ちょうど昼近く。
スポーツジムでバイクに跨(またが)り、備え付けのテレビを観ながら汗を掻いていたら、ちょうどTBS系で「アッコにおまかせ!」がオンエアされていた。
北朝鮮で行われたサッカーの試合に同行したTBSスタッフらの北朝鮮リポートのような特集をしていて、和田アキ子を含めたレギュラー陣がいつもの突っ込みを入れている。
びっくりしたのが、同行スタッフらのちょっと有り得ない証言。
スタッフの一人がホテルの個室でトイレを汚してしまった。
疲れていたのでそのまま寝てしまい、朝になってトイレを綺麗にしようと入ったら、な、なんと、綺麗に拭き掃除が済んでいたのだとか。
いったい、いつ誰が、部屋の中に入って掃除したんだろう?
また、もう一つの証言。
これまたスタッフの一人が夜、日本に電話を掛けて、「北朝鮮は寒い」というような事を漏らしたのだとか。
そしてそのまま一人ベッドで眠りに落ち、次の日目覚めたら、な、なんと、ベッドの横にそれまでなかった厚手の毛布が掛かっていたらしい・・・。
などというような話をヘッドホンで聞きながら、一時間ほど身体を虐める。
だから、それが何なのと言われても、ほかに意味なんて特にないんだけど・・・。
2日間続けてスポーツジムで汗を流したことに。
今朝、改めてタイヤ交換を済ませたので、もういつ雪が降っても大丈夫だ。
さっきは晴れ間も覗いていたのに、外に出ると昨日と同じように冷たい雨が降っている。
雨を眺めていると、先日名古屋で観た映画、「恋の罪」のことをまた思い出してしまう。
まだあの映画のことが頭から離れずにずっと残っている。
凄い映画だった、「恋の罪」。
雨のシーンが印象的だ。
でも何故「恋」なのだろうと、不思議に思っていた。これほどまでに深遠で、鋭い刃物のような切れ味のする愛の世界を描いているのに、「恋」ってちょっと軽くない?
謎が解けた。
園子温監督のインタビューを読んで納得した。
タイトル「恋の罪」は、園子温監督の実体験に基づくものらしい。
当時付き合っていた彼女から、別れ話を切り出された際に言われた事なのだとか。
『あなたのは愛だったけれど、新しい彼とは恋なの』と。
『愕然としましたね。だから、愛の罪じゃなくて恋の罪。英語で言えば、僕とはラブで、新しい男がロマンスだということです。「恋の罪」というタイトルそのものは、マルキ・ド・サドの小説をそのままもらっているんですけど、彼が描いた罪はギルティではなくクライム、本当の犯罪の意味の罪だった。それを僕は、ギルティ=罪悪感というものにしたんです』。
そういうことらしい。
ああ、それにしても、こうして次々と才能溢れる人間たちが世の中に出て来るんだなあ。
みんな、ちゃんと自分のスキルを磨き上げ、やりたいことだけに集中している。
怠けたり、日々の暮らしに溺れている人間たちは結局陽の目を浴びずに、何の才能も見出せないまま終わってゆくのだろう。
最後は、少しだけの運と、常日頃からの精進と、磨かれた才能を発揮した人間のみが表現者として生き残る。
毎日ぐだぐだ生き続け、生活を維持させるために心を売り飛ばし、「疲れたから明日にしよう」なとどほざく人間に明日などない(って、俺のことだけどさ)。
今あるこの場所から脱け出したい、今ある生活から抜け出したい、そんな事ばかり考えて生きて来たような気がする。
でもそれって、単なる言い訳に過ぎないし、本気で脱出しようと試みたのかと問われれば、ぐうの音も出ない。
俺は今いるこの場所が、本当は気持ちいいのだ。居心地がいいのである。
出たくないのだ。だから、抜け出したくないのである。
こうして今日もまた終わる。
もうすぐ12月だぜ。師走だぜ。どうすんの? またこうして新しい年を迎えんの?
今年も俺は何もしなかった。
「仕事が忙しい」、ただそれだけを言い訳に、俺は一編の小説を仕上げることさえ出来なかった・・・。
ああ。
スポーツジムでバイクに跨(またが)り、備え付けのテレビを観ながら汗を掻いていたら、ちょうどTBS系で「アッコにおまかせ!」がオンエアされていた。
北朝鮮で行われたサッカーの試合に同行したTBSスタッフらの北朝鮮リポートのような特集をしていて、和田アキ子を含めたレギュラー陣がいつもの突っ込みを入れている。
びっくりしたのが、同行スタッフらのちょっと有り得ない証言。
スタッフの一人がホテルの個室でトイレを汚してしまった。
疲れていたのでそのまま寝てしまい、朝になってトイレを綺麗にしようと入ったら、な、なんと、綺麗に拭き掃除が済んでいたのだとか。
いったい、いつ誰が、部屋の中に入って掃除したんだろう?
また、もう一つの証言。
これまたスタッフの一人が夜、日本に電話を掛けて、「北朝鮮は寒い」というような事を漏らしたのだとか。
そしてそのまま一人ベッドで眠りに落ち、次の日目覚めたら、な、なんと、ベッドの横にそれまでなかった厚手の毛布が掛かっていたらしい・・・。
などというような話をヘッドホンで聞きながら、一時間ほど身体を虐める。
だから、それが何なのと言われても、ほかに意味なんて特にないんだけど・・・。
2日間続けてスポーツジムで汗を流したことに。
今朝、改めてタイヤ交換を済ませたので、もういつ雪が降っても大丈夫だ。
さっきは晴れ間も覗いていたのに、外に出ると昨日と同じように冷たい雨が降っている。
雨を眺めていると、先日名古屋で観た映画、「恋の罪」のことをまた思い出してしまう。
まだあの映画のことが頭から離れずにずっと残っている。
凄い映画だった、「恋の罪」。
雨のシーンが印象的だ。
でも何故「恋」なのだろうと、不思議に思っていた。これほどまでに深遠で、鋭い刃物のような切れ味のする愛の世界を描いているのに、「恋」ってちょっと軽くない?
謎が解けた。
園子温監督のインタビューを読んで納得した。
タイトル「恋の罪」は、園子温監督の実体験に基づくものらしい。
当時付き合っていた彼女から、別れ話を切り出された際に言われた事なのだとか。
『あなたのは愛だったけれど、新しい彼とは恋なの』と。
『愕然としましたね。だから、愛の罪じゃなくて恋の罪。英語で言えば、僕とはラブで、新しい男がロマンスだということです。「恋の罪」というタイトルそのものは、マルキ・ド・サドの小説をそのままもらっているんですけど、彼が描いた罪はギルティではなくクライム、本当の犯罪の意味の罪だった。それを僕は、ギルティ=罪悪感というものにしたんです』。
そういうことらしい。
ああ、それにしても、こうして次々と才能溢れる人間たちが世の中に出て来るんだなあ。
みんな、ちゃんと自分のスキルを磨き上げ、やりたいことだけに集中している。
怠けたり、日々の暮らしに溺れている人間たちは結局陽の目を浴びずに、何の才能も見出せないまま終わってゆくのだろう。
最後は、少しだけの運と、常日頃からの精進と、磨かれた才能を発揮した人間のみが表現者として生き残る。
毎日ぐだぐだ生き続け、生活を維持させるために心を売り飛ばし、「疲れたから明日にしよう」なとどほざく人間に明日などない(って、俺のことだけどさ)。
今あるこの場所から脱け出したい、今ある生活から抜け出したい、そんな事ばかり考えて生きて来たような気がする。
でもそれって、単なる言い訳に過ぎないし、本気で脱出しようと試みたのかと問われれば、ぐうの音も出ない。
俺は今いるこの場所が、本当は気持ちいいのだ。居心地がいいのである。
出たくないのだ。だから、抜け出したくないのである。
こうして今日もまた終わる。
もうすぐ12月だぜ。師走だぜ。どうすんの? またこうして新しい年を迎えんの?
今年も俺は何もしなかった。
「仕事が忙しい」、ただそれだけを言い訳に、俺は一編の小説を仕上げることさえ出来なかった・・・。
ああ。