戦後からの技術、生活の変化に対応して大量のカタカナ語が使用されるようになり、
その勢いがやまないため、たいていの人がわけがわからに言葉に接しています。
メタボ、ゲーセン、カリスマ美容師、アカウンタビリティー、ライフライン、コンプライアンスなど普通の人には言葉だけ聞いては分からないものがいくらでもあります。
明治時代には西欧の技術、文化を取り入れるために、外国語を漢語に翻訳、置換していましたから、同じように漢語化すればよいのではないかとまずは思いつきます。
明治の訳語でも経済などはもともとはeconomyの訳語ですが、何でこれが訳語なのかわかりません。
会社はcompanyの訳語といっても、societyの訳語にも名を連ねたことがあるくらいで、漢字の意味だけからcompanyの意味を推測するのはかなり困難です。
elementの訳語は当初、元素、本質、材、基本、要素などがあったそうですから、elementすなわち要素とすぐ結びつくというものではなかったのです。
それでも漢語での意訳は電気,電流、電灯、電圧、発電、停電などわかりやすいので意訳がそのまま単語化して受け入れられています。
比較的新しいカタカナ語もマンパワー(人材)、アカウンタビリティー(説明責任)、インキュベーション(起業支援)など漢語での置き換えがなされているものもあります。
しかしもともと多義語であるクライアントとかオペレーションといった単語は、ひとつの漢語で対応するわけにはいきません。
商売の顧客のいみでクライアントが使われているならクライアント=顧客として確定できますが、単なる依頼人とか患者などにも使うわけには行きません。
オペレーション日本銀行の買いオペ、病院のオペ(手術)、軍隊のオペレーション、コンピューターのオペレーションなどいずれも定着しているので、ひとつの漢語に置き換えるわけには行きません。
石川九楊「二重言語国家日本」ではこうした問題への対応にはルビを使ったらどうかという例を示しています。
るびは元来は漢字の読みを示すためにあるのですが、たとえば「生」という漢字の読みは意味によって「うまレル」だったり「いキル」、「なル」だったりしますから、多義語にも対応できるのです。
リストラは文字通りには再構築の意味ですが、首切りの意味で使われているのなら「首切り」とルビを振ればよいのです。
民主主義というコトバが誤解されているのならデモクラシーとルビを振れば世のです。
ネグレクトというコトバを育児放棄に使ったり、介護放棄に使ったりするのなら、ネグレクトのルビとして育児放棄や、介護放棄をそれぞれに使えばよいのです。
漢語でぴたりと翻訳できなくても、漢語でルビを振ればとりあえずその場での意味を伝えることができます。
ルビの使用によって、新しいカタカナ語も組み込めるので、情報化社会での激しい変化に日本語はかえって対応しやすいと考えられるのです。