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日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

to+動詞の原形の謎

2007年05月18日 | 語学
英語の to+不定詞 と、~ing との違いを、大西泰斗さんは次のように説明しています。

I like playing with my kids.
I like to play with my kids.

日本語に訳せば、どちらも「子供と遊ぶのが好きだ」になります。

しかし、playing with my kids は、まさに生き生きと子供と遊んでいる姿を思い浮かべるときに使う言葉なのです。~ingとは、「進行形」ですが、この「進行形」は、まさに今その場所で動作が行われている臨場感を表現します。

たとえばbe動詞 + ~ing とは、be動詞という「事実」を表す動詞と、~ingという「ワシャワシャワシャ」とした臨場感のある動きのある表現を結びつけて成り立っています。

I like playing with my kids.

は、そのように子供と遊んでいる情景をリアルに思い浮かべるときに使う表現だといえます。

それに対して

I like to play with my kids.

のto play with my kids には、大西さんに拠れば、playing~のような臨場感を話者は感じていません。

to+不定詞 は、もっと無気質な、具体的な情景とは結びつかない、「一般論」というニュアンスを帯びています。「そもそも子供と遊ぶこと」というニュアンスです。

このようにplaying with my kidsもto play with my kidsも、どちらも訳は同じなのですが、では何が違うかというと、その言葉を使っているときの話し手の感覚に違いがあると言えます。

これが大西さんの説明なのですが、最近私はある方が書いた文法書で次のような説明をみかけました。その方の説明によれば、

to+不定詞と~ingとの違いは、to+不定詞の場合、それは「未来」に行われることを表現しようとしているのに対し、~ingは自分が経験したことのあることを表現している、ということです。例えば

It's very hard to cook it.
Cooking is very hard.

これも、日本語訳は同じになります。しかし、その方の説明によれば、

「to+動詞の原形」は、主語のときは「これから~するとすれば」を意味する。

「動詞ing」は、「これまでやってきた動作」と「これまでやってきた動作をこれからも~すれば」を意味する。

とのことです。

この説明を読んだとき、私は「おお、そうかぁ!」と思いました。

大西さんの説明も分かりやすいのですが、もう一人の方の説明を読んだとき、私はingとto動詞原形との違いがより分かった気がしました。

上の説明では、「主語のときは」という限定がついていますが、主語以外のとき、例えば「主語みずからが動いて~する」「~して~する」を意味する動詞で「動詞+to不定詞」の形を取る場合も、to不定詞は、「これから~する」という意味を表現します。例えば

Please remember posting the letter.

上の文章では、「手紙を出したことを覚えていて」となるのに対し、

Plaese remember to post the letter.

では、「手紙を出すことを覚えていて」となります。

別の例としては、

I stopped eating hamburger.

は「ハンバーガーを食べるのをやめた」となるのに対し、

I stopped to eat hamburger.

は「ハンバーガーを食べるために、立ち止まった」となります。

ここでも、動詞ingが、「それまで行っていて、それ以降も続くであろう動作」を表現しているのに対し、to動詞の原形は、「これから行うこと」を表現しているのです。


しかし大西泰斗さんは、『英文法をこわす』の中で次のようにおっしゃっています。「しばしば「toは未来志向である」という主張が見られる。…しかしこの議論はいささか乱暴だ」と。

例えば 

I want to go to the zoo.

のto goを「未来の出来事」と呼ぶことはできます。しかしこれがそう見えるのは、wantの「~したい」という意味自体が、未来を指し示すからであって、to goそれ自体に「未来」の意味があるわけではないとのこと。

例えば上に上げたもう一人の文法書を書いている方は、先ほど述べたように、「自動詞+to不定詞」は「~して、これから~する」という「未来」の意味を表現すると説明されています。

例えば、come, go, run, swim, walk, forget, remember, climb, start, stopなどにto不定詞が続いた場合ですね。その場合に「~して、これから~する」の意味が出てくるのは、二つの動詞をtoで関連させることによって、その二つの動詞の因果関係をハッキリさせているためです。

I remember to see you.
Dont't forget to do homewok.
He is running to catch the train.
She starts to date with him.

どれもto不定詞は「未来」を表現しています。ただ、これらが「未来」を表現するのは、come, go, run, swim, walk, forget, remember, climb, start, stopなどの動詞が自動詞として最初に主語の動作を表現しており、to不定詞はその最初の動作を主語に行わしめている原因を表したり、あるいはその動作を補足して説明する機能を担っているからです。

何を言いたいのか、読んでいる人は分かりにくいと思うのですが(書いている私も分からなくなってきた)、私には、大西さんの言い分は正しいように思えるし、もう一人の方の言っていることも正しいのだと最初は思いました。

ただ、大西さんが、to不定詞の機能一般を説明しようとしているのに対し、もう一人の方は、to不定詞が主語になる場合、あるいは「自動詞+to不定詞」の場合のto 不定詞の機能を説明されようとしています。

大西さんが言うように、

He is easy to please.
It is kind of you to take care of us.
I was shocked to hear the news.

などの表現では、to不定詞は「未来」を表しているは言えません。

あっ、It is kind of you to take care of us.では、to以下の文章は主語だけれど、to以下は「未来」というよりも、過去に行われた事実を表現しているな。

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