静岡の詩人、菅沼美代子さんから詩誌『穂』第44号を寄贈頂いた。同誌の同人は静岡県内
在住の女性9人。
先号の第43号を初めて寄贈頂いた時ふと、6年前に第114号で廃刊となった秋田の詩誌
『海図』が思い起こされた。『海図』もまた女性だけの同人詩誌であった。
さて、『穂』第44号は同人の詩作品と追悼文、そして「Essay 詩の周辺」と位置付けられ
た全員のエッセイが掲載されている。
「叩く」
幼児の涙の中に街路樹の深緑が まだ 残っている/小さな手が見送りの父親を引き寄せ
て/手の届くありったけを叩いている/戦争に巻き込まれた国で/国に残る父親と幼児の
ために隣国へ避難する母親/父と母の間で架け橋の形で揺れながら/手は父の肩や頬を叩
き続けている/
井上尚美さんの詩「叩く」の第一連を抜粋。ロシアによるウクライナ侵攻が始まった頃、何
度かテレビニュースでみたことのあるシーンに”違いない”。戦況を伝えるアナウンサーの声
に関連した映像として流れていたはずで、その映像への説明アナウンスはなかったと記憶する。
音声のない映像から感受した詩人の表現は見事に「叩く」姿を描写している。幼児の哀しみが、
兵士として国に残る若い父の苦悶が、子の手を止めない若い母の苦しみが伝わってくる。
幼児は、戦禍の理不尽さよりも父との別れを、もう知っているのだ。あんなにも小さいのに。
「叩く」ことでしか伝えられない・・・。それがどういうことかをこの詩は言おうとしている
ようだ。
第2連では、先輩が語った終戦後の記憶を散文調で表し、先輩の「僕」は牛より貧しい自分
に腹が立って、畑を耕している母の背を「叩いた」が、母は間を置かずその倍のビンタを返し
てきた・・・と述懐させる。「母は僕を通して、僕ではない何者かを叩いていたのだ」とする
「僕」のこの吐露は、井上さんの本質的な声でもあると感じた。重い数行の詩世界だ。
追悼文では、先の日本現代詩人会会長である新藤凉子氏への想いを菅沼美代子さんが綴る。
その関わり方が羨ましい。私の知る秋田の「歴程」会員の方からも新藤氏のことや連詩のこと
を伺っていたので、氏のお人柄や面倒見の良さなどを更に知る事ができた。
発行日 2023.03.01
発行人 井上尚美
発 行 穂の会 静岡県島田市
頒 価 500円
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