奥久慈から国道118号、常磐道、北関東自動車道、東関東自動車道を南下し、茨城空港北ICから県道144号、国道355号を利用して行方へ向かいます。14時過ぎに目的の西蓮寺に到着しました。
西蓮寺は霞ヶ浦を見下ろす高台にある天台宗の寺院です。延暦元年(782年)に創設と伝えられる古刹で、数多くの文化財を保有しています。高台からは天気が良いと富士山が見えるそうです。
駐車場の横に国指定重要文化財の仁王門(山門)があります。教育委員会のHPによると、この仁王門は、天文12年(1543))に建立されたもので、当初は楼門として造られましたが、寛政年間(1789~1801)に山門に造り替えられ,さらに仁王門に改められました。三間一戸楼門の一階だけが残されたもので、組物は楼門腰組型の三手先で、中備は蟇股と簑束となっています。
向かって左側の仁王像。
右側の仁王像。いずれも見ごたえあります。
仁王門をくぐると正面に大きなイチョウの古木が姿を現します。
重層の鐘楼の先から見上げます。
大イチョウの説明です。
こちらが最初に紹介した1号株。幹周り6m、高さ25mあります。明治16年(1883年)の火災で幹が焼けて細くなってしまったそうです。西蓮寺開山最仙上人の御杖銀杏と伝えられ、根元に子安観音が祀られています。
2号株です。幹周り8m、高さ27mと、1号株より若干大きめです。大正6年(1917年)の台風で幹が途中から折れてしまったそうです。根元に稲荷社が祀られています。
樹齢は二株とも1000年以上といわれ、粗大な気根を垂下し、俗に「チチ」と称するものが数多くついていてイチョウの老樹の特徴を充分にそなえ樹勢ますます旺盛のようです。二株共に雄株なので実がつきません。
2号株幹元の稲荷社です。
1号株の横には国指定重要文化財の相輪橖が建っています。行方市のHPから引用します。
相輪橖は弘安の役の戦勝を記念して弘安10年(1287年)に西蓮寺中興の慶弁阿闍梨(あじゃり)が建てたものと伝えられています。高さは9.16mで、木の心柱に銅板鍛造の筒を10個かぶせてつないでおり、また、つなぎ目には幅7.6cmの帯輪を巻いており、全体では錫杖形(しゃくじょうがた)をしています。橖は西に面し基壇、橖身(とうしん)、頭部の3つに分けられ、基壇は、石造りで三段に積まれています。また、橖身は円柱になっており、それを包む銅板には寄進者名等を刻んでいます。
頭部は五輪塔形で、宝珠に火焔を付けており、それを取り巻く太い大輪及び大輪に懸かる12個の小輪からなります。また大輪には卍が飾られています。
相輪橖は天台宗の象徴とされ、比叡山延暦寺と日光輪王寺のものとならび貴重なものです(以上引用終わり)。
こちらは中堂。県指定重要文化財である本尊薬師如来が祀られています。
一番奥の客殿(法華堂)へ向かいます。明治43年建立。一般の法要はここで行われます。
客殿の内部です。
最後に西蓮寺に隣接した「なめがたの夢舞台」を紹介します。大音量で音楽が流されていましたが、お客さんは一人もいません。バーベキュー場のようですが・・・
婚活の舞台でもあるみたいです。中には神社もありました。でも、古刹の雰囲気にはなじみませんね。
西蓮寺は霞ヶ浦を見下ろす高台にある天台宗の寺院です。延暦元年(782年)に創設と伝えられる古刹で、数多くの文化財を保有しています。高台からは天気が良いと富士山が見えるそうです。
駐車場の横に国指定重要文化財の仁王門(山門)があります。教育委員会のHPによると、この仁王門は、天文12年(1543))に建立されたもので、当初は楼門として造られましたが、寛政年間(1789~1801)に山門に造り替えられ,さらに仁王門に改められました。三間一戸楼門の一階だけが残されたもので、組物は楼門腰組型の三手先で、中備は蟇股と簑束となっています。
向かって左側の仁王像。
右側の仁王像。いずれも見ごたえあります。
仁王門をくぐると正面に大きなイチョウの古木が姿を現します。
重層の鐘楼の先から見上げます。
大イチョウの説明です。
こちらが最初に紹介した1号株。幹周り6m、高さ25mあります。明治16年(1883年)の火災で幹が焼けて細くなってしまったそうです。西蓮寺開山最仙上人の御杖銀杏と伝えられ、根元に子安観音が祀られています。
2号株です。幹周り8m、高さ27mと、1号株より若干大きめです。大正6年(1917年)の台風で幹が途中から折れてしまったそうです。根元に稲荷社が祀られています。
樹齢は二株とも1000年以上といわれ、粗大な気根を垂下し、俗に「チチ」と称するものが数多くついていてイチョウの老樹の特徴を充分にそなえ樹勢ますます旺盛のようです。二株共に雄株なので実がつきません。
2号株幹元の稲荷社です。
1号株の横には国指定重要文化財の相輪橖が建っています。行方市のHPから引用します。
相輪橖は弘安の役の戦勝を記念して弘安10年(1287年)に西蓮寺中興の慶弁阿闍梨(あじゃり)が建てたものと伝えられています。高さは9.16mで、木の心柱に銅板鍛造の筒を10個かぶせてつないでおり、また、つなぎ目には幅7.6cmの帯輪を巻いており、全体では錫杖形(しゃくじょうがた)をしています。橖は西に面し基壇、橖身(とうしん)、頭部の3つに分けられ、基壇は、石造りで三段に積まれています。また、橖身は円柱になっており、それを包む銅板には寄進者名等を刻んでいます。
頭部は五輪塔形で、宝珠に火焔を付けており、それを取り巻く太い大輪及び大輪に懸かる12個の小輪からなります。また大輪には卍が飾られています。
相輪橖は天台宗の象徴とされ、比叡山延暦寺と日光輪王寺のものとならび貴重なものです(以上引用終わり)。
こちらは中堂。県指定重要文化財である本尊薬師如来が祀られています。
一番奥の客殿(法華堂)へ向かいます。明治43年建立。一般の法要はここで行われます。
客殿の内部です。
最後に西蓮寺に隣接した「なめがたの夢舞台」を紹介します。大音量で音楽が流されていましたが、お客さんは一人もいません。バーベキュー場のようですが・・・
婚活の舞台でもあるみたいです。中には神社もありました。でも、古刹の雰囲気にはなじみませんね。
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