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日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

『母と子のこころの相談室―"関係"を育てる心理臨床』 田中千穂子(著)

2007年04月17日 | Book



臨床心理士の田中千穂子さんが1993年に出した『母と子のこころの相談室―"関係"を育てる心理臨床』を読みました。7年後の2001年に第2刷が出ているので、少しずつ静かに読み継がれている本なのでしょう。

“心の専門家”が本を書くのは、じつはとても難しいのだと思います。“心”について語ることは、「自分は人間についていくらかのことを知っている」と言うことです。“心のメカニズム”は、それを学ぶまではなかなか気づくことができません。しかし、いったんその専門の世界に触れると、何かすべてを分かったような気にさせてくれます。他の分野の学問がそれぞれの個別領域だけを扱っていると自己限定しているのに対し、心理学は人の“こころ”の動きを扱うので、人間の根幹を理解したような錯覚に陥らせます。それゆえに私たち素人は、心理学をかじることで、他人より自分が優位に立ったような気にさせられます。

おそらく、心理学の“専門家”(たんにお金を得ているという意味ではなく)になれるかどうかは、身につけるべき知識を知った上で、なおかつ目の前の人の心理状態・雰囲気に対して真っさらな気持ちで向き合うだけのニュートラルな態度をもてるかどうかにかかっているのだと思います。

精神科医の神田橋條治さんは『精神療法面接のコツ』の中で、“医原症”という考えを提出しています。心理学などの氾濫で内省に耽り過ぎ、言葉の多さで余計に考えが混乱することです。また精神科医の中井久夫さんは、相手の心の動きを「見破る」のは、自慢すべきことでもなんでもないと語っています。

そうではなく、人の心は方程式に沿っているのではなく、その時・場に応じて絶えず変化しながら流れていること。その流れをつかむには、知識を持ち合わせながら、安易に相手の心理状態を自分の知識にあわせるのではなく、その時にだけ患者がもっている心理状態を察するだけの注意力が必要なのだと思います。

心理学の知識を持ちながら、つねに目の前の人の生身性に接しようとする態度、田中さんの本から感じることができるのは、そういう著者の謙虚でニュートラルな態度です。

田中さんは後に出された『ひきこもりの家族関係』の中で、現在の親の世代が子供の気持ち・感情に配慮することができず、つねに表面的な計算(具体的には経済的・家計的思考)だけで考え、子供をレールに上手く乗せようとコントロールすることを指摘しました。言わば神経症世代です。

それに対して現在の10代・20代(そしておそらく30代も)などの世代は、その親たちが失った感情を必死に取り戻そうとしている世代だということです。それゆえに、親たちがつねに子供に計算・行動を要求するのに対し、子供たちは計算・行動よりも、親の要求から自分の身を守り、自分の感情を尊重しようとします。その尊重の仕方が本当にベストの方法かどうかは分かりませんが、とにかく彼らはそうすることでしか、つねに行動を要求する親から自分の感情を守ることはできない、と思うほどにまで追い込まれています。

このように田中さんは、思春期の子供たちの診療にあたるときは、つねにその両親の心理的問題を考慮するのですが、その姿勢は1993年に出された本書の時から、と言うよりもそれ以前から一貫していたことがわかります。

つまり、子供の心の問題にはつねに親の側の焦り・無視などが絡んでいること。これは、単純に言えば「親が悪い」となってしまいますが、療法家にとっては誰が悪いかは重要ではなく、ただ子供の心の問題を見ていく上では、親御さんの心理的問題を同時に見ていく場合が有効なことを意味しています。

もちろん実際の治療過程では、相手を傷つけないようにする必要があるので、親に対して「あなたに原因があります」などとは決して言えません。また一人の療法家が親と子を同じ期間に面接することは、どちらか一方に感情移入してしまうともう一方を見捨てるという危険性を孕んでいます。

ですから実際の診療はケースバイケースで方法が選択されるのだと思いますが、ともかく両親の問題を見ていくことで、親と子の関係をより深く見ることになり、心の問題を関係性の問題として扱えることことができることを著者は指摘していきます。

この本は、悩んでいる人に安易な処方箋(「こうすれば上手く行く」のような)を提供するような本ではありません。著者の臨床の体験(おそらくプライバシーの保護のためにクライアントについての描写は脚色はされているでしょうが)を綴りながら、その時々に気づいたことを著者がメモしているという風情です。そのスタイルは、流行の心理学書とは正反対のものです。むしろこの本は、臨床家の著者の試行錯誤をそのまま語っています。

私はぱっぱっぱっと処方箋を提示するような心理学の本も読むし、そのなかに好きなものもあります。ただそういう本に比べると、著者のこの本は、より深刻に悩んでいる人に向けて書かれているのだと思います。

もうどこにも希望を見出せず、他人の安易なアドバイスを聴くことができない状態に陥った人を助けるにはどうすればいいでしょうか?それにはまず、「自分は答えを知っているよ」という態度を出さず、その人の話を聴いて、その人のこれからと私は付き合っていきますという覚悟を決めることでしょう。安易な答えは無いのだから、あなたと一緒に私は考えていきます、と決めることです。もちろんそこで治療者自身もクライアントの前で深刻に悩んでしまっては、クライアントは余計に絶望するでしょう。穏やかな楽観性で相手の気持ちを包みながら、同時に「自分は何でも知っている」という態度をもたないことです。

この書が提示している知識が学界の中でどういう重みをもつのか私には分かりませんが、著者が、クライアントと共に悩み、その人の傷の深さを感じることができ、同時に彼女または彼を利他的な親愛の情で包むことができる人であるように、読んでいて感じます。

2007年04月17日 | 日記



今年の桜の季節は、あまりいい天気が続かなかったかなぁという印象があります。曇りの日が多かった。でもこの季節は毎年天気の移り変わりが激しいから、こんなものかな。