60歳からの視覚能力

文字を読んで眼が疲れない、記憶力、平衡感覚の維持のために

注意と固視

2007-12-17 23:03:51 | 文字を読む

 意識的にものを見ようとするときは、自然に視線が見ようとするもののほうに向けられます。
 見えると意識されているときは、その方向に注意が向けられ、同時に視線も向けられているというのが普通です。
 しかし視線が向けられているからといって、注意が向けられているとは限りませんし、視線を向けているところとは別の場所に、注意を向けることも可能です。

 新聞や本を読んでいても、何かほかのことに気をとられていると、視線は文字に向けられているのに文字が見えていないということがあります。
 こういう場合は目では文字を見ていても、注意が向けられていないので、意識に上らず、見えていないと同じことになります。
 これとは逆に視線を向けていないのに、注意を向けることで意識的に「見る」事が可能な場合があります。

 上の図で中心の点に視線を向けて注視した状態で、周りの文字を読もうとすれば注意を向けた方向の文字は周辺視で読み取ることができます。
 ところが注意を向けた方向とは違う位置の文字を、同時に読み取ることはなかなかできません。
 中心点を注視しているのですから、周辺視で見えるという点ではどの方向の文字でも同じなのですが、読み取ることができるのは注意を向けた方向の文字だけです。
 
 一度にひとつの方向の文字しか読み取ることができないということは、同時に別の方向に注意を向けにくいということなのですが、それは中心点を固視しているためです。
 たとえば中心点を固視しないで図全体をボンヤリ見ると、同時に二つあるいはそれ以上の位置の文字を読み取ることができます。
 あるいは上下の文字に同時に注意を向けてみれば、「あ」と「こ」のように二つの文字を同時に読み取ることができます。
 また左右の文字に同時に注意を向けてみれば「お」と「み」とを同時に読み取ることができます。

 つまり中心点を固視してしまうと、視野が狭まり注意を向けられる方向が限定されてしまうのです。
 固視を続けると眼が疲れるだけでなく、読取範囲も狭まるのですから、出来ることなら文字を読む際に固視をしないですむのが望ましいのです。
 難しい文字や単語にぶつかれば固視をしてしまうのはやむをえないのですが、単に文字を読むとき習慣で固視をしてしまうというのであれば、固視の習慣を取り除くべきでしょう。