オーベルニュ地方の州都『クレルモンフェラン』のカテドラル『ノートル・ダム』
のステンド・グラスの一面。
既に二晩。
毎日、テレビ画面は三陸沖地震の様子だけ。
最初に見せられた、『名取川』河口部「名取町」での津波の映像は、今でも目に焼き付いている。
そして、同じ映像は「Yahoo France」で、YouTube でもみる事が出来た。
11日午前中いっぱい(パリ時間)テレビ画面に釘付けのままで、ツイッターにかかり切りになって、それなりの情報をリツイートしたり、思う事を発信していた。
いくら何でも仕事せざるを得なくて、その日の午後一杯は、テレビともツイッターとも離れて過ごした。
夕刻、再びテレビを付けて、愕然としてしまった。
燃え盛る『気仙沼市』の光景は、「見るに絶えない」どころでは無く、余りのショックにブログを書いたり、ツイッターで何かを発信する事自体が、不謹慎に思えてしまった。
大急ぎで、思いを伝えたい言葉だけでブログだけ更新し、後は文字通り、何も出来なくなってしまった。
更に一日が過ぎ、消火出来るとは到底信じられなかった、気仙沼市の火災は、ほぼ鎮火してくれている。
しかし、津波の爪痕は生々しく、直接その自然の暴力に遭遇してしまった方々の事を思うと、やりきれない。
せめて、心を落ち着けなくては。
せめて、自分が先ず気持ちを落ち着けなければ、被災した方々を慰めることも、何かを語りかける事も、出来ないと気がついた。
ロレーヌ地方の州都『メッス』のカテドラル『サン・テティエンヌ』
のステンド・グラスの一面
そして、昨日から一番恐れていた、「放射線物質」漏洩が観測されていた福島第一原発での、住人の被爆が、現実の物となってしまった。
『炉心溶解』
心配が現実となってしまった。
官房長官も、東電の社長も、原子力院の責任者も、国民に納得させる事が出来る様な話し方は、一切しない。
しどろもどろで、何としても「原発反対」の声が高まる事を恐れ、自分達に批判が集まる事恐れるが余り、無責任極まりない「情報の隠蔽」に必死である。
報道に依っては、被爆者は160名にも達している見込み。
私の胸の内は、衝撃と、哀しみと、喪失感と、罪悪感で一杯になっている。
被災した現地の総ての方々に、せめて「人間としての尊厳」を失う事無く、悲惨な事態に直面していながら、雄々しく立ち向かって欲しいと、心のうちなる思いを抱き続けて、自分が出来る些細な事を、確実に行って行ける様に、心を落ち着けなければならない、と思いを新たにしている。
ロワール河流域、『カンド・サン・マルタン』村の『サン・マルタン教会』
のステンド・グラスの一面
古代ローマのエリートであった、軍団長『マルティヌス』は、軍人に似ず心の優しい男であったという。
遠征中、路傍で寒さに震えている貧しい男をみたマルティヌスは、最高位の将軍のシンボルの『緋のマント』を剣で切り裂き、その男に与えたという。
その後、イエスの教えに感化されて、軍籍を離れ、『ガリア』の地(現在のフランス)にて布教に当たった。
未だ「キリスト教」が公認される前の時代。
トウールの町を拠点に、全ガリアに布教して、ガリアの民に被いに慕われていた「尊師」と仰がれていた。
トウールから数十キロ離れた、ロワール川にそった『カンド』村で布教中に没した。
カンドの人々は、聖者マルタン様が、「自分達の町でお亡くなりになられた」名誉から、当時としては壮麗な教会堂を建てた。
トウールの市民は、自分達の聖者様が他の町に奪われた悔しさから、有る夜「夜陰に乗じて」カンドの教会堂から「マルタン師」の遺体を盗み出し、トウールに宏大な教会を建ててその中に祀る。
死後早いうちに『聖人』に列せられて「サン(=セイント)」になった『サン・マルタン』を祀った教会には修道院が付設され、全ガリアから巡礼者が訪れて大々的に発展し、革命で破壊されるまで、ヨーロッパ有数の大修道院で有りました。
キリスト教徒でなくとも、私はステンド・グラスの名品をみる度に、心が洗われ精神が生まれ変わる様な気分に浸ります。
二日半、悲惨な災害に対して、私と同じく「やりきれない思い」の皆さん。
心に静けさを呼び、精神を鼓舞してくれる如き「光と色彩」の真実に、しばし哀しみを忘れて下さい。
明日、もっと力強く「被災者の方々」を勇気付けられる様に頑張れる為にも。
それにしても、日本人は素晴らしい。
これだけの大災害にも、社会秩序は安定が保たれて、全体に事がスムーズである。
日本以外のどんな国でも、こうは行かない。
絶対に。
日本人である事に、誇りを抱く。
被災した方々、あなた方は、決して独りぼっちでは有りません。
総ての日本人が、後ろについています。
世界の多くの国々が、日本の人々の為に祈っています。
いまだ、孤立している方々も多い様です。
頑張って下さい。
決して、挫けないで。
心から、同情と友情とを送ります。