おかんのネタ帳

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日本史のヒーローは、織田信長!

2005-08-16 23:37:12 | 湖国日記
今日は、京都五山の送り火ですね。お盆も終わりやね。ウチは、今年は仏様に申し訳ない年になってしまいましたね。なんせ、12日にお迎え準備してから、昼間ずっと留守してましたから。んで、今日で帰られたんよね~ なんまいだ・・・
昨日は、久し振りの休みやったんで、家の中の掃除を・・主婦不在の家の中は荒廃してますし(涙)とりあえず、雑誌をくくり、ビールの缶を整理し、ビニール類を分別し、テラスを水で洗い流し、玄関も水洗いし・・・まだまだ前途多難なわが家に、ため息・・
今日は、家の掃除も気にはなりながら、写真撮りで安土まで行って来ました。
安土城考古博物館です。私の好きな博物館で、子ども連れでも、何度も行ってるところです。久し振りに入館してきました。
何でここが好きか・・古代の史跡の紹介や出土品の展示もあるけど、安土城をはじめとする、お城に関しての展示があるんです。安土城跡の復元作業の状況も紹介されてるけど、私の好きな、観音寺城跡や小谷城跡の紹介もあります。
なんで城跡が好きかって? つわものどもの夢の跡って、いろんなドラマがあったんやな~って思うでしょ。 
観音寺城は、安土と能登川の間にある繖山(きぬがさやま)にある、佐々木六角氏の居城跡です。近代城郭の祖となるのが安土城といわれてるんやけど、それよりも古いお城で、山全体に小さな郭跡が残っています。
中世は群雄割拠の時代なので、城イコール戦争のための砦でした。主君が住んで城下を管理するというお城が登場するのが、この観音寺城あたりから。のちの安土城と比べると、石垣は素朴な野面積み。穴太積みと言われる安土城はより合理的な石積みで、天守閣を築く近世の城郭の元になったといわれています。
10数年ぶりに、考古博物館のそばにある安土城跡へ行ってきました。
夕方やし、天守閣跡までは1時間以上かかるので、手前の、復元された大手道から、伝羽柴秀吉邸跡、伝柴田勝家邸跡付近まで登ってきました。羽柴邸跡は、かなり発掘が進んでいて、どんな建造物があったかまで、推察されています。
それと、安土城跡の特徴はこの大手道。天守に向かって伸びる一直線の大手道があるのは、このお城だけ。
戦いのために作られた城の多くは、敵が攻めにくいように、道も細く屈折し、入りにくいようになっているのが常とうらしい。でも、天下武賦の織田信長は、自分の力を誇示したかったんかもわかりません。
本能寺の変のあと、この城は火が放たれ焼失しました。わずか3年ほどのお城。
信長が歩き、秀吉が歩き、勝家が歩いたであろう大手道。
博物館の説明の中に、宣教師フロイトが信長について「けして貪欲ではなかった」という言葉があると言ってました。貪欲やなかったから、わずかな家臣と出かけた本能寺で、明智光秀の刃にあっけなく倒れたってことかな・・・信長が長生きしたら、このお城が残っていたら、日本の歴史は変わったはず・・・
歴史好き、お城好きの、うずらでした・・・

画像は、安土城跡、大手道。