栃木県鹿沼市の田村右品さんから、『写真詩語り「せきぶつ移魂」』が寄せられた。田村さんは1931年生まれの口語自由律短歌誌と俳誌にも所属するまさに”詩”人である。バイクで捜し歩いた石仏の写真に句と詩を織り交ぜた、田村さんの言う”詩情”には深みがある。さりげない説明にも見える言葉は、写真の石仏を見ていると作者の感情がしっくりと馴染んでいて、人格さえ伝わってくる。
”はしがき”と題する扉の文面には、田村さんのしっとりとした柔らかくもきっちりとした目線を感じることが出来る。『碑塔や城跡を訪ねて、村々や野山を歩いていると、ふと、人の一生を思うことがあります。さらには野ざらしの仏さまやお地蔵さんに出会うと、人の世の出会いを思うことがあります。』とある。それは、同文の後半にある『母は着古した野良着を繕いながら「世の中は、四苦八苦の娑婆だが、その一つもどうにもならんな」と独り言のように言いました。今もその言葉がしきりに思い出されます』と述懐する深層に結びついている。紹介した画像は、「枯れ野」と題する作品。画像紹介していないが、その右ページには次の句がある。
枯れ野きて 枯れ野を帰る 人のあり