我らが総理安倍晋三は、アメリカに忠義立てをして『AIIB』に参加を見送った。
巷では、自主性のなさとアメリカ追随の奴隷根性ぶりに、喧々諤々、非難轟々、罵詈讒謗、といった意見が飛び交ってケチョンケチョンである。
安倍晋三の存在にとっては、分相応の反応だろう。
それとは別の意味で、政府周辺と自民公明両与党以外で、日本全体の論調が「AIIBに参加するのが当然」という声一色なのが、やや気になるところではある。
なぜ、参加しろ、なのか?
具体的には、よくわからない。
かなり以前、カメルーン紹介記事で書いたと思うが、第三世界への中国の進出ぶりは、恐怖を覚えるほどである。
サバンナとジャングルとが交錯する西アフリカ大陸を走っていると、枯れた綿花畑があちこちで目に付いた。
せっかく綿の実が付いているのに摘み取るでもなく、枯れるに任せていた。
現地の同行者に聞いてみると「繊維産業が壊滅して、綿を生産しても二束三文でしか売れないのだ」と。
「中国産の安価な繊維製品が洪水のごとくに入り込んできて、地元の繊維工業が存続できなくなったのだ」と。
「原料としてのコットンを輸出できるほどの生産量も、販売体制も無いからだ」と。
たしかにアフリカにも多いイスラム教徒が頭に巻く「シッシュ(ターバン)」も、市場で売っているものは全部中国製であった。
しかるに、道路事業や架橋工事などを国営中国企業が落札し、作業員もすべて中国からやってきて(かなりの数の囚人が連れてこられているらしい)、現場の作用員はほとんど中国人が占めて、その彼らが家族を呼び寄せて町の人口のかなりの部分を中国人が占めるようになり、その彼らが中国本土から工作機械を持ち込んで、軽工業の事業を始めて、現地の工業のある部分を駆逐してしまった。
アルジェリアでは、高速道路工事の従事者が呼び寄せた家族が一大集落を形成し、製靴業を始めて、アルジェリアの靴工業が壊滅してしまった。
荒涼たるサバンナのここそこに突然中国語の看板が出現し、地下資源を掘り始めている。
彼ら中国人は、インフラ整備の支援資金の提供を持ちかけて国同士の契約を締結し、費用を安く設定して工事入札も獲得し、道路を作り橋をかけ、その資金援助の見返りとして「地下資源」の採掘権を手にしている。
イスラム諸国やアフリカ各国を訪問すると、市場を訪問することが観光の重要な要素になっている。
木の枝を4本立てて、キャンバスや布切れで囲って壁とし、屋根を掛けて作られている店舗が千軒も、それ以上も密集して、見たこともない不思議な食材を売っていたりして、エキゾチックでとても楽しい。
しかし、場所によっては市場見学を止められることが増えてきている。
「危ないから行くな。何をされるかわからないから。」
なぜかを聞いてみると「中国人と思われる」ということらしい。
左様さほどに、かの地で中国人は恨まれ、嫌われていることを実感できる。
カメルーンやベナンなど、アフリカ各国では出生率が高く、子供達が溢れかえっている。
小学校が足りなくて、午前と午後と二部制にしている。
カメルーンには、日本のODAで数百校の小学校が建てられたことで、日本人は感謝されており、彼らは日本人にはとても親近感を持っていた。
それなのに。
今や、東アジア人をみると「中国人」と思われてしまい、下手をすると石を投げられるかもしれないほどに、排斥されている様なのだ。
私は中南米のことは知らないが、状況は似た様なものだと思う。
鉱石採掘に現地人をタダ同然でこき使い、よく暴動が起こったり、国から経営権の取り消しを受けたり、というニュースを見かけた。
つまり、昨今の中国政府は、資源の確保、輸出先の確保のために大盤振る舞いで国家援助を行って、それを利用して国際舞台での「親中国派国家」の囲い込みを行って、国際社会での発言権を高める方針の遂行に余念がない。
結局、援助資金は多くの国では為政者たちの利益に消えて、一般国民の生活の向上に回されることは少なく、結果として国家間での中国の地位は高まるものの、国民レベルでの中国人の評判は地に落ちてしまっているのが現状である。
かくして、中国政府の第三世界への浸透がますます盛んになる過程で、近場である「アジア」への投資が後回しになっていたのかもしれない。
なにしろ公称13億人(無戸籍第二子以降何人いることか)の生み出す国の富は膨大である。
GDP世界第二の大国にのし上がった。
とはいえ、国内の格差は膨大で、そのために国民の不満は高まる一方という、以前から言われ続けてきた内政問題から目を背けるわけも行かず、いかな「新興の大金持ち」とはいえ、ばらまけるお金に限りがないとも思えない。
そこで。
これから金の卵を生んでくれる(かもしれない)第三世界への投資を優先させるためにも、近場であるアジアでの投資には「他人の褌」で相撲を取ろうと考えても、おかしくはあるまい。
なにしろ、中国の周辺であるアジア各国では、中国が諸手を挙げて歓迎できる国、とも言えない存在であることは、彼ら自身も判っている筈である。
事あれば、強引な「砲艦外交」で圧迫してしまうことは常套手段であるにしても、できれば「感謝され」ながら経済的に支配の手を突っ込んでいきたいのも、人情であるはずだ。
そのためには、中国単独でのイメージを薄め、中国単独で負担する荷重を減らせるならば、それこそ一石二鳥ではないだろうか。
ということで。
世界中から金を出させて、たくさんの他人の褌を集めておいて、アジア各地に「マーキング」できる「中国製開発投資銀行」は、実に都合のいい道具なのかもしれないと勘ぐってしまうのだ。
彼らがいかに否定しようと、中国は「覇権主義」の国である。
中国人の価値観を見ていると、国が『大国』『強国』であることが中国人本来の立場で、自分たちの存在を測る目盛りは、面積と人数だけだった昔の時代の屈辱感から、経済力、軍事力、技術力、などでの世界における優位性を実感する事を必要とする民族の様だから。
そして、中国が最強民族であることの証としての、中華人民共和国の世界有数のリーダーシップを発揮する上での、一番の邪魔者がアメリカ合衆国であったのだ。
そのアメリカの存在が、以前ほど盤石ではなくなりつつある現在の世界情勢は、近い将来アメリカに取って代わる国力と地位とを獲得するために手を打つ、今や絶好の環境にあるわけだ。
今すぐアメリカに取って代わることはできなくても、少なくてもアメリカとロシアと中国と、同等の立場での三極を形成することは、最優先事項なのだ。
その為なら出来るこ事すべてやって、誰が何を言おうと、気にもしない。
と、いうわけで、中国主導の開発投資銀行を立ち上げる。
蓋を開けたら、北米と北アフリカのアラブ諸国を除くアフリカ各国、以外のほとんどの国が参加を表明した。
中華人民共和国は得意満面。
第一義的には、世界中からかき集めた金で、アジア各地に開発投資を行い、その運営と実行を中国主導で行える。
そして二義的に、中国が世界に一つの潮流を起こす主導権を手にした。
中国の世界戦略の大成功になりそうな。
ところで。
安倍晋三の忠犬ハチ公ぶりの怪我の功名で、日本が参加しなかったことが、別になにか不利になるのかと考えれば、別に大したことではないんじゃないかという気がしてならないのだが。
経済素人の私の「庶民の触覚」に感じ取れる範囲で言えば、そこで何が行われるのかは、我々日本国民には敢えてどうでもいい。
日本銀行やら日本開発銀行やらが、数百億ドル(具体的には知らないが)もの外貨を出資するくらいなら、その分、年金を削ることを止め、高齢者や児童の福祉を削ることをやめてくれ、と言いたいのです。
一部の大企業(どうせゼネコンやら機械メーカーだったり電力事業者など、国内GDPに占める割合が少ない)の儲けのために、血税を使うな(!)ということなのですよ、私が言いたい事は。
しかし冷静に考えてみると、アメリカの参加がないことを確認して参加を見送った日本政府、なかんずく安倍晋三の評価がこれで米国内で高まったかといえば、そんなことはなさそうだ。
米紙によると「日本の不参加は米国への忠誠を示し、尖閣問題に米国を味方につける為」と、とっくに見抜かれております。
バカにされることはあれど、尊敬されることも信頼を勝ち取ることも無かったと、断言しても良いくらいのものだ。
それにひきかえ、韓国のコウモリ外交は、逆にアメリカに(良かれ悪しかれ)一目置かせることに成功したと言って良いのではなかろうか。
つまり、韓国は最終的な局面では「自分たちの利益」を優先すると、アメリカに盲目的に従順な奴隷ではないと、再認識させたことは否めないのだ。
アメリカが怒り狂おうと、失望しようと、米国と「対等」に扱わなければならない存在だ、と認識させたのではなかろうか。
そうだとすれば、中国とアメリカとの狭間でフラフラしている韓国、などと馬鹿にすることは、逆に日本の政府の奴隷根性を際立たせただけで、なんの得にもならない。
NHK(敢えて犬HK)の首都スペシャル「戦後70年の証人の声」を伝える番組があった。
実際に終戦を経験している日本の各界の人々に、戦争体験と終戦に当たって感じた事を、語り継いで行こうという構成は、「今この政治情勢の中で」しかも犬と罵倒される「みなさまの」国営放送が、あの様な番組を作って放送したことに、局内の何らかの意識を感じるに至った。
好意的に受け止めることができる番組であったが、特筆すべきは、その登場した生き証人の誰しもが、アメリカへの恨みつらみを語らない、ということだ。
東京大空襲で地獄を体験し、無数の怪我人を救えなかった無念を語る老医師も、一般市民を殺戮した大空襲自体に、批判的言辞は一言も口にしなかった。
日本で「少女漫画」の草分けと言われる女性漫画家も、「戦時中に色彩を奪われた」「終戦で一気に色彩が戻った」と語り、「色彩(精神的な意味だと受け止めたが)を奪われた時代を再び繰り返さないために、カラフルな漫画を描くことに集中した」と語った。
つまり、戦争を体験した日本人の誰もが「戦争中」のあまりの不条理にうんざりしてしまったが故に、あまりに悲惨な体験を強いられたが故に、終戦を歓迎し、平和の復活を喜び、その後やや落ち着いてから「戦争を引き起こした」反省かから、再び悲劇を繰り返さないように、と自らの生きる姿勢を規定したのだ。
ヒロシマの原爆忌で「安らかに眠ってください、過ちは二度と繰り返しません」と追悼する。
他の国なら「反原爆、反人道的アメリカ」の大合唱になるべきところ。
「過ちは繰り返させません」というところ。
日本人は、戦争を強いた軍部、つまり日本人自身を、反省の軸に据えるのだ。
そこには、戦争という悲惨な体験を国民に強制した「戦争指導者」への弾劾や、ましては多くの無辜の国民を虐殺した原子爆弾の投下や東京・大阪・神戸・横浜川崎・名古屋・福岡・仙台等への大空襲を行ったアメリカという国家への批判は、全くない。
それどころか、大半の日本人はアメリカが大好きなのだ。
あまりにも悲惨な時代が過ぎ、呆然として虚脱状態の中にあって、「鬼畜」と教わっていた米兵と接し恐怖を覚えながらも、チョコレートを手渡されたことの嬉しさが、飢えていた甘いものを与えられて平和を実感し、急速に敵対心や恨みごころが消滅してしまったのだろうか。
その後のGHQによる戦後政策の中で、日本の戦後教育の基本構造が形成されていった過程で、親米感情が植えつけられていったと言うところなのだろうか。
しかし。
人類史上、敗者が「占領軍」にニコニコして協力したという事実は、おそらく第二次世界大戦後の日本だけなのではあるまいか。
戦前の家父長制度のごとくに、アメリカを親とも師とも仰ぐ官僚たちが、アメリカの後ろ盾の元に存在と権限とを強化して、今日までの「官僚支配の集団独裁体制」を築きあげていった。
政治家は、官僚にアイデアを頼り、国家運営のグランドラインを作らせ、官僚のブリーフィングで政策を決定し、官僚の作文で与野党の国会質疑がなされて法律が出来上がり、官僚のどんぶり勘定の査定で予算案が作られ、官僚のブリーフィングでそれを国会審議にかけ、官僚が配分した予算を官僚が使って、官僚の基盤である省庁の利益を拡充し、官僚が天下る公益法人、特殊法人で予算を中抜きし、残った予算をどんぶり勘定で大企業に振り、下請け、孫受け、ひ孫受けで予算を食い散らかして、我が国は今日まで歩んできた。
そんな中で、米国とのパイプ(米国からの上位下達用)で米国の「対AIIB姿勢」を忖度して、不参加を決めた日本政府に批判される筋合い等、無いであろう。
地球儀外交やら、中国封じ込めダイヤモンドラインやら、白昼夢に酔いながら好き勝手をやっている安倍晋三内閣総理大臣は、しかしDNAでは反米なのだ。
お祖父様の、死刑を免れるために米国のスパイにならざるを得なかった屈辱を、僕が晴らします…。
そんな彼の本質を見抜いている米国政府にとって、小賢しい忠犬ぶりなど、嬉しくも可笑しくもない事を、果たしてわかっているのかいないのか。
ただ、そのような我々庶民にはどうでも良い事は別として、今回「アジア開発投資銀行」に参加しなかったこと自体、私は別にそれでも良いのではないかと、思ってしまうのですよ。
せっかく中国主導の国際的枠組みに「参加できる」チャンスを棒に振って、と習近平は嗤っているに違いない。
しかし、参加したからと言って「限度額なしのATM」の使用者が、アメリカから中国に変わるだけのことなのではないか。
所詮、日本が中国主導の国際組織の中で、リーダーシップを発揮して何かができる訳も無い。
それならば。
しばらくは、静観しててもよかろう。
いざとなったら、『アジア開発銀銀行』という、強い味方があるではないか(苦笑)
巷では、自主性のなさとアメリカ追随の奴隷根性ぶりに、喧々諤々、非難轟々、罵詈讒謗、といった意見が飛び交ってケチョンケチョンである。
安倍晋三の存在にとっては、分相応の反応だろう。
それとは別の意味で、政府周辺と自民公明両与党以外で、日本全体の論調が「AIIBに参加するのが当然」という声一色なのが、やや気になるところではある。
なぜ、参加しろ、なのか?
具体的には、よくわからない。
かなり以前、カメルーン紹介記事で書いたと思うが、第三世界への中国の進出ぶりは、恐怖を覚えるほどである。
サバンナとジャングルとが交錯する西アフリカ大陸を走っていると、枯れた綿花畑があちこちで目に付いた。
せっかく綿の実が付いているのに摘み取るでもなく、枯れるに任せていた。
現地の同行者に聞いてみると「繊維産業が壊滅して、綿を生産しても二束三文でしか売れないのだ」と。
「中国産の安価な繊維製品が洪水のごとくに入り込んできて、地元の繊維工業が存続できなくなったのだ」と。
「原料としてのコットンを輸出できるほどの生産量も、販売体制も無いからだ」と。
たしかにアフリカにも多いイスラム教徒が頭に巻く「シッシュ(ターバン)」も、市場で売っているものは全部中国製であった。
しかるに、道路事業や架橋工事などを国営中国企業が落札し、作業員もすべて中国からやってきて(かなりの数の囚人が連れてこられているらしい)、現場の作用員はほとんど中国人が占めて、その彼らが家族を呼び寄せて町の人口のかなりの部分を中国人が占めるようになり、その彼らが中国本土から工作機械を持ち込んで、軽工業の事業を始めて、現地の工業のある部分を駆逐してしまった。
アルジェリアでは、高速道路工事の従事者が呼び寄せた家族が一大集落を形成し、製靴業を始めて、アルジェリアの靴工業が壊滅してしまった。
荒涼たるサバンナのここそこに突然中国語の看板が出現し、地下資源を掘り始めている。
彼ら中国人は、インフラ整備の支援資金の提供を持ちかけて国同士の契約を締結し、費用を安く設定して工事入札も獲得し、道路を作り橋をかけ、その資金援助の見返りとして「地下資源」の採掘権を手にしている。
イスラム諸国やアフリカ各国を訪問すると、市場を訪問することが観光の重要な要素になっている。
木の枝を4本立てて、キャンバスや布切れで囲って壁とし、屋根を掛けて作られている店舗が千軒も、それ以上も密集して、見たこともない不思議な食材を売っていたりして、エキゾチックでとても楽しい。
しかし、場所によっては市場見学を止められることが増えてきている。
「危ないから行くな。何をされるかわからないから。」
なぜかを聞いてみると「中国人と思われる」ということらしい。
左様さほどに、かの地で中国人は恨まれ、嫌われていることを実感できる。
カメルーンやベナンなど、アフリカ各国では出生率が高く、子供達が溢れかえっている。
小学校が足りなくて、午前と午後と二部制にしている。
カメルーンには、日本のODAで数百校の小学校が建てられたことで、日本人は感謝されており、彼らは日本人にはとても親近感を持っていた。
それなのに。
今や、東アジア人をみると「中国人」と思われてしまい、下手をすると石を投げられるかもしれないほどに、排斥されている様なのだ。
私は中南米のことは知らないが、状況は似た様なものだと思う。
鉱石採掘に現地人をタダ同然でこき使い、よく暴動が起こったり、国から経営権の取り消しを受けたり、というニュースを見かけた。
つまり、昨今の中国政府は、資源の確保、輸出先の確保のために大盤振る舞いで国家援助を行って、それを利用して国際舞台での「親中国派国家」の囲い込みを行って、国際社会での発言権を高める方針の遂行に余念がない。
結局、援助資金は多くの国では為政者たちの利益に消えて、一般国民の生活の向上に回されることは少なく、結果として国家間での中国の地位は高まるものの、国民レベルでの中国人の評判は地に落ちてしまっているのが現状である。
かくして、中国政府の第三世界への浸透がますます盛んになる過程で、近場である「アジア」への投資が後回しになっていたのかもしれない。
なにしろ公称13億人(無戸籍第二子以降何人いることか)の生み出す国の富は膨大である。
GDP世界第二の大国にのし上がった。
とはいえ、国内の格差は膨大で、そのために国民の不満は高まる一方という、以前から言われ続けてきた内政問題から目を背けるわけも行かず、いかな「新興の大金持ち」とはいえ、ばらまけるお金に限りがないとも思えない。
そこで。
これから金の卵を生んでくれる(かもしれない)第三世界への投資を優先させるためにも、近場であるアジアでの投資には「他人の褌」で相撲を取ろうと考えても、おかしくはあるまい。
なにしろ、中国の周辺であるアジア各国では、中国が諸手を挙げて歓迎できる国、とも言えない存在であることは、彼ら自身も判っている筈である。
事あれば、強引な「砲艦外交」で圧迫してしまうことは常套手段であるにしても、できれば「感謝され」ながら経済的に支配の手を突っ込んでいきたいのも、人情であるはずだ。
そのためには、中国単独でのイメージを薄め、中国単独で負担する荷重を減らせるならば、それこそ一石二鳥ではないだろうか。
ということで。
世界中から金を出させて、たくさんの他人の褌を集めておいて、アジア各地に「マーキング」できる「中国製開発投資銀行」は、実に都合のいい道具なのかもしれないと勘ぐってしまうのだ。
彼らがいかに否定しようと、中国は「覇権主義」の国である。
中国人の価値観を見ていると、国が『大国』『強国』であることが中国人本来の立場で、自分たちの存在を測る目盛りは、面積と人数だけだった昔の時代の屈辱感から、経済力、軍事力、技術力、などでの世界における優位性を実感する事を必要とする民族の様だから。
そして、中国が最強民族であることの証としての、中華人民共和国の世界有数のリーダーシップを発揮する上での、一番の邪魔者がアメリカ合衆国であったのだ。
そのアメリカの存在が、以前ほど盤石ではなくなりつつある現在の世界情勢は、近い将来アメリカに取って代わる国力と地位とを獲得するために手を打つ、今や絶好の環境にあるわけだ。
今すぐアメリカに取って代わることはできなくても、少なくてもアメリカとロシアと中国と、同等の立場での三極を形成することは、最優先事項なのだ。
その為なら出来るこ事すべてやって、誰が何を言おうと、気にもしない。
と、いうわけで、中国主導の開発投資銀行を立ち上げる。
蓋を開けたら、北米と北アフリカのアラブ諸国を除くアフリカ各国、以外のほとんどの国が参加を表明した。
中華人民共和国は得意満面。
第一義的には、世界中からかき集めた金で、アジア各地に開発投資を行い、その運営と実行を中国主導で行える。
そして二義的に、中国が世界に一つの潮流を起こす主導権を手にした。
中国の世界戦略の大成功になりそうな。
ところで。
安倍晋三の忠犬ハチ公ぶりの怪我の功名で、日本が参加しなかったことが、別になにか不利になるのかと考えれば、別に大したことではないんじゃないかという気がしてならないのだが。
経済素人の私の「庶民の触覚」に感じ取れる範囲で言えば、そこで何が行われるのかは、我々日本国民には敢えてどうでもいい。
日本銀行やら日本開発銀行やらが、数百億ドル(具体的には知らないが)もの外貨を出資するくらいなら、その分、年金を削ることを止め、高齢者や児童の福祉を削ることをやめてくれ、と言いたいのです。
一部の大企業(どうせゼネコンやら機械メーカーだったり電力事業者など、国内GDPに占める割合が少ない)の儲けのために、血税を使うな(!)ということなのですよ、私が言いたい事は。
しかし冷静に考えてみると、アメリカの参加がないことを確認して参加を見送った日本政府、なかんずく安倍晋三の評価がこれで米国内で高まったかといえば、そんなことはなさそうだ。
米紙によると「日本の不参加は米国への忠誠を示し、尖閣問題に米国を味方につける為」と、とっくに見抜かれております。
バカにされることはあれど、尊敬されることも信頼を勝ち取ることも無かったと、断言しても良いくらいのものだ。
それにひきかえ、韓国のコウモリ外交は、逆にアメリカに(良かれ悪しかれ)一目置かせることに成功したと言って良いのではなかろうか。
つまり、韓国は最終的な局面では「自分たちの利益」を優先すると、アメリカに盲目的に従順な奴隷ではないと、再認識させたことは否めないのだ。
アメリカが怒り狂おうと、失望しようと、米国と「対等」に扱わなければならない存在だ、と認識させたのではなかろうか。
そうだとすれば、中国とアメリカとの狭間でフラフラしている韓国、などと馬鹿にすることは、逆に日本の政府の奴隷根性を際立たせただけで、なんの得にもならない。
NHK(敢えて犬HK)の首都スペシャル「戦後70年の証人の声」を伝える番組があった。
実際に終戦を経験している日本の各界の人々に、戦争体験と終戦に当たって感じた事を、語り継いで行こうという構成は、「今この政治情勢の中で」しかも犬と罵倒される「みなさまの」国営放送が、あの様な番組を作って放送したことに、局内の何らかの意識を感じるに至った。
好意的に受け止めることができる番組であったが、特筆すべきは、その登場した生き証人の誰しもが、アメリカへの恨みつらみを語らない、ということだ。
東京大空襲で地獄を体験し、無数の怪我人を救えなかった無念を語る老医師も、一般市民を殺戮した大空襲自体に、批判的言辞は一言も口にしなかった。
日本で「少女漫画」の草分けと言われる女性漫画家も、「戦時中に色彩を奪われた」「終戦で一気に色彩が戻った」と語り、「色彩(精神的な意味だと受け止めたが)を奪われた時代を再び繰り返さないために、カラフルな漫画を描くことに集中した」と語った。
つまり、戦争を体験した日本人の誰もが「戦争中」のあまりの不条理にうんざりしてしまったが故に、あまりに悲惨な体験を強いられたが故に、終戦を歓迎し、平和の復活を喜び、その後やや落ち着いてから「戦争を引き起こした」反省かから、再び悲劇を繰り返さないように、と自らの生きる姿勢を規定したのだ。
ヒロシマの原爆忌で「安らかに眠ってください、過ちは二度と繰り返しません」と追悼する。
他の国なら「反原爆、反人道的アメリカ」の大合唱になるべきところ。
「過ちは繰り返させません」というところ。
日本人は、戦争を強いた軍部、つまり日本人自身を、反省の軸に据えるのだ。
そこには、戦争という悲惨な体験を国民に強制した「戦争指導者」への弾劾や、ましては多くの無辜の国民を虐殺した原子爆弾の投下や東京・大阪・神戸・横浜川崎・名古屋・福岡・仙台等への大空襲を行ったアメリカという国家への批判は、全くない。
それどころか、大半の日本人はアメリカが大好きなのだ。
あまりにも悲惨な時代が過ぎ、呆然として虚脱状態の中にあって、「鬼畜」と教わっていた米兵と接し恐怖を覚えながらも、チョコレートを手渡されたことの嬉しさが、飢えていた甘いものを与えられて平和を実感し、急速に敵対心や恨みごころが消滅してしまったのだろうか。
その後のGHQによる戦後政策の中で、日本の戦後教育の基本構造が形成されていった過程で、親米感情が植えつけられていったと言うところなのだろうか。
しかし。
人類史上、敗者が「占領軍」にニコニコして協力したという事実は、おそらく第二次世界大戦後の日本だけなのではあるまいか。
戦前の家父長制度のごとくに、アメリカを親とも師とも仰ぐ官僚たちが、アメリカの後ろ盾の元に存在と権限とを強化して、今日までの「官僚支配の集団独裁体制」を築きあげていった。
政治家は、官僚にアイデアを頼り、国家運営のグランドラインを作らせ、官僚のブリーフィングで政策を決定し、官僚の作文で与野党の国会質疑がなされて法律が出来上がり、官僚のどんぶり勘定の査定で予算案が作られ、官僚のブリーフィングでそれを国会審議にかけ、官僚が配分した予算を官僚が使って、官僚の基盤である省庁の利益を拡充し、官僚が天下る公益法人、特殊法人で予算を中抜きし、残った予算をどんぶり勘定で大企業に振り、下請け、孫受け、ひ孫受けで予算を食い散らかして、我が国は今日まで歩んできた。
そんな中で、米国とのパイプ(米国からの上位下達用)で米国の「対AIIB姿勢」を忖度して、不参加を決めた日本政府に批判される筋合い等、無いであろう。
地球儀外交やら、中国封じ込めダイヤモンドラインやら、白昼夢に酔いながら好き勝手をやっている安倍晋三内閣総理大臣は、しかしDNAでは反米なのだ。
お祖父様の、死刑を免れるために米国のスパイにならざるを得なかった屈辱を、僕が晴らします…。
そんな彼の本質を見抜いている米国政府にとって、小賢しい忠犬ぶりなど、嬉しくも可笑しくもない事を、果たしてわかっているのかいないのか。
ただ、そのような我々庶民にはどうでも良い事は別として、今回「アジア開発投資銀行」に参加しなかったこと自体、私は別にそれでも良いのではないかと、思ってしまうのですよ。
せっかく中国主導の国際的枠組みに「参加できる」チャンスを棒に振って、と習近平は嗤っているに違いない。
しかし、参加したからと言って「限度額なしのATM」の使用者が、アメリカから中国に変わるだけのことなのではないか。
所詮、日本が中国主導の国際組織の中で、リーダーシップを発揮して何かができる訳も無い。
それならば。
しばらくは、静観しててもよかろう。
いざとなったら、『アジア開発銀銀行』という、強い味方があるではないか(苦笑)