今上天皇陛下に、一筆啓上奉ります。
「火の用心」を蔑ろにし、「核の火」を弄び、全国の国民の生命を蝕んで平気な逆臣が、居りまする。
「国民泣かすな」を守らず、散々の悪政を強行し、国民を泣かせ続け様と企む、逆臣が居りまする。
「国肥やせ」どころか、国民の懐に手を突っ込み、庶民のなけなしの稼ぎをかすめ取って、自分達と何処やらの外国人達に捧げ尽くそうとする、大逆臣が居りまする。
陛下と皇太子殿下が福島を慰問され、何度も慰問されて、被災者被爆者達の不安か心に、希望を点そうとされてこられたにも拘らず、宇宙服の如き完全防護服に身を固めて、滞在時間15分で視察をする為に、丸一日復旧作業を中止して現場の清掃作業に当たらせる、そんな逆臣が陛下の大御心に泥をぬって居りまする。
汚染の酷い東京のど真ん中の宮城においでで、更に汚染の及ぶ那須のご用邸においでの陛下皇后ご夫妻に対し奉り、自らは海外に豪邸を購入し、妻子を避難させている様な悪辣非道な物供の会社が、未だに全国を放射線被曝の犠牲にし続け、その悪行を糾すどころか、国民の血税を注ぎ込んで、その会社に成り代わって除染なるマヤカシを遂行し、社員にボーナスを支給しながらも大幅な黒字を計上している、そんな会社と一体となって、国民の生命と財産とを取り返しのつかぬ地獄へと落とし込もうと画策している政府を率いる、大逆臣が居りまする。
その「大逆臣」こそが、日本を米国の支配下に置くヤルタ協約の取り決めを実効に移した「サンフランシスコ<講和>条約」発効の日を、「主権回復の日」と偽って式典を挙行し、陛下に<むりやり>お出まし頂いた挙げ句に、『天皇陛下万歳』を叫んで陛下を困惑させた、あの「安倍晋三」に他なりません。
本日、臣・山本太郎が、陛下に対し奉り書面をお手渡しするという行為にい出ました。
当山本は、私ども国民が代理権を付託した国会議員であります。
従いまして、山本の行為は、国民の意思でもありまする。
この行為は、陛下の臣民たる国民の間に、かまびすしい賛否両論が沸き起こって居ります。
曰く。
天皇の政治利用であり、許せない。
曰く。
憲法違反である。
曰く。
身をわきまえぬ、許し難き非行である。
曰く。
一般常識として、見苦しい。
しかし陛下。
陛下の臣民たる日本国民の、存在の拠り所である「日本国憲法」にも、その基で国民生活の規範となる諸法にも、「陛下にお手紙を差し上げてはならない」とは、何処にも明記してある気配はございません。
当たり前だから、書いてない?
それならば、人を殺す事は行けない事であると言う、当たり前の事に関して、「刑法」「刑事訴訟法」その他で微に入り細を穿って、その処罰規定が定められていると言うのは、何故なのでしょうか。
いけない事は、禁止が成文化されて居ります。
しからば、陛下に文をお届けする事が何故行けないのか、何処にも書いてない以上、いけない事ではないのかもしれない、と感じ入る次第です。
陛下は、日本国の象徴であらせられます。
そして、すでに「現人神」ではおわしません。
そして、そのお立場で「政治的中立」の存在と承知致して居ります。
しからば、その陛下に対し奉りお手紙を直接お届け致すことで、民草の状況をお知らせ申し上げる事が、なんら政治的な意味合いを持たない事は、自明の理で有りましょう。
近代国家として変貌を遂げた我らが日本で、これまでに時の天皇に直接直訴した先例がございました。
田中正造 (1901年)(足尾鉱毒事件)
田中守平 (1903年)(上奏事件)
北原泰作 (1927年)(軍内の差別待遇の改善を昭和天皇に直訴)
児玉誉士夫(1929年) (天皇直訴事件)
以上4件の「直訴」は、天皇が現人神でおわしました時代の事であり、それなりに事の深刻性に今とは違ったニュアンスがございました。
今回、参議院議員山本太郎は、我が日本国民の子供達の被曝を見るに見かねて、更には事故原発での復旧作業に携わる人達の人間扱いされていない酷い状況に思いを馳せて、国の舵取りの責任を負うべき総理大臣と、その政府自体が、それらに何ら対処しないどころか、むしろ今後の事態を増々深刻な状況に追い込む事にうつつをぬかしているとしか思えない行動をとって居るにつけ、思いあまっての止むに止まれぬ行為であったと、思われます。
陛下に対し奉り、弘法に説教では有りますが、ここに敢えて『日本国憲法』の三大精神を明記させて頂きたいと存じます。
【平和主義(戦争放棄)】
平和主義は、平和に高い価値をおき、その維持と擁護に最大の努力を払うこと。
平たくいえば、「平和を大切にすること」であります。
平和主義は、多くの国で採用されている国際協調主義の一つと位置づけることができますが、日本では、歴史的経緯と第9条の存在によって、国際協調主義の枠を超えた平和主義と指摘されるところであります。
平和主義は、自由主義と民主主義という二つの重要な理念とともに、日本国憲法の理念を構成するものであります。
【国民主権】
国民主権とは、国家の主権が国民にあることをいいます。
主権も多義的な用語であるものの、結局国民主権とは、国政に関する権威と権力が国民にあることをいうとされるものであります。
当初は主権が天皇や君主など特定の人物にないところに重要な意味があった。
国民主権は、前文や第1条などで宣言されております。
国民主権は、統治者と被統治者が同じであるとする政治的理念、民主主義の国家制度での表れであるはずです。
【基本的人権の尊重】
基本的人権の尊重とは、個人が有する人権を尊重することをいい、自由主義のあらわれでもあります。
当初は、国家権力による自由の抑圧から国民を解放するところに重要な意味がありました。
基本的人権は、単に「人権」「基本権」とも呼ばれ、特に第3章で具体的に列挙されているところであります。
列挙されている権利が憲法上保障されている人権でありますが、明文で規定されている権利を超えて判例上認められている人権も存在します。
「知る権利」「プライバシーの権利」などがそれに相当致します。
また、権力の恣意的な行使により個人の人権が抑圧されることを回避するため、統治機構は権力が一つの機関に集中しないように設計されて(権力分立や地方自治)、個人が虐げられることのないように自由主義的に設計されているといわれてきました。
翻って、昨今の国家の流れを鑑みまするに、上記「三大原則」が果たして尊重されているかと申せば、現実は全く正反対の方向に疾走して居ります。
「安倍晋三」は、自衛隊を米軍の補完部隊として海外派兵を可能とするべく、一頃は第九条の改憲を口走り、それの手続き上の困難を感じるや、第99条だけを変えて、派兵の可能性を探り、更にそれにも批判が多い事を見て取るに及んで、「集団的自衛権」の曲解に依って派兵の道を切り開くべく、『内閣法制局』に、自分の息のかかった局長を押し込みました。
石破官房長官に及んでは、派兵は地球の裏側に留まらず、宇宙の果てまでと言い出す始末。
国防軍創設の暁には、徴兵忌避者に死刑もしくは懲役300年を、とまで言い出す始末であります。
この内閣が、憲法を遵守した政府である正統性は、全く無いのではありますまいか。
更には、安倍晋三率いる与党自民党では、憲法改悪を画策し、新たなる憲法草案とやらを公表して居る始末です。
そこには、国民主権や人権擁護という類いの精神は微塵も見いだせず、ただおのれ等の望むままに、自由に国民圧殺の政治が容易になるべく、あらゆる姑息な条項を考え出して居ります。
そして、自分達に都合の悪い事は総て隠し通せる様に、「情報開示」の世界の流れに逆行し、「特定秘密保護法」なる戦前への逆行を試みる法制を提案して来る有様です。
そこに、「共謀罪」なる物まで付け足して、政府権力が隠したい事、つまり「特定」されている事自体が秘密である以上、国民は何も知らないままに法を犯す事が考えられ、その秘密に沿った相談を下だけで、犯罪者として懲役10年に処せられる事になります。
平和主義に逆行する。
国民主権に逆行する。
基本的人権を否定する。
このような政権政府は、『憲法違反』以外の何物でもありません。
そのような反国民的弾圧の政治のなかで、国民を被爆させ続け、国家の明日を担うべき子供達を被爆地に縛り付け、事故原発の修復という大海の水をコップでくみ出す如き作業に従事する作業員には、充分な防護措置もとらず、ぼろ雑巾同様に使い捨てている現状を憂い、ご存知でありましょうが敢えてその実態を陛下に奏上する「暴挙」にでた、我らが国会議員山本太郎の行為を、不謹慎だの、不快だの、憲法違反だのと、お為ごかしな誹謗中傷を、彼を選んだ有権者の一人として、許容する訳には参りません。
以下に、岩手県知事達増拓也氏のツイートを転載致します。
@tassotakuya 達増拓也 TASSO
山本太郎参議院議員の天皇陛下への直訴、やってはいけないことをやったと思うが、何が彼にそうさせたのかを考えると、原発事故問題を巡って国民が統合されていない日本の現実が見えてくる。このままではイカンと強く感じた。
この意見に賛同する声が多い様ですが、繰り返しますが、なぜ「やっては行けない事」なのでしょうか。
天皇が神だからですか?
政治に関与しない存在だからですか?
どちらの理由も、説得力は感じられません。
日本国憲法下では、天皇は現人神ではなく、象徴であります。
政治に関与しない存在ならば、上訴する事は「政治利用」とは言えますまい。
自分達が都合の良いときだけ「政治不関与」を言い立て、自分達の都合に合わせて「政治的に利用」して来た、政権政党自民党政府と、宮内庁を中心とする霞ヶ関こそが、天皇の存在を「利用」して来た訳ではないのでしょうか。
一般常識として、天皇に直接訴えたりしない物だ、と言う論拠には何ら説得力は有りません。
今正に、日本国は危急存亡の折りに有ります。
政権が恣意的に隠蔽している「放射能汚染」は、全国の2/3の地域で、以前には原子力発電所の中心現場での事故時の臨時許容基準を遥かに上回って居り、核戦争時の基準値に有って、日夜平常通りの生活を営まされて居ります。
その現状を、覚醒した国民の1人1人が小さな行動を積み重ねる事で、なんとか事態の打開につなげようと努力して、少しも事態の前進が見られない中での、国民の代表権を付託された参議院議員山本太郎の、「非常識な」行動を、私は強く支持する物であります。
陛下のお手元に託された山本のお手紙は、即宮内庁の現場の役人の手に奪い取られました。
陛下のお立場では、そうされる事が唯一の行動である事は、理解致して居ります。
従って、陛下ご自身はお手紙をお読みになれる機会は無いのやも知れません。
もしそうであれば、きわめて残念で悲しい事では有ります。
しかし。
宮中(赤坂御苑)の園遊会での一参議院議員の例のない行動は、それなりに諸般で語り継がれ、非難囂々の中でも一部の国民達の前に「実態を晒した」という一点で、多いに評価されてしかるべきであると、断言いたします。
陛下に有らせられましては、今後の御長命を渇望し、長きに亘って国民を安んじて頂けます様、深くお願い申し上げる次第でございます。
恐々謹言。
平成二十五年十月末日。
力も名声も何もない、路傍の雑草の如き一日本国。
天皇を利用して『虎の威を借りる』連中は、慌てふためき山本叩きに奔走し始めた。
問題の本質を、あぶり出してくれちゃったね。。。。。
「火の用心」を蔑ろにし、「核の火」を弄び、全国の国民の生命を蝕んで平気な逆臣が、居りまする。
「国民泣かすな」を守らず、散々の悪政を強行し、国民を泣かせ続け様と企む、逆臣が居りまする。
「国肥やせ」どころか、国民の懐に手を突っ込み、庶民のなけなしの稼ぎをかすめ取って、自分達と何処やらの外国人達に捧げ尽くそうとする、大逆臣が居りまする。
陛下と皇太子殿下が福島を慰問され、何度も慰問されて、被災者被爆者達の不安か心に、希望を点そうとされてこられたにも拘らず、宇宙服の如き完全防護服に身を固めて、滞在時間15分で視察をする為に、丸一日復旧作業を中止して現場の清掃作業に当たらせる、そんな逆臣が陛下の大御心に泥をぬって居りまする。
汚染の酷い東京のど真ん中の宮城においでで、更に汚染の及ぶ那須のご用邸においでの陛下皇后ご夫妻に対し奉り、自らは海外に豪邸を購入し、妻子を避難させている様な悪辣非道な物供の会社が、未だに全国を放射線被曝の犠牲にし続け、その悪行を糾すどころか、国民の血税を注ぎ込んで、その会社に成り代わって除染なるマヤカシを遂行し、社員にボーナスを支給しながらも大幅な黒字を計上している、そんな会社と一体となって、国民の生命と財産とを取り返しのつかぬ地獄へと落とし込もうと画策している政府を率いる、大逆臣が居りまする。
その「大逆臣」こそが、日本を米国の支配下に置くヤルタ協約の取り決めを実効に移した「サンフランシスコ<講和>条約」発効の日を、「主権回復の日」と偽って式典を挙行し、陛下に<むりやり>お出まし頂いた挙げ句に、『天皇陛下万歳』を叫んで陛下を困惑させた、あの「安倍晋三」に他なりません。
本日、臣・山本太郎が、陛下に対し奉り書面をお手渡しするという行為にい出ました。
当山本は、私ども国民が代理権を付託した国会議員であります。
従いまして、山本の行為は、国民の意思でもありまする。
この行為は、陛下の臣民たる国民の間に、かまびすしい賛否両論が沸き起こって居ります。
曰く。
天皇の政治利用であり、許せない。
曰く。
憲法違反である。
曰く。
身をわきまえぬ、許し難き非行である。
曰く。
一般常識として、見苦しい。
しかし陛下。
陛下の臣民たる日本国民の、存在の拠り所である「日本国憲法」にも、その基で国民生活の規範となる諸法にも、「陛下にお手紙を差し上げてはならない」とは、何処にも明記してある気配はございません。
当たり前だから、書いてない?
それならば、人を殺す事は行けない事であると言う、当たり前の事に関して、「刑法」「刑事訴訟法」その他で微に入り細を穿って、その処罰規定が定められていると言うのは、何故なのでしょうか。
いけない事は、禁止が成文化されて居ります。
しからば、陛下に文をお届けする事が何故行けないのか、何処にも書いてない以上、いけない事ではないのかもしれない、と感じ入る次第です。
陛下は、日本国の象徴であらせられます。
そして、すでに「現人神」ではおわしません。
そして、そのお立場で「政治的中立」の存在と承知致して居ります。
しからば、その陛下に対し奉りお手紙を直接お届け致すことで、民草の状況をお知らせ申し上げる事が、なんら政治的な意味合いを持たない事は、自明の理で有りましょう。
近代国家として変貌を遂げた我らが日本で、これまでに時の天皇に直接直訴した先例がございました。
田中正造 (1901年)(足尾鉱毒事件)
田中守平 (1903年)(上奏事件)
北原泰作 (1927年)(軍内の差別待遇の改善を昭和天皇に直訴)
児玉誉士夫(1929年) (天皇直訴事件)
以上4件の「直訴」は、天皇が現人神でおわしました時代の事であり、それなりに事の深刻性に今とは違ったニュアンスがございました。
今回、参議院議員山本太郎は、我が日本国民の子供達の被曝を見るに見かねて、更には事故原発での復旧作業に携わる人達の人間扱いされていない酷い状況に思いを馳せて、国の舵取りの責任を負うべき総理大臣と、その政府自体が、それらに何ら対処しないどころか、むしろ今後の事態を増々深刻な状況に追い込む事にうつつをぬかしているとしか思えない行動をとって居るにつけ、思いあまっての止むに止まれぬ行為であったと、思われます。
陛下に対し奉り、弘法に説教では有りますが、ここに敢えて『日本国憲法』の三大精神を明記させて頂きたいと存じます。
【平和主義(戦争放棄)】
平和主義は、平和に高い価値をおき、その維持と擁護に最大の努力を払うこと。
平たくいえば、「平和を大切にすること」であります。
平和主義は、多くの国で採用されている国際協調主義の一つと位置づけることができますが、日本では、歴史的経緯と第9条の存在によって、国際協調主義の枠を超えた平和主義と指摘されるところであります。
平和主義は、自由主義と民主主義という二つの重要な理念とともに、日本国憲法の理念を構成するものであります。
【国民主権】
国民主権とは、国家の主権が国民にあることをいいます。
主権も多義的な用語であるものの、結局国民主権とは、国政に関する権威と権力が国民にあることをいうとされるものであります。
当初は主権が天皇や君主など特定の人物にないところに重要な意味があった。
国民主権は、前文や第1条などで宣言されております。
国民主権は、統治者と被統治者が同じであるとする政治的理念、民主主義の国家制度での表れであるはずです。
【基本的人権の尊重】
基本的人権の尊重とは、個人が有する人権を尊重することをいい、自由主義のあらわれでもあります。
当初は、国家権力による自由の抑圧から国民を解放するところに重要な意味がありました。
基本的人権は、単に「人権」「基本権」とも呼ばれ、特に第3章で具体的に列挙されているところであります。
列挙されている権利が憲法上保障されている人権でありますが、明文で規定されている権利を超えて判例上認められている人権も存在します。
「知る権利」「プライバシーの権利」などがそれに相当致します。
また、権力の恣意的な行使により個人の人権が抑圧されることを回避するため、統治機構は権力が一つの機関に集中しないように設計されて(権力分立や地方自治)、個人が虐げられることのないように自由主義的に設計されているといわれてきました。
翻って、昨今の国家の流れを鑑みまするに、上記「三大原則」が果たして尊重されているかと申せば、現実は全く正反対の方向に疾走して居ります。
「安倍晋三」は、自衛隊を米軍の補完部隊として海外派兵を可能とするべく、一頃は第九条の改憲を口走り、それの手続き上の困難を感じるや、第99条だけを変えて、派兵の可能性を探り、更にそれにも批判が多い事を見て取るに及んで、「集団的自衛権」の曲解に依って派兵の道を切り開くべく、『内閣法制局』に、自分の息のかかった局長を押し込みました。
石破官房長官に及んでは、派兵は地球の裏側に留まらず、宇宙の果てまでと言い出す始末。
国防軍創設の暁には、徴兵忌避者に死刑もしくは懲役300年を、とまで言い出す始末であります。
この内閣が、憲法を遵守した政府である正統性は、全く無いのではありますまいか。
更には、安倍晋三率いる与党自民党では、憲法改悪を画策し、新たなる憲法草案とやらを公表して居る始末です。
そこには、国民主権や人権擁護という類いの精神は微塵も見いだせず、ただおのれ等の望むままに、自由に国民圧殺の政治が容易になるべく、あらゆる姑息な条項を考え出して居ります。
そして、自分達に都合の悪い事は総て隠し通せる様に、「情報開示」の世界の流れに逆行し、「特定秘密保護法」なる戦前への逆行を試みる法制を提案して来る有様です。
そこに、「共謀罪」なる物まで付け足して、政府権力が隠したい事、つまり「特定」されている事自体が秘密である以上、国民は何も知らないままに法を犯す事が考えられ、その秘密に沿った相談を下だけで、犯罪者として懲役10年に処せられる事になります。
平和主義に逆行する。
国民主権に逆行する。
基本的人権を否定する。
このような政権政府は、『憲法違反』以外の何物でもありません。
そのような反国民的弾圧の政治のなかで、国民を被爆させ続け、国家の明日を担うべき子供達を被爆地に縛り付け、事故原発の修復という大海の水をコップでくみ出す如き作業に従事する作業員には、充分な防護措置もとらず、ぼろ雑巾同様に使い捨てている現状を憂い、ご存知でありましょうが敢えてその実態を陛下に奏上する「暴挙」にでた、我らが国会議員山本太郎の行為を、不謹慎だの、不快だの、憲法違反だのと、お為ごかしな誹謗中傷を、彼を選んだ有権者の一人として、許容する訳には参りません。
以下に、岩手県知事達増拓也氏のツイートを転載致します。
@tassotakuya 達増拓也 TASSO
山本太郎参議院議員の天皇陛下への直訴、やってはいけないことをやったと思うが、何が彼にそうさせたのかを考えると、原発事故問題を巡って国民が統合されていない日本の現実が見えてくる。このままではイカンと強く感じた。
この意見に賛同する声が多い様ですが、繰り返しますが、なぜ「やっては行けない事」なのでしょうか。
天皇が神だからですか?
政治に関与しない存在だからですか?
どちらの理由も、説得力は感じられません。
日本国憲法下では、天皇は現人神ではなく、象徴であります。
政治に関与しない存在ならば、上訴する事は「政治利用」とは言えますまい。
自分達が都合の良いときだけ「政治不関与」を言い立て、自分達の都合に合わせて「政治的に利用」して来た、政権政党自民党政府と、宮内庁を中心とする霞ヶ関こそが、天皇の存在を「利用」して来た訳ではないのでしょうか。
一般常識として、天皇に直接訴えたりしない物だ、と言う論拠には何ら説得力は有りません。
今正に、日本国は危急存亡の折りに有ります。
政権が恣意的に隠蔽している「放射能汚染」は、全国の2/3の地域で、以前には原子力発電所の中心現場での事故時の臨時許容基準を遥かに上回って居り、核戦争時の基準値に有って、日夜平常通りの生活を営まされて居ります。
その現状を、覚醒した国民の1人1人が小さな行動を積み重ねる事で、なんとか事態の打開につなげようと努力して、少しも事態の前進が見られない中での、国民の代表権を付託された参議院議員山本太郎の、「非常識な」行動を、私は強く支持する物であります。
陛下のお手元に託された山本のお手紙は、即宮内庁の現場の役人の手に奪い取られました。
陛下のお立場では、そうされる事が唯一の行動である事は、理解致して居ります。
従って、陛下ご自身はお手紙をお読みになれる機会は無いのやも知れません。
もしそうであれば、きわめて残念で悲しい事では有ります。
しかし。
宮中(赤坂御苑)の園遊会での一参議院議員の例のない行動は、それなりに諸般で語り継がれ、非難囂々の中でも一部の国民達の前に「実態を晒した」という一点で、多いに評価されてしかるべきであると、断言いたします。
陛下に有らせられましては、今後の御長命を渇望し、長きに亘って国民を安んじて頂けます様、深くお願い申し上げる次第でございます。
恐々謹言。
平成二十五年十月末日。
力も名声も何もない、路傍の雑草の如き一日本国。
天皇を利用して『虎の威を借りる』連中は、慌てふためき山本叩きに奔走し始めた。
問題の本質を、あぶり出してくれちゃったね。。。。。