本日3月31日は、今年の復活祭であります。
そこで、今日の「フォトの旅」は、連載している『コート・ダジュール』を一回休んで、<復活祭の卵>の事をご紹介してみる事にしよう。
復活祭の卵(ショコラティエ・アン・ディマンシュ・ア・パリ)
イエスが、自分が捕まって処刑される事を自覚し、最後まで従っていた弟子達12名を囲んで晩餐のテーブルを囲んだ。
『最後の晩餐』(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
その翌朝イエスはローマ総督ピラトの兵に捕まる。
そして、ゴルゴダで処刑。
『キリスト降架』(ラファエロ)
『ピエタ(降架後のイエスを抱いて嘆くマリア)』(ミケランジェロ)
そして2日後、イエスは復活した。
『キリストの復活』(フラ・アンジェリコ)
『キリストの復活』(ヴェロネーゼ)
イエスの生年の日時と没年の日時は、定かでは無い。
複数の「福音書」の様々な記述から推測するしか無いのだ。
従って、聖誕祭(クリスマス)も、後世に便宜的に12月24日と決めただけである。
処刑の日時も復活の日時も、確定した物では無い。
もともと『復活祭』は、ユダヤ教の祭事「過ぎ越の祭り(パサヘ)」に由来し、ヘブライ語から発して発して古代ギリシア語、更にラテン語から<パスカ>と派生した呼び名で呼ばれる。
パスカ(伊)。
パスクア(西)。
パック(仏)。
英語とドイツ語では、キリスト教の伝播が遅れたため、布教の便宜として在来のケルト族やゲルマン人の宗教と絡めて広められたため、古代ゲルマン語の「春の祭り」からエオストレと呼ばれ、夫々「イースター」と「オーステル」となった。
つまり「春の到来」を祝う感情が、そのまま「主の復活」につながった訳だ。
そのような由来から、『復活祭』は年によって日にちが変わる<移動祝日>である。
西暦西暦325年の『ニケーア公会議』によって「春分の日の直後の満月の後の日曜日」と定められた。
その頃は「ユリウス暦」を使っていたが、その後西欧は「グレゴリオ歴」に変わったため、東方教会(俗にギリシア正教)と西方教会(ローマン・カトリック)とでは、ずれている。
さて、卵のお話。
地球上の多くの民族に取って、卵は生命の誕生、あるいは生の再生を意味して来た。
従って、多くの民族の宗教的祭事の正餐で、ゆで卵が欠かせない物であった事が分っている。
宗教的由来や意味合いは割愛するが、キリスト教でも「卵」は特に復活祭には欠かさない物で、家族間や友人同士で卵がプレゼントとして交換されて来た。
卵は、殻を破って生命が生まれでる、生命を宿したもの、そして復活の象徴と考えられて来た。
そして、イエスが自ら血を流す事で人間の将来を救った、つまり「血によって世界は救われた」とうシンボルとなった。
そこで、或る種のハーブと一緒に茹でて、紅く着色した卵が特に象徴的に使用された。
ルイ14世は、復活祭の日金箔で被った卵を、家族達と廷臣達に配った。
ルイ15世も、宝石その他のプレゼントを中に入れた卵を、妃に贈った。
20世紀初頭には、ロシアの皇帝ニコライ2世が、モスクワが誇った宝石商「ファベルジェ」に作らせた、金銀や宝石をちりばめた卵型の宝飾品を作らせて、家族に贈った。
ヨーロッパ各地で、あらかじめ子供達がそれぞれ絵を描いたゆで卵を、庭の各所に潜ませて、「宝探しゲーム」を行っていた。
それとは別に、1847年フランスの「フリー」という職人が、それまで飲み物であった「ココア」に、カカオバターと砂糖を混ぜて固まらせ、持ち歩き可能な食品としての「チョコレート」を、発明した。
その後、チョコレートは宮廷でもてはやされ、貴族達の最も好まれた嗜好品となる。
その伝統で、ヨーロッパでチョコレートは或る種の地位を確立しており、子供の駄菓子ではなく、大人の喜びとして欠かせない物となり、プレゼントの絶好の対象となり、デザートの主な主役となっている。
20世紀には、その復活祭の卵がチョコレートで作られてウインドーを飾るようになり、この時期の風物詩となって定着した。
今では、街中のチョコレート屋さんやお菓子屋さんで、大小様々のチョコレート製の卵が、趣向を凝らして飾られる。
その中には、もっと小型のチョコレートの卵が詰め合わされている。
更には卵だけではなく、卵と並んで「豊穣のシンボル」である『ウサギ』更には教会のシンボル『鐘』なども多く見られる様になり、挙げ句には各種のフィギュアーも不思議ではなく存在している。
ここで、いまパリで最も旬のショコラティエを、ご紹介しよう。
都心部のど真ん中、「マドレーヌ教会」の直ぐ近く。
都心の片隅に、殆ど観光客には気づかれないひっそりとした露地が有る。
以前も拙ブログで「露地特集」をして宣言した通り、私は露地が大好き。
各町の、旧市街の露地こそが、歴史と伝統とを最も良く今日に伝えてくれる。
しかし、この露地は「歴史の香り」ではなく、パリの最も華やかな一面を伝えてくれる。
片側には『シャネル』が有り、反対側には『ディオール』もある。
そんな露地の奥に、ひっそり店を構えるのが『パトリック・ロジェ』である。
ウインドウの飾りの一つ
店内の光景
ウインドーの装飾を店内から見た
お魚もこの時期のシンボル
イエスが示した奇跡の一つに、打ち続く飢饉で苦しむ「ガリラヤ湖畔」の村で、魚の棲まない湖にも関わらず、村人に船で湖面に出て網を打たせた。
大漁の魚が取れて、餓えが救われた。
その他、迫害されていたキリスト教徒達が、仲間同士を確認する合図に、日本の曲線を組み合わせた、単純な魚の絵を描いた。
「隠れキリシタン」達の仲間を見分ける印の魚の線画
「イエス」「キリスト」「神」の「子」」「救世主」のギリシア語を綴ると
以下の様になる。
ΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡ
その頭文字「ΙΧΘΥΣ」は、ギリシア語で「魚」。
4月1日エイプリル・フールフランス語では「ポワッソン・ダヴリル(4月に魚)」と言う事も有って。
この店の、今年のウインドーの一番の作品は「魚」だった。
巨きな卵を抱いた魚。
勿論全部、チョコレート製。
欲しければ、注文生産で買えます。
顔のアップ
パック(復活祭)の卵
紅い小さな鶏冠のついた鶏の顔をした卵。
カワイイ羊も整列中
ネズミも
木の実を狙うネズミ君
そして、一番の傑作がこれ。
卵を食べてるハリネズミ。
独りで。
二人で。
大勢で。
これらの「フィギュア」の中には、各種のチョコレートが詰められています。
クリーム入りの鐘「ブラックチョコとミルクチョコ」
ミントクリーム、ジンジャー、熊葛、プラリネ…
各種の全景
別に卵や動物の中に入ってるのを買わなくても、普段はこれらの中から選んで、お好きな物をお好きなだけ買って行けば良いのですよ。
こんなショッピングバッグに入れてくれます。
お店の外観。
ちなみに、『ハリネズミ』君を割ってみると…。
中味は、かなり食べてしまってからの写真ですが、まだ中に残ってます(*^^*;)
鐘がまっ二つになってる…
では、来週の【日曜フォトの旅】は、また『コート・ダジュール』のご案内を続けるつもりでおります。
お楽しみに。
そこで、今日の「フォトの旅」は、連載している『コート・ダジュール』を一回休んで、<復活祭の卵>の事をご紹介してみる事にしよう。
復活祭の卵(ショコラティエ・アン・ディマンシュ・ア・パリ)
イエスが、自分が捕まって処刑される事を自覚し、最後まで従っていた弟子達12名を囲んで晩餐のテーブルを囲んだ。
『最後の晩餐』(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
その翌朝イエスはローマ総督ピラトの兵に捕まる。
そして、ゴルゴダで処刑。
『キリスト降架』(ラファエロ)
『ピエタ(降架後のイエスを抱いて嘆くマリア)』(ミケランジェロ)
そして2日後、イエスは復活した。
『キリストの復活』(フラ・アンジェリコ)
『キリストの復活』(ヴェロネーゼ)
イエスの生年の日時と没年の日時は、定かでは無い。
複数の「福音書」の様々な記述から推測するしか無いのだ。
従って、聖誕祭(クリスマス)も、後世に便宜的に12月24日と決めただけである。
処刑の日時も復活の日時も、確定した物では無い。
もともと『復活祭』は、ユダヤ教の祭事「過ぎ越の祭り(パサヘ)」に由来し、ヘブライ語から発して発して古代ギリシア語、更にラテン語から<パスカ>と派生した呼び名で呼ばれる。
パスカ(伊)。
パスクア(西)。
パック(仏)。
英語とドイツ語では、キリスト教の伝播が遅れたため、布教の便宜として在来のケルト族やゲルマン人の宗教と絡めて広められたため、古代ゲルマン語の「春の祭り」からエオストレと呼ばれ、夫々「イースター」と「オーステル」となった。
つまり「春の到来」を祝う感情が、そのまま「主の復活」につながった訳だ。
そのような由来から、『復活祭』は年によって日にちが変わる<移動祝日>である。
西暦西暦325年の『ニケーア公会議』によって「春分の日の直後の満月の後の日曜日」と定められた。
その頃は「ユリウス暦」を使っていたが、その後西欧は「グレゴリオ歴」に変わったため、東方教会(俗にギリシア正教)と西方教会(ローマン・カトリック)とでは、ずれている。
さて、卵のお話。
地球上の多くの民族に取って、卵は生命の誕生、あるいは生の再生を意味して来た。
従って、多くの民族の宗教的祭事の正餐で、ゆで卵が欠かせない物であった事が分っている。
宗教的由来や意味合いは割愛するが、キリスト教でも「卵」は特に復活祭には欠かさない物で、家族間や友人同士で卵がプレゼントとして交換されて来た。
卵は、殻を破って生命が生まれでる、生命を宿したもの、そして復活の象徴と考えられて来た。
そして、イエスが自ら血を流す事で人間の将来を救った、つまり「血によって世界は救われた」とうシンボルとなった。
そこで、或る種のハーブと一緒に茹でて、紅く着色した卵が特に象徴的に使用された。
ルイ14世は、復活祭の日金箔で被った卵を、家族達と廷臣達に配った。
ルイ15世も、宝石その他のプレゼントを中に入れた卵を、妃に贈った。
20世紀初頭には、ロシアの皇帝ニコライ2世が、モスクワが誇った宝石商「ファベルジェ」に作らせた、金銀や宝石をちりばめた卵型の宝飾品を作らせて、家族に贈った。
ヨーロッパ各地で、あらかじめ子供達がそれぞれ絵を描いたゆで卵を、庭の各所に潜ませて、「宝探しゲーム」を行っていた。
それとは別に、1847年フランスの「フリー」という職人が、それまで飲み物であった「ココア」に、カカオバターと砂糖を混ぜて固まらせ、持ち歩き可能な食品としての「チョコレート」を、発明した。
その後、チョコレートは宮廷でもてはやされ、貴族達の最も好まれた嗜好品となる。
その伝統で、ヨーロッパでチョコレートは或る種の地位を確立しており、子供の駄菓子ではなく、大人の喜びとして欠かせない物となり、プレゼントの絶好の対象となり、デザートの主な主役となっている。
20世紀には、その復活祭の卵がチョコレートで作られてウインドーを飾るようになり、この時期の風物詩となって定着した。
今では、街中のチョコレート屋さんやお菓子屋さんで、大小様々のチョコレート製の卵が、趣向を凝らして飾られる。
その中には、もっと小型のチョコレートの卵が詰め合わされている。
更には卵だけではなく、卵と並んで「豊穣のシンボル」である『ウサギ』更には教会のシンボル『鐘』なども多く見られる様になり、挙げ句には各種のフィギュアーも不思議ではなく存在している。
ここで、いまパリで最も旬のショコラティエを、ご紹介しよう。
都心部のど真ん中、「マドレーヌ教会」の直ぐ近く。
都心の片隅に、殆ど観光客には気づかれないひっそりとした露地が有る。
以前も拙ブログで「露地特集」をして宣言した通り、私は露地が大好き。
各町の、旧市街の露地こそが、歴史と伝統とを最も良く今日に伝えてくれる。
しかし、この露地は「歴史の香り」ではなく、パリの最も華やかな一面を伝えてくれる。
片側には『シャネル』が有り、反対側には『ディオール』もある。
そんな露地の奥に、ひっそり店を構えるのが『パトリック・ロジェ』である。
ウインドウの飾りの一つ
店内の光景
ウインドーの装飾を店内から見た
お魚もこの時期のシンボル
イエスが示した奇跡の一つに、打ち続く飢饉で苦しむ「ガリラヤ湖畔」の村で、魚の棲まない湖にも関わらず、村人に船で湖面に出て網を打たせた。
大漁の魚が取れて、餓えが救われた。
その他、迫害されていたキリスト教徒達が、仲間同士を確認する合図に、日本の曲線を組み合わせた、単純な魚の絵を描いた。
「隠れキリシタン」達の仲間を見分ける印の魚の線画
「イエス」「キリスト」「神」の「子」」「救世主」のギリシア語を綴ると
以下の様になる。
ΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡ
その頭文字「ΙΧΘΥΣ」は、ギリシア語で「魚」。
4月1日エイプリル・フールフランス語では「ポワッソン・ダヴリル(4月に魚)」と言う事も有って。
この店の、今年のウインドーの一番の作品は「魚」だった。
巨きな卵を抱いた魚。
勿論全部、チョコレート製。
欲しければ、注文生産で買えます。
顔のアップ
パック(復活祭)の卵
紅い小さな鶏冠のついた鶏の顔をした卵。
カワイイ羊も整列中
ネズミも
木の実を狙うネズミ君
そして、一番の傑作がこれ。
卵を食べてるハリネズミ。
独りで。
二人で。
大勢で。
これらの「フィギュア」の中には、各種のチョコレートが詰められています。
クリーム入りの鐘「ブラックチョコとミルクチョコ」
ミントクリーム、ジンジャー、熊葛、プラリネ…
各種の全景
別に卵や動物の中に入ってるのを買わなくても、普段はこれらの中から選んで、お好きな物をお好きなだけ買って行けば良いのですよ。
こんなショッピングバッグに入れてくれます。
お店の外観。
ちなみに、『ハリネズミ』君を割ってみると…。
中味は、かなり食べてしまってからの写真ですが、まだ中に残ってます(*^^*;)
鐘がまっ二つになってる…
では、来週の【日曜フォトの旅】は、また『コート・ダジュール』のご案内を続けるつもりでおります。
お楽しみに。