60歳からの視覚能力

文字を読んで眼が疲れない、記憶力、平衡感覚の維持のために

音声にしなくても意味がわかる場合

2007-05-12 23:15:15 | 言葉と文字

 心理学や言語学ではコトバは音声が基本で、文字は音声に変換されて意味が理解されるというのが一般的です。
 文字の習い始めは、まず文字の読み方からですから、文字を見て音読をすることで意味が理解されます。
 文字を見ただけでは意味が分からないで、音読してはじめて意味が分かるといわれるとなんとなくそんな気がします。
 普通の人は、文章を見ただけでは頭に入らず、音読したり、内読(心の中で音読する)して意味が飲み込めるので、やはり音声に変換することで意味が分かるのかなと思ったりします。

 ところが日本語では、同じ文字について読み方が幾とおりもあるという問題があります。
 たとえば、金は「きん」とも「かね」とも読みますが、これは音読してから意味が分かるというよりも、意味が分かってから読み方が分かります。
 「金と銀」という場合なら、「かね」でなく「きん」だと思ってから「きん」とよんでいます。
 「資金繰り」「金繰り」は読み方が違っても意味は同じで、読み方より意味が先に頭に入っているように感じます。
 
 図のように二字熟語でも音読みしても訓読みしても意味が同じものがあります。
 どちらの読み方をしても意味は同じですから、どちらで読もうかという判断をしなければなりません。
 この場合、意味は分からず単に読み方だけを思い出そうという人もいますが、母子などは意味が分かるが「ボシ」と読むべきか「ははこ」と読むべきか、あるいは「おやこ」と読むべきかと迷うのではないでしょうか。
 読み方を指定することで意味を分からせるという場合ももちろんあります。
 たとえば「右腕」は「ウワン」と読めば右の腕ですが、「みぎうで」とと読ませて腹心の部下と解釈させる場合もあります。

 ひとつの漢字語について読み方がいくつもあるというばかりでなく、ひとつの意味についての文字表現が幾とおりもあるということもあります。
 「いわや」は「イワヤ」と書いても「岩屋、石屋、岩窟」と書いても意味は同じです。
 嫂という字に「あによめ」とルビが振ってあるより「兄嫁」と書かれたほうが意味が分かりやすく。「稲光」も「いなびかり」とルビを振ってあるより「電光」と漢字でルビを振ったほうが意味が分かります。
 「きつねび」にしても現代人には「狐火」では分かりにくく「燐光」のほうが分かりやすくなっています。
 つまり、音声に変換すれば意味が分かるとは限らず、漢字で示したほうが意味がわかるという場合もあるのです。