淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「今あるこの場所から脱け出したい、そんな事ばかり考えて生きて来たような気がするなあ」

2011年11月20日 | Weblog
 ちょうど昼近く。
 スポーツジムでバイクに跨(またが)り、備え付けのテレビを観ながら汗を掻いていたら、ちょうどTBS系で「アッコにおまかせ!」がオンエアされていた。

 北朝鮮で行われたサッカーの試合に同行したTBSスタッフらの北朝鮮リポートのような特集をしていて、和田アキ子を含めたレギュラー陣がいつもの突っ込みを入れている。

 びっくりしたのが、同行スタッフらのちょっと有り得ない証言。
 スタッフの一人がホテルの個室でトイレを汚してしまった。
 疲れていたのでそのまま寝てしまい、朝になってトイレを綺麗にしようと入ったら、な、なんと、綺麗に拭き掃除が済んでいたのだとか。
 いったい、いつ誰が、部屋の中に入って掃除したんだろう?

 また、もう一つの証言。
 これまたスタッフの一人が夜、日本に電話を掛けて、「北朝鮮は寒い」というような事を漏らしたのだとか。
 そしてそのまま一人ベッドで眠りに落ち、次の日目覚めたら、な、なんと、ベッドの横にそれまでなかった厚手の毛布が掛かっていたらしい・・・。
 などというような話をヘッドホンで聞きながら、一時間ほど身体を虐める。
 だから、それが何なのと言われても、ほかに意味なんて特にないんだけど・・・。

 2日間続けてスポーツジムで汗を流したことに。
 今朝、改めてタイヤ交換を済ませたので、もういつ雪が降っても大丈夫だ。
 さっきは晴れ間も覗いていたのに、外に出ると昨日と同じように冷たい雨が降っている。

 雨を眺めていると、先日名古屋で観た映画、「恋の罪」のことをまた思い出してしまう。
 まだあの映画のことが頭から離れずにずっと残っている。
 凄い映画だった、「恋の罪」。
 雨のシーンが印象的だ。
 でも何故「恋」なのだろうと、不思議に思っていた。これほどまでに深遠で、鋭い刃物のような切れ味のする愛の世界を描いているのに、「恋」ってちょっと軽くない?

 謎が解けた。
 園子温監督のインタビューを読んで納得した。
 タイトル「恋の罪」は、園子温監督の実体験に基づくものらしい。
 当時付き合っていた彼女から、別れ話を切り出された際に言われた事なのだとか。

 『あなたのは愛だったけれど、新しい彼とは恋なの』と。
 『愕然としましたね。だから、愛の罪じゃなくて恋の罪。英語で言えば、僕とはラブで、新しい男がロマンスだということです。「恋の罪」というタイトルそのものは、マルキ・ド・サドの小説をそのままもらっているんですけど、彼が描いた罪はギルティではなくクライム、本当の犯罪の意味の罪だった。それを僕は、ギルティ=罪悪感というものにしたんです』。
 そういうことらしい。

 ああ、それにしても、こうして次々と才能溢れる人間たちが世の中に出て来るんだなあ。
 みんな、ちゃんと自分のスキルを磨き上げ、やりたいことだけに集中している。
 怠けたり、日々の暮らしに溺れている人間たちは結局陽の目を浴びずに、何の才能も見出せないまま終わってゆくのだろう。

 最後は、少しだけの運と、常日頃からの精進と、磨かれた才能を発揮した人間のみが表現者として生き残る。
 毎日ぐだぐだ生き続け、生活を維持させるために心を売り飛ばし、「疲れたから明日にしよう」なとどほざく人間に明日などない(って、俺のことだけどさ)。

 今あるこの場所から脱け出したい、今ある生活から抜け出したい、そんな事ばかり考えて生きて来たような気がする。
 でもそれって、単なる言い訳に過ぎないし、本気で脱出しようと試みたのかと問われれば、ぐうの音も出ない。

 俺は今いるこの場所が、本当は気持ちいいのだ。居心地がいいのである。
 出たくないのだ。だから、抜け出したくないのである。

 こうして今日もまた終わる。
 もうすぐ12月だぜ。師走だぜ。どうすんの? またこうして新しい年を迎えんの?

 今年も俺は何もしなかった。
 「仕事が忙しい」、ただそれだけを言い訳に、俺は一編の小説を仕上げることさえ出来なかった・・・。

 ああ。






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