おかんのネタ帳

日々の雑感や興味のあることを書いています

ハマヒルガオ

2015-05-31 16:10:45 | 湖国日記
琵琶湖大橋東詰にある、第一なぎさ公園の、
琵琶湖岸の、ハマヒルガオが見ごろというので行ってきました。



淡水湖の湖岸に海浜性のハマヒルガオが咲くのは、珍しいとか。
琵琶湖は400万年前に生まれた古代湖で、
三重県の太平洋側で生まれ、日本海側に、今も、
少しずつ移動してるらしいですよ。

なので、もともと海とつながっていたころに、
海浜性のハマヒルガオが陸で閉じ込められて、
独自に進化したもの・・・やないか、とか。



砂地に自生するヒルガオ科の植物ですが、
淡いピンクの、かわいらしい花です。
茎はつる性で、葉は固くてハート形です。



台風で琵琶湖の水位が上がって一部が水没し、
翌年、あまり咲かなかったことがあるらしいのですが、
前に、見に来た時より、心なしか花が少ないような・・・

地元の人たちが、保護してくださってるようなんですけどね。



古代の名残かもしれない可憐な花。
大事にしたいですね~~



今年も自家製梅干し

2015-05-29 23:39:36 | いやしん坊バンザイ!
ダンナが、休みの日に、庭でごそごそしだして、
ボウルを持って、脚立を出して・・・

今年も、梅の収穫を始めたんですよ~
〆切りと戦ってるんで、内心は、え~~と思ったけど、
いつもこの時期やし、少しは手伝わないとね。
梅の木の足下も、この前、ちょっと刈り込んだけど、
また草もぼうぼうですし~
なので、草刈りもしましたわ。
小一時間の園芸作業になりました。



小梅、2.2kg
カタチも大きさもバラバラですけどね。

そして、これを洗って、おへそを取って、
ビンも洗って、乾かして~



焼酎でビンをさっと消毒。
約2割ほどの塩を入れて、漬けました~

そして、重石。
ビンの口が小さいので、重石にするのは、水です!
ジブロックのファスナー付きの袋を2枚重ねにして、
中に、水を入れて、ソフトな重石。



翌日には、梅酢があがってきます~
上まで、梅酢に浸かったら、紫蘇を入れる予定です。

昨年、枝を剪定したから少ないかなと思っていたのに、
2kgもあるってビックリ。
成るもんやねぇ~

けど、梅の木、細かいアブラムシでいっぱい~~(汗)
梅の実も、ネチャネチャになってました。
水洗いで落ちましたけどね。

梅の木の横に植わってる、グミの実も赤くなってきました。
これは、食べたらシブイです。
昔は、ホワイトリカに漬けたりしたもんやけど・・・
最近は、梅酒も漬けてないなぁ。

赤くなったグミの写真は、また今度。

そういや、ダンナ、梅の枝におでこをぶつけて、
ひたいに擦り傷をつくってました。
血やら、汗やら・・・たいへんやし~




人身御供の話

2015-05-27 23:23:02 | 湖国日記
毎日暑いですね。
ほんまに、このまま夏になるんでしょうかね。

まだ、梅雨も来てないのに、ダンナなんてお風呂上がりはハダカですから。
・・・・人が来たら、そのまま玄関に出るんですよ。
宅配便のおっちゃんならまだええけど、お姉さんの時もあるやん。
きっと、迷惑やろうねぇ・・メタボなおっちゃんのハダカ・・(汗)

さて、相変わらず〆切りと戦ってますけど、
野洲川の改修を調べていたら、「戸田堤」のことが書かれてました。
戸田という地名は、今はないのですが、どうやら、
今の立田町のことで、戸田と立花という村が合併したのだとか。

「野洲川物語」にも「ちりんさん」の話が出てきました。

野洲川の下流、南流のそば、戸田の堤防が、天文6年から、
3年連続して、野洲川の洪水でおなじところが決壊。
人家が100軒、流されたと言われます。

度重なる惨事に、戸田は悪霊に取り憑かれた「魔の口」と呼ばれ、
行脚中の僧が、「人柱を立てたら静まる」と言ったとか。

地主で庄屋の奥野中右衛門は、娘の愛を人身御供として、
改修工事の際に、掘られた堤の中に捧げたといいます。
それ以来、戸田の堤は決壊することなく、村の人々は、
「ちりんさん」と呼ばれる、愛の魂を祀る祠をつくり、
彼女を弔ったと言われます。

今も、その祠が「愛の内(かた)明神」として祀られています。
堤のお守りとして、毎年祭礼も行われているとか・・・

というので、探して行ってきました~



立田町の集落センターのそば、新宮神社の奥の囃子の中に、
その祠がありました。



祠の中には、「愛の内明神 人身御供」と書かれ、
当時歌われたという歌の歌詞が書かれています。
「野洲川物語」に書かれてる歌詞と少し違うけど。



せんど積んだのに一夜のまにぐらり
農民泣かせの戸田堤

「野洲川物語」は、こんな歌詞。

せんどつんだに夜のまにぐらり
百姓だおれの戸田つづみ

明るい真っ昼間に訪れたからええようなもんやけど、
ちょっと、コワイ感じの雰囲気・・・
南流の名残なんでしょうか。横に池もあって・・・



ちょっと、不気味な・・・

コワイので?写真を撮ると急いで帰りました(汗)

悲しい話でしょ。

人身御供ですよ。人柱。

でも、それくらいの洪水が、何度も起こったんですね・・・

来週、別件でまた、このあたりに行きます。

地元のことやのに、知らないこといろいろありますねぇ。




野洲川物語

2015-05-26 23:30:01 | 湖国日記
暑いですね~ まだ5月やのに。

昨日は、朝から口腔外科へ
先週の月曜日に切開して縫ったところの抜糸。
顔の右半分が腫れて、2日ほど麺類と雑炊でした。
アルコールはもちろん厳禁・・
週末には腫れもひいてたけど、マスクして取材に行ってましたよ。

押さえたら痛かったのも治まって、抜糸でビールも解禁!
でも、まだまだ治療は続くようで・・・なかなかです・・・

それでも、〆切りはあるわけで、原稿書き三昧。
昨日の午後は資料を読み込み・・・今頃読むって? 
という感じですが、そういうこともあります(汗)

読んでたのは・・・・



「野洲川物語」。
公的な資料ももちろん読んでるんやけど、
これは、野洲川改修工事の時に、実際にあった人々の「葛藤」を、
田村喜子さんが、当事者に取材をして書き下ろされた本だそうです。

野洲川改修工事について調べていて、この本のことを知って、
図書館に借りに行ったんですね。
「物語」として書かれているので、読みやすく、わかりやすく、
当時の人々の状況が理解できます。

鈴鹿山脈が水源の野洲川は「近江太郎」と呼ばれるほどの暴れ川。
10年に1度ぐらい、大水害が発生して、人々を苦しめていました。

守山市の川田町のあたりで南流と北流に分かれ、
しかも、南流、北流の川幅は狭くて曲がりくねっていました。
水害が起こるたびに、堤防をやり直していたそうですが、
昭和28(1953)年9月の台風13号の水害がきっかけで、周辺の住民が、
もう我慢できないから改修工事をして欲しいと、県や国に陳情するんですね。

その時は、南流、北流、それぞれを改修して欲しい、そう願ってたんです。
でも、国が出した改修案は、真ん中に新たな川(放水路)をつくり、
南流、北流は廃川にする、というプランやったんです。

北流は、そこを境に南が守山市で北が中主町(現野洲市)に別れます。
南流との間の広い三角州となるのが、守山市の中洲学区。
真ん中に新川を造るということは、学区を分断するだけではなく、
穀倉地帯である田んぼを190ha、供出することになるんですね。
しかも、新川にあたる新庄町川辺地区の37戸と寺社、
小浜地区のの2戸を移転させることになります。

反対運動が起こるのも無理はないです・・・
案が出てから10年の歳月をかけて、新川を造ることが決まります。

反対していた人々は、これからの子孫に、
水害の心配のない故郷をのこすことが大切だと、
新川をつくる案に合意したんです。

途中で、土器やら遺跡が出て中断したりして、(服部遺跡)
8年かけて今の野洲川ができ、通水するんですね。

でも、それで終わったわけではなかったんです。
廃川の跡地をどう利用するか、田んぼを提供した人たちに、
代替え地をどういうカタチで返すのか・・・

すべてが完了したのは平成16年度、だそうです。
「野洲川物語」は、そのときを記念して発刊されたのですね。



幸津川と小浜をつなぐ幸浜橋から見た下流。
分断された中洲学区を孤立させないために、
川田から湖岸道路まで、7本の橋がかかっています。

通水したのは昭和54年。工事完成は56年。
長女が生まれた年です。

200億円という国家事業。
いろんな人々の思い、歴史があったんですね。



オランダ堰堤(えんてい)

2015-05-24 23:52:52 | お仕事メモ
先週、久しぶりに田上桐生にある、オランダ堰堤に行ってきました。
子どもが小さい頃、何度か連れて行ったとこですが、
よ~く考えてみたら、結婚前にダンナとも来たことあるし、
結婚後も来たし、山歩きの取材で金鶏山へ行くのにも来ましたね~
それくらい、親しみのあるところです。



オランダ堰堤。
天井川となった草津川上流にある砂防ダムなんですが、
明治22年(1889年)、土木技師の田邊義三郎の設計により完成しました。

当時、政府に招かれ、たびたび氾濫する淀川の治水事業にかかわっていた、
オランダ人の土木技術者ヨハネス・デ・レーケが指導したとされ、
それで、「オランダ堰堤」と呼ばれているんですね。



デ・レーケの像が、小道の脇に立てられています。
田上山は、その昔、ヒノキなどの木が生える美しい山やったので、
奈良や京都の都の造営や、寺社の建物を建てるのに伐採されて、
禿げ山になってしまってたようです。

江戸時代には、伐採を禁止し、植林をするようおふれがあったようですが、
禿げ山になったことで、大雨が降ると洪水を起こし、
花崗岩の土を削って土砂が川へと流れて行き、川床を上げていったようです。

デ・レーケは、山から川へ土砂が流れないように食い止めると同時に、
荒廃した山に新たに木を植えるという2つの方法で治水を行ったようです。



昔はもっと水があって、深かったような気がするんやけどな。
夏は、子どもたちの水遊び場になります。
たぶん、今も。

真新しい立て看板があって、そこに書かれてました。
水裏の放水路面がアーチ型で両袖部分が削られにくく、
下流面が階段積み(鎧積み)になっていることで洗掘を防止し、
100年以上経った現在まで遺っていると考えられているらしい。



上から見たところ。
昔も、こうやって上から見たような・・・



水もなかなかキレイですよね~

オランダ堰堤の手前にキャンプ場があるんやけど、
高校1年の時に、中学の同級生とキャンプしたのが、
この、桐生のキャンプ場でしたね~

当時はまだ、あんまり整備されてなかったけど、
今は、水道のある炊飯棟とかあるんですよ。
そうそう、駐車場も有料になってました~



キャンプ場の横を、堰堤から続く川が流れています。
昔は、この水でご飯を炊いてんけどねぇ~

そうそう、小学生やった娘たちを連れて来たときに、
このへんで人の声がするし、川に降りていったら、
子ども連れのファミリーが2組、水遊びしてはって、
オランダ堰堤やなくて、なんで、ここやろ・・って思いつつ、よく見たら、
お父さんとおぼしき男の人の背中に絵柄があって・・・そう刺青!
びっくりして、あわてて戻って来たけど。

そういう方たちは、プールも海水浴場も、出入りを禁じられてたりするし、
なので、ここで川遊びしてはったのかなぁ。

今回の目的は、砂防ダムとしてのオランダ堰堤の写真を撮りに。
お仕事ですよ~ でも、平日の午後やったからか、
だ~れも、居ませんでしたね。

でも、良い天気、水辺は気持ちよかったです。


レトロカフェ

2015-05-23 23:27:00 | お仕事メモ
琵琶湖は、119の一級河川が流れ込むけど、
流れ出す河川は、瀬田川のみ。

その瀬田川に、瀬田川洗堰があります。



昭和36年に完成した洗堰。
手前のオレンジ色の部分は、平成4年に新設されたバイパス水路。
この水路ができたおかげで、疎通能力がアップしたそうです。



今も、一部遺っている、旧洗堰(「南郷洗堰」と呼ばれます)
こちらは、明治38年に完成した、煉瓦と石造の堰。
普段はは立入禁止ですが、毎月第4金曜日にレトロカフェが開かれ、
その時のみ立ち入ることができるそうです。



なので、行ってきました~
そこでお茶が楽しめます。
無料です!!

国土交通省の管轄なので、商売はできないとか。
主催は、琵琶湖河川レンジャーの、佐々木和之さん。



河川レンジャーとは、住民と河川のつなぎ役。→ こちら
洗堰のそばにある、ウォーターステーション琵琶の方で、
川と住民の関わりをテーマに、もっと洗堰を知ってもらおうと、
レトロカフェを企画したそうです。無料です!
・・・・お茶代は、カンパで~

旧洗堰について、いろいろお話してくださいました。
明治36年当時としては、画期的な土木工事だったようですが、
堰の開閉は橋脚に角材を横に人力で落とし込む方法で、
全開から全閉までの作業に24時間以上かかったそうです。



旧洗堰の上。
大きな角材が、当時使われた開閉のための角材。



見にくいですが、四角くなってる部分に角材を落とし込みました。
ちょっとやそっとでは動かないぐらい、重いですよ~
ここでも、お茶がいただけます。



煉瓦と石でできてますが、大きな重機がない時代なので、
人力で運べるような大きさの石、煉瓦を使っています。



上流側。橋脚のカタチが、上流側は三角になってますね。



ここには、アクア琵琶という、国土交通省の建物があります。
琵琶湖、瀬田川など淀川流域について、学べる施設です。
もちろん、無料です!!

なんで、洗堰が造られたのか、どんな活躍をしてるのか、
瀬田川の浚渫、滋賀県に天井川が多いこと、
昔から、治水対策をした人々・・・
いろんなことが学べます

お天気も良く、気持ちよかったですよ~



カントリー雑貨

2015-05-21 23:10:51 | お仕事メモ
先日、仕事で行ってきたお店です。
カントリー調のステキな建物の中に、ぎっしりと、
キッチングッズやインテリアグッズ、ホームウエア、
服飾小物、アクセサリーや生活雑貨、建築資材などが、
ところせましと置いてあるお店です~



オーナーさんは、住まいの設計施工を手がけていて、
奥さまと二人で、39年前に雑貨のお店を始められました。

店内はこんなかんじ・・・



女性好みのお店でしょ!

「私のカントリー」とかいう雑誌にも掲載されて、
建築のお仕事は、関東の方にもお客様がいらっしゃるとか。
お庭から建物、内装や機器、電気器具、家具、カーテンなどインテリア、
トータルで、カントリー風の住まいをつくってもらえるんですね。



おしゃれな洗面ボウルと水栓、トイレの手洗いがこんなんやったらステキ。
・・・わが家には、似合わへんかもやけど・・・



アクセサリーもあります!

3年前から、お庭を眺めながらお茶がいただける、
オーガニックカフェも始められたそうです。



この、奥のドアからカフェに行けます。



こんな感じ。
ちょうどランチタイムになったので、日替わりランチを。



キッシュとライスコロッケのランチ。
パンも、美味しかったです~
お味噌汁がついてました。

オーガニックコーヒーとドルチェもいただきました。



紅茶のゼリーとチーズケーキ。

パンケーキも美味しいらしいので、また今度。


ノリアキ工房
守山市今宿4丁目1-30
TEL:077(583)0634
HP → こちら



おのぼりさん

2015-05-19 23:23:36 | いやしん坊バンザイ!
そういや先日、ABCホールへ行くのに、大阪駅で降りて、
阪神電車で福島へ行こうと思ってたんですね。

大阪駅からの行き方としては・・・
JR環状線で福島で降りて歩く(7分)、
JR東西線で北新地駅から新福島で降りて歩く(5分)
阪神電車梅田駅から、阪神福島で降りて歩く(5分)、

という3つの行き方があって、乗るのは1駅。
大阪駅で歩くか、福島で歩くか、結局、どこかで歩くんやけど、
阪神電車が一番、歩く時間が短いかな、って思ったんです。

大阪駅から阪神梅田駅に行ったら、ちょうど電車が出るとこで、
あわてて乗ったんです。娘も、同じように。
そしたら、アナウンスが・・・

「次は、尼崎~」

え~っ!

阪神福島駅は、梅田駅の次。
尼崎は・・・・8つめ。
つまり、間違えて、急行に乗ってしまったんです!

大阪駅の改札を、いつもの中央口ではなく、たまたま、
桜橋口の方から出てしまって、阪神電車の駅も、
いつもと違う改札から入ってしまったんです・・・
急行、特急・・・私鉄にはあるんですね・・・

そんなことはともかく、もう、尼崎まで行くしかありません(涙)

尼崎って、兵庫県やし~~



尼崎駅で梅田方面(のぼり)に戻るために、
階段降りて、一番端のホームまで行きます。

乗ってきた下りホームとの間に、難波行きのホームがあるんやけど、
乗り換えやすいように、電車が停まると、両サイドのドアが開くんですね。
お客さんが、階段を使わずに、電車を横切って、
ホームを移動できるんですね~~
電車が通路になるんですよ。

娘が、言うてました。

「うわっ、阪神電車らしい光景やな!
 階段降りやんでも、このホームまで来れたんちゃう?」

そやったんやろか??
そんなことに感心しながら、7つも駅を戻って福島へ~(汗)
駅の距離が短いから、10分ほどかな。
しかも、なんか懐かしい駅名ばっかり・・・

杭瀬、大物、千船、姫島・・・

「姫島って、阪神なんや~」

娘が言いました!
駅名が登場人物の名前になってるあの漫画「花ざかりの君たちへ」の、
第三寮長の名前ですからね~!

そんなこんなで、福島着。
ほんまに、20分ぐらいロスしましたよね。

舞台が終わってからの帰り。
お茶でも飲もうと、大阪駅をぶらり。
新しく開発された北口あたりは、人も多くて、どこも多い。
なので、東口の方の、大丸へ・・

娘が、「HARBS」が6階にあるというので行ってみたら、
やっぱり、人が並んでました・・・でも、回転早そうやったし、
・・・というか、もう疲れてたし? 並ぼうかと。



10分ほどかな。その間にケーキを選びつつ、
ショウケースには大きなホールケーキが並んでます。
でも写真禁止マークが~



注文したのは写しても良いよね?
ミルクレープ。フルーツたっぷり~



娘はクリームチーズのミルクレープ。ブルーベリー入り。

大きなケーキ(700円ぐらいかな) お腹いっぱい・・・

娘がおごってくれました~

(チケット代は、私が出したしね!)




戦いの日々

2015-05-18 22:27:37 | 日々のつれづれ
当たり前やけど、昨日から、大阪の住民投票と、
大阪都構想の敗北、橋本さんの引退の話ばっかりでした~

それにしても、二重行政とか、お金の無駄遣いとか、
それは都にならないと、実現しないもんなんでしょうかね~

反対票が勝ったと言う結果やけど、地域差、年齢差で、
受け止め方や考え方の違いが、くっきり分かれてました。
シニア世代の女性が保守的、みたいですね。

投票日の前日、大阪駅の北口は、とってもにぎわってました。



グランフロントの前ですけど、ここの開発は、
大阪市が単独ですすめたのではなく、大阪府も関わってできた、らしいですよ。
これからは、大阪市のことは大阪市だけで、というふうになるんかな。

半分の人が賛成したということは、大阪市が変わって欲しい、
そう思う人が、それだけいてるということですよね。
(3割あまりの人は投票してはらへんけど)

せっかく残った大阪市なんやし、今のままで良い、とこは残しても
橋本さんが指摘してたような、無駄遣いしてるようなところとか、
改めていくことも大事ちゃいますかね~


そんなことはともかく、今日は、朝から口腔外科です。
いわゆる、歯周病で、歯茎の中が炎症を起こしているという・・

先週、CTを撮って、今日は、歯茎を切って、骨を少し削り、
中にできてるものを取り出して、病理検査をするそうです。
切ったとこは縫合されてるんやけど、口の中は違和感ありまくり。

麻酔が切れてきたら痛みが出てくるし、化膿止めと痛み止めを飲み、
原稿書き三昧の予定が・・・・眠くて、ぐったりという・・・
お昼はカップ麺、夜は雑炊・・・

〆切りと戦わなあかんのに・・・



イシノマキにいた時間

2015-05-17 23:55:25 | 舞台・映画・ドラマ
夕べは、時間切れでアップできませんでした~
相変わらず、盛りだくさんな日々を過ごしてます~(苦笑)

昨日は大阪へ。
長女につきあってもらって、3年前から行きたかった舞台、
イシノマキにいた時間」を、観てきました~



この舞台との出会いは、3年前、2012年です。
応援するイケメン俳優さんが出演してた舞台「ロミオ&ジュリエット」に、
出演していた、俳優・石倉良信さんのブログで、知ったんです。

震災後、石巻でボランティア活動をした俳優の福島カツシゲさんが、
ご自分の経験をもとに作り、演出も手がけるという作品。

2012年から上演し始めていて、「ロミジュリ」の舞台のあとに、
石巻公演があると知って、すぐに、石巻の友だちに連絡したんです。
ぜひ、観にいって~って。

そしたら、本当に観に行ってくれて。
音楽を担当した吉俣良さんの演奏も良かったって。

その後、全国のあちこちで上演されたんですけど、
なかなか関西では公演がなかったんですね。
滋賀県でも、どこかの団体?が呼んでくれへんかな~って思ってたけど、
気づかれてないのか、関心が持たれてないのか、実現せず、
やっと、大阪で上演されると聞き、チケットを買ったんです~

石倉さんも、ボランティアで東北に行かれてたようで、
福島さんに賛同して、舞台に出演されるようになったとか。
もう1人のキャスト、ぽっちゃり俳優・田口智也さんは、
あとから参加したらしいです。

福島さんは、大阪出身。
芝居が始まる前に、舞台に登場して、注意事項とか話されてたけど、

「こんな、おっさん二人と、ぽっちゃりひとりという舞台に、
 来てくださって、ありがとうございます。
 ボクは大阪出身なんで、なんか、ホッとします。でも、あ~、
 知ってる顔とかがあって、プレッシャーでもあります」

なんて、おっしゃってましたね。
実際、いとことか、おばさんとか、来てはりましたしね!
終演後は、お友だち始め、そういう方々とハグしたり、
写真を撮ったり、してはりました~



芝居が始まる前に、吉俣良さんのミニコンサートがありました。
吉俣さんが作った「ドクターコトー」、「篤姫」の曲を演奏されました。

震災後の東北で、ボランティアをしてる福島さんと一緒になったことがきっかけで、
(それまでに、福島さんとは知り合いやったようですが)
自分は、音楽で、どんなボランティアができるだろうと思ったのだとか。

仙台でのコンサートで、NHKの大河ドラマ「江姫」の挿入曲「音涯(ねがい)」が、
行方不明の家族を思う気持ちに添えるような曲に思えて演奏されたそうです。
コンサート後に、被災した方から、こう言われたのだとか。

「良い曲をありがとう。これから前を向いて生きていけます」

それ以降、コンサートでは必ずその曲を演奏しているそうです。
ゆっくりとした、鎮魂歌のような・・上手く説明でけへんけど → これ

ミニコンサートのあと、福島さんが登場して言わはるんです。

「吉俣さんは、明るい曲を切なく弾く特技があるんです」

特技って!(笑)

「どなたか、明るい曲をリクエストしてくれませんか~」

私の席の近所に座ってた男性が、言わはりました~

「ラジオ体操!」

「え、ラジオ体操って!?」

「タンタ~カタンタンタンタン、タンタ~カタンタンタンタン・・」

お客さんの無茶ぶりですが、うなずきながら、
吉俣さん、ちゃんと、弾かはりましたよ、切なく!

福島さんが、体操でけへ~ん! って、つっこんではりました。

「あちこちでリクエスト聞いてきたけど、ラジオ体操って、初めてですわ」

大阪らしいんちゃいます?

さて、舞台の上には、小物やラジカセなどが置いてある長机、
日付、支援内容、班分けなどが書かれたホワイトボード、
つなぎやベスト(ビブス)が掛けてあるパイプスタンド・・
などが置いてあります。

ストーリーは、→ こちら

ユーモアあふれる、3人の掛け合いはとても楽しいです。
福島さんの関西弁も心地よいし。

飯田人志役の田口さん、ほんま、ぽっちゃり。
芝居の中でも、それでいじられて。

「めしだくん」

「飯田です」

「えぇ~、飯(めし)に田で、いいだって読むの~」

「ふつう、飯田でしょ」

「ふとしく~ん」

「人志です」

というような掛け合いがあるんですね。

「365歩のマーチ」を朝イチの曲にしよう、というヒロキこと福島さん。
「アンパンマンマーチ」の方が良いというヤスこと石倉さん。
そのあたりも楽しい掛け合いで、客席のお子さんの笑い声もありました。



11年3月の震災後、ボランティアがたくさん東北へ向かい、
一番多かったのはGW。それから少し減って、夏には、
また、学生さんとかがボランティアにやってきたとか。

舞台は、その秋、11月から翌年の春までのことを描いてます。
最後に、当時のピースビットのボランティアの映像が写され、
吉俣さんの演奏が流されました。

ボランティアはどうあるべきか、被災地の支援というのは、
どこまでが支援なんやろう・・・そういうことが描かれてます。

そして、あれから4年経った今は、支援のカタチは変わってるはず。
最後の最後に、女川にできた新しい駅の様子を紹介する映像が流れました。
石巻の隣の町やけど、ほんとうに街全体が流さたところなんですね。
石巻線の復興の様子、女川の駅前、人々の姿・・・

20年前の阪神淡路大震災のあった関西で、
この舞台が上演されたのも、一つの縁ですよね。

今の私たちに、ナニができるやろう。
忘れないことが、一番かなぁ。