」の操縦を受ける事は拒否出来ても、自分で「建設的」に行動する能力は、無さそうである。

民衆を煽って、弱い部分を突ついて民衆の支持を集める事は、得意であろう。

その為に、どのようなパフォーマンスが有効であるかを見つけ出す能力は、本能的に持っている様だ。

しかし、「過激なかけ声」の後に続く哲学を、全く持ち合わせていない事は、見ていれば分る。

来るべき大きな結果を見通して、その結果に導いて行く行動の一貫として、パフォーマンスを遣る訳では無く、パフォーマンスを遣る事で、彼の能力は止まっている。


そのような人間に舵取りを任せてしまったとしたら、「菅直人リスク」どころでは無い。

『橋下徹リスク』だけは、何としても避けたいものだ。


小泉劇場に酔った国民達は、同じ過ちを再び繰り返すかもしれないことが、日本の不幸の原点であるのでは無いのか。

いま、一番避けなければならないリスクは、『国民リスク』であると言えよう。


あと幾つの原子炉が爆発すれば、夢見る国民は目覚めるのだろうか。。。


コメント (4)
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目先の保身の為に、国益を破壊する辻褄合わせに狂奔する政治家達は異様だ。

2012-02-14 23:26:13 | 政治と社会
日本の政治の台風の目は、目下の所『橋下徹』である。

そして、日本の政治の癌は「オリ民」と呼ばれる、現民主党の首脳達である。

さらに、日本の政治の病原体は『霞ヶ関官僚組織』である。

その上で、日本の政治の矛盾の元凶は『自由民主党』である。



そして、これらが互いに「有機的に」作用し始めると、日本が沈没してしまう。

その事に、当の登場人物達は、まったく気がついていない事が、総ての悲劇の元凶である。



▶一院制に理解=前原氏(時事/見出し)

>民主党の前原誠司政調会長は14日の記者会見で、橋下徹大阪市長が率いる「大阪維新の会」が参院の廃止を含む国会制度改革を次期衆院選に向けた公約骨格に掲げたことについて、「(衆参の)ねじれを解消する一つの案として、一院制はあり得る。日本の政治を前に進めるための問題提起だ」と述べ、一定の理解を示した。
【時事通信/2月14日(火)20時26分配信】



頭が空っぽで、自惚れだけが巨大で、自己顕示欲の強烈な「自称大物政治家」が、保身の虜と成って取り敢えず何か考えようとすると、このような事を言い出す。

『一院制』が、一体何を意味するのか、分かって言っているのなら、まだ許そう。

「(衆参の)ねじれを解消する一つの案として、一院制はあり得る。日本の政治を前に進めるための問題提起だ」

こんな戯言を平気で口走る、その発想でこんな事をやられては、国民が犠牲に成ってしまう。

2009年8月までの、自分達の立場を、もう忘れたか。

参院での過半数を操作して、自民党の政策の総てを邪魔していたのは、一体何処の何方であらせられたか。


古くは60年安保、さらには70年安保、「破防法」「消費税」その他国民がやって欲しく無い重要案件の際の「国会審議」を思い出してみるが良い。

『多数』の暴力。

国民の感情を無視して、反対のウネリを無視して、数を頼んで強引に「強行採決」を繰りかえし、一部大企業や大資本の喜ぶ政策を、次々と通して行った。

その事を知り尽くしている小沢一郎だからこその、「民主主義は数である」という言葉が、重みを持つ。


それでも、参院が有るからこそ、重要政策の際の「焦点」の在り方が浮き彫りにされるのである。

結局参院で否決された後、衆院に戻されて再可決されたとしても、その過程に「国民の反対の存在」が、刻印される。

実際の日本の政治風土での、単純に「手続き」に過ぎない国会審議と入っても、それでも敢えて「二院制」は国民の意思の発露として、絶対に必要不可欠である。

さもなくば、あの「小泉郵政選挙」の後の状態で衆議院しか存在していなかったとすれば、日本の屋台骨はもっと早くに瓦解して居たに違いない。


その事は、議員定数削減の議論にも、そのまま当てはまる。


▶民主が打開案提示へ=連用制も検討対象―選挙制度改革(時事/見出し)

>衆院選挙制度改革に関する各党協議会が15日午前、国会内で開かれる。座長を務める民主党の樽床伸二幹事長代行が打開案として、公明党など中小政党が求める小選挙区比例代表連用制を検討対象に含める私案を提示する考え。ただ、各党の主張の溝は深く、意見集約に至るかは不透明だ。

>樽床氏の私案は、「1票の格差」是正のため小選挙区を「0増5減」し、比例代表定数を80削減。選挙制度の抜本改革に関しては、比例削減の影響を大きく受ける中小政党に配慮。「比例の一部に連用制を採用すべきだという意見が強い」とし、連用制の組み合わせを視野に入れた内容となっている。
【時事通信/2月15日(水)5時53分配信】


「公明党など中小政党が求める小選挙区比例代表連用制を検討対象に含める私案を提示する」
「『比例の一部に連用制を採用すべきだという意見が強い』とし、連用制の組み合わせを視野に入れた内容」


丸っきり<談合>である。

入札各社の利益確保を優先事項に、落札部分の線引きをする。
「これを貰うから、これはそちらにどうぞ」

「<1票の格差>是正のため小選挙区を<0増5減>し、比例代表定数を80削減」

この根拠も、合理的にはまったく理解出来ない。

「0増5減」で、一体何処が『一票の格差是正』に成るのだろう。
比例定数80減が、何処で『格差是正』に機能するのだろう。

何処やらの党が30減を主張し、50に歩み寄り、云々カンヌン。
まるでテキ屋の商売そのものだ。

政治化学的に分析されての数字では無く、ただただ「談合」で少しずつ歩み寄る…。


「比例の一部に連用制を採用」

この発想など、まさしくバナナの叩き売り。


この人達は、政治と言う物を、何だと思っているのだろう

国会議員と言う、国民から権力の付託を受けた「選良」としての立場を、役割を、何だと思っているのだろう。


そして、肝心の『目』が何ともいい加減な見せかけ男、と来ている。


▶「船中八策」賛同なら衆院選で連携…橋下市長(讀賣/見出し)

>維新の会は14日、全91項目の公約のたたき台を発表した。

>橋下氏は、「政党に関係なく、政治家個人として、維新八策に協力できるかどうかだ」と強調した。さらに、「(八策は)国民に対する踏み絵でもある。ここまでやる必要がないというなら、今のやり方で沈没していく日本に乗っていけばいい」と語った。

>維新に対しては、東京都の石原慎太郎知事らが目指す新党や、減税日本を率いる名古屋市の河村たかし市長らが連携を呼びかけているが、橋下氏はこれまで「政策を固めないと連携も何もない」と述べ、政策作りを優先する意向を示していた。
【讀賣新聞/2月15日(水)0時15分配信】


一介の「政治家候補」が、国民に向かって『踏み絵』を突きつけると言う、思い上り。

何を喰って育つと、来んな人間が出来上がるのか。

そして、石原慎太郎も、河村たかしも、そろいも揃って「橋下頼み」とは、会いた口が塞がらぬ。


誰しも、大樹の陰に居たいだろうし、風に乗りたいだろう。

しかし、これまでに散々日本社会をかき回して来た「ネオ・リベラリスム」の究極の動きが、ここに有る。

増税推進。
TPP参加。
原発推進。
憲法改正。
再軍備。
公務員の思想調査。

そして、首相公選。

流石の、あの「小泉純一郎」さえ、言い出せなかった事を平気で「公約の基本」にすえ、国民に向かって『沈没したく無かったら船に乗れ!』とは、神にでも成ったつもりか。

上に記した「公約の基本」の発想は、そのまま「核武装」と「徴兵制」に至るのだ。


▶橋下氏の維新公約案、河村市長「主張ほぼ同じ」(讀賣/見出し)

>愛知県の大村秀章知事は「『国からの地方の完全独立』が一番のポイントで、基本的な考え方は賛同できる。私なりの政策をまとめることも考えないといけない」と述べ…。

>TPPへの参加については「私も賛成」、憲法改正要件の見直しについても「憲法も時代の流れに合わせて改正すべきで、より柔軟に改正できるという点では賛成だ」と語った。

>名古屋市の河村たかし市長は、「私の主張とほとんど同じ。細かい説明はまだだが、十分に連携できると思う」と述べた。
【讀賣新聞/2月14日(火)21時46分配信】


まったく、だらしない。

「私の主張とほとんど同じ」

減税と地方主権しか言わなかった男が、いきなり『ネオ・リベ』に成り下がった。


そして、国民と来たら。

又また、懲りもせず「小泉劇場」の再来に胸をときめかせている。


▶「大阪維新の会」国政進出へ加速 「期待」64%(産經/見出し)

>実際、維新の会への期待は全国的な広がりを見せている。

>産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が11、12両日に行った合同世論調査で、橋下氏の国政進出に「期待する」が64・5%で、「期待しない」の27・5%を大きく上回った。
【産經新聞/2月14日(火)0時4分配信】


群盲橋を渡る…。

そっち側が、三途の川の向こう側かもしれない事にも、気がつこうとせず。
ただ、開通した新しい橋に押し寄せる。

日本は、やはり沈没するしか無いのでは無かろうか。。。


繰り返すが。

拙ブログで、最近展開したばかりの主題であるが、私は「議員定数削減」に反対である。

日本は、主立った国々と比べてみても、国民一人当たりの国会議員の数は、少しも多くは無い。

それどころか、足りないと言っても良いくらいであろう。

なぜなら、日本の政策決定システムに、あまりにも「官僚」が拘り過ぎているからである。

国会議員は、社会のあらゆる部分に深い造詣を持っている訳では無い。

実際の法案作成には、その下準備も総て含めて「官僚」の働き無しには不可能である。

各省庁の官僚達は、その為に居る。

而して、これまでの日本の政治風土を顧みれば、あまりにも政治家の無力に依って、官僚が主人と成ってしまっている。

法案作成は、その後それを実際に施行する「行政」面でやりやすい様に、決定されてしまう。

国会議員は、ただ手続きとしての「国会審議」を行うのみ。

そして、その具体的行政の上では、政治家の監視はまったく行き届かない。

更に、法の施行の上での社会の不正を正すべき「司法」も官僚制度の一部である。

つまるところ、日本は三権分立ではなく、むしろ『三権一体』の官僚独裁国家なのだ。

予算の配分も、その施行も、総て官僚達の利害関係の上に、成り立っている。

上級官僚は、自分達の薔薇色の余生の為に、税金をくすね、隠し、有効利用の為の制度をs造り上げてしまっている。

いくら消費税を増税しようと、上がった分の上前をはねられてしまう以上、何ら問題の解決には成らない。


その様な、悪しき制度を監視し、管理して、国民の為に政治と行政とを行わせる為には、今の議員数では足りない。

かの『三宅雪子』議員も、連日もツイートで「会議が多過ぎ時間が足りなさすぎる」事を、嘆いて居られる。

まともに、社会の問題を取り上げ、その問題点を洗い出し、どのように法案に反映して行くか、仕事をまともにしようとすれば、とても今の人数で足りる訳が無い。

議員数は、倍でも良いくらいだと、思っている。

議員歳費と、周辺経費を入れると、議員一人当たり一億円程の負担だそうだ。

そんなもので、本当のまともな政治活動など、出来る訳が無い。

その分、国民の声が届きにくくなる。


それなのに<5+80>削減したとて、精々85億円の節約に過ぎない。

そして、人数が減る分の、議員一人当たりの仕事量は更に増え、官僚の監視などは更に緩み、増々官僚の好き放題に成ってしまう。


その間に官僚達は、税金である国家予算の中抜きの為に存在する「特殊法人」「一般法人」などの天下り達に、左うちわの生活を保証し、ヘソクリの「内部保留」を膨らませ続けるのだ。

議員は減らしては成らない。

「身を切る」姿勢を見せたければ、議員歳費を減らせば良い。

それより、官僚達の「跳梁跋扈」を不可能にする。

予算は「例年の流れ」に沿ってのどんぶり勘定では無く、実際の経費の積み上げで算出させる。

そして、その予算の執行は、徹底的に無駄を省き、省庁や外交団体法人に積立金や留保を無くさせ、特別会計監査を義務化する。

それだけで、国家財政は大きく好転する筈だ。

これまでに積み立てているヘソクリを吐きださせれば、年金や医療保険などの累積赤字など、直ちに完済されるであろう。


それも試みず、それどころかそのような事を考えようともせず、ひたすら「財務官僚」の誘導に従って<増税>に突き進み、監視役に成る筈の議員数うを減らす事で、増税の反対給付に成るだろうと、考える政治家達は、百害有って一利無しである。


官僚の主導の元、政治家が端を振って、財界(マスコミ)が候補支援する、そんな悪徳政治は、もううんざりだ。


政策を談合の道具に使うな。

オノレ達の地位の安泰を願っての「与野党談合」にうつつを抜かす政党など、存続する意味は無い。

癌と病原体とが、悪弊の元凶と談合しつつ、台風の目に色目を使う。

皆一緒くたに合体して、日本を食い荒らそうと狙っている。



そんな異様な政治家達には、早々にヘソを噛んで、死んでしまって頂きたい。


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にほんのおとなはせきにんとらない。ニホンノオトナニハゼンアクノケジメハナイ。

2012-02-13 20:42:14 | 政治と社会
祝! 政財官報やりたい放題!


▶講話問題、沖縄防衛局長を処分せず…防衛省方針(讀賣/見出し)

>防衛省は13日、沖縄県宜野湾(ぎのわん)市長選(12日投開票)を受け、真部(まなべ)朗(ろう)沖縄防衛局長が講話で同局職員に投票を呼びかけていた問題について、調査結果を17日までにまとめ、発表する方向で準備に入った。

>違法行為はなかったとの内容となる見通しで、真部氏の処分は行わない方針だ。

>17日夜には田中防衛相が沖縄訪問を予定しており、訪問前に一定のケジメをつける必要があると判断した。

>調査結果では、過去の沖縄県での選挙にさかのぼって真部氏が同様の行為をしていたかどうかを明らかにする。同省幹部によると、真部氏の講話や、沖縄防衛局幹部の会合での棄権防止の呼びかけについて、特定候補への投票を呼びかけるなどの違法行為は確認できなかった。
【讀賣新聞/2月14日(火)3時6分配信】



違法行為は無かった、って!?

『推認』すれば良い事!

「訪問前に一定のけじめ」が、『処分せず』たあ、お釈迦様でも気がつくめえ。



▶<東電議決権>枝野氏、改革へ強硬 進まぬ変化にいらだち(毎日/見出し)

>政府が東京電力への公的資本注入に伴い、最大で議決権の3分の2超を取得する方向で最終調整に入ったのは、経営合理化や迅速な賠償を政府主導で断行するためだ。東電を「実質国有化」し、経営に強く関与することに対しては東電の強い抵抗がある。枝野幸男経済産業相はこうした抵抗を封じるため、追加の支援認定の見返りとして経営権を国に譲り渡すよう東電に迫った形だ。

>強硬姿勢の背景には東電自身が「新生東電に生まれ変わろうという意思が全く示せていない」(枝野経産相)ことへのいらだちがある。枝野経産相は昨年末、東電に一時的な公的管理も含めた抜本改革を検討するよう要請したが、東電は13日の決算発表の記者会見でも「民間のままが望ましい」(西沢社長)と、実質国有化に抵抗する姿勢を崩していない。

>国の関与を強めることには財務省も反発する。東電を国有化すれば賠償や電気料金値上げの責任を肩代わりすることとなり、国民負担が拡大しかねないためだ。藤村修官房長官は13日の会見で「(枝野経産相の発言は)政府で合意した上での発言ではない」と述べ、財務省への配慮をにじませた。【毎日新聞/2月14日(火)2時32分配信】



「民間のままが望ましい」

大馬鹿野郎のコンコンチキたあ、貴様らの事だ。

電力事業を、国営事業として続ける事等、あり得ない。

何にも一切責任を取ろうとせず、ただひたすらオノレ等の立場だけを護ろうとする以上、国有化するしか無いだろう。

一旦国有化しなければ、賠償も補償もウヤムヤのままになってしまう。

国有化して、やる事をやって、経営も立て直して、その上で再度民営化すれば良いだけだ。


但し。

今の「経営陣」のままでの<民間事業>など、大馬鹿やろう、って事だ。

しかも、中途半端な国有化では駄目だ。

一旦「会社整理」する事。

主力銀行にも、大株主にも、責任を問って「財産を吐き出して」頂く。

一般の小口株主のみ(千株未満)払い戻して。
但し、決定の発表日以降に名義変更した株式は、その限りに有らず。

高級ホテルまがいの「社員厚生施設」も、土地も、年利8%を越えるとか言う「社員積み立て」も、「何もかもゼロに」して頂く。

社員は当然大幅なリストラを覚悟して頂く。

管理職は、退職金は「見舞金」のみ。

役員は、無し。

退職したこれまでの経営陣には、退職金の返還に応じて頂く。

総て搾り取って、逆さに振っても「塵一つ落ちない」までになって、解体して頂く。


何年後になるか、再度民営化する際は、既成の大企業への売却や、まして「外資」への売却は一切行わず、非営利団体に出来れば、それが一番望ましい。

勿論、送発電分離は当然である。

その他の電力事業者も、新法を作って、同じ様に改組する事が望まれる。


ようするに、『責任取れよ!』って事である。



▶裁判をダメにする元凶「最高裁事務総局」の正体(週プレ/見出し)

>昨年9月、有罪判決を受けた小沢一郎氏の元秘書・石川知裕被告。しかし、その判決文には「推認」という言葉が用いられ、強引とも思える事実認定のあり方が問題視されている。

>証拠を積み上げ真実を明らかにするはずの法廷で、なぜこうした不可解な裁判が行なわれているのか? エリート集団が抱えるゆがんだキャリア志向、最高裁による内部統制……。これが日本の司法のあきれた実態だ。

>では、登石裁判長の経歴はどうなのか……。東大卒。横浜地裁判事補を皮切りに岡山や札幌などでの裁判実務経験がある一方、「法務省刑事局付」や「司法研修所教官」の経験があることがわかった。裁判所と法務省の人事交流は「判検交流」といわれ、エリート裁判官養成の一環といわれる。しかも登石氏は司法研修所教官の経験も持つ。

>「エリート裁判官にはほぼ共通した経歴があります。まず、東大卒か京大卒で、裁判官としての初任地が東京地裁であることです。登石裁判長の初任地は横浜地裁ですから超エリート裁判官とはいえないにしても、一応エリートの道を歩いていることがこの経歴からわかります」

>「最高裁事務総局勤務、最高裁調査官、司法研修所教官の3ポストはエリート裁判官の“三冠王ポスト”といわれています」

>裁判所といえども、結局は検察と同じ官僚機構・権力機構であり、エリート意識に支配されている点では同じということだ。

>東京地検特捜部が摘発した事件では軒並み有罪判決が出ているのに比べ、大阪地検特捜部、名古屋地検特捜部が摘発した事件では意外にも何件かの“無罪判決”が出ているのだ。

>地検特捜案件で無罪判決を書いた大阪地裁&高裁、名古屋地裁の裁判長の経歴を見ると東京とは明らかに異なる点があることがわかる。一部の裁判官を除けば、ひたすら実務裁判官の道を歩いてきた裁判長ばかり。つまり、エリートとはいわれない人たちなのだ。

>注目されるのが、自らの資金管理団体「陸山会」の土地取引をめぐる政治資金規正法違反の容疑で強制起訴された小沢一郎氏の裁判だ。昨年12月16日の公判で、元会計責任者を取り調べた元検事の前田恒彦受刑者(「郵便不正事件」で証拠を改ざんし実刑が確定)が、「特捜部の捜査は見立て違いの妄想だった」と証言するなど、検察捜査の問題点が浮かび上がっている。今年4月には判決が出る予定とされるが、さて、東京地裁の大善文男裁判長はどのような判決文を書くのだろうか。

>ちなみに、大善裁判長は早大卒、初任地は東京地裁。司法研修所教官や高松高裁事務局長の経験を持つなど、一応エリート裁判官らしいのだが……。【週間プレNEWS/2月9日(木)13時57分配信】



証拠によらない裁判を行う、日本の司法。

法律より「最高裁の意向」を重視する、日本の司法。

冤罪は巷に溢れ、20年後、30年後に時の警察官僚が禿頭を下げて見せる。

警察や、検察のでっち上げや、怠惰や思い上りで「罪人」にされた人の人生は、戻ってこない。


人生を失わさせられた人に取って、禿頭をいくらテレビカメラに晒して見せられても、責任を取って貰った事にはならない。



▶小沢一郎被告の裁判「捏造」報告書が審査会に(ANN/タイトル)

>小沢一郎被告の裁判で、元秘書を取り調べた検事が実際にはなかったやり取りを記載していた捜査報告書が、起訴議決を出した検察審査会に提出されていたことが分かりました。

>これまでの裁判で、小沢被告の元秘書を取り調べた検事が、実際にはなかったやり取りを記載した捜査報告書を作成したことが明らかになっています。
【ANN ニュース/2月9日(木)22時2分配信】


そう言うテレビが、反論にも反証にも耳を貸そうとせず、繰り返し繰り返し「小沢の政治はカネまみれ」と垂れ流し続けていた。

>「…ことが分りました。」
>「…ことが明らかになっています。」

って、まったく人ごと。

検察の「恣意的」リークを、ひたすら放送しまくって、国民の洗脳にこれ務めた、その事への責任を感じる事が出来るマスコミ人が、果たして独りでも居るのだろうか。



▶<東奔政走>混乱する民主党政権をリセットし2012年体制の構築なるか(週間エコノ/見出し)

>そこで浮上するもう1つのシナリオは、民主、自民、公明3党の党首クラスが衆院選後の協力を密かに申し合わせた上での「裏の話し合い解散」だ。この場合、予算成立後の4月中旬解散、5月投票という日程が考えられる。選挙結果に基づいて比較第1党が首相を出して連立政権を組み、その新政権で消費増税法案を処理することになろう。

>2大政党が総選挙でそれぞれ国民の支持を求めて戦うというのに、選挙後の大連立を視野に入れていることが公になれば、選挙の意義が不明確になる。また連立を組むための政策協議は困難を極めるだろう。

>すでに水面下では民主、自民両党間で「裏の話し合い」が協議されているふしがある。自民党の谷垣禎一総裁は1月26日の代表質問で「あなた(野田首相)が真に捨て石になり、その先になお改革を成し遂げようとするのであれば、我々も新しく正しく表現された民意を前提とする一体改革に民主主義の魂を吹き込むべく、共に力を合わせ努力したい」と意味深なロジックを用いた。
【週間エコノミスト/2月6日(月)18時0分配信】



日本では、政治家官僚報道財界、ひっくるめて「誰一人」責任を取る気はないらしい。


そう言えば、第二次大戦中に日本を戦争に導いた、軍事官僚、朝日新聞、NHK、その後軍部の支持に無批判にしたがって、庶民を煽り立てた「町内会長」や「国防婦人会」、そして「校長先生」「教頭先生」「担任の先生」たちが、8月15日以後誰も戦時中の責任の話は出なかった。

のうのうと、「民主主義」を語り戦後の「世論」を、若い世代を「誘導」した。

近い所でも、バブル経済を産み出した張本人も、バブルを崩壊させた張本人も、その後出世はした物の、誰一人「責任」など取っていない。

日本社会をここまで荒廃させて、格差社会を拡大し、リストラと称して大量首切りを黙認し、ワーキング・プアーを大量に輩出し、就職氷河期を演出して被正規社員を溢れさせ、結婚出来ない若い世代を産み出し、国民の実質所得をますます引き下げ、国内の産業空洞化を押し進め、法人税をびた一文払わない大企業経営者をのさばらせた、元凶の連中も責任など取っていない。

これまでの日本社会で、まともに責任を取ったのは『山一証券』の社長喰らいな物では無いか。


◆「東電国有化はとんでもない勘違い」米倉弘昌経団連会長

◆「値上げは、義務と言うか権利であります」西沢俊夫東電社長

◆「私、竹中平蔵が責任をもって、あなたを世界的人財に育成する」竹中平蔵世界塾塾長

◆「原発の再稼働必要」仙谷由人民主党政調会長代行

◆「消費増税で社会保障守る」「最低保障年金見直しありうる」岡田克也副総理

◆「国民負担をできるだけ少なくすると同時に、東電にはしっかりと責任を果たしてもらいたい」と東電寄りの姿勢を述べた。安住淳財務大臣

◆「一般論として、(沖縄の)負担軽減の意味で国外(移転)という面と、全国で負担を分かち合う両面ある」玄葉光一郎外相

◆「消費税を上げないとは一言も言って居りません」野田佳彦総理大臣

◇「裁判員正しかった」裁判員無罪判決支持の最高裁判決を受けての安西喜久夫さん


ニホンノ オトナハ セキニンヲ トリマセン。


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時を翔る希代の天才の終焉の地を訪れる。ダ・ヴィンチ終焉の館『クロ・リュッセ』【日曜フォトの旅】

2012-02-12 21:59:41 | 歴史と文化
希代の天才と言う物は、そうそうザラに出現する訳では無い。


特に、有る分野に於ける天才は歴史上に登場するが、多くの分野で最高の結果を残す『マルチ・プレイヤー』の大天才となると、更に希となる。


本人自身<都市工学>の専門家だと認識した、万能の大天才が居た。

その天才の興味の範囲は、実に広範囲に渡った。

建築。
土木。
 築城術。
 橋梁建設。

工学。
 船舶設計。
 軍事戦略立案。
 兵器開発。

力学。
 流体力学。
 運動力学。

医学。
 解剖学。
 病理学。
 薬学。

植物学。
天文学。
数学。

音楽。
論理学。

文学。
 詩。

修辞学。

絵画彫刻。

更には、料理。


     
     ダ・ヴィンチによる自画像


UOMO UNIVERSALIS <万能人間>と呼ばれた『レオナルド・ダ・ヴィンチ』は、607年前の1519年5月2日に、フランス中央部ロワール川流域のアンボワーズで、62歳で没した。



     
     ロワール河対岸から望む「アンボワーズ城」


彼をフランスに招いたのは、時の国王「フランソワ1世」であった。

高齢を理由に、「我が身の歳で、既に大した仕事もできないと思いますゆえ、御期待に背く事になるのが嫌な故に…」と、招待を固辞する彼に対し、フランソワ1世は、以下の様にかき口説いた。

『何をおっしゃいますか、ダ・ヴィンチ殿。御身が我がフランスに居て頂くだけで、王国の誉れであります。一切、何かをやらなくてはならない義務など、御座いません。ただ、お心安らかに、楽しく余生を送って頂ければと、かれこれの館も準備致して居ります。もし「御身が大好きで、何人にも売り渡したく無く、肌身離さず持って居られる絵が御座りますれば、それを御持ち頂き、お亡くなりになった後に、それを私にお譲り頂ければ、法外の喜びに御座いますれば…』


彼が余生の三年を過ごしたのが、アンボワーズの町の『クロ・リュッセ』という館であった。 



     
     クロ・リュッセの館


彼は、ずっと離さず持ち歩いていた「お気に入り」の四点の絵画を持参した。

更に、アンボワーズに落ち着いてから、『聖ヨハネ』を描きあげ、『モナ・リザ』にも、最後の筆を入れた。

完璧主義者で、完成まで至った絵が非常に少ない(30点とも20点とも言われる)ダ・ヴィンチの完成画を、最高の一点である『モナ・リザ』いか6点、ルーブルにあることは、そのような理由による。

イタリアは、悔しがったが後の祭り。



フランソワ1世は、アンボワーズ城からクロ・リュッセの館まで「地下道」を通じて、連絡を絶やさなかったと言われている。


     
     クロ・リュッセの館のテラス見たアンボワーズ城


クロ・ユッセの館は、各部屋には16世紀当時の雰囲気は残っていない。
唯一、寝室だった部屋だけは、往時を偲ばせる内装に整えてある。


     
     ダ・ヴィンチが没した寝室


彼の臨終の枕頭に駆けつけたフランソワ1世が、ダ・ヴィンチとの「永久の友情を誓うの図」という絵画が飾られている。


     
     「親友」ダ・ヴィンチの枕頭で永久の友情を誓うフランソワ1世


ただ、この時1519年5月2日、王はスペインとの闘いでイタリア遠征中で、ダ・ヴィンチの臨終の場に駆けつける事は、不可能であったのが事実であるが。


フランソワ1世は、『スペイン王にして、フランドル伯(ネーデルラント大公)、オーストリア大公にしていたイタリア王、ドイツ皇帝、かつモロッコ王でポルトガル王』カール5世と、生涯戦争しなければければならなかった。

その間隙を縫って、大航海時代に踏み出し、新大陸に到達して『ケベック』という植民地を開き、ミシシッピ川を遡り『セント・ルイソ』や『ニュー・オリンズ』という都市を築く。

その傍らで、フランスの「ルネッサンス化」を牽引した。

その彼の、最大の功績が「ダ・ヴィンチ」のフランス招聘であろう。


     
     ダイニング・ルーム



しかし、この館の見所は、地下室にある。


ダ・ヴィンチが考案した「各種の発明品」が、彼の残した図面を基に再現した物を展示した「展示室」があるのだ。

そこには、<理系万能人間>としての全貌が、理解出来る様になっている。



     
     グライダー又は「人力飛行機」



     
     高層梯子


     
     二重隔壁の船体を持つ外輪船


近年、大型タンカーの座礁事故が頻発し、大量の原油流出による環境破壊が多く見られる様になって、やっとタンカーに二重隔壁の船体を義務づけた。

500年以上前に、ダ・ヴィンチは「簡単には沈まない船」を、考案していた。

     
     二重隔壁の躯体構造


     
     横にスライドする「かちどき橋」


     
     臨時架橋法の例


     
     ボール・ベアリング

     
     ボールベアリング(ディテール)


彼は、新型兵器の考案者として、高名を博していた。

例えば、潜水艦も考案した。
そして、最も名高い発明が「戦車」であろう。


     
     戦車


そして、ダ・ヴィンチの発明の<白眉>が、『永久運動機械』である。

個の発想は、最初に動かす時に力を加えれば、後は一度動き出せば「自分が動く力」が動力を産み出して、燃料も動力も不要で永久に動き続ける機械である。

古代ギリシア人の天才達が、発想を考えついて、実現に向けて模索していた。


     
     永久運自動走行機と自転車


彼が残した設計図から判断するに、理論に破綻は無いそうだ。

ただ、現実問題としては『摩擦』による抵抗が存在する事に依って、無動力永久運動は不可能なのだそうだ。


その他、彼の名だたる発明品・考案品の中には、「パラシュート」「ヘリコプター」「揚水ポンプ」「気圧計」「コンタクトレンズ」など、数え上げたらきりがない。


この館の庭園には、いまだに菜園が設けられて居り、ダ・ヴィンチの研究の対象で有った「ハーヴ」や「花々」が育てられており、売店でハーヴ・ティーや、薔薇のキャンディーなどを販売している。


テラスの菜園とバラ園の下に、宏大な庭園が広がって居り、考案された「人力ヘリコプター」その他が、自由に触って回して遊べる様に、設置してある。


しかし彼は、単に「理系」の天才では無い。


詩作の才に秀で、修辞学の理論体系を成し、弁論術に長けて、音楽を作曲した。

あまりにも多くの事を同時に考えていた為、左右両手で二冊のノートにそれぞれに、メモを残した。

左手で書いた方は、「当然」右から左方向へ「裏字」で書いた。
従って、鏡に映して見る事を誰かが考えつくまで、それが文章である事に気がつかれなかった。


彼の言う事は、同時代の人間には理解不能で、19世紀末に「メモ」の解読が成され始めて、現代文明の基礎に大きく貢献した。


絵画の作成に於いても、2次透視、3次透視図法や、描かれる対象と「画家」ダ・ヴィンチとの間のどこかに「想像上の幕」を張り、そのどこかに針の穴を開けた所に消滅点が来る、特殊な遠近法を考え出した。

線を一本も引かず、絵の具の量をぼかして行く事と、光と闇との対比を組み込む事で、立体的空気感を産み出す『スフマトー』と言う技法は、現在絵画技法の常識となっている。

色の濃淡の変化でも、遠近感を表した。


教会の墓地から集めて来た遺体を解剖し、<筋肉>の作用、<骨格>の役割等々、総て解剖学的に分析して「表現」に活用した。


     
     古代ギリシア人の確立した「黄金比」の秘密を解き明かしたメモ



彼は、アンボワーズ城の城壁の上に建つ礼拝堂に、眠っている。


     
     城壁の下から、ダ・ヴィンチの眠る礼拝堂を仰ぎ見る   


     
     礼拝堂正面全景


     
     ダ・ヴィンチの墓


     
     アンボワーズ城の庭園有るダ・ヴィンチの胸像



     
     『ラ・ジョコンド(モナ・リザ)』


一枚の絵の独りの女性に、人間のあらゆる意志と表情とを見て取る事が出来、その表情が刻々と移ろう。

鑑賞する側の、その時の心の有様を映し出す鏡。


モナ・リザは、未来永劫に微笑み続ける事だろう。


推定知能指数400。
このような天才を、人類は二度と産み出す事は無いかもしれない…。



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「維新政治塾」塾生に3000人超える応募/「劇場型政治」続編の<エキストラ>大募集【週末一口時評】

2012-02-11 21:36:44 | 政治と社会
速い物で、瞬く間に一週間が過ぎ去り…。

又今週も『週末一口時評』と、相成りました。



【今週の栄誉】


      
     ネルソン・マンデラ

☆22年前の今日、1990年2月11日、27年の投獄生活から解放された『ネルソン・マンデラ』は、釈放された。

☆その記念すべき日に、南ア首相は「南アフリカ共和国紙幣」を、ネルソン・マンデラの肖像画にする、と発表。

南ア紙幣は、同国を代表するサファリのシンボルで、現在増々保護が必要となっている野生動物が使われている。
「200ランド紙幣=ヒョウ」
「100ランド=バッファロー」
「50ランド=ライオン」
「20ランド=象」
「10ランド=犀」

その総ての紙幣を、マンデラ氏の肖像に統一すると。
ただし、同国の「観光のシンボル」であるこれらの野生動物は、紙幣裏面に残す事になった。



【今週の弾圧】


     
     焼身自殺するチベット僧侶

★チベットで二人が中国治安警察に射殺される(ル・モンド/2月10日11時05分配信)
★「焼身自殺は、我々に残された<唯一>の表現手段である」(ル・モンド/2月9日13時14分配信)



【今週の異常繁殖】


     
     巨大カタツムリ

★巨大カタツムリがマイアミを席巻(ル・モンド/2月9日
☆昨年9月に発見されて以後、今日までに3万匹以上が見つかっている。ピーナツからメロンまで、農作物を喰い尽くす勢いで繁殖中。



【今週の<やっぱり>】


     
     スリーマイル島の原発(2009年撮影)

●ジョージア州の原発に、新たに2基の新設を許可。まさか「核兵器の原料」が不足でもして来たか!?



【今週の吉本】


     
     新コンビ『露仏の馬鹿』

◆露仏両国首脳は、『コーカサス』の観光開発を共同で進める事に合意(ル・モンド/2月8日19時47分配信)



【一口時評】


◆<大阪維新の会>「維新政治塾」塾生に3000人超える応募(毎日新聞/2月11日(土)19時58分配信)
◇「劇場型政治」とやらの<エキストラ>募集に、衆愚が殺到。


▶社会保障・税一体改革大綱、17日にも閣議決定(讀賣新聞/2月12日(日)3時0分配信)
▷亡国政策の強行にひた走る売国内閣。

▶<細野原発事故相>福島の原発再稼働「全くあり得ない」(毎日新聞/2月11日(土)21時21分配信)
▷心にも無い事を吹聴するエエカッコしい、が又々空手形。

▶<行革実行法案>国家公務員の人件費2割削減目標を明記(毎日新聞/2月11日(土)8時1分配信)
▷耳障りの良さそうな事を、一応言ってみる(^^)

▶岡田氏、最低保障年金の撤回可能性に改めて言及(讀賣新聞/2月11日(土)20時24分配信)
▷朝令暮改は得意技。と言うより「撤回を前提」に。

▶公務員人件費2割削減は困難の認識…岡田副総理(讀賣新聞/2月11日(土)11時4分配信)
▷最早「朝令午改」。

▶首相、母校で“愚痴”「国会でいじめられている」(産經新聞/2月11日(土)19時52分配信)
▷全国民を虐め抜く売国奴が、同窓会で甘えてみました。

▶クイズみたいな質問でいじめられてる…首相(讀賣新聞/2月11日(土)18時6分配信)
▷「新・オバカ軍団」野田政権。

▶石原新党も国政復帰も否定的 伸晃氏が見通し示す(産經新聞/2月11日(土)19時29分配信)
▷「パパをイジメる奴は、ボクが相手だ!」(不祥の息子)

▶野田首相「高齢化は待ったなし」 増税キャラバン始まる(産經新聞/2月11日(土)19時21分配信)
▷「増税は待った無し」「反対意見を聞く気無し」

▶スタートは谷垣氏の地元 岡田氏が地方行脚、一体改革訴え(産經新聞/2月11日(土)19時18分配信)
▷「縫い目が綻びる前に帰って来ます」(フランケン・岡田)

▶東京・大阪・小沢氏と連携 大村知事が「小沢政治塾」で講演(産經新聞/2月11日(土)19時17分配信)
▷ん? 

▶首相公選制を検討=衆院選向け公約で―大阪維新の会(時事通信/2月11日(土)18時58分配信)
▷「慎太郎サンとなら負けないし。総理大臣だー」(徹ちゃん)

▶15年に消費税再増税の検討必要…岡田副総理(讀賣新聞/2月11日(土)18時27分配信)
▷ここまでくれば、アッパレと言うべきか!?

▶父は照れてるのだろう…「辞めちまえ」に伸晃氏(讀賣新聞/2月11日(土)17時34分配信)
▷貴方達父子に捧げます。「辞めちまえ!」

▶高齢化対応の団地視察=父介護で「身につまされる」―野田首相(時事通信/2月11日(土)10時24分配信)
▷「だから、一行も速く増税!」だそうです(◎_@)。

▶「行列には大変な手腕」山口代表、橋下市長を皮肉る(産經新聞/2月11日(土)8時7分配信)
▷ドジな発言ばっか、記憶に残ってて(°_*;)

▶ホルムズ海峡 タンカーに護衛艦、掃海艇も派遣 自衛隊対処案(産經新聞/2月11日(土)7時55分配信)
▷海外派兵ちゃくちゃく。

▶復興庁始動 迷走11カ月、菅氏ブレーキ(産經新聞/2月11日(土)7時55分配信)
▷一言だけ。菅直人よ死ね!

▶復興庁遅すぎる船出 再生の切り札か、「屋上屋」か(河北新報/2月11日(土)6時10分配信)
▷放射能がここまで拡散して「復興」も有るもんか!

▶維新の会、TPP参加公約に…橋下氏が骨格表明(讀賣新聞/2月11日(土)3時5分配信)
▷出た! 薄汚れた尻尾。

▶本業は値上げ。社員の高待遇は変わらず。補償資金は国頼み。そして常に上から目線。

▶<中川防災担当相>「新たな対策作る」 就任会見で意欲(毎日新聞/2月10日(金)23時56分配信)
▷「竹やり」に「手桶」と「小国民挺身隊」てな感じが致しますな。

▶<復興庁>復興推進委に五百旗頭真氏ら(毎日新聞/2月10日(金)23時17分配信)
▷悪人と無能ども、群れ無して悪事を働く。

▶復興推進委員長に五百旗頭氏=有識者ら15人で構成(時事通信/2月10日(金)22時37分配信)
▷「有識者」!?(爆笑) 15人分の年収総額3億円かナ!?

▶名護市長「普天間、辺野古移設の根拠崩れた」(讀賣新聞/2月10日(金)23時3分配信)
▷もともと無かった根拠。

▶米軍再編見直し協議、首相「沖縄にその都度相談」(産經新聞/2月10日(金)23時1分配信)
▷「あらかじめ決めてる結論は変わらないが、相談はしましょう」(Noだ!)

▶「わが国の立場と相いれない」 日本海「東海」と併記で答弁書(産經新聞/2月10日(金)22時36分配信)
▷「韓国が赤と言いはれば、白だって赤。韓国人の強引さ恐るべし」

▶「バカ正直に封印解いた」みんな渡辺代表が年金試算公表に(産經新聞/2月10日(金)22時29分配信)
▷みん党も、「隠れ自民」の封印解いたら?

▶“進次郎頼み”加速 被災地訪問、HPに党務日程公表も(産經新聞/2月10日(金)22時27分配信)
▷いやはや。

▶自民、豪雪緊急対策を政府に申し入れ(産經新聞/2月10日(金)22時26分配信)
▷民主、豪雪緊急注視をお天道様に申し入れ。

▶新党構想、自民党にはいいこと…小泉進次郎氏(讀賣新聞/2月10日(金)22時21分配信)
▷なら、早く解党しちゃいなさい。

▶<野田首相>がれき「全国で処理を」 自治体に協力要請(毎日新聞/2月10日(金)21時56分配信)
▷<野田首相>放射能「全国で被曝を」 自治体と結託。

▶民主の年金案に固執せず=「欠点あること承知」―岡田氏(時事通信/2月10日(金)21時16分配信)
▷自分が欠点だらけで有ることは、承知していないらしい。

▶<厚労省>ドラッグストアのポイント付与 処方薬は対象外に(毎日新聞/2月10日(金)20時50分配信)
▷「エコ・ポイント」に引き続き「ヤク・ポイント」登場!

▶「年金交付国債、大変申し訳ない」と安住財務相(讀賣新聞/2月10日(金)20時26分配信)
▷「こんな財務大臣で、大変申し訳ない」と日本国民。

▶復興庁「器に魂を」=野田首相(時事通信/2月10日(金)20時4分配信)
▷野田首相「頭に脳みそを」=全国民!

▶消費増税は「無神経」=民主・小沢元代表(時事通信/2月10日(金)19時52分配信)
▷菅直人、野田佳彦歴代政権の民主党幹部に、神経は通っていない。

▶消費増税法案、単独提出も=民主・藤井氏(時事通信/2月10日(金)19時37分配信)
▷どーぞ、一日も早く提出し、一日も早く否決され、一日も早く総辞職しておくんなさい。

▶東電追加支援、来週認可=賠償重視、公的資金投入1.6兆円へ―政府(時事通信/2月10日(金)19時2分配信)
▷盗人に追い銭。殺人鬼に青酸カリ。民主党に政権。東電に税金。

▶民主・仙谷氏、13日からミャンマー訪問(讀賣新聞/2月10日(金)18時33分配信)
▷ななな。ミャンマーで「世界古狸大会」でも開催してるのか!?

▶政府と党は別物?厚労相「党の方で検討」連発(讀賣新聞/2月10日(金)18時30分配信)
▷ゴミ山厚労省は、頭に中がゴミだらけ?

▶「水準なんて一切言ってない」=介入で不用意発言、財務相が釈明(時事通信/2月10日(金)17時53分配信)
▷「言ってない」「もらしただけ…」お子チャマ大臣には「お漏らし」対策に<紙おむつ>を進呈します。

▶小沢氏「政治が不安定なら日本は不幸」(讀賣新聞/2月10日(金)7時15分配信)
▷「政治家がアホやから」

▶田中防衛相が足引っ張るから…守りの中川氏起用(讀賣新聞/2月10日(金)7時15分配信)
▷「おとうさんは、スカートはいてないから、後ろから踏めないのよ」(真紀子センセ)

▶三菱東京UFJ銀などから100億円詐取 偽装「二人三脚」兄妹(産經新聞/2月12日(日)7時55分配信)
▷霞ヶ関からスカウトが来ますね。



【今週のモフモフ】


     
     たまには僕たちとも遊んでよ!


     
     だって僕たちネムイんだもん…。


     
     では、一席おつきあいの程を、お願い致しますです。


     
     いいわ、聞いてあげる。


     
     呉越同舟同夢


     
     世の中をしっかり見張ってます、私がオザニャンです。


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『絆』という美名の<手枷><足枷><首枷>の三重苦に、巧みに利用される日本の国民気質。

2012-02-10 22:00:25 | 日本人の意識と精神構造
「赤信号、皆で渡れば、怖く無い」


日本の「自虐ギャグ」の古典である。
『コント赤信号』であったか
『ビートたけし』でした。
(patrache_dog様にご指摘頂きました)


大笑いしながら、「目から鱗」状態になった人も多かった。


物事に、複数の面が有る事は、誰しも異論はないであろう。
そして、実はこの「ギャグ」は、事実の片側しか、伝えていない。


「赤信号だって、皆で渡れば怖く無い」と言うのは、<個>を<集団>の背後に消し去って暮らして行く日本人の、一面を表しているのだ。

それと同時に、「そんな事はやれない」事が分っているからこそ、皆大笑いしていたのだ。


日本人に取って『規則』とは、<個>を否定してでも「従わなければならない」社会の規範である。

フランスやイタリア等に来てみれば、歩行者は「歩行者信号」などに、大して敬意を払っていない事が直ぐ分る。

車が一台も走ってこない。
そんな時には、平気で歩行者の赤信号など意に介さず、渡って行く人は少しも珍しく無い。


『ルール』には、二種類有るのだ。

絶対に尊護しなければならないルール。

例えば、人に被害を与える事。

「騙すな」
「殺すな」
「盗むな」
「傷つけるな」

「他人の物を破壊するな」

物心共に、である。

このルールは、護る事を厳しく求められる。


もう一つのルール。

それは、ある種の「交通整理」みたいな物で、他者に混じって集団社会で暮らす上での<知恵>とでも言うべきもの。

車が走ってこない時に、広い大通りでも無い限り、歩行者に取って「赤信号」は、ある種の<指標>みたいな物だから、厳守しない。

だって、誰にも「物心両面」に置ける迷惑など、与えないのだから。

あくまで「個人の責任」に置いて判断すれば良い事。

「未成年の喫煙の禁止」
「飲酒の禁止」

これらも一緒である。

昨今「タバコ」や「アルコール」の、健康への被害が知られる様になった現代では、一定の年齢以下の「発育途上」の子供には、販売は禁止されて居り、罰則も有る。

しかし、19歳11ヶ月29日までは「飲酒喫煙」はいけなくて、20歳と同時の許される、そんな決め事には、根拠も説得力もなく、「健康被害」なるものは、摂取する側本人の自己責任に依る判断の問題なのだから。



『赤信号』の話に戻ろう。

この表現が伝えていない、もう片方とは。

「赤信号、皆で渡らないと、怖い」
という事実なのだ。


日本人社会では、全員でやっている事に、一人反対する事は「実質的に」許されない。

つまり、「出る杭は打たれる」が、『出ない杭も打たれる』のが、日本社会なのである。


日本社会では、<個>を殺して<集団>で生きて行かなければ、社会の保護を得られない様に出来上がって来た。

所謂『村八分』である。

で有る以上、日本人は常に「横並び」となる。

何かの行動をとるにあたって、「周り近所」の動向を気にして、自分の希望は一切表に出さない。

「ご近所が…」
「社会が…」
「ご時世が…」

許しませんから。


女子中学生達が、みんな揃ってトイレに行くのも、同じ行動原則による。

皆と同じでないと、つまらない。
皆と同じだから、楽しい。

逆に皆と違う事は、それは即「イジメ」の対象となる。

考え方。
立ち居振る舞い。
言動。
見てくれ。
体質や健康状態に至るまで、異質な分子は排除する。

だから、皆一緒でなければ「怖いし」、一緒だと「楽しい」と勘違いしてしまう。


第一次湾岸戦争で、イラク軍のクエート侵攻に対して、アメリカが戦争を開始したと同時に、日本国内は「一切の歌舞音曲」を慎む空気に満たされた。

「戦争中なのだから…」

讀賣巨人軍は、ハワイキャンプを取り止めた。

海外旅行は、一年間程完全に停止してしまった。

「戦争が行われている時、海外旅行なんてとんでもない」

そんな空気が、全国を支配していた。


これは「阪神淡路大震災」の時も、まったく同じであった。

確かに「大震災」ともなると、精神的に影響は大きいし、社会的にも個人的にも、「はしゃぎ回っている場合では無い」と言う感情が起こるのは、至極当然である。

それを承知で、関係ない次元で関係無い分野での自粛を「周囲が強いる」様な空気が必ず産まれるのが、日本の社会の特徴なのだ。

更に、敢えて言うならば、その種の「圧力」をかけて来るのは、往々にしてその行為にまったく関係ない人達である事が多い、と言う事も有りそうである。

「こんなご時世に、海外旅行なんて」

等と言って「空気を作る」ひとは、海外旅行などにはまったく興味も関心もない人でありそうなのだ。


そしてその海外旅行が、苦労してアポを取り付けた「研修」や「会議」であるとしても、十羽一からげで括って「批判」し「自己規制」する事となる。


「赤信号は渡ってはならない」

しかし、一度渡る流れが出来てしまったら。

「皆で渡らなければ、怖い事になるゾ」




更に、別の「日本ならでは」の、もう一つの側面も語っておきたい。


日本人には、「困難に陥った際、ひたすら堪えようとする」という性向がある。

問題が、深刻であれば有る程、辛さや苦しさが増せば増す程、日本人は「ケナゲに」それに堪えようとする。

被災地の避難している人々が、三日間何も口にしていなくとも、補給物資の配給の列に大人しくならんで、たった一つのお握りを感謝の念を表して、受け取る。

海外のメディアが多いに驚いた、日本人固有の美徳である。

同じ状況になれば、日本以外の殆どの国々では、略奪が横行し配給も公平には行われず、底には「暴力が支配する」別の秩序が君臨する事であろう。


「欲しがりません、勝つまでは」

涙ぐましい健気な姿勢は、日本の国力の底力の<源>であった。

個人の欲求よりも、お国の利益を優先させる。


しかし考えてみると、この「我慢強さ」と「おとなしさ」とは、最初に提起した<個>に<集団>を優先させる意識と、同じ線上に有るのだ。


そこで、この二つの「日本人の秩序意識」は、往々にしてひとまとめに集約して現れる。

そして、その「民族的DNA」のもたらす行動様式を、権力が操作すれば、実に恐ろしい事になってしまうのだ。


JP PRESS の記事を引用したい。

こんな「絆」はいらない/福島に漂う「逃げる」ことを許されない空気 

長文の記事なので、全文は是非リンクでお読み頂きたい。


>福島県川内村の遠藤雄幸村長が1月31日に行った「帰村宣言」には違和感を覚えざるをえない。

>遠藤村長の帰村宣言には、村人も複雑な心境を隠せない。放射能被害への懸念が消えたわけではないため、宣言直後のマスコミ取材に対し「帰村しない」と答える小さい子どもを抱える親たちの姿が印象的だった。

>村民の不安が消えていないことを遠藤村長も自覚してか、宣言するにあたっては、「帰村しない人の意思も尊重する」とも述べている。ただし、「除染しながら2年後、3年後に村民がわが家に戻れるようにしたい」とも続けて語っている。帰村を大前提にしていることは明らかだ。


同記事の文中に、「原発事故が発生した直後、東京に本社を置くある大手企が福島県の事業所の従業員と家族を東京に避難させる処置を取ったところ、対象となった従業員とその家族の半分も避難しなかった」とある。


>「避難したくなかったわけじゃないんです。強い不安がありましたから、できるなら避難したかった。しかし、避難できなかった」<社長談)

>皆が避難できない中で、自分だけ避難することは仲間に背を向けることになる。裏切りであり、それを許さない雰囲気があるという。許されない立場に身を置きたくないがために、「避難したい」と思っていても避難できなかったのだ。


そして、現地では「避難」する事を「逃げる」と言う。


>「逃げる」が「避難する」という意味に使われているのだ。それは「放射能から逃げる」という意味でもあるのだろうが、多分に「仲間をおいて逃げる」というニュアンスを含んで使われているように感じた。

>「一時避難していて学校に戻ってきた子どもが、まず友だちに言うのが『ごめん』なんだそうです。避難していた子を『あいつは逃げた』と、うちの子も普通に言います」

「逃げた」と言う方に、あからさまな敵意があって言うわけでもないが、そこに「陰湿な空気」を感じないわけにはいかない、記者は感じ取った。

だから「ごめんね」なのだと言う。


>川内村の帰村宣言も、「村人は帰村すべきだ」と言っているにほかならない。


この一連の流れは、まさしく「赤信号を皆で渡らないと非国民」と言っている事に他ならない。


>不安がなければ、逃げることを選ぶ村民はいないはずだ。逃げた、と重くのしかかる空気も生まれないに違いない。そういう空気が生まれるのは、大きな不安があるからだ。

>その不安を払拭すべく川内村をはじめとする行政が強調するのが「除染」である。

>しかし、市役所の担当職員は次のように語った。「原発事故後には強い雨が何度も降りましたが、それでも屋根瓦に残っている放射性物質は、除染作業の中心となる高圧水洗浄でもきれいにすることは難しい。さらに、山とか周囲から雨などで流されてもきますから、1度の作業できれいになるとは言いにくい。同じところを何回もやらなければならないと考えています」

>帰れという姿勢だけが先行し、それに邪魔になることからは目を背けていることになる。そして、逃げることに後ろめたさを感じて、村人は帰っていかざるをえなくなるのだろうか。



住民に「放射能汚染」の状況下で暮らす事を、拒否出来ない雰囲気を造り上げる。

これほどまでに、権力の身勝手による住民の抑圧の例は、人類史上例を見ない事では有るまいか。


>川内村村長は、除染をやるから帰れという意味合いのことは言うが、その除染の限界性までは言及していない。


このような「権力の不正使用」は、しかし日本の歴史に置いては繰り返し洗われた。

NHK朝ドラの中にも最近でて来ていた、戦時中の「国防婦人会」のそれなど、正しく「民間人による権力の不正使用の模倣」以外の何物でもない。

『ご主人が出征為さった以上、立派に戦死して来て下さい、と言う事こそが肝心でしょう』
とヌケヌケと訳知り顔で言う「ご主人との愛情」など存在していないかの如き中年婦人。

この種の日本人は、何時の世にも、何処の世界にも存在している。


>放射線の影響については、意見がまっぷたつに分かれているのが現状だ。どちらの側も、その主張を客観的に、そして科学的に立証できていないのは事実だ。

>そうであれば、現在の状況では、不安が残る場所へ帰るべきかどうかは村人個人の判断に任せるしかない。福島県民が県内に残るかどうかの判断も、同じく個人に任せるべきである。「帰る」や「帰らない」だけでなく、「逃げる」についてもサポートすべきだ。現状は「逃げる」について行政の対応は冷たい。これでは、どうしても不公平である。


それにも拘らず、ネットの世界に於いてすら、「放射能被害への警告」ツイートに、キチガイじみた反論をして来る人達が居るのが、現状である。

21世紀の、情報の伝達が一瞬の物となり、広く共有される時代である以上、戦時中の様な「情報不足」による洗脳状態とは、別の事であると思える。

広く情報を収集し、分析も行っていると思われる人達ですら、「放射線被害を大げさに煽るな」とおっしゃる事が有る。

こうなると、先に述べた如くに、これは日本人特有の「民族的DNA」が行わせる行動なのでは無かろうか。


>原発事故以来、「絆」が最重要視されるようになった。言うまでもなく、絆は重要なポイントである。しかし一方で、絆の強調は「逃げる」ことを許さない空気をつくり出してしまっているのではないか。

>そうした絆のために、不安を抱えながらも留まっている人がいるとすれば、それはマイナスでしかない。絆がマイナスに作用している現実も、わたしたちは目を背けず、直視すべきではないだろうか。
【前屋 毅/JP PRESS/02月08日】



日本人と言う民族は、「義務」を非情に重んじる。

そして、その義務を全員に「半強制的」に適用しようと言う作用が働く。

その際、義務を果たす側に認められ筈の「権利」が、完全に抜け落ちている事が多いのだ。


>放射線の影響については、意見がまっぷたつに分かれているのが現状だ。どちらの側も、その主張を客観的に、そして科学的に立証できていないのは事実だ。


放射能が健康に与える被害は、どの程度「有る」のか「無い」のか、科学的には実証されていない、と言う。


「安全な物では無い」事は、皆分かっている筈である。

にも拘らず、「放射能の直接的影響」かどうか不明、としてしまう。

たしかに、被曝に関する研究はアメリカ以外ではほとんど知られていないのが、現実なのだろう。

しかも「内部被曝」を伴うとなると、広島や長崎の「日本人医師」を使ってアメリカが行った<人体実験>でも、まったく行われていなかったと言っても、過言では無いようだ。

しかし、無害である筈は断じてない。

病院でエックス線撮影をする時、放射線技師は「その瞬間」は以後の防壁の影に隠れるでは無いか。

一般師医療ですら、エックス線撮影はなるべくなら最小限の機会で住ませる事は、現代医療現場では最早共通認識である。

私自身、訪日した際知人の医師に、人間ドックで『CTスキャン』と『MRI撮影』による診断を頼んだら、拒否された経験を持つ。

「今では<癌>その他ほとんどの異変は血液検査で分るから」と言うのがその根拠であった。
「被曝はなるべく避けるべきだ」と。


しかるに、これまで「原発作業員」の専門職にしか適用されない様な高い数字の規制値を、遥かに上回る数字を「暫定基準値」と称して、その時々の実測数値に合わせて「許容範囲」とするやり方で、権力者達は国民の健康と命とを玩具にして来た。

放射能の「直接的影響」が証明されていない、と言い張るのなら、「影響は無い」とも証明されていない以上、避けるべきと言う判断こそが、国なり県なりの取るべき判断であった筈。


「避難する事」は、住民の「権利」である。
「避難する」という選択肢を、住民に正しく与える事は、権力の義務である。


しかし、そうなると「避難住民」の数、それの「適用範囲」、実際に「必要な予算」とそれに「かかる時間」とが、二桁三桁増えてしまう。

そんな事はやっていられない、と言うのが『権力』つまり政治と行政との判断であった。

それに加えて、<県>を<市町村>を、消滅させたく無いという、地方の行政に携わる側の権力の「利己主義」が作用している。


その「住民を護る義務」の放棄と、逆に「住民を犠牲にする」権力側の行動に取って、先に述べた日本人の特質は、実に有利に作用するのである。

その事は、先の戦争で、十二分に証明されている。

報道を規制して「正確な情報」を与えず、逆に報道を利用して「間違った情報」を与えて操作すれば、日本人は「お上に好都合」な様に行動してくれる。


かくして。

「赤信号、皆で渡れば、怖く無い」
「赤信号、皆で渡らないと、怖いよ」

と言う事になってしまった。


「権利を伴わない義務」の強制である。

日本人は、「敢えて考えない事にして」困難からの逃避に向かう。
本質的避難では無く、逃避とはあくまで一時的先送り、に過ぎないにも拘らず。

考え無ければ、怖くも無い。

皆全員で考えない事にすれば、社会全体に怖い事は無くなる。


自分の生命と安全とを、闘って勝ち取る代わりに、頭を穴に突っ込んで、「見えない」「聞こえない」事にしてしまって、逃避する。

こんな国民は、支配階級に取っては、何とも扱いやすいに違いない。

そして、これまで「そのやり方」で支配して来た側の連中は、時代が変わりつつ有る現代に於いても、やり方を変えようと言う気配は起こさない。

国民は羊。

ただ群れていれば良いのだ。

群れていれば、狼に襲われても、犠牲は少数だけで済む。
そこに<個体>は存在しない。

有るのはあくまで<群れ>に過ぎない。。。


『絆』が有れば、群れは崩壊しない。



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政治家の大衆化は、憂うべき事か、喜ぶべき事か…。民主党のもたらした罪はあまりにも重すぎる。

2012-02-08 22:59:23 | 日本人の意識と精神構造
いやはや。


かって、『末は博士か大臣か』という言葉が有った。

<双葉>より芳しい「栴檀の子供」に、将来に期待を寄せる表現であった。



その頃から変わらず、今なお「博士」になるには、それなりの才能と与えられるべき環境とが必要である。


ところが!

「大臣」はまったくの無能でも務まる事が、立証されてしまった。

民主党による「政権交代」のお陰である。


この事実は、恐らく日本の憲政史上ずっと変わりなく、今日まで続いて来た真理なのであろう。

戦後「民主主義」のまねごとを始めて以来、自民党政権時代から皆が薄々感じてはいたが、「やはりそうだったのだ」と白昼明らかになった。


考えてみれば、直ぐ分る。

政治家と言う職業には、何らの資格も教養の水準の指定も、無い。

ただ、本人が「政治家になりたい」と言う意志が有れば、なれるのだ。
理論的には。

勿論、<看板>も<カバン>も<ジバン>無ければ、現実的にはそう簡単な事では無いだろう。

逆に言えば、先の総理大臣の独りの如く、本人は別になりたかった訳でもなく、ただただ「親の」看板とカバンとジバンとを引き継がされたと言う、不幸な例もある。

なにが不効かって?

勿論、本人に取って。


しかしお陰で、国民が<大きな>しわ寄せを受ける事となる。



いまや、その<看板>と<カバン>と<ジバン>とが、以外と「手に入りやすく」なって来ているのだ。


『塾』と言う物が作られた。

塾に通えば、「何処の馬の骨」でも<看板>を背負える可能性がでて来た。
<看板>を背負えれば、もれなく<カバン>も<ジバン>もついて来る。

挙げ句の果てには、『青雲の志』等とはほど遠い、「何か別の」志を持った輩が、政治家でござい、と言う事と相成って来た。

その挙げ句に、皆々「ドングリ」しか居ない以上、内部で「多数派工作」に乗っかった奴が、『大臣』の誉れを手にする事が出来る様になった。

要は「口八丁」で総ては事足りる。

大臣なんて、所詮その程度。


そもそも。

政治家に、行政に拘る多岐にわたる分野の、専門の知識や見識が、有る筈が無い事くらい、考えずとも直ぐ分る。

大臣を「拝命」し、或は政務三役を仰せつかり、はたまた院内の各種委員会に夫々の役職を貰って、政治活動にいそしむ。

と言うと聞こえは良いが。

大変ですよ。

一体全体、何処の誰が「防衛問題」の詳細に精通しているというのでしょうか。

技術的には職業軍人。
行政的には軍事官僚。

それらの専門家達に、叶う訳が無いでは有りませんか。

それなのに、軍事や防衛等と言う「極めて特殊な」分野に、もしも精通している「平服」が居るとしたら、それは極めて気味が悪い事である。


財政金融も、福利厚生も、科学技術も、教育文化も、通商も産業も、「完全に精通して」政治家になる訳では無い。

政治家になって、夫々の「委員会」に振り分けられて、その役目を果さんが為に、一生懸命努力して「蓄積」して行く訳だ。

勿論、政治家になる前から「それなりに」専門領域を持っていた議員諸氏も居る。

官僚上がりの政治家。
財界出身の政治家。
学者上がりの政治家。
組合上がりの政治家。

或は、何かの分野を「素人」以上に、勉強をして来た人達。


それでも、「一国の行政」の支えとなる各種法案に精通し、自ら政策立案を行い、討議進行の指揮を執り、法案成立後にその実施に向けての事務的諸問題を解決して行ける、そんなスーパーマン大臣になれる様な、そんな政治家なんて居る訳が無い。

そもそも「専門家」は、その専門分野に「しか」精通していないものだ。

くわしければ詳しいほど、ほんの少し角度が反れれば、もうついて行けない筈だ。

だから「学者先生」政治家は、使い物にならない。


その代わりに、日本には「世界に誇る」シンクタンクが、バックに控えているのである。

霞ヶ関省庁という官僚組織である。

そして、少なくともその「技能者集団」を、手足の如くに仕えれば、日本の政治と行政とは安泰であろう。


しかして、現実は残念ながらその正反対。

官僚達が、政策を決め、その為の法案の方向性を決め、たたき台を造り上げ、細部を詰めてお残立てをしてしまう。

衆院各委員会など、官僚の敷いたレールの上での「手続き」に過ぎず、本会議は「祭り」である。


各議員が、各法案の一字一句を読破し、その意味する所を総て理解し、一切の矛盾を取り除き、その後に問題が起こらない様に詰めて、議事に付す訳では無い。

申し訳ないが、議員諸氏は官僚からの「ブリーフィング」を受けた政務官からの伝達レベルで話は終わってしまうのだ。

万一、官僚に取って「好ましく無い」法案が成立してしまう事が避けられない様な事態にでもなれば、必ず如何様にも解釈出来て、したがって本来の趣旨とは逆の解釈が出来る様な付帯事項や、「てにおは」の使い方に依る巧みな反作用の為のカムフラージュが成されていて、実際に法の施行の際には、議員諸氏が考えていた内容とは「似ても似つかぬ」政策根拠に成り果てている事など、ざらに有る筈である。


少なくとも、自民党政権の時代は、それで総てが上手く行っていた。

「上手く」と言うのは、勿論官僚達に取って、の話であるが。

外相や、財務相や、首相が訪米する際も、米側の相手との会談に置いて「話すべき」中身は、総て官僚が作っている。

先に「事務方同士」で、ツメが成されてしまっている。

と言う事は、政治家が何かを図りに行く訳では無くて、政治家が行く時は既に官僚達が「レールを敷いて」しまっている訳だ。

外交だけでは無く、内政に置いても、事態は同じ。

政治家は「数」。
大臣は「飾り」。


「それじゃいかんだろ!」と、小沢一郎は、訴えた。


民主党の同士達の殆どが、それを理解出来なかった。

政治家が「素人集団」に成り果ててしまった以上、単に数やお飾りであった「自民党政権」時代以上に、官虜達が「自由に」「好き勝手に」やりたい放題に出来る様な土俵を、民主党政権自らの手で作ってしまったのである。



▶橋下氏の政治塾、応募殺到1千人…元国会議員も(讀賣/見出し)

>次期衆院選で最大300人の候補者擁立を目指す地域政党・大阪維新の会(代表=橋下徹・大阪市長)が3月に開講する「維新政治塾」(定員約400人)に応募が殺到し、8日時点で1000人を突破した。

>元国会議員や中央省庁キャリア官僚、弁護士らが含まれているという。応募締め切りの10日までにさらに増える見通しで、候補者の大量擁立に向けた塾生確保のハードルは越えられそうだ。

>塾生は25歳以上が対象で、年12万円の受講料がかかる。講座は3月24日から月2回程度、開かれ、選挙公約となる維新版「船中八策」を議論する場ともなる。
【讀賣新聞/2月9日(木)7時33分配信】



野田佳彦を見よ。
前原誠司を見よ。

『松下政経塾』の卒業生達の、国会に於ける「ザマ」を見よ!

それでも、彼等はしかるべき期間の「おべんきょう」と「実習」とを経て来たらしいのだ。

それが『橋下維新塾』は、「今年に予想される」総選挙の候補者をそろえる為だそうだ。

と言う事は、下手すりゃ二~三ヶ月しか「おべんきょう」する時間がないことになる。

酷い話じゃあ有りませんですかねえ。

促成栽培。
インスタント政治家。



▶日本で政治塾設立がブームに(朝鮮日報/見出し)

>橋下徹・大阪市長が率いる地域政党「大阪維新の会」が設立した「維新政治塾」が今年、初めて塾生を募集したところ、定員300人に対し約700人が応募した。大阪だけでなく全国から、現役の地方議員や官僚はもとより、元国会議員までが入塾を志願した。一方、大村秀章・愛知県知事や河村たかし名古屋市長も、近いうちに政治塾を開設する計画だ。また、自民党の古賀誠・元幹事長と丸山和也・参議院議員も、政治家養成機関の設立に向け準備を進めている。

>朝日新聞は8日、政治家養成機関の元祖とされる「松下政経塾」出身者たちの躍進を背景に、政治塾設立ブームが巻き起こっている、と報じた。松下電器産業(現・パナソニック)の創業者として知られる故・松下幸之助氏が1979年に設立した松下政経塾は、野田佳彦首相をはじめ、これまでに38人の国会議員を輩出した。同塾出身者たちは「カネ」も「コネ」もない中で、選挙で互いに助け合い団結することにより、日本政界の主流派として台頭している。同塾は「少数精鋭」を基本として塾生を選抜、厳格な教育を施し、これまでに248人の卒業生を輩出した。また、同塾をモデルにして設立された「一新塾」もこれまでに7人、「小沢一郎政治塾」は10人の国会議員を輩出するなど、影響力を高めている。

>松下政経塾が長期的に国家の指導者の育成を目標としている一方、最近設立が相次いでいる政治塾は短期間で政治家を養成する「実戦用」の機関と評されている。

>維新政治塾の場合、1年制で月に2回程度の講義を聴く形式だ。4年制の松下政経塾に比べ、教育過程は緩やかなものだ。また、維新政治塾は近いうちに行われる選挙に備えた選挙公約の作成や、選挙運動の方法などを指導する。

>同塾の出身者たちは共通の公約を掲げ、次回の大型選挙に大挙して出馬する見通しだ。

>大村・愛知県知事が設立を目指す「東海大志塾」も、選挙への出馬を前提に塾生を募集する。このような政治塾が人気を集める背景としては、民主党や自民党の支持率が急落している中「第3の勢力」の政界進出の可能性がこれまで以上に高まっていることも挙げられる。
【朝鮮日報日本語版/2月9日(木)8時19分配信】



嗚呼。

「大挙して出馬」だそうだ。。。


これでいよいよ、政治家は「かろうじて残っていた」と思われている<プリヴィレージュ>を失ってしまった。


『猫も杓子も』と言う表現が有る。

しかし、猫は頭がいい。
感も鋭い。

これからの「日本の政治家」は『馬の骨も杓子も』である。

バ◯もア◯ウも、と言ってしまえば、言い過ぎであろうか。


こんな有象無象の中に有っては、一部の「有能な」議員諸氏も、埋没してしまう恐れが有る。


考えても見よう。

『維新』150名。
『大村塾』40名。
『河村減税塾』40名。
『自民』130名。
『民主』60名。
『みん』25名。
『公明』20名。
『その他』若干名。

こんな国会で、一体何が起きる?

政治の大安売り。
政治家のバーゲンセール。

国政のバラエティー化。

きっと、その次に来るのは『吉本党』に違いない。


ただただ、絶句するのみ…。

鳩山<友>紀夫。
菅直人。
野田佳彦。

この面々の成して来た事は、万死以上に値する。

全員揃って、一万一回ずつ死んでしまえ!



日本が壊れて行く。

見放された国民は、一体どうすれば生き延びて行けるのか……。

コメント (6)
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