CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

堀絢子さんの『朝ちゃん』

2014-08-17 09:24:31 | 表現にからむ様々なこと
いい舞台を観た。
素敵な女優を観た。

そのおかげで・・・歯が痛い(笑)
歯が痛くて、目が覚めた。
一度PCに向かい、返信しなければならないメールに返信をして、
ブログを書こうと思ったが、痛くて、眠くてそれもかなわず・・・
保冷剤を枕に・・・1時間ほど寝た。

歯が痛くなっても・・・
胃が痛くても・・・(一緒に行った娘は胃痛だった)

それでも、観て良かったと思える舞台だった。

ヒロシマの原爆投下の翌日の朝。
秋という名の少女が、ヒロシマの町を歩いている。
姉の死を目の前で見て、
おびただしい数の遺体に囲まれて・・・町を歩いている。
「秋ちゃん・・・」呼びとめられて、
周りを見ても立ち上がっている人などいない。
みな・・・むごたらしい状況で折り重なった・・・ひと・ヒト・人。
「秋ちゃん・・・」
その声は、その中から聞こえる・・・
確かに『朝ちゃん』の声だった・・・
ドッチボールが得意で、快活な、明るい・・・あの『朝ちゃん』の声だった・・・

秋ちゃんが朝ちゃんのお母さんを呼びに行き、
朝ちゃんのお兄ちゃんとお母さんと一緒に・・・朝ちゃんを迎えに行く。
リアカーで家に連れて帰り・・・朝ちゃんは、お母さんの腕の中で・・・

『忍者ハットリくん』の声で有名な堀絢子さんの一人芝居。
五役を見事にこなしながら、
つまり、身体に五人の人物が入れ替わり立ち替わり入り込みながら、話は進む。

つくづく思うが、声色とか、なったつもり・・・とかではなく、
その血と肉っていうか、体温と呼吸っていうか、
そういうのもがしっかり身体に入って、
でも、なりきるのでは無く、意識的に『表現』する・・・
自分をコントロールする・・・

う~ん、凄い。

立った・・・その『存在』そのものの持つパワー

ものがたり・・・は、そこに存在してるから、
ものがたり・・・は、意味がないっていうか・・・
そういうと、誤解を招くけれど・・・

なにしろ、そこに立つ役者の存在だ。

舞台を観て「本を売ってくれればいいのに・・・」と、
自分で読んだ方がいいと思うことが、多々ある。

今回は・・・
堀絢子さんの『朝ちゃん』をまた観たい!
そう思った。
堀絢子さんの・・・なんです。
凄いです・・・本当に、凄いです。

誰のニーナでも
誰のマクベスでも
誰のジュリエットでもいいのではなく

この人の・・・

そう、舞台ってそういうものだ。

その『ものがたり』は、もちろん大切なんだけど
それよりも何よりも・・・
舞台の上にいる人の存在感だ。
空気を支配する力だ・・・

台詞を正しく言えたか、滑舌が綺麗か・・・
なんて、その『存在感』に比べたら、微々たるものだ。

もちろん・・・それらが、どうでもよいこととは思っていない。

ただ、昨日、堀絢子さんを観て・・・
舞台に立つって生半可じゃない・・・
『壮絶な事』なんだ・・・と改めて思った。

お客様の前で、表現している者の端くれとして、その覚悟をあらためてさせられた。

音楽も同じだ・・・
クラシックだって、そうあるべきだ。
誰の演奏するチゴイネルワイゼンでもいいのではなく、
ベートーベンのピアノソナタなら、誰の演奏でもいいのではなく
『この人の』なんだと思う。

邦子の『地下鉄の切符切り』
邦子の『グルジアの歌』
邦子の『アコーディオン弾き』

どんな歌も、表現も・・・そうありたいものだ。

一人でも多くの方に、堀絢子さんの『朝ちゃん』を観てほしい。
今日もプーク人形劇場で上演される。
11時と15時の二回だ。2500円。

そして・・・多くの町や村、学校で、上演してほしい作品である。
一人でも多くの方に堀絢子さんの『朝ちゃん』をと思った。

町内会の廃品回収も出し終わり、
朝ご飯のおにぎりも作り終わった。

さぁ・・・今日を始めなきゃ・・・歯が痛いなんて言ってられない。。。