事ここに至って、未だに『原発』を必死で擁護する人達が居る。
理解の呼ばない「歪んだ知能」を持っているのか、「途方も無い利権」を守りたいのか。
私が愛読させて頂いている、或るブログのコメント欄が、『祭り』になっていた。
原因は、「原発の危険性を隠蔽しようとする<政府と東電>に、何らかの工作感じる」とする記事の主張に対する、極端な理論でブログ主に反撃する、一部の「コメント」である。
一部分だけ抜粋して「転載」させて頂く。
敢えて、ブログ名もコメント主もぼかした状態での転載にしたい。
(転載開始)
○○さんが車を運転していたとします。○○さんは、交通事故を起こした瞬間に政府や車のメーカーが安全性について嘘を付いていたと主張するような気がします。
何とまあ。
車は「納得して」購入して使用している。
<原発>は、反対派の意見を無視して、強引に建設された物である。
利用者が「納得して」建設された訳では無い。
(転載再開)
放射線管理区域内での年間許容被曝量が50ミリシーベルトです。これは、管理された環境下で健康に影響がないと考えられる数値です。ですから、それ以下(5万マイクロシーベルト以下)の時は健康に影響しないレベルで問題ありません。それ以外の表現をしようがありません。で、400ミリシーベルトはそれよりもだいぶ多いですね。でも、許容被曝量というのは、安全係数をかけて出すものです。だから、健康に影響することもあれば、影響しないこともあります。必ずしも影響するとはいえません。まだ、影響します、というレベルではない、ということです。まだ、ですけれどね。
何とまあ。
健康に「影響する」事も有れば、「影響しない」事も有る。
人間の生命に危険をもたらす環境を強引に造り出した事に対して、そのような「あいまい」な基準を押し通して弁護する訳ですか。
第三者の生命を、一体何の権利が有って、「影響」が有るかも知れないし、無いかもしれない、などと言う資格が有るのか。
(転載再開)
可能性が1%でもあったら「可能性があります」というべきですか? だったら、人間生きていけませんよ。事故に遭う可能性、飛行機が突っ込んでくる可能性、隕石が頭の上に落ちる可能性、太陽が爆発する可能性... 地震と関係なく、日本中の原発が一斉にメルトダウンを起こす可能性だってありますよね。でも、そんな可能性を挙げていってどうするんですか? 状況をきちんと分析しないと正しい対処はできません。もちろん、「正しくない対処」の中には、「メルトダウンだー」と叫びながら逃げていくというのも含まれます。
何とまあ。
事故に遭う可能性。
飛行機が突っ込んで来る可能性。
これらは、偶然が左右する。
隕石が頭上に落下する可能性。
太陽が爆発する可能性。
このような事を例示する事は、議論を真面目に取り上げていない、明確な証左である。
しかし、上記の如き「厄災」は、避けられない、人知の及ばない出来事である。
『原子炉のメルト・ダウン』は、危険の存在が知られていながら、「滅多に起こらない事」だと納得させて来た、いわば欺瞞の結果である。
飛行機は墜ちる。
数百人の犠牲者が出る。
原発も事故が起こる。
数百万人が犠牲になり得る。
これを同列に論議を展開する事は、欺瞞である。
数百人の命が軽くて、数百万人の命が重い、と言っている訳では無い。
しかし、被害の程度は「同列に」論じる様な事では無いだろう。
飛行機は、無くてはならない。
原発は、無くても困らない。
(転載再開)
想定外の災害が起こることは、文字通り想定されていません。したがって、聞いていないはずです。原発は非常に高度な安全設計がされていますが、それは想定外の天災の発生までは、当然想定していません。だって、想定していないんですもの。そして、それでもなおかつ想定外の天災が起こったら避難できることが前提です。だからこそ、原発は人口密度の低いところに作ります。
何とまあ。
ひとたび原発が「爆発」すれば、広島や長崎の何百倍もの威力で人々に被害を与える。
人々、自然、大地、総てが犯される。
この『地球』全体に対する罪を造り上げる事になる。
そのような物を、如何しても作りたければ、「想定外」などを想定してはならない。
想定外の天災までは想定していない、だからこそ「人口密度の低い所に作る」という理屈こそ、そのもたらす災害の重大さを自ら理解している訳だ。
それを理解していながら、「想定外の天災」には対処しないなどと、よくもまあヌケヌケと言えた物だ。
(転載再開)
事故は起こるものです。それは無責任ではありません。100%の安全を保証しようとしたら、無限に費用がかかるからです。たとえば、過去に20mの津波の例があるとして、津波から守るために日本の海岸線を全て20mの堤防で覆いますか? もしかしたら100mの津波が将来来るかもしれないから、100mにしておきますか? それで150mの津波が来たらどうしますか? これはすり替えではないのです。100%の安全などと言うものは神話であって、神話は神話に過ぎません。
何とまあ。
「100%の安全は保証しない」という前提で、周辺住民に「絶対安全」とだまくらかして建設を行って来た訳だ。
「100mの津波が起こるかもしれないから、100mの堤防をつくりますか?」だと?
『津波』は自然災害である。
『原発』は人災なのだ。
<原発>など、作らなければ、事故は起こらない。
前提からして、矛盾している。
其処まで「理屈をもてあそんで」原発を擁護するのは、一体何故なのだろう。
どんな得が有るのだろう。
有るんですよね。
大きな利権が。
今回の事件でも、「理由が不明」の現象が多すぎる。
東電の技術者自身が、説明出来無い。
それ程「原子力」開発は、まだ人間の科学と技術のレベルでは、開明されていない事が多すぎる分野なのだ。
人間が、今現在持っている知識では、対処出来ない領域を、あたかも「問題なく制御出来る」と信じ込んで居る<技術者>達の驕り。
そしてそこには、無数の技術特許が存在し、そのほとんどを『日立』を筆頭に、旧財閥系の重工業会社、商社、ゼネコンが握っている。
彼等は、巨大な利益をあげられる「原発建設」を、積極的に推進したい。
そして、一部の地方政治家、首長達の「名誉欲」と「経済的利権」が存在する。
さらに、その両者を取り結ぶ「中央政治家」の利権が絡む。
そして、<建設><電力><原子力><ウラン燃料><技術><運営>などなど、様々な『規制』を設けて、『許認可権』を楯に、其処に利権を織り込む『霞ヶ関』の存在。
あまたの天下り。
そこには、国民の意思も、国民の生命も、国民の健康も、国民の平和への願いも、国民の需要すら、一切関係の無いところで、原発建設が決められて行く。
「人体に直接影響は無い」
間接的に、大きな、大きすぎる影響が、5年後、10年後、孫子の世代に現れて来る。
その頃に、現在の利権で肥え太った<官僚>も、<政治家>も、居なくなっている訳だ。
そして、誰も責任を取らない。
理解の呼ばない「歪んだ知能」を持っているのか、「途方も無い利権」を守りたいのか。
私が愛読させて頂いている、或るブログのコメント欄が、『祭り』になっていた。
原因は、「原発の危険性を隠蔽しようとする<政府と東電>に、何らかの工作感じる」とする記事の主張に対する、極端な理論でブログ主に反撃する、一部の「コメント」である。
一部分だけ抜粋して「転載」させて頂く。
敢えて、ブログ名もコメント主もぼかした状態での転載にしたい。
(転載開始)
○○さんが車を運転していたとします。○○さんは、交通事故を起こした瞬間に政府や車のメーカーが安全性について嘘を付いていたと主張するような気がします。
何とまあ。
車は「納得して」購入して使用している。
<原発>は、反対派の意見を無視して、強引に建設された物である。
利用者が「納得して」建設された訳では無い。
(転載再開)
放射線管理区域内での年間許容被曝量が50ミリシーベルトです。これは、管理された環境下で健康に影響がないと考えられる数値です。ですから、それ以下(5万マイクロシーベルト以下)の時は健康に影響しないレベルで問題ありません。それ以外の表現をしようがありません。で、400ミリシーベルトはそれよりもだいぶ多いですね。でも、許容被曝量というのは、安全係数をかけて出すものです。だから、健康に影響することもあれば、影響しないこともあります。必ずしも影響するとはいえません。まだ、影響します、というレベルではない、ということです。まだ、ですけれどね。
何とまあ。
健康に「影響する」事も有れば、「影響しない」事も有る。
人間の生命に危険をもたらす環境を強引に造り出した事に対して、そのような「あいまい」な基準を押し通して弁護する訳ですか。
第三者の生命を、一体何の権利が有って、「影響」が有るかも知れないし、無いかもしれない、などと言う資格が有るのか。
(転載再開)
可能性が1%でもあったら「可能性があります」というべきですか? だったら、人間生きていけませんよ。事故に遭う可能性、飛行機が突っ込んでくる可能性、隕石が頭の上に落ちる可能性、太陽が爆発する可能性... 地震と関係なく、日本中の原発が一斉にメルトダウンを起こす可能性だってありますよね。でも、そんな可能性を挙げていってどうするんですか? 状況をきちんと分析しないと正しい対処はできません。もちろん、「正しくない対処」の中には、「メルトダウンだー」と叫びながら逃げていくというのも含まれます。
何とまあ。
事故に遭う可能性。
飛行機が突っ込んで来る可能性。
これらは、偶然が左右する。
隕石が頭上に落下する可能性。
太陽が爆発する可能性。
このような事を例示する事は、議論を真面目に取り上げていない、明確な証左である。
しかし、上記の如き「厄災」は、避けられない、人知の及ばない出来事である。
『原子炉のメルト・ダウン』は、危険の存在が知られていながら、「滅多に起こらない事」だと納得させて来た、いわば欺瞞の結果である。
飛行機は墜ちる。
数百人の犠牲者が出る。
原発も事故が起こる。
数百万人が犠牲になり得る。
これを同列に論議を展開する事は、欺瞞である。
数百人の命が軽くて、数百万人の命が重い、と言っている訳では無い。
しかし、被害の程度は「同列に」論じる様な事では無いだろう。
飛行機は、無くてはならない。
原発は、無くても困らない。
(転載再開)
想定外の災害が起こることは、文字通り想定されていません。したがって、聞いていないはずです。原発は非常に高度な安全設計がされていますが、それは想定外の天災の発生までは、当然想定していません。だって、想定していないんですもの。そして、それでもなおかつ想定外の天災が起こったら避難できることが前提です。だからこそ、原発は人口密度の低いところに作ります。
何とまあ。
ひとたび原発が「爆発」すれば、広島や長崎の何百倍もの威力で人々に被害を与える。
人々、自然、大地、総てが犯される。
この『地球』全体に対する罪を造り上げる事になる。
そのような物を、如何しても作りたければ、「想定外」などを想定してはならない。
想定外の天災までは想定していない、だからこそ「人口密度の低い所に作る」という理屈こそ、そのもたらす災害の重大さを自ら理解している訳だ。
それを理解していながら、「想定外の天災」には対処しないなどと、よくもまあヌケヌケと言えた物だ。
(転載再開)
事故は起こるものです。それは無責任ではありません。100%の安全を保証しようとしたら、無限に費用がかかるからです。たとえば、過去に20mの津波の例があるとして、津波から守るために日本の海岸線を全て20mの堤防で覆いますか? もしかしたら100mの津波が将来来るかもしれないから、100mにしておきますか? それで150mの津波が来たらどうしますか? これはすり替えではないのです。100%の安全などと言うものは神話であって、神話は神話に過ぎません。
何とまあ。
「100%の安全は保証しない」という前提で、周辺住民に「絶対安全」とだまくらかして建設を行って来た訳だ。
「100mの津波が起こるかもしれないから、100mの堤防をつくりますか?」だと?
『津波』は自然災害である。
『原発』は人災なのだ。
<原発>など、作らなければ、事故は起こらない。
前提からして、矛盾している。
其処まで「理屈をもてあそんで」原発を擁護するのは、一体何故なのだろう。
どんな得が有るのだろう。
有るんですよね。
大きな利権が。
今回の事件でも、「理由が不明」の現象が多すぎる。
東電の技術者自身が、説明出来無い。
それ程「原子力」開発は、まだ人間の科学と技術のレベルでは、開明されていない事が多すぎる分野なのだ。
人間が、今現在持っている知識では、対処出来ない領域を、あたかも「問題なく制御出来る」と信じ込んで居る<技術者>達の驕り。
そしてそこには、無数の技術特許が存在し、そのほとんどを『日立』を筆頭に、旧財閥系の重工業会社、商社、ゼネコンが握っている。
彼等は、巨大な利益をあげられる「原発建設」を、積極的に推進したい。
そして、一部の地方政治家、首長達の「名誉欲」と「経済的利権」が存在する。
さらに、その両者を取り結ぶ「中央政治家」の利権が絡む。
そして、<建設><電力><原子力><ウラン燃料><技術><運営>などなど、様々な『規制』を設けて、『許認可権』を楯に、其処に利権を織り込む『霞ヶ関』の存在。
あまたの天下り。
そこには、国民の意思も、国民の生命も、国民の健康も、国民の平和への願いも、国民の需要すら、一切関係の無いところで、原発建設が決められて行く。
「人体に直接影響は無い」
間接的に、大きな、大きすぎる影響が、5年後、10年後、孫子の世代に現れて来る。
その頃に、現在の利権で肥え太った<官僚>も、<政治家>も、居なくなっている訳だ。
そして、誰も責任を取らない。