ポルトガル。
エキゾティックで身直な響き。
今週の【フォトの旅】は、ヨーロッパの片田舎の、小さな古の海洋大国の、小さな町の旧市街。
その名は、オビドシュ。
オビドシュの旧市街の俯瞰
ポルトガル。
遠く離れた、近い国。
地球の東の際果ての日本と、西の際果てのポルトガル。
16世紀以来、我が国の文化に大きな貢献をしてくれた、小さな海洋国。
『種子島』をもたらした。
『カステラ』をもたらした。
『パン』をもたらした。
『金平糖』をもたらした。
『天ぷら』をもたらした。
<天正少年遣欧使節団>を迎え入れた。
その、ポルトガルの首都『リスボン』から、北へおよそ百キロ、車で一時間の行程で、小高い丘の上に、城壁に囲まれた小さな町がひっそりと、待ち受けている。
リスボンからの国道から、オビドシュを見晴らす
小さなな谷を下って、対岸を上ると、城壁が見えて来る。
右端に、『カステロ』がそびえる。
オビドシュである。
ヨーロッパの歴史の「縮図」の様な、小さな町。
丘の下に広がる新市街を含んで、人口僅か一万強。
丘の上の旧市街は、文字通りの「中世」そのもので、時が停止している。
旧市街に入るには、丘の右下の坂道を「城」を目指して登って行くのが良い。
カステロ
スペインとポルトガルが位置する『イベリア半島』は、八世紀以来、八百年間「イスラム」の支配下にあった。
かつての「西ローマ帝国」の崩壊以来、混乱を極めた当地は、帝国を滅ぼした「ゲルマン人」の、各部族が割拠し、やがて少しずつ「西ヨーロッパ」の輪郭が形づくられて行った。
その頃、イベリア半島に進出したのが、ゲルマンの中の『スアーヴェ族』それを討って支配権を確立した野が『西ゴート族』であった。
711年、北アフリカから「イスラム」勢力が侵入し、全イベリアを支配下に置く事になる。
その後の、キリスト教徒達による『レコンキスタ(国土回復)』により、フランスのブルゴーニュ家の領地、更に『バルセローナ公爵家』の支配を経て、ポルトガル最初の支配者『ブラガンサ公』へと受け継がれ、やがて、スペイン王室に吸収合併されて行く。
オビドシュは、大西洋を望む「望楼」の役を持ち、重要な存在であった。
今では、海は17キロ西へと後退してしまっている。
1148年、ブルゴーニュ系の親王『アルフォンソ・エンリケ』が、イスラムから町を解放した際、城は改築され、城壁は造り直され、町並みも「モーレスク」か「カトリック』へと化粧直しが進んだ。
その次の息子が、アラゴンの王女を妃に迎える際、オビドシュで婚礼をあげ、町を妃に贈った。
以来、1833年まで、町は『ポルトガル王妃』の直轄領地であったのです。
基本的には、そのときの都市構造が、変わっていない。
城壁に囲まれた市域の、東の先端が「城(カステロ)」で、一番高い位置を占めている。
その西側に、中心となる通りが一本。
町の目抜き通り『ディレイタ通り』
その通りの両側に並ぶ家並は、まさに『中世』の地方都市そのまま。
エキゾティックで、それでいて「よそよそしく」無く、どこか懐かしい空気に満ちている。
目抜き通りから内側へ入る横道
これらの家々は、地方色豊かなお土産屋さんであるか、レストランである。
エシュトラマデューラ地方の陶器。
手織りの敷物。
素朴なワイン。
旅情に浸って、ついあれこれ買い求めたくなる誘惑に打ち勝つのは、難しい。
その「目抜き通り」の中程に、旧市街の教会『サンタ・マリア』が建っている。
サンタ・マリア教会
通常、ヨーロッパの古い町は、その中で一番高い所に教会、ないしは城が有る場合は、二番目に高い所に建っている事が多い。
しかしこの教会は、通りが城からやや下り坂になって居り、その途中まで下って来ての「教会前広場(プラサ・サンタ・マリア)」の、また一段下がった片隅に造られている。
通りと広場の角の建物は、円柱に支えられた素敵なテラスになっていた。
ところでスペインでは、各地にかっての城や修道院等、歴史的建造物を改装した国立のホテルが有る。
『パラドール』と名付けられて居り、日本でも知る人ぞ知る、ファンの多い良質のホテルチェーンである。
その同じ発想で、ポルトガルにも『ポウーシャダ』と言うなの、同じ発想の国営ホテルが各地に有る。
ここオビドシュのポウーシャダは、この町のカステロを使って居り、ポルトガルで一番最初のポウーシャダとして、非常に有名である。
ポウーシャダ・デ・カステロ・ドビドシュ
カステロの真下まで、狭い小径を車を乗り入れ、そこから玄関まで狭く曲がりくねった石の階段を登る。
大型のスーツケースを持ち上げるのは、一苦労である。
勿論、ホテルのポーターが、軽々と運んでくれるのだが。
中にはからの眺めは、城塞の塔の部分と違って、後期中世風の城館。
上の階の大きな二つの窓はレストラン
右下のアーチがホテルの玄関。
レストランに食事に来る外部の客は、階段を上って直接レストランに行く。
レストランへの階段の途中からの光景
町の城壁の最後の部分が、カステロの城壁になっており、その角に二つの物見の塔が有る。
その中の部屋が、一番お勧め。
手すりも無い狭い急な石段を登ると、塔全体が二階建ての「スイート」
何しろ、戦国時代の城塞の天守だから、敵の矢玉を受けぬ様、窓はほんの僅かに小さく開いているだけ。
見晴らしは望めないが、八百年前の城主になった気分で、過ごす事が出来ます。
二つの塔を結ぶ城壁の上から見下ろす旧市街
夏のシーズンは、この小さな旧市街に観光客がひしめき合うけれど、シーズンをずらせば、ほぼ無人の「中世」を独り占め出来る事、請け合いです。
特に、この写真を取った夕暮れ時が、良い。
静けさと、生活の空気と、更には物悲しさをも感じてしまう。
誰でも、詩人になれる町。
目抜き通りに平行して、一段低い方にも同じ様な通りがあるが、そこは全く人気がなくなってしまう。
そして、別の教会が、もう一軒ひっそりと建っていた。
別の教会
タップリ歩き回って、ポウーシャダの方に引き返すと、自分が泊まっている部屋の塔が見上げる様に迫って来た。
奥の塔に泊まった。
ヨーロッパの古い町並みは、時計の針が数百年後戻りして、タイムスリップを味合わせてくれます。
ぜひ、それらの時空を遡る旅を、してみませんか。
次回を乞うご期待。
エキゾティックで身直な響き。
今週の【フォトの旅】は、ヨーロッパの片田舎の、小さな古の海洋大国の、小さな町の旧市街。
その名は、オビドシュ。
オビドシュの旧市街の俯瞰
ポルトガル。
遠く離れた、近い国。
地球の東の際果ての日本と、西の際果てのポルトガル。
16世紀以来、我が国の文化に大きな貢献をしてくれた、小さな海洋国。
『種子島』をもたらした。
『カステラ』をもたらした。
『パン』をもたらした。
『金平糖』をもたらした。
『天ぷら』をもたらした。
<天正少年遣欧使節団>を迎え入れた。
その、ポルトガルの首都『リスボン』から、北へおよそ百キロ、車で一時間の行程で、小高い丘の上に、城壁に囲まれた小さな町がひっそりと、待ち受けている。
リスボンからの国道から、オビドシュを見晴らす
小さなな谷を下って、対岸を上ると、城壁が見えて来る。
右端に、『カステロ』がそびえる。
オビドシュである。
ヨーロッパの歴史の「縮図」の様な、小さな町。
丘の下に広がる新市街を含んで、人口僅か一万強。
丘の上の旧市街は、文字通りの「中世」そのもので、時が停止している。
旧市街に入るには、丘の右下の坂道を「城」を目指して登って行くのが良い。
カステロ
スペインとポルトガルが位置する『イベリア半島』は、八世紀以来、八百年間「イスラム」の支配下にあった。
かつての「西ローマ帝国」の崩壊以来、混乱を極めた当地は、帝国を滅ぼした「ゲルマン人」の、各部族が割拠し、やがて少しずつ「西ヨーロッパ」の輪郭が形づくられて行った。
その頃、イベリア半島に進出したのが、ゲルマンの中の『スアーヴェ族』それを討って支配権を確立した野が『西ゴート族』であった。
711年、北アフリカから「イスラム」勢力が侵入し、全イベリアを支配下に置く事になる。
その後の、キリスト教徒達による『レコンキスタ(国土回復)』により、フランスのブルゴーニュ家の領地、更に『バルセローナ公爵家』の支配を経て、ポルトガル最初の支配者『ブラガンサ公』へと受け継がれ、やがて、スペイン王室に吸収合併されて行く。
オビドシュは、大西洋を望む「望楼」の役を持ち、重要な存在であった。
今では、海は17キロ西へと後退してしまっている。
1148年、ブルゴーニュ系の親王『アルフォンソ・エンリケ』が、イスラムから町を解放した際、城は改築され、城壁は造り直され、町並みも「モーレスク」か「カトリック』へと化粧直しが進んだ。
その次の息子が、アラゴンの王女を妃に迎える際、オビドシュで婚礼をあげ、町を妃に贈った。
以来、1833年まで、町は『ポルトガル王妃』の直轄領地であったのです。
基本的には、そのときの都市構造が、変わっていない。
城壁に囲まれた市域の、東の先端が「城(カステロ)」で、一番高い位置を占めている。
その西側に、中心となる通りが一本。
町の目抜き通り『ディレイタ通り』
その通りの両側に並ぶ家並は、まさに『中世』の地方都市そのまま。
エキゾティックで、それでいて「よそよそしく」無く、どこか懐かしい空気に満ちている。
目抜き通りから内側へ入る横道
これらの家々は、地方色豊かなお土産屋さんであるか、レストランである。
エシュトラマデューラ地方の陶器。
手織りの敷物。
素朴なワイン。
旅情に浸って、ついあれこれ買い求めたくなる誘惑に打ち勝つのは、難しい。
その「目抜き通り」の中程に、旧市街の教会『サンタ・マリア』が建っている。
サンタ・マリア教会
通常、ヨーロッパの古い町は、その中で一番高い所に教会、ないしは城が有る場合は、二番目に高い所に建っている事が多い。
しかしこの教会は、通りが城からやや下り坂になって居り、その途中まで下って来ての「教会前広場(プラサ・サンタ・マリア)」の、また一段下がった片隅に造られている。
通りと広場の角の建物は、円柱に支えられた素敵なテラスになっていた。
ところでスペインでは、各地にかっての城や修道院等、歴史的建造物を改装した国立のホテルが有る。
『パラドール』と名付けられて居り、日本でも知る人ぞ知る、ファンの多い良質のホテルチェーンである。
その同じ発想で、ポルトガルにも『ポウーシャダ』と言うなの、同じ発想の国営ホテルが各地に有る。
ここオビドシュのポウーシャダは、この町のカステロを使って居り、ポルトガルで一番最初のポウーシャダとして、非常に有名である。
ポウーシャダ・デ・カステロ・ドビドシュ
カステロの真下まで、狭い小径を車を乗り入れ、そこから玄関まで狭く曲がりくねった石の階段を登る。
大型のスーツケースを持ち上げるのは、一苦労である。
勿論、ホテルのポーターが、軽々と運んでくれるのだが。
中にはからの眺めは、城塞の塔の部分と違って、後期中世風の城館。
上の階の大きな二つの窓はレストラン
右下のアーチがホテルの玄関。
レストランに食事に来る外部の客は、階段を上って直接レストランに行く。
レストランへの階段の途中からの光景
町の城壁の最後の部分が、カステロの城壁になっており、その角に二つの物見の塔が有る。
その中の部屋が、一番お勧め。
手すりも無い狭い急な石段を登ると、塔全体が二階建ての「スイート」
何しろ、戦国時代の城塞の天守だから、敵の矢玉を受けぬ様、窓はほんの僅かに小さく開いているだけ。
見晴らしは望めないが、八百年前の城主になった気分で、過ごす事が出来ます。
二つの塔を結ぶ城壁の上から見下ろす旧市街
夏のシーズンは、この小さな旧市街に観光客がひしめき合うけれど、シーズンをずらせば、ほぼ無人の「中世」を独り占め出来る事、請け合いです。
特に、この写真を取った夕暮れ時が、良い。
静けさと、生活の空気と、更には物悲しさをも感じてしまう。
誰でも、詩人になれる町。
目抜き通りに平行して、一段低い方にも同じ様な通りがあるが、そこは全く人気がなくなってしまう。
そして、別の教会が、もう一軒ひっそりと建っていた。
別の教会
タップリ歩き回って、ポウーシャダの方に引き返すと、自分が泊まっている部屋の塔が見上げる様に迫って来た。
奥の塔に泊まった。
ヨーロッパの古い町並みは、時計の針が数百年後戻りして、タイムスリップを味合わせてくれます。
ぜひ、それらの時空を遡る旅を、してみませんか。
次回を乞うご期待。