おかんのネタ帳

日々の雑感や興味のあることを書いています

芦浦観音寺

2018-11-29 19:05:25 | 湖国日記
すっかり、ほったらかし状態で・・すいません~
書きかけて、なかなか書き終わらないという・・・

ブログをさぼって、ツイッターやfacebook、
インスタでアップ・・するわけでもなく(汗)
もちろん、早く寝てるわけでもなく・・・ほな、何してるんやろって?

一応、お仕事もしておりますが・・・
ドラマを録りだめてるのを消化・・つまり見てたり、
趣味の世界?で書き物をしてたり(苦笑)
相変わらず、夜中までパソコンに向かっております。

なので、書くことが溜まっておりますが・・・
先週末のことから・・・もう、一週間経ったのね~

草津市の芦浦にある、国史跡「芦浦観音寺」に行ってきました。
年に2回、一般公開されます。
普段は5人以上で、予約すれば見学できるそうです。



春はGWの時に二日間、公開されます。
秋は、勤労感謝の日のみ。
市の、観光ボランティアさんがお世話されるみたい。



このお寺の特筆すべき点は、
お寺なのに、城郭を思わせるような石垣があること。



門の入り口には、お堀のようなものもあります。



なぜ、お寺なのに城郭のようになっているのか、
それは、このお寺が強い力をもっていたからなんですね。

いただいた資料によると、寺歴は古く飛鳥・奈良時代にはあったとか。
応永15年(1408年)に歓雅によって中興されました。

この寺院が力を持ったのは、七世慶順の頃より、
織田信長に琵琶湖の水運を任されてから。
特に八世賢珍、九世詮舜は、秀吉の信頼が厚く、
琵琶湖全体の船の管理を任されました。
詮舜は、秀吉のブレーンとして活躍したようです。



門の中に入ると、きれいに手入れされた空間が広がります。
昔は、もっと荒れてたんですが、きれいになってます。

本堂は平成4年に再建されたそうです。



重要文化財の書院。
野洲の永原御殿を移築したと伝えられています。



書院の内部。
仏像、仏画、工芸品は外部機関に奇託されているので、
公開日でも見ることはできないんですね。

秀吉の自筆のご朱印状のコピーなどを展示してありました。



縁に立つと、石垣が見えます。
ぐるりと、お堀があったんでしょうか。



15時までというので、帰ろうとしたら、
私を、旧姓で呼ぶ人がいて・・・見たら、
観光ボランティアのおじさんが、高校の同級生。

「何してんの?」

「あんたこそ、何してんの?」

定年退職後か、その前からか、ボランティア活動をされてるらしい。

私は、史跡めぐりは趣味やから・・・というか、
3年ほど前に、同窓会で会いましたよね?
あの時に、私の仕事のことも言うたと思うけど。

「そやったっけ」

「私に、興味なかったんやな~」

お互い様ですから!

というか、最近、同級生によく会うような気がする。

みんな、現役引退してるかなぁ~





にぎわい亭

2018-11-24 23:56:02 | マイブーム・落語
水曜日、久しぶりに?落語会に行ってきました。
落語つながりの人生の後輩が、ちょっと凹んでたので、
そういうときは、笑おう!と~

大阪の「梅田にぎわい亭」。
お初に行きますが、桂雀三郎一門の会ですね。
月に一回、水曜日にやっているみたい。

会場は、大阪駅前第2ビル5階、
大阪市生涯学習センダーの研修室です。

都会でも、ちゃんと市民のための生涯学習センターが、
あるんですねぇ~ 市内3カ所、あるみたい。

一門会は、15時の部と、19時の部があります。
出演者、ネタは、同じですね。

午前中は仕事があったのですが、
15時の部に行こうかと。

電話で確認すると、当日券のみで、
13時30分から整理券を発行してるとのこと。
広いお部屋なので、ギリギリでもすわれますよ~って。

13時30分にはとうてい間に合わないので、
各自、お昼を食べてから大阪へ。
ほどよい時間に着きました。



桂雀五郎さん 池田の猪買い
桂 雀喜さん アンドロイドJ
桂 雀太さん 稲荷俥
桂雀三郎さん 胴乱の幸助

パンフに、ご挨拶が書いてあって、
雀三郎さんのお弟子さんが順に書くようですが、
この日は、雀五郎さん。

後輩は、この挨拶を読んで笑ってましたね。
電車の中で、小学生に席を譲られそうになったという話。
見た目はともかく、雀五郎さんは、
先日引退した、安室奈美恵さんと同じ年なんですって!

雀五郎さん、マクラもなくいきなりでしたね。
懐かしいネタです。最近、あまり聞かないかも。
(私だけかもやけど)

雀喜さん、相変わらずカミカミですが、
もはや、それもネタ?というお話でした。
米朝師匠のアンドロイドのことをマクラで話し、
(私は、姫路で見ましたよ~米朝アンドロイド!)
「J」は雀喜さんのことですね。
きれいな女性に気を取られて交通事故にあい入院。
アンドロイドJが、代わりに働いてくれる、
しかも、噛まない、しかも、「たち切れ」を演じる、
・・それだけで、ファンの方にはウケてますが・・・
最後は、ヨメにもわからんかったけど、
「たち切れ」をやったのは、ほんまもんやったという話。
ふ~ん(笑)

雀太さん、
後輩が、8月のほたる寄席ですっかりハマり、
この方の落語を聞きたいと、やってきたんですよ。
でも、前回に比べると、ちょっとおとなし目?
ま、ネタのせいでもあると思うけどね。
(だって、前回は「代書」やってんもん~)

そして、師匠の雀三郎さん。

昔、学生のころ、雀さんの落語を聞きに、
何度も茨木へ通いましたがな~
「すずめの会」、でしたかね~
なんせ、枝雀さんの落語が聞きたくて、
時折り、二番弟子の雀三郎さんの落語会に、
枝雀さんが出てくれたんですよ。

あの当時から、髪は薄かったですけど、
もう、さすがに、すっかり・・・

雀三郎さんは、「焼肉食べほ~だい」を歌ってる方です。
まんぷくブラザーズですね。コンサートも、やってはりますよ。

落語の方は、ひょうひょうとした話しっぷりです。
ハキハキはしてないけど(苦笑)
でも、やっぱり味があって面白い。
「胴乱の幸助」も面白い話ですが、
雀さんの幸助さんは、だいぶんアホですね(笑)
ケンカを買って酒を飲ます、堂々とした金持ちなんですけど~

でも、楽しかったです。

せっかく大阪の、しかもサラリーマンがいっぱいいる梅田で、
しかも、飲み屋がいっぱいつらなる大阪第2ビルの地下なので、
後輩と、飲んできましたよ~



飲み屋さんがいっぱいあるし~



17時やったんで、一番乗りでした~



とりあえず、お任せ料理、一人1500円と生ビール。
最初に来たのは「ほたるいか」とサラダ。



生ハム。



串焼き。



とんぺい焼き。



〆は、ソース焼きそば。



オマケに、酎ハイとカマンベールチーズ焼き。

撮り忘れたのもあったかもですが・・・
生チューが、380円というのも安いです。

ええなぁ~、大阪!

また行こう!







講師は杉さま~

2018-11-22 16:03:24 | 日々のつれづれ
びわ湖ホールで感激した翌日は、市民ホールで、
今年度最後の、市民カレッジでした。

講師は、杉さま・・・杉良太郎さんです!
開始前に、プリフィールが紹介されたのですが、
俳優とか歌手、だけではなく、肩書がすごいです。

・法務省・特別矯正監
・厚生労働省・肝炎総合対策推進国民運動特別参与、
・外務省・日本ベトナム特別大使
・ベトナム社会主義共和国・外務省 ベトナム日本特別大使
・ハワイ州ホノルル市 名誉市長
・シンガポール日本文化協会 名誉会長
・ASEAN特別大使
・内閣府「災害被害を軽減する国民運動サポーター」


姿勢よく、スーツをパリッと着たスタイリッシュな方です。

話出すときに 「う~ん」 「え~」 など言いながら、
なかなか話が始まらない。

「あぁ・・今日はなんの話をしたらいいかなぁと思って・・」

会場は静かに、杉さまの話に聴き耳を立てます~

「じゃぁ、まず、法務省の話からするね」・・・法務省??

そうでした! 
民間人として初めて、法務省から「特別矯正監」を委嘱された方です。

15歳だからデビュー前からですね。
来年で、慰問活動は60年になるらしい。すごいです。
歌手になろうと思ってレッスンに通った先生が盲目の方で、
その先生と、刑務所の慰問を始めたんだそうです。
・・・親に行けと言われたのではないんですね。


以下、杉さまのお話・・・・

昔の受刑者は、見るからに悪人顔?してた。
でも、今の受刑者はごく普通、優しい顔をしてる人が多い。
昔は、二度とここに入ってくるんじゃないぞって言ったものですが、
今は、出たがらない受刑者が多いんです。

タダでご飯が食べられる。
病気になってもタダで診てくれる。
家賃もいらない。
だから、出たがらない。
出たところで家もなければ家族もいないという人もいる。
だから、また罪を犯して戻ってくる。
刑務所で、私の話を聞いたのが2度目、3度目、4度目の人もいた。

刑務所のご飯は、麦7割にコメ3割。
昔は、米といってもいつのだかわからない古米を入れて炊いたんです。
だから、臭かった・・・刑務所の「くさい飯」って言うでしょ。
でも今は、人権の問題もあって、ご飯もおいしいし、
みんな出たがらないんですよ。
困ったもんです。

税金なんですよ。
だから、受刑者も自分の食い扶持を稼がないといけない。
私は、刑務所を会社にしたらいいって思ってます。
刑務所ごとに作ったものが、ブランドになるかもしれない。
網走刑務所の黒毛和牛とかね。
賛成という人!

・・・会場から拍手!!

厚生労働省は、肝炎総合対策推進国民運動特別参与。
私の奥さんの伍代さん、彼女がC型肝炎で、
ずいぶん、心配したんですけど、完治することができました。
肝炎は、肝硬変になって肝がんになる病気です。
今はね、治るんですよ。

外務省は、ベトナムの特別大使です。
日本も、ベトナムの外務省からも任命されてます。
共産圏のベトナムで公演をした日本人は私が初めてだと思います。
ベトナムには学校を作るために寄付もしています。
里子が100人以上いて、みんな高校・大学まで、
出してあげようと思ってます。

芸能人はお金持ちって思われてますけどね。
私は家も土地も担保に入っていて、もうこの体だけだからって、
銀行からお金を借りたりしています。

・・・・体で貸してくれるって、すごい・・

私は何者なんだろうって、思いますね。
福祉は簡単にはできません。
でも、困っているってきくと、約束してしまうんです。
約束は、果たさないといけない。

熊本のハンセン病患者の病院に慰問に行きました。
ハンセン病は治る病気です。体が不自由なのは後遺症です。
隔離されてね。だから、彼らを励まそうと、
ここで、「遠山の金さん」の公演をやりますって、約束したんです。

たいへんでしたけどね。ヒューズがとんで停電になるしね。
熊本のほかのホールでかればいいのにって言われたけど、
そこでやるって、約束したから。
「口約束で本当にきてくれたのはあなたが初めて」といわれましたね。

いざ芝居をすると患者の人たちは大喜びしてくれて、
不自由な体で、拍手ができないと足をたたいたり、
それもできない人は横の人同士で肩をぶつけて音を鳴らして。
その姿をみて私は涙が出て、最後の、
「これにて一件落着」 の決めゼリフがいえないくらいでした。


福島へ行った話もしてくれました。
当時のまま、そのまま残されてゴーストタウンになった町を見て、
ショックを受けたとおっしゃってましたね。


園遊会で、皇后陛下の美智子さまにいただいたお言葉が、

「筋金入りの方ね」

・・・天皇陛下のお言葉と合わせて。美智子さまの口調とか、
真似されるんやけど、さすがに、役者さんなので秀逸、
会場から拍手がおこってました~

昔は、流し目とか、後家殺しとまで言われた杉さま!
…会場の人をみて、みなさんは知ってますよね?
みたいなことを言うてはったような(苦笑)


「今、私が着ているスーツ、高いだろうなって思ってるでしょ。
 生地はベトナム製で安いんですよ。6800円。
 日本で作ったのでもう少し高いですけど、
 私が着ると、高級に見えるでしょ」

お金はないけど、約束は守る人。
世界各地に、億単位で寄付をされてます。

・・・歌謡ショーなどの公演で稼いではるんでしょうかね。
「今度は歌で呼んでくれる? 呼んでくれないだろうな」
なんていうてはったけど、お高いんでしょうかね~

最後に、行方不明になったスーパーボランティアの方の話をしはりました。

「3000人の捜査員が何日もかけて見つけられなかった子どもを、
 『絶対に見つけてくる』と言って20分で見つけてきた、
 どうしてだと思いますか? どうしてでしょうね。
 見つけよう! という気持ちでしょうかね」

福祉を続けることは簡単ではない。
お金のある人は出しましょう。
お金の流れをストップさせてはいけない。
お金がなくても、時間がある人は、時間を提供すればいい。

福祉活動をしている人ということは知ってたけど、
スケールもキャリアも、ほんとに、すごい方です。

「売名行為」と言われたこともあったようですが、
それで、60年も慰問活動はできませんよね。

誠実な人柄なんですね。

市民カレッジ、今年はこれで終了。
来年は、どんな講師が来られるかな。



杉さま、ではないけど・・・

まろさま~ です。




母と暮せば 琵琶湖にて

2018-11-18 23:46:30 | 演劇・舞台
またまた、書くことがたまってきて・・・汗

忘れないうちに?昨日観た舞台のことをちょこっと・・



びわ湖ホールで、こまつ座の「母と暮せば」を観てきました。

数年前に、演劇鑑賞会の例会で、「父と暮せば」を観ました。
井上ひさし脚本の舞台で、原爆投下で亡くなったお父さんが、
生き残った娘を励まそうと、幽霊になって家に現れるというお話。

井上ひさしは、戦争に対して、原爆投下に対して、
かなりの怒りを持っていたようで、広島、長崎を忘れてはいけない、
そのためにも、書かねばいけないと思っていたそうです。

長崎のことを書く前に亡くなられたので、
今回の作品は、井上ひさし原案・畑澤聖悟作、になっています。
山田洋次さんが映画にされた作品でもあります。

「木の上の軍隊」という作品も戦時中の兵士の話で、
「父と暮せば」「母と暮せば」と合わせて、
「戦後”いのち”の三部作」と、山田洋次さんが命名したとか。

つまり、「命」について書かれている作品なんですね。



「母と暮らせば」は、長崎の原爆で亡くなった息子が、
生き残ってしまった母に、前を向いて生きてもらいたいから現れるんです。

富田靖子さんと松下洸平くんの二人芝居。

富田靖子さんは昔はアイドルやったし、映画やドラマでも活躍。
最近は、お母さんの役をすることが多くなりましたね。
年齢的も、ま、確かにそういう年代やけど。

洸平くんは、去年の「魔都夜曲」を観て以来ですが、
達者な役者さんやし、終演後のトークでも、
富田さんが、「洸平くんが全部言ったので」というほど、
そつなく、おしゃべりも上手です!

音楽もやってるし、ピアノもうまいし、すごいなぁ。
・・・応援してるイケメン俳優さんの事務所の後輩・・・
マネージャーさんも確か同じ人やったと思うけど・・・

そんなことはともかく(苦笑)
息子の母に対する愛情、母の、息子への愛情、
母と息子の絆というか、それが強く感じられる作品です。

原爆投下で亡くなったのは「仕方ない」という息子に、

「仕方なくはない、神が投下したのではなく、人間の仕業なんだ!」

母がそういうふうに叫ぶシーンがありますが、
これは、井上ひさしの思いなんでしょうね。

ところどころ、母子の笑えるやりとりがあります。
ほっこりするところです。

でも、なんで息子が幽霊になって帰ってきたか・・

母は、あの日送り出した息子が被爆したことが悔しくて悲しくて、
生きる意欲をなくしているんですね。

助産婦という、命にかかわる仕事をしてた母、
被爆者ということで、妊婦に食べ物を渡しに行くと拒まれて・・・
それから、助産婦の七つ道具をしまい込んでしまってたんですね。

息子は、あの日のことを母に語ります。
熱か、熱か、熱か、と言いながら悶え苦しんで・・・

「もう一度だけ、母さんに会たか」

そう叫びながら・・・

原爆投下のシーンは、洸平くんに赤い光線が当たり、
その中でもだえ苦しむ姿に・・客席も重苦しくなりました。

「ボクの分まで生きてくれんね、母さん」

息子は、母を元気付けます。
具合が悪いなら医者へ行けと言い、
ご飯もちゃんと食べて、助産婦の仕事もしなさいって、いうんです。

「これを飲んだら大丈夫」

そう言って、コップに塩水を入れて母に渡します。

ラストに、息子は帰っていくのですが(どこに??)、
・・・階段から降りてきたので、階段を上がっていきます~

「町子(恋人)の子どもは男の子だから」と母に言うんですね。
・・幽霊やし、わかるん?なんて思うのですが、
そうやって、母を励ましてるんですよね。

母はその言葉を聞いて、しまってあった助産婦のカバンを取りにいき、
七つ道具を並べ始めます…息子が母のその姿が好きだというてたシーン・・

上演時間は1時間20分ほど。
なので、休憩をはさんで、スペシャルトークが30分ほどありました。

こまつ座代表の井上麻矢さん、富田さん、洸平くんの3人。
麻矢さんは、鑑賞会でもお世話になってますが、ほっこりする方です。
先月も、例会が終わってからの打ち上げに来てくださったようで、
勉強会でも各地を回られてるし、お忙しい方です。

富田さん、洸平さんは、どちらも誠実な俳優さん。
湖岸のホテルで前泊したそうですが、(琵琶湖ホテル?)
浜大津の、ライトアップされてる噴水を見て感激したそうですよ。

「ここはシンガポール??」(笑)

麻矢さんは「琵琶湖の方々にメッセージを」って、
何度も、客席の私たちを「琵琶湖の人」と呼んでました~(笑)

東京公演のあと、2週間も間が空いて、富田さんと久しぶりに会った感じで、
舞台の母と子と、同じ気持ちになれたかも。
そう洸平くんが言うてましたね。

なので、母と話しがしたくてしたくて、ついつい急いでセリフを言ってしまって、
びわ湖ホールが最速の上演時間になった、らしいです~
(ほんの少しらしいけど)



中ホールのロビー前から見る琵琶湖。

千秋楽は12月の兵芸中ホール。
それまでに、千葉とか信州?とか行くらしいです~

日本人として、知っておきたい原爆のこと、
広島、長崎で、多くの人の命が失われたこと。

忘れてはいけませんね。



西明寺

2018-11-16 23:05:31 | 湖国日記
金剛輪寺まで行ったら、西明寺も行きますよね~
なので、行ってきました。湖東三山。



参道の途中、中門あたりまで車で上がれるんですけど、
307号沿いの、惣門から入りました。

惣門のあたりはまだ紅葉してなかったですね。



でも、このコケがきれいなんですよ。
春は、ここに椿の花が落ちて・・落ち椿!
きれいですよ~~ その写真がどっかいったけど(涙)

まず、中門から名勝庭園の方へ行って本堂に上がるのが、
見学コースになっているようです。
…昔は逆やったような気が・・・



蓬莱庭、国指定の名称庭園。



日当たりのよいところは色づいてます。



黄色くなっているのは、これから赤くなる・・のではないみたい。

葉が紅葉するのは、アントシアンという赤色の色素が、
葉っぱの中で新しくつくられるから、だそうです。

黄色くなるのは、もとからあるカロチノイドという黄色の色素のせい。
寒くなると、葉っぱの光合成の能力が下がって、
緑色が薄くなるので、黄色が見えてくるんだそうです。

光合成、習いましたよね~ 
葉っぱの葉緑素が日光を吸収して栄養素をつくる・・とかいうの。

まさしく、赤や黄色の色様々に、水の上にも織る錦・・・ですね、まさしく。





空の色に赤が映えます~



国宝三重塔。
この時期、中の壁画等を公開してます。
・・・拝観料別途1000円・・・ふたりで2000円・・・
今回は、パス・・・汗
一人で来た時に見よう・・・



国宝の本堂。
どちらも、鎌倉期に建立。



国宝第一号に指定されたものの一つですね。
ご本尊の薬師如来は秘仏なので観られないけど、
十二神将立像などを見ることができます。



二天門、重要文化財。
大きな草鞋が吊り下げられてます



帰りはこの門から参道を降りていきます。



西明寺も、信長の命によって焼き討ちに遭うのですが、
寺僧の機知により、山門近くの房舎を激しく燃やして、
全山が焼失したかのように見せかけたために、
山奥にある本堂や三重塔は焼失をまぬがれたのだそうです。

比叡山だけでなく、県内の多くの寺院が焼かれました。
百済寺は、そのために多くの建物を焼失し、
規模をかなり縮小して、江戸時代に再建されてます。

こちらの、金紙の御朱印もいただいてきました。



薬師如来、ですかね。

・・・醫王殿と書かれることが多いけどね・・・

湖東三山の、金紙御朱印をコンプリート!

今年の紅葉刈りは、これで終わり?

さて、どうかな~




金剛輪寺

2018-11-15 23:01:34 | 湖国日記
今日は、ダンナが休みやったので、湖東まで。

「まだ色づいてないで~」

相変わらずネガティブ発言のダンナですが、
ほんまに、湖東の山を見ると、イマイチ赤くないし・・・

それでも、百済寺で黄金色の御朱印をいただいたので、
せっかくやから、三山揃えたいし~と、向かいました。



金剛輪寺。
三山の真ん中のお寺です。
総門前のもみじは紅くなってましたね~



青空に、映えます~

白門から名勝庭園へ。



池泉回遊式庭園で、桃山、江戸初期、中期の三つからなる庭で、
作者は不詳らしい。老杉蒼松の自然を背景とし、
灯籠泉石樹木の配置等、素晴らししいお庭です。



四季咲きの桜も、小さな花をつけてました。



山茶花も咲いてました~



建物の中から見る「血染めのもみじ」が、素敵です。
・・・金剛輪寺のもみじは「血染めのもみじ」というらしい。

ここで、まったりお庭を楽しんだあと、
戦隊地蔵が立ち並ぶ(奉納されてるんですね)参道を歩きます。



お地蔵さんの前にはかわいい風車が祀ってあります。
これが、このお寺の印象的なところですね。



本堂まで、ずっとあるんですが、途中で、
お地蔵さんが整列してお祀りしてあるところが何か所かありました。



二天門が見えてくる、ここの石段がけっこうきつい(汗)



二天門は室町期に建立。重要文化財。
この向こうに見えるのが本堂と「血染めのもみじ」ですね。



赤いです。紅葉してますね。



本堂。国宝です。
鎌倉時代の代表的な和様建造物。



三重塔。国の重要文化財。
待龍塔と呼ばれ、古文書によれば、
本堂より40年先に建てられたのだとか。



血染めのもみじ、陽が当たって鮮やかな赤ですね。



また、千体地蔵の参道を降りていきます。



お地蔵さんの前に、賽の河原のように石が積まれてところもありました~

さて、こちらの御朱印は・・・



大黒天・・て書かれてます。

ご本尊は聖観音さまやけど、今回、こちらにある、
秘仏日本最古の大黒天(金運の神)が特別公開されてました。
12月9日まで、公開されているそうです。
なので今回は、大黒天、なんですね。

西明寺にも行ってきましたよ~

次回、紹介しますね。

紅葉は、まだまだこれからって感じでした!





百済寺

2018-11-12 10:31:30 | 湖国日記
永源寺へ行った日、湖東三山のひとつ、
百済寺まで足を伸ばしました。

もう、10日も前なので、まだ、もみじも青々してました・・・



百済寺といえば、この仁王門ですね。
大きな藁草履がかけれらています。

昔は仁王像の大きさに応じて50cm程度だったのが、
江戸時代中頃から参拝客が健脚・長寿の願を掛けるようになり、
触れると、身体健康・無病長寿のご利益があると言い伝えられ、
草鞋が大きいほどにご利益も大きいと、
どんどん大型になっていき、今では3mほどに。



地元の方々が、約10年毎に新調。、
今年は新調する年で、真新しい大草履がかかってあした!
作家・五木寛之さんの名前がありますね~ 依願されたんやね。



本堂。国の重要文化財。
江戸時代1650年に再建された、唐破風付入母屋造。
歴史をみると、二度の大火にあいながら再建されてきた寺院ですが、
織田信長の焼き討ちで、天正元年(1573)に全山焼失。
現在の本堂の4倍の大きさの本堂と、金堂、五重塔があったそうです。

紅葉スポットとして知られているのは、
仁王門の手前、現在の駐車場のそばにある、
本坊喜見院の庭園です。



東の山を借景に山腹を利用し、大きな池と変化に富む巨岩を配した、
豪華な池泉廻遊式ならびに観賞式の庭園です。



10日も経っていいるので、今はもっと色づいているはす。
本坊の庭園は別名「天下遠望の名園」と称されていて、
西方の借景は琵琶湖をかすめて、55km先の比叡山が展望できます。



展望台からの眺め。

喜見院のそばの表門の前は、紅葉スポットなんですが、
まだ青々してたので、足元のコケを撮ってみました・・・



そして、この時期にけなげに花を咲かせる長寿桜





10月下旬から、長ければ2月ぐらいまで花を咲かせるのだとか。

秋空の下で桜、ほっこりしますね。

この期間限定の、金紙の御朱印、いただいてきました。



ちょっと割高な、500円!




永源寺にて

2018-11-10 22:17:25 | 湖国日記
相変わらずバタバタしてる間に、アップしそびれてますが・・・
(facebookとインスタにあげて・・・終わってましたね・・・汗)

先週、永源寺まで行ってきました。
先日、京都新聞に、井伊直滋の甲冑が発見されて、
永源寺で特別展示をしているという記事が掲載されたんですね。

なので「まだ紅葉してないで~」というダンナを誘って。



永源寺の入り口



ふりむくと、愛知川にかかる旦度橋。



山門の前。

永源寺の紅葉は、手で触れられるくらい枝が低い位置にあります。
紅葉はもう少し、ってとこですね。





山門。重要文化財。



本堂(方丈)。
何度も兵火などで焼失し、現在の建物は井伊家の援助で建立されたもの。
屋根は琵琶湖のヨシで葺かれていますが、
草葺き屋根の建物として全国でも屈指の規模。
ほんとに、大きな建物です~

南北朝時代の興安元年(1361)に、佐々木六角氏頼公が、
入高僧、寂室元光禅師に帰依し、領内の土地を寄進して、
伽藍を創建したことが始まり。多くの僧が修行し、
山中に56の末庵があったとか。
応仁の乱の頃は京都の高僧も戦火を避けてここで修行したそうですが、
長く続く戦乱の影響を受けて兵火に巻き込まれ、
多くの寺院が焼失し、衰退していったようです。

江戸期に、妙心寺の僧らが尽力して復興され、
現在の永源寺の建物の多くは江戸中期に再建されたものです。

永源寺は、姉のダンナ、つまり義兄の親元が檀家で
(臨済宗も檀家というのかな?)
義兄の葬儀も永源寺のお坊さんにお世話になりました。
なので、昔から何度も来てるし、本堂でお参りも何度も・・
お茶会にも来たことがあります。

この方丈のご本尊の奥にある小さな部屋に、
赤備えの甲冑が展示されてました。





伊井直滋は江戸で生まれて育ったお坊ちゃま。
質素倹約家の2代目直孝の長男ながら父と不仲で、
三代目を継ぐことなく晩年、俗世を離れて百済寺で生涯を閉じたらしい。

井伊家の江戸屋敷の土蔵にあるのを見つけた家臣が、
「焼いてしまおうかと思いましたが、お預けします」と、
永源寺に預けたようです。
添えられた家臣の文書も一緒に展示されてました。

永源寺は井伊家とも深いつながりがあったようで、
ここに墓所のある藩主もいるようですね。

貴重なのは、甲冑が藩主しか許されていない形やったとか。
長男で、ほぼ藩主になると思って作ってたんでしょうか。
結局、藩主にはならなかったので、しまい込まれてたのかな。



禅堂のほうにある木も少し、紅くなってました。



法堂の中に、竹細工の行灯が展示されてました。
趣味の会の方々の作品のようです。



廊下から観た紅葉。



開山堂のそばにある紅葉は一番きれいに色づいてましたね。



愛知川にかかる旦度橋から観た永源寺。

紅葉は少し早めでしたが、1週間経ってるので、ちょうど今、見ごろかな。

ここから、直滋廟がある湖東三山の一つ、百済寺にも寄ってきました。

こちらは、次回にアップします。


紅葉の見ごろは11月中旬ぐらい。

またその頃に行かないとね~!


豪徳寺から松陰神社へ

2018-11-06 23:52:37 | 旅の想い出
さてさて、豪徳寺へ!



三軒茶屋から、東急世田谷線に乗ります。
ここが出発地点(終点でもある?)の電車です。
三軒茶屋はJR山手線の渋谷駅から、東急田園調布市線で二つ目の駅。
(確認のために、地図で調べましたよ!)

東急世田谷線は、三軒茶屋から豪徳寺を経て、
新宿から出てる京王線下高井戸駅までをつなぐ路線。

豪徳寺へ行くのには、宮の坂という駅で降ります。
(豪徳寺駅まではいかないのね~)



大きな門がありました。
お寺らしくないような・・・

そこを通って歩いていくと、門が見えてきました。



このあたりは武蔵野国で、世田谷城があったそうです。
1480年、世田谷城主の吉良政忠が、伯母で吉良頼高の娘である弘徳院の住まいとして、
「弘徳院」と言う庵を結んだのが豪徳寺の始まりとか。

1633年に世田谷領が彦根藩の管轄となると、
彦根藩主・井伊直孝がこの地にやってきました。

直孝が鷹狩りに出たとき、手招きをする猫に出会い、
誘われるままにやってきたのが、この地の庵。
すると、たちまち天候が急変して雷雨になったのです。
雨に濡れるのを猫が救ってくれただけでなく
和尚の法話を聞くことができたのを喜んだ直孝は、
伽藍などを寄進、井伊家菩提寺としたのでした。

このエピソードから、ひこにゃんが生まれたんですよ!



境内には猫を祀った「招福殿」があって、
お礼参りに招き猫を奉納するそうなんですね。
その数がすごくて、招き猫発祥の地とよばれるほど、
大小さまざまな、たくさんの猫たちがいました。

こんなかんじ・・・圧巻です!

















この写真を撮ろうと外国人の方も多く訪れるようですよ。

豪徳寺では招福猫児(まねぎねこ)と呼ばれていますが、
宗務所で大小さまざまな猫を飼うことができます。



私も小さめのを購入しました。
願いが叶ったからと、お礼に奉納しなくてもいいですよ、
そうおっしゃってましたよ。お寺の奥様かな?

滋賀県から来たというと、すごくありがたがってくださって、

「伊井さんにご縁をいただいて、小さな庵が、
 こうして大きなお寺になることができたんですよ」

NHKの「直虎」のポスターが貼ってあったので、
大河ドラマの頃は、訪れる人も多かったかもね。

「ちょっとお待ちくださいね」

そういって、奥からカレンダーを持ってきてくださいました。
ありがたくいただいてきたのですが、家に帰って開けてみたら、
永平寺のカレンダーでした。
曹洞宗のお寺だからでしょうね~

・・・よく見たら、2018年・・・今年のカレンダーです。
・・・あと2か月しかないけど・・・ありがたくいただきます!



三重塔があり、その奥の方に墓所がありました。
江戸で亡くなった井伊家の藩主や家族が、
葬られているそうですよ。



井伊直弼のお墓もありました(史跡に指定されてるようです)



安政の大獄を断行したために、桜田門外で暗殺されましたね。
彦根にも伊井家の菩提寺があり(清凉寺)直弼のお墓もあったような。

彦根市民ではないけど、滋賀県民として、手を合わせてきました。

さて、豪徳寺を出てから、また世田谷線に乗り、
この沿線に吉田松陰を祀っている神社があるというので、
松陰神社前という駅で降りました。



立派な鳥居。
こちらは新しく建て直したような神社ですよ。



かつてここには長州藩主の別邸があったとか。
安政の大獄で伊井直弼によって刑死した吉田松陰。
4年後、高杉晋作など松陰の門人によって
小塚原の回向院にあった松陰の墓がこの地に改葬されたそうです。



松陰のお墓。

直弼の墓所の豪徳寺と、近いところにあるんですね。

幕末時代、徳川勢により一度破壊されたが、
明治元年に、木戸孝允がこれを修復整備とか。



松陰の像がありました。
松下村塾を模造した建物も建ってましたが、
土日しか開けていないらしい。

今回のミニ観光はここでおしまい。

東京駅へ向かって、お昼ご飯にしました~



ざるそばと天丼のセット。
おいしかったですよ~

そしてデザートは別のお店で~



パフェ、ですね!

つかの間の贅沢・・・これも予定通り?

楽しく過ごしてきました。

帰宅後は・・・その反動のように・・・諸々多忙。

パソコンのこともあるし・・・涙。



女子会

2018-11-05 23:17:06 | 旅の想い出
東京で、舞台が終わってからお友だちと女子会。
一緒に観劇した友だちと、この日は仕事やったもう一人の友だちと3人で。

東京では、だいたい、このメンバーで女子会ですね(苦笑)
そして、だいたい、居酒屋で飲んでます^



この日は、渋谷で落ち合いました。
東京のことはよくは知らないけど、渋谷って、
ハロウィンの時の喧騒があった場所ですよね。

平日の普段でも、人が多かったですよ。



とある居酒屋で乾杯~!
飲み放題食べ放題の女子会セット、2500円。
生ビールを3杯・レモンサワー1杯飲んで、安いですよね~

お友だちがダイエット中らしく、
野菜がいっぱいというヘルシーなメニューをチョイス。
でも、舞台の話、あの俳優さんについての話は、
熱く、ヘビーでありました~(笑)

さて、翌日は、ここ数年恒例化した?東京ミニ観光。
観劇を一緒にした神奈川のお友だちと、
滋賀県人として、どうしても行ってみたかったところへGO~!

世田谷区にある、井伊家の菩提寺、豪徳寺です。

江戸の世田谷に城を持った、2代目伊井直孝、
あるとき鷹狩りに出て、手招きする猫にひかれて小さなお堂へ。
すると、雲行きが怪しくなって雷雨になった。
難を逃れたことに感謝して、直孝がこのお堂に寄進。
大きなお寺となり、井伊家の、江戸の菩提寺になったんですね。

そう、ひこにゃん誕生へとつながったエピソードのあるお寺なのです。

三軒茶屋で東急世田谷線に乗るとのこと。
その前に軽く朝食をと入った喫茶店が、とても素敵でした。



cafe・mame-hiko 三軒茶屋店。



いつものスタバでもよかったのですが、
なんとなく、雰囲気に誘われて入りました。
焼きリンゴがおすすめのようやけど、とりあえず朝食なんで。



円パンで作ったエッグサンドと浅煎りコーヒー。
円パンとは、まるいパンです~
タマゴの中に人参の千切りも入ってました。

コーヒーの焙煎にこだわりがあるようで、
浅煎り、深煎りがありました。
豆の酸味の違いがあるようです。
浅煎りの方が酸味があるらしい・・・

帰るとき、お店のお姉さんがドアの外まで見送ってくれて、
その時に、少しお話をしました。

なんとなく話の流れで・・・
お店には初めて来たこと、
友だちは神奈川やけど、私は滋賀から来たこと、
これから井伊家ゆかりの豪徳寺に行くこと、
観劇の翌日であること、某俳優さんのファン友だちであること、
13年前に、ネットで知り合って以来、
年に一度か二度、東京で一緒に観劇して、
こうやって、観劇の翌日に、一緒に東京見物していること・・・

「そ~なんですか~、すご~い」

「また、来れたら来ますね~」

「ぜひぜひ、またお越しください」

すぐ近くに、パブリックシアターやシアタートラムなど、
劇場がある立地なので、このお店にも、
俳優さんたちが来ることがあるのかもね。

そんなこんなで、いざ、豪徳寺!

続きは、明日・・・